未曽有の災害に襲われた人々と町の「証言記録」。
第25回は岩手県大槌町です。
町の大半が山林で覆われ多くの人々は沿岸部に住んでいました。
大槌湾を囲むように広がる町は水産業が盛んでした。
震災前にはおよそ1万6,000人が暮らしていました。
あの日町を襲った津波は4,000近い家屋を破壊し1,284人が亡くなりました。
町にあった6つの病院も津波にのみ込まれます。
町で一番大きな県立大槌病院にも8mを超える津波が襲いかかります。
53人いた入院患者を看護師と職員たちは必死で屋上へ運び上げます。
更に町の至る所で火災が発生し病院にも危険が迫ります。
津波によって薬や医療器具が流され機能を失った病院。
医師と看護師は必死で患者の命を守ろうとします。
自らの家族の安否も分からないままでした。
病院の孤立は3日間続き患者たちの状態は悪化していきます。
そしてついに病院は入院患者を連れて自力での脱出を決意。
1.5km離れた山あいの高校へと向かいます。
津波で孤立した病院で患者の命を守ろうとした医療従事者たちの証言です。
震災前大槌町はおよそ1万6,000の人口に対して僅か8人の医師しかいない医療過疎の町でした。
町で一番大きな県立大槌病院は唯一入院機能のある病院でした。
肺炎や糖尿病で入院する必要がある高齢者を多く受け入れていました。
おはようございます。
具合はどうかな?風邪ひいて。
風邪ひいちゃったの?岩田千尋院長です。
大槌病院は医師不足のため震災の前の年にベッドを121床から60床に減らしていました。
医師不足の大槌病院を支えていたのは町に5つある診療所の医師たちでした。
病院の医師と開業医たちは歓迎会や忘年会を開いて日頃から交流を深めていました。
診療所の一つ植田医院です。
どう?元気?大丈夫?植田俊郎さんは診療所を営むかたわら大槌病院で回診の手伝いなどを行ってきました。
大槌町の医師たちはお互いに補完し合う医療体制を築く事で住民の健康を守ってきました。
大槌町を強い地震が襲います。
あの日大槌病院には3階に53人の患者が入院していました。
病棟担当だった准看護師の佐々木久子さんはすぐに入院患者のもとへ駆けつけます。
地震発生からおよそ30分後。
町に巨大な津波が押し寄せます。
津波は大槌川を逆流します。
「上がった方がいいですよ!」。
病院の裏手を流れる大槌川から津波が堤防を乗り越え一気に病院に迫ります。
その時岩田院長は入院患者たちのいる3階から津波を目撃します。
8mを超す津波は大槌病院をのみ込んでいきます。
津波が迫る中看護師と職員たちは入院患者53人を急いで屋上へと運び上げます。
当時外来担当の看護師だった菊池智子さんも津波に追われるようにして運び上げました。
40分ほどで全員を避難させる事ができました。
病院に逃げ込んだ近所の住民30人を合わせて150人余りが屋上に避難しました。
しばらくすると寒さが襲いかかります。
風が強さを増し雪混じりの雨も降り始めました。
看護師たちは屋上の物干し場だったサンルームに寝たきりの患者37人を寝かせます。
他の患者たちはそのまま屋外で厳しい寒さに耐えるしかありませんでした。
事務局長の佐々木勝広さんは看護師たちから寒さを逃れるために3階の病室へ戻る事を相談されます。
午後5時過ぎ外にいた患者や住民は3階へ降りる事にします。
サンルームにいる患者は引き続き看護師たちが交代で診る事になりました。
大槌病院からおよそ700m南には開業医の植田俊郎さんの診療所がありました。
植田医院は1階が駐車場で2階が診療所。
3階と4階が住居でした。
植田さんは7人家族で4人の子供たちは全員県外で暮らしていました。
あの日は妻と母親が家に居ました。
地震のあと植田さんは近所に住むお年寄りが倒れたと聞き往診に出かけました。
帰宅後妻が町の異変に気付きます。
その直後津波は植田医院に迫ります。
植田さんは津波に襲われるふるさとの町をカメラに収めました。
大学時代山岳部に所属していた植田さんは冬山登山の経験も豊富でした。
植田医院の屋上には看護師や近所の人も含めて18人が避難していました。
津波は診療所の3階まで達しました。
しばらくして植田さんは水と食料の確保に動きます。
避難した18人は建物にとどまって救助を待つ事にします。
植田医院からおよそ400m西には道又衛さんの診療所がありました。
診療所は1階にあり2階は住居でした。
あの日高校生の娘は学校に行っていて妻と同居している妻の姉が自宅に居ました。
道又さんは大学時代ラグビーでケガをして右半身にマヒが残っています。
地震のあと3人は避難するため車に荷物を積んでいました。
すると知り合いから声をかけられます。
3人は散乱した物でケガをしないように靴を履いたまま2階に避難します。
そして少しでも高い場所にと寝室のベッドの上に上がりました。
逃げ場を失った道又さんは空気を確保しようと流れてきた棒を使って天井に穴をあけます。
津波は天井の間近まで迫りましたがその後徐々に引き始めました。
全身水につかった道又さんたちは壊れた自宅の中で寒さに耐えながら夜を過ごします。
150人が避難した大槌病院に更に危険が迫ります。
病院の周囲で火事が発生。
津波の流れに乗って火は次々と燃え広がり火のついた船やがれきが病院に迫ってきました。
100mほどしか離れていない寺からも火の手が上がります。
当時病院のボイラーのタンクは重油を満タンにしたばかりでした。
火事が迫る中屋上では必死の看護が続けられていました。
津波によって病院は停電し薬や医療器具もほとんど流されていました。
サンルームにいた60代の男性患者は人工呼吸器をつけていましたが停電で機械が使えなくなっていました。
看護師たちは手で呼吸を促す器具を使って一晩中酸素を送り続けます。
喉に絡んだたんも注射器を代用して手作業で吸い出しました。
深夜になっても火の勢いは衰える事なく町に燃え広がります。
大槌病院は完全に孤立しました。
岩田院長は仲間の開業医たちの事が気がかりでした。
地震の翌朝。
18人が避難していた植田医院。
午前8時ごろ植田さんは自衛隊のヘリコプターが住民を救出している事に気がつきます。
しばらくすると植田医院に向かってきました。
10時22分。
診療所の屋上にヘリコプターから隊員が降り立ちます。
18人は次々と引き上げられ救助されていきます。
その後ヘリコプターは2.5km離れた野球場へと向かいました。
野球場の隣には町の弓道場があります。
そこには400人近い住民が避難していました。
多くの避難者を見た植田さんはすぐに救護所を開設しようと考えます。
診療所から持ち出せたものはAEDと往診かばんそして血圧計のみ。
それ以外の医療器具は全て津波によって流されてしまいました。
植田さんのもとには体調不良を訴える人たちが次々と集まってきました。
診療所の2階で津波に巻き込まれた開業医の道又さん。
道又さんも12日の昼ごろヘリコプターに救出され弓道場へ向かいました。
そこで避難者を診察していた植田さんと再会します。
植田さんは着替えと温かいお茶を出してくれました。
道又さんと植田さんはすぐさま避難者の診療を連携して行う事にします。
震災以前から大槌町の医師たちは災害時の訓練を一緒に行っていたのです。
道又さんは弓道場を植田さんに任せ内陸にあり被害を逃れた障害者施設四季の郷に向かいます。
ここには薬や医療器具が備わっていて治療が可能でした。
道又さんは植田さんのもとから搬送されてきた患者にも対応します。
150人が孤立したまま一夜を過ごした大槌病院。
2階にあった厨房が流され避難した人たちはほとんど何も口にしていない状況でした。
朝になって職員が浸水した2階の備蓄庫に降りてようやくレトルト粥と水を見つけました。
150人分の食事を数日間賄えるよう1人に配った量はそれぞれ50ccずつでした。
午前9時ごろ一機の自衛隊の偵察ヘリコプターが大槌病院近くに降り立ちます。
やって来た隊員に岩田院長は患者たちの搬送を要請しました。
サンルームでは60代の男性患者の状態が悪化していました。
ボンベの酸素が残り僅かになっていたのです。
男性は看護師たちに見守られながらその日の昼ごろ息を引き取りました。
地震発生以来懸命に看護をする病院のスタッフたちは家族との連絡が取れない状態が続いていました。
岩田院長は患者たちはもちろん看護師や職員たちの状態も心配していました。
要請したはずの自衛隊からは連絡がないまま時間が過ぎていきます。
震災3日目。
ラジオから新たな地震に関するニュースが流れます。
それを聞いた看護師たちの間に動揺が広がりました。
佐々木事務局長はがれきをかき分けながら1.5km離れた山あいにある県立大槌高校へ向かい受け入れを要請します。
高校は大槌病院のために4つの教室を用意してくれました。
午後2時。
看護師と職員たちは患者たちを1人ずつ運び出します。
家族の迎えなどがありこの時病院にいたのは寝たきりの患者30人でした。
日暮れまで2時間余り。
その前に全員を移さなければなりません。
看護師たちは寝たきりの患者を何とか車椅子に乗せ高校に向けて歩き始めました。
がれきが散乱する道を歩き高校へ通じる上り坂の手前までやって来ました。
その時学校方面から来た車を佐々木さんは呼び止めます。
車を運転していた男性は高校の教師でした。
教師はその後も病院と高校を往復し搬送を手伝ってくれました。
2時間後。
ようやく30人の患者全員を高校の教室に移す事ができました。
高台の高校に避難し津波の心配はなくなりましたが患者たちを治療できない状況に変わりはありませんでした。
岩田院長は患者を受け入れてくれる場所を探しに出かけます。
その一つが内陸にあった障害者施設四季の郷でした。
そこで岩田院長は開業医の道又さんと再会します。
四季の郷には7人の患者が搬送され道又さんが診療にあたりました。
その後隣町の県立釜石病院など5つの病院や施設が受け入れに応じてくれました。
大槌病院では震災発生から全ての搬送が終わるまでに3人の入院患者が亡くなりました。
しかし地域の医師たちの連携で被害の拡大を食い止める事ができました。
患者たちの搬送を終えた翌日看護師と職員たちはそれぞれの家族のもとへと帰っていきました。
大槌町は最も被害が大きかった町の中心部に住宅地を再建するため現在土地をかさ上げする工事を進めています。
大槌病院は仮設の建物で診療を続けています。
3年後には高台にある野球場に50床の新しい病院を再建する予定です。
四季の郷で診療にあたった道又さん。
おととしの8月町の内陸部にいち早く新しい診療所を開きました。
大槌町にいた開業医は震災後1人が町を離れましたが新たに1人が加わり今も5人で大槌病院を支えています。
大震災を経験した大槌の医師たち。
災害に強い医療を目指しこれからも連携して住民たちの命を守っていきたいと考えています。
ある意味「命の砦」と言ってもいい病院が津波に見舞われた。
そこで患者の皆さんを守っていこうという苦闘命をつなごうという懸命な努力これから私たちが災害というものに向き合う上で貴重な示唆を含むものだと思いました。
病院と開業医の皆さんの日頃からのつながり地域との連携というのも大変大事なんですね。
岩手県大槌町からの「証言記録」でした。
さてNHKでは東日本大震災のこうした貴重な証言やニュースの映像をこれからの防災・減災に役立てて頂こうとインターネット上でも公開しています。
ご存じだったでしょうか?NHK「東日本大震災アーカイブス」。
現在380人の証言や当時のニュース映像を公開しています。
あの日何が起き人々がどう行動したのかこのサイトを活用した授業が沖縄県の高校で行われました。
実は沖縄では240年前に大津波で1万人を超す犠牲者を出しています。
しかし今では地震や津波に対する危機意識が薄いと言われています。
授業が行われたのは去年12月。
ねらいは「災害時に自分の身を守る事」。
担当の先生が防災の専門家に目を通してもらった授業案に沿って進めました。
この辺のね映像を見ていきたいと思います。
まずニュース映像で地震の揺れの強さ押し寄せる津波の速さや破壊力を知る事から始めました。
映像を見たあと防災のポイントを話し合い整理します。
続いては被災した岩手県の蛯名有美さんの証言です。
地震後の津波はあまり意識していなかったといいます。
「万が一来たらちょっと上に逃げようぐらいの。
でも大丈夫だろうという感じで」。
このサイトを視聴し震災の時の対処法をふだんから家族と話し合っておく事の大切さなどについて確認しました。
映像を見ると…「東日本大震災アーカイブス」。
皆さんもご家庭や地域学校そして会社で是非活用して頂ければと思います。
それでは今日も被災された方々の声に耳を傾けて頂こうと思います。
今日お聞き頂きますのは宮城県気仙沼市の皆さんの声です。
お聞き下さい。
この滝浜漁港に大きな防潮堤が計画されています。
しかしこの地区の災害危険区域内には私の本家が1軒残っているだけです。
小さいお花を買ってきてそれが大きくなってきれいな花を咲かせますよね。
それがすごく楽しみなんです。
津波でカキ工場も流され家も全壊となってしまいました。
それでも何かしなければと思い工場を再建しました。
そして全壊となった自宅も民宿にしました。
お待ちしてます!2014/02/02(日) 10:05〜10:55
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう− 証言記録 東日本大震災(25)大槌町 病院を襲った大津波[字]
あの日岩手県立大槌病院は大津波と火災に襲われた。医師と看護師は寝たきり患者など53人を屋上に避難させ、必死に看護した。患者の命を守り抜いた医療関係者の証言記録。
詳細情報
番組内容
岩手県大槌町は東日本大震災で人口の1割にあたる1284人が亡くなった。県立大槌病院も高さ8メートルの津波に襲われ、医師と看護時は寝たきりのお年寄りなど53人の患者を屋上に避難させた。夜を徹して看護に当たったが、2人の患者が亡くなった。こうした窮状を救ったのが、町に5つあった診療所だった。開業医たちは避難所で診療をはじめ、大槌病院の患者も受け入れた。患者の命を守ろうと奮闘した医療関係者の証言記録。
出演者
【キャスター】三宅民夫
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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