僕は夢にも。
あなたと出会うまで夢にも」。
行ってらっしゃい。
できるだけ早く戻ります。
待ってます。
(トラ)
年の瀬も間近い日の出来事でございました
航空機の状況荒浜地区荒浜地区…。
あの日東北の空へヘリコプターが飛び立った。
河口付近の状況を撮影しておりますが津波で大きな被害が発生しています。
予想もしなかった大災害を目の当たりにした。
車両を全て西側に避難させるように指示する。
全て西側に避難させろ。
全てすぐに西側に避難させろ。
3月11日からの3日間だけで投入されたヘリは延べ400機。
撮影された映像は膨大な量に及ぶ。
今回未公開のものを含む貴重な映像を入手。
そこには知られざる震災の姿が記録されていた。
史上初めて上空から多角的に捉えられた巨大津波。
こっちは…。
あふれ出してきてますね。
津波の新たなメカニズムが浮かび上がってきた。
更に追い打ちをかけた津波火災。
消防の常識は通用しなかった。
助けを待つ途方もない数の人々。
かつてない空からの救助が始まった。
巨大災害と格闘したヘリの映像であの日からの3日間に迫る。
2011年3月11日午後2時46分。
マグニチュード9.0の巨大地震が発生。
3分後には大津波警報が発表されました。
被害の状況を確認するため仙台平野では14分後に最初のヘリコプターが離陸。
自衛隊消防など10機以上のヘリが次々と飛び立ちました。
最初に飛び立った陸上自衛隊のヘリコプター。
実況を担当した…空からの撮影を専門に行う部隊だ。
(山元)こちらは東北方面隊ヘリ映伝撮影機です。
映像と音声は自衛隊の司令部のほか県の災害対策本部や首相官邸にも送られる。
ヘリはまず過去津波の被害が集中した三陸海岸に向けて北上した。
しかし…。
分厚い雪雲に阻まれ北上を断念。
司令部からの指示で仙台市中心部の調査へと向かった。
しかしそのころ八戸から飛んだヘリが岩手県久慈市の沖合で異変を捉えていた。
沖合から迫る津波。
激しく白波を立て港をのみ込んでいく。
高さ5m以上。
壁のような大津波だった。
仙台市上空にいた山元さんのヘリも市の南部を流れる名取川に沿って海岸へと向かった。
(山元)名取川の細部状況を撮影しております。
あっあれすごい…。
あれ何だ?あれ。
今…あっ津波確認です。
現在名取川の状況津波が川を遡上しておるのが確認できます。
川を遡る津波の先端。
海岸から5kmも離れた地点だ。
海へ向かってヘリを飛ばす。
(山元)はい。
現在津波…ああ〜車両…。
津波が…畑に押し寄せているのが確認できます。
ビニールハウスをなぎ倒しながら津波が押し寄せているのが確認できます。
危ねえなこれ。
ああ…。
現在撮影機名取川の河口付近の状況を撮影しておりますが…うわ〜…。
津波で大きな被害が発生しています。
内陸奥深くまで及んだ津波。
予想を超える事態に厳しい訓練を積んできた山元さんも動揺を隠せなかった。
(山元)え〜え〜…こちら撮影機です。
撮影…うわ〜。
撮影機現在名取…名取川の河口付近を飛行しておりますが…津波…。
仙台平野には8機以上のヘリが集結。
巨大津波の姿を史上初めて空から多角的に捉えた。
そこには津波の実態に迫るための手がかりが残されていた。
あ〜荒浜ですね。
今回入手した映像の中には津波の専門家も初めて見るものがあった。
実は仙台平野に迫る津波を海岸で撮影した映像はほとんどが第2波以降のもの。
今回被害のほぼ全てをもたらした第1波の到達の様子は謎だった。
その瞬間を捉えた映像が残されていた。
津波到達の6分前沖合の海面に変化は見えない。
津波到達の3分前依然として海は穏やかに見える。
最初に捉えられた異変は川を遡る小さな波。
その波を追ってヘリは旋回する。
だが海岸へ戻ると…。
海水が松林を越え漁港へ流れ込んでいた。
いつの間にか津波が到達していたのだ。
更に津波到達の決定的な瞬間を捉えた映像があった。
仙台市消防ヘリの映像だ。
左が海右が陸。
津波到達の直前海は穏やかに見えた。
ところが…突然海水が浜辺をジワジワと上り始めた。
静かに襲いかかった津波。
なぜ大きな被害をもたらしたのか。
今村さんはあるデータに注目した。
海上に設置した観測ブイの津波のデータだ。
各地で津波による海面の盛り上がりを記録したが仙台平野の近くでは観測されていなかった。
しかし今回50km離れた場所のデータが映像に捉えられた津波と極めて似ている事が分かった。
始まりはここ。
水位は非常にゆっくりと上昇しおよそ20分間にもわたって上がり続けた事が分かる。
この長く続いた水位の上昇に大きな被害の原因が隠されていた。
海面の上昇があまりにも緩やかだったため津波は陸にあふれるように到達した。
しかし延々と続いた海面の上昇は膨大な量の海水をもたらした。
データを基に今村さんが試算すると海面の盛り上がりはおよそ12kmにわたっていたと推定された。
こうした津波の形は震源の海底の動き方によって決まる。
沿岸部で記録された津波の高さは最終的に8mを超えた。
内陸の奥深くにまで津波が押し寄せた原因は圧倒的な海水の量だった。
こうしたタイプの津波は日本全国どこの海岸にも来る可能性がある。
静かに襲いかかる巨大津波の恐ろしさ。
それが空からの映像で浮かび上がった。
津波の到達から9分後。
仙台平野の津波は海岸から2km内陸にまで押し寄せていた。
ヘリコプターは津波から逃れようとする人の姿をなすすべもなく見つめる事しかできなかった。
真っ平らな平野で複雑な挙動を見せる津波の先端。
津波が到達するまでの一分一秒の時間の差が生死の境目となっていた。
この映像の中にも必死に逃げようとする人の姿が映っている。
車に乗り込む。
一旦バックして畑を突っ切り津波と反対の方向へ走りだした。
このあと車は映像で確認できなくなる。
1分15秒後その人の家は濁流にのみ込まれた。
ヘリからの映像に映っていた安部敏さん65歳。
辛うじて難を逃れていた。
即座に逃げた安部さんのとっさの判断。
しかし助かった理由はそれだけではなかった。
あふれ出してきてますね。
九州工業大学の幸左賢二さん。
津波の挙動の解析を行っている。
安部さんの家が津波にのまれる直前。
周囲より浸水が後れたV字のエリアが出来ていた。
これが安部さんに逃げる猶予をもたらした。
幸左さんは津波の先端部の動きを時間を追って解析した。
これがその結果だ。
V字のエリアが出来たのは午後4時3分30秒。
なぜこうなったのか時間を遡る。
すると円で囲んだ場所から津波が二手に分かれている事が分かった。
また2つの先端は進む速度が大きく違っていた事も分かる。
なぜ津波の動きは変化したのか。
幸左さんは標高差に注目した。
これは数十cmの単位で安部さんの自宅周辺の標高を示した地図だ。
緑色の場所は青い場所に比べおよそ1m高い。
津波を二手に分けたのはこの場所。
たった1mの標高差が津波の流れを変え浸水が後れたエリアを生んでいた。
僅かな標高差には理由があった。
これは仙台平野の昔の地形を記した地図。
点在する黄緑色の部分は浜堤と呼ばれる地形だ。
浜堤は昔海岸の砂山だった場所の名残だ。
周囲より僅かに高く古くからの集落は浜堤の上に作られている。
安部さんの自宅周辺の衛星写真に重ねると…。
津波を二手に分けた場所。
そして安部さんの家も浜堤の上だった事が分かる。
更に津波のスピードが速かった場所は昔川だった事も分かった。
あの日ヘリコプターが捉えていた巨大津波の知られざる姿。
「少しでも早く少しでも高い所へ」。
空からの映像はそう訴えていた。
ようやく津波が引き始めた頃。
三陸沿岸に向かった撮影機は更なる脅威を目の当たりにします。
40km南に離れた宮古市でも…。
津波が引き起こす火災津波火災です。
各地の市街地で津波火災は同時多発的に起きていました。
その数は被災地全体で159か所。
未曽有の大火災となりました。
最も焼失面積が大きかったのが岩手県山田町。
およそ2,500人が住んでいた町の中心部が炎に包まれ焼け跡からは数多くの遺体が見つかりました。
津波直後の山田町の様子が撮影されていた。
しかしこの時は煙がかすかに見える程度。
乗組員は気を留める事なく通り過ぎた。
始まりは通常なら簡単に消せるような小さな火だった。
地震発生からおよそ1時間後。
山田町を飛んだ別のヘリが異変を捉えていた。
火の手が上がっているにもかかわらず上空からは消火活動が確認できなかった。
そのころ消防団員の甲斐谷さんは現場に向かおうとしていた。
だが…。
行く手を阻む大量のがれき。
防火水槽や消火栓もその下に埋もれ使えなくなっていた。
町の中心部は高さ8mを超す津波に襲われ海沿いの建物はほぼ流された。
内陸には建物が残っていたが周囲の道路はがれきで埋め尽くされていた。
42か所あった防火水槽と消火栓は9割以上が使えなくなっていた。
燃え広がり始めた火。
近くの建物には数多くの人々が身動きできないまま取り残されていた。
その一人かっぽう料理店のおかみ佐藤尚子さん。
津波から逃れようと3階に避難。
その直後出入り口をがれきに塞がれ閉じ込められていた。
暗闇に包まれた山田町。
40軒を超す家々が炎にのみ込まれていた。
佐藤さんの家に思いも寄らぬスピードで火が迫っていた。
火にまかれる直前佐藤さんは辛うじて救出された。
その後火は500軒近い建物を焼き尽くす事になる。
被害を拡大させた理由が空からの映像の解析で明らかになってきた。
濁流から白く見える気体が噴き出している。
あちらこちらで可燃性のガスが噴き出していた。
それだけではない。
油を積んだ車や船。
暖房器具のある家屋。
がれきは大量の可燃物の塊だった。
こうした可燃物が次々に爆発し火は燃え広がっていく。
がれきに覆われた山田町の道路にも灯油タンクやガスボンベなどの危険物が見える。
その道路を伝って火は燃え移っていったと考えられる。
こうして被害は拡大し17万m^2に及ぶ市街地で最大の火災となっていく。
これまでの地震火災では広い道路が延焼を防ぐ役割を果たしてきた。
大規模な火災が発生した阪神・淡路大震災でも道路が防火帯となったケースが少なくない。
だが山田町では道路が火を食い止めるどころか被害を拡大させる導火線となった。
(爆発音)従来の消防の常識が通用しない津波火災。
山田町では僅かに残っていた防火水槽の水で必死の消火が続いていた。
しかしその水も底をついた。
なすすべはなかった。
う〜ん…。
震災の翌朝ようやく火災現場に水がもたらされた。
夜は安全上の理由で難しかった大型ヘリによる空中消火だ。
山田町の火災現場には5tの海水がまかれ火はようやく落ち着いた。
しかし商店や家が立ち並び活気に満ちていた町は変わり果てていた。
焼け跡からは津波を逃れながら火にまかれた遺体が見つかった。
何て言ったらいいんだかこう…ちょっと。
津波火災で命を失った人は被災地全体で分かっているだけでも145人。
空からの映像で見えてきた津波火災の脅威。
名古屋大学の廣井さんは消火栓や防火水槽をがれきの届かない高台にも確保すべきだと言う。
そしてがれきの周辺には火が広がってくる危険がある事を忘れないでほしいと訴えている。
地震発生から一夜が明けた3月12日。
前日は被害の把握に追われていたヘリコプターがようやく救出活動を本格的に開始しました。
助けを待つ人の数はおよそ2万人に及んでいました。
捜索を始めたヘリコプターが捉えたのは想像を絶する光景だった。
ヘリからの映像を見ていた宮城県の災害対策本部。
自衛隊や消防警察などが一堂に会し空からの救助に当たろうとしていた。
全てのヘリの運行を統括していた菅原道彦さん。
あまりの惨状に言葉を失った。
救出を担う菅原さんたち自身も痛手を負っていた。
ヘリが離着陸する基地や防災ヘリポートが水没し機能不全に陥っていた。
失われたヘリは12機。
限られた戦力での救出活動を強いられる事になった。
救出はまず比較的人口の多い町から始まった。
寒空の中病院の屋上で助けを求める人たち。
救出を急がなければならない。
しかし救出活動は困難を極めた。
がれきに覆われ着陸が不可能な現場。
1人ずつ引き上げるしかない。
ケガを負った住民を抱えぬかるみの中を移動する事も多く救出は思うように進まなかった。
終わりの見えない闘いが続いていた。
そのころ捜索の手がほとんど回っていない空白域が生まれていた。
牡鹿半島では道路が寸断され住民およそ4,000人と連絡が取れなくなっていた。
牡鹿半島に16ある海沿いの集落は津波で壊滅的な被害を受けていた。
その一つ寄磯地区。
小学校の体育館で臨月を迎えた妊婦や寝たきりの高齢者など204人が救援を待っていた。
遠藤タケ子さんもその一人。
津波で家を流され持病の薬も失っていた。
症状が悪化し激しい痛みにじっと耐えていた。
食料や燃料は限られていた。
空からの救助だけが頼りだった。
ヘリによる救出を指揮していた菅原さん。
捜索の後れていた地域にヘリを派遣したかったが人員や機材は限られていた。
震災翌日の昼過ぎまでに全国各地から被災地へ応援のヘリが続々と集まった。
自衛隊消防警察など。
駆けつけたヘリの数はその日のうちに200機を超えた。
大阪の陸上自衛隊から応援に来た…牡鹿半島での捜索を託された。
午後3時捜索が始まった。
リアス海岸の入り江にある集落を一つ一つ撮影していく。
しかし人影は見えない。
津波を免れた高台にも人の姿はない。
生存者はいないのか。
次の地区に移ろうとしたその時だった。
現在画面上部がおおむね北方向。
初めて住民の姿を確認できた。
ご覧下さい。
上からではありますが「ミルクSOS204人」。
そして「オムツ」との文字確認できます。
200人以上が孤立していたあの寄磯地区の人々だった。
住民たちは校庭にSOSの文字を書き空からの救助を待ちわびていた。
楢嵜さんの任務は生存者を見つけ出す事。
本部に搬送用のヘリの派遣を依頼した。
しかし災害対策本部の菅原さんはすぐにヘリを向かわせる事ができなかった。
救助要請が殺到しヘリを待っている人の数は一向に減らなかった。
同じ場所から重複して依頼が届く事も多かった。
例えば石巻市での救助のケース。
要請があった石巻市の高校に自衛隊のヘリを向かわせた。
その直後同じ場所から再度依頼があり栃木県の防災ヘリも送り込んだ。
新たに患者が発生した可能性もあったため二重に派遣せざるをえなかった。
防災ヘリは誰も乗せずに引き返した。
当時の判断としては多少の重複はしょうがないと。
目の前に積み上がった救助要請に一つ一つ対処していくほかなかった。
救出予定のリストに牡鹿半島の204人が記載されたのは発見から19時間後の事だった。
浜松の航空自衛隊が寄磯地区に救出に向かう様子が撮影されていた。
地震発生から丸2日がたとうとしていた。
幸い住民は全員無事だった。
地震の発生から3日間で空から救助された人の数は宮城県だけでおよそ3,000人に上った。
しかしその一方で救助の要請を受けながら救う事ができなかった命もあった。
今新たな取り組みが始まっている。
ヘリが目的地を発見しやすいよう建物の屋上に名称を書く対空表示。
全国に広がりつつある。
国も救出活動の混乱を防ぐために新たなシステムを開発。
数百機のヘリの動きと救出現場の状況をリアルタイムで把握し迅速な救出につなげていく。
1万8,000人以上が犠牲となった東日本大震災。
混乱の中でヘリコプターが捉え続けた映像にはあの震災の知られざる実像が刻まれていた。
あの日から間もなく3年。
私たちはまだ巨大災害の全貌を把握しきれてはいない。
悲劇を繰り返さないためにあの震災と向き合い続ける必要がある。
その事を空からの映像は告げている。
2014/03/03(月) 00:10〜01:00
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「“災害ヘリ”映像は語る〜知られざる大震災の記録〜」[字][再]
東日本大震災を自衛隊のヘリコプターが空から撮影した膨大な映像。研究者と解析すると巨大津波や津波火災の知られざる実像が浮かび上がってきた。減災の教訓を探る。
詳細情報
番組内容
東日本大震災を空から記録した膨大な映像がある。自衛隊や自治体などのヘリコプターが撮影した被災直後の動画だ。上空から見た映像は、人類が巨大津波を初めて空から捉えた貴重な記録だ。研究者が体系的に解析したところ、震災の知られざる姿が浮かび上がってきた。津波が見せた予想外の挙動。従来の防火の常識が通用しない津波火災の実像。救助にあたった乗組員たちの証言も交えながら、あの日の真実に迫り、減災の教訓を探る。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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