(取材者)ごめんください。
(郁子)どうぞ。
どうぞ相変わらずでございます。
放射線計測の第一人者岡野眞治博士です。
ビキニ水爆実験チェルノブイリ原発事故世界の核実験や核事故の現場に立ってきました。
2011年3月福島原発事故が起きると岡野さんは現地に入り独自に開発した測定器で放射能汚染を調査しました。
車のフロントにつけたカメラの映像です。
画面下のバーグラフは空間にある放射線量を。
その上の図はヨウ素やセシウムなどの放射性核種がそれぞれどのくらいあるかを示しています。
全走行距離は3,000kmに及びました。
人間や生き物の営みを断ち切った放射能の爪痕です。
2011年5月私たちは岡野さんのデータを基にETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」を放送しました。
あれから3年岡野さんは再び福島に向かおうとしています。
放射能汚染はその後どう変わったのか。
現場に行かなければ分からない細部の実態をつかみたいからです。
3年というのは一つの節目ですけどチェルノブイリはね私行ったのは5年先ですよね。
大体3年4年っていうのはある意味から言うとねそろそろいろんな事が分かって安心しきって食べ物なんかもある程度測定も済んでいいじゃないかという時に逆に言うと安心して手を抜くとそれによって人間の体に入る放射能が増えたりする。
安心しないで今度の事故に対して現実をちゃんと捉えて引き締めてやっていかなきゃいけないですね。
科学者たちのネットワークは今さまざまな領域に及んでいます。
高濃度汚染地帯の牧場では酪農家と研究者が協力して牛に影響が出ていないか研究が行われています。
3年前科学者たちと共に放射能汚染地帯に入った私たちはそこで生活を根こそぎ奪われた人々に出会いました。
どうしてその…自分の財産を手放したり土地を捨てて出なくちゃいけねえとかすごい理不尽だなって思いますね。
牧場を失い帰還を断念した人。
今別の土地で再建しようとしています。
原発事故から3年放射能汚染はどう変化したのか。
生き物たちに何が起こっているのか。
そして私たちが事故直後に出会った人々は3年の歳月をどう生きてきたのでしょうか。
調査に出発する前岡野さんはまずGPSの受信機とカメラを車に固定します。
それらは放射線測定器に接続していて道を走りながら映像と位置放射線量を記録します。
国が行う空中からの測定に比べきめ細かな汚染地図を作る事ができます。
今回は放射性核種をより正確に識別できる新しい検出器を装着しました。
87歳になる岡野さんの体調を気遣い郁子夫人も同行する事になりました。
(取材者)何のお薬ですか?いろいろ入ってんじゃないですか老人の。
常磐自動車道を北上します。
2011年3月私たちはこの道を通り福島に入りました。
私たちは福島県を南北に貫く国道399号線を走り計測しました。
0.43…0.44。
今回同じ道で計測しました。
放射線量はどう変化したのかデータを比較するためです。
3年前の国道288号線です。
郡山から第一原発がある双葉町に続くこの道を私たちが最初に走ったのは原発事故発生から5日後3月16日の事でした。
今現在車の中でも300マイクロシーベルトパーアワーを超えてますので針は一番端ですね。
今回の岡野さんのカメラの映像です。
バーグラフの左端の点は毎時0.1マイクロシーベルト。
右へ向かって1マイクロ10マイクロ100マイクロと増える対数の目盛りです。
毎時0.2から0.3マイクロシーベルトの場所に1年暮らすと一般人の年間被ばく限度量1ミリシーベルトに達するといわれます。
その50倍にあたる毎時10マイクロシーベルトを超える地点が現在もありました。
399号線と288号線の汚染を以前と比べてみます。
赤は毎時6マイクロシーベルト以上。
オレンジ黄色緑青と低くなっていき紫は0.1マイクロシーベルト以下を示しています。
全体的には放射線量は大幅に減りましたが一部に今も高い線量の汚染が残っている事が分かります。
前回の調査で私たちは国道114号線に沿ってホットスポットがある事を発見しました。
今回の汚染地図でも赤やオレンジの部分がおよそ6kmにわたって続いています。
その国道114号線沿いにある…外で測ると毎時80マイクロシーベルトあった場所です。
現在はおよそ8マイクロになっていました。
車のフロントに据え付けたカメラの映像です。
どんな放射性核種があるかを示すスペクトルが表示されています。
今回やっぱりこの周りから来るものとそれから直接何て言うのか…セシウムの直接線が分解能がいいからはっきり分かりますよねこれ。
今はもうセシウム137と134の時代ですね。
それらのセシウムは一体どこに存在してると考えられますか?近くにある周りのこういう所に出てくるのは周りから5mとか10mとかそういう範囲のものですね。
それは近くの泥の表面にあるとかあとは周りのコケとかにくっついているものが近くにあるとしたら影響がありますね。
以前と同じ場所で土壌を採取しました。
分析を行ったのは長崎大学の高辻俊宏さんです。
12か所で採取した深さ30cmの土壌サンプルを5cm単位で測ります。
合計70を超すサンプルを2か月掛かりで分析しました。
今回採取した赤宇木の土を3年前と比較してみます。
3年前にはヨウ素やテルルなど半減期が短い核種もありましたが今回はセシウム134とセシウム137以外の核種は見えなくなっています。
そして半減期がおよそ2年のセシウム134が半分以上少なくなっているのに対して半減期がおよそ30年のセシウム137は減り方が遅い事が分かります。
赤宇木の場合はほぼ物理的半減期どおり減っているように見えます。
今後はやっぱりだんだんセシウム134が…影響が少なくなってきてだんだんだんだんセシウム137だけが線量に影響すると。
それから測定にも関わってくるというふうになってくるのでこれからだんだん30年ごとに半分になるような割合で減っていくだけだろうと思います。
横軸にこうして最初は早くガ〜ッと減るんだけどあとこういう形でダラダラダラッと。
これちょっと下げてもいいけど。
(取材者)今どの辺にいると仮定しているんですか?
(高辻)この辺なんじゃないですかね。
原発事故から2週間後私たちはこの赤宇木集会所で原発近くから逃れてきた人々に出会いました。
家に残してきたペットの世話などそれぞれの事情を抱えて共同生活をしていました。
彼らはそこが放射線量が非常に高い場所である事を知らずにいました。
私たちと調査を共にした木村真三さんが彼らに脱出するよう説得しました
(木村)飯舘の3倍ぐらいですかね。
え?ここ?飯舘より高いですか?
(木村)はい。
3倍ぐらいですかねこっちの方が高い。
誰も知らないよねこの辺の人は。
私たちが赤宇木の集会所で出会った人々はその後ちりぢりとなって各地の仮設住宅に入居しています
その中の一組岩倉さん夫妻を訪ねました
こんにちは。
・は〜い。
こんにちは。
こんにちは。
いらして下さい。
2年ぶり。
どうぞ!2年ぶりだよね。
2011年3月27日に赤宇木にいらしたから。
だからもう2年だねってうちの人と言ってたの。
玄関先には1匹の犬がつながれていました。
犬の名はパンダ。
私たちにとって忘れ難い犬です
2011年4月原発から20km圏内が立ち入り禁止になる直前岩倉さんは犬や猫に餌を与えに家に帰りました。
これが最後になるかもしれませんでした
避難先に戻る夫妻をどこまでも追い続けるパンダの姿は今も私の目に焼き付いています
その後パンダは動物愛護団体の手で救出されました。
岩倉さんのもとに戻ったのはおととし6月の事でした
生きてたじゃん!覚えてっか?これ特別なごはん?
今パンダの餌は腎臓病用の特別なものです。
岩倉さん夫妻と別れたあと体を壊したようです
食べなさいよ。
あ食べてる。
パンダにとっても苦難の3年間でした
夕どき同じ仮設住宅に住む末永善洋さんが訪ねてきました。
岩倉さんとは赤宇木集会所で出会って以来のつきあいです。
岩倉さんも末永さんも帰還のめどは立っていません
自分が思ったように動けないというか…。
そんなふうに遭った人がないもんなこれ。
刑務所と同じだよな。
懲役。
(末永)俺も懲役禁錮…まさかこんなになっと思わなくて。
(公子)こんな状態ずっと続いたらうつになる人だの自殺する人だの出てくんでない?なる。
だから知らない所で死んでる人もいるんだぞ。
どうしたらいいんだっぺや。
行くとこないんだもんな仮設以外な。
いやひょっとしてなひょっとしていつもう生活が…生きていくのが嫌でひょっとして明日何すっかもしんねえぞ誰だって。
そういう気持ち。
明日どうなるか分かんねえっぺ。
(末永)助ける人がいなくて一人で闘ってるという感じだ。
本当に悩むっていうのはこういう事なのかもしんねえよ。
今までは悩んでたって解決できるんですよ。
2〜3日寝れば。
(公子)解決も見通し…解決できないもんなこれ今の状態分かんない。
赤宇木集会所の隣の体育館にいた夫婦も忘れられません
田代澄男さんとスミ子さんです。
スミ子さんは足が不自由でポータブルトイレを使っており集会所の皆とは離れてこの場所にいました
夫妻は今福島県北部の桑折町の仮設住宅に暮らしています
おはようございます。
おはようございます。
夫妻はこの仮設に入ってから2度部屋を替えてもらいました。
スミ子さんが薄い壁を隔てて聞こえる声に悩まされたからです
「遠くから聞こえてくる聞こえてくる」と言ってんだよね。
今の部屋の隣は空き部屋ですがそれでも聞こえるはずのない声が聞こえ始めました
台所やったりいろいろ…女のやる仕事みんなやってくれるでしょ。
そうすると澄男さんあの人といるのはもったいないって言うのよね。
そう聞こえてくるのそれが。
だから実際そう言ってるんだよ絶対に。
(取材者)そういう声が聞こえてきたんですか?そう。
だから別れさせるって。
(取材者)そんな声が聞こえてきた。
それが一晩中しゃべってるの。
スミ子さんは精神科を受診し今症状は緩和されています。
週に2度デイサービスに通っています
はい。
じゃあお願いします。
田代さんはスミ子さんのためにも早く仮設住宅を出て災害復興住宅に入居する事を希望していますがそのめどは全く立っていません。
原発事故の被害者は忘れられているのではないか。
いらだちが募ります
うちのやつの実の弟が川崎にいるんですよ川崎で。
この間電話…何かのあれで大事な話があって電話して話してるうちに「もう忘れてますよ」って。
「最初だけですよ」。
そして東京が…。
東京オリンピックがほら来るでしょ2020年だっけか。
「いつかは忘れられるんだろうけどまだ早すぎるよな」って弟と電話で話したけど「だよなあ」って。
岡野さんの測定器を積んで福島を走るのは3年前と同じ今井秀樹ドライバーです。
今井の記憶の中には前回は車の中からしか計測できなかったホットスポットがあります。
そこは現在でも高いレベルの汚染地帯です。
(今井)ここはもう段差が激しく出来ちゃっててこのまま行けば車スタックするなという感じだったんですよね。
同乗していた木村真三さんが様子を見ようと降りた瞬間放射線量の高さに驚いたのを今井は覚えています。
その場所は汚染地図にも記録されていました。
浪江町小丸です。
小丸の区長木幡久紀さんです。
去年夏木幡さんがお盆の墓参りに一時帰宅する折同行しました。
小丸が近づくにつれ線量が上がり始めました。
(取材者)林道の中を走っています。
線量もかなり上がってきました。
13…11…。
11から13の間を推移しています。
あまた上がりますね。
着きました。
(取材者)このお宅ですか?そうです。
(取材者)いやこの辺やっぱり高いですね。
高いですよここは。
車を降りた瞬間測定器は毎時19.99で振り切れ計測不能となりました。
小丸は世帯数およそ30。
もともと林業で生計を立ててきた村です。
しかしやがて林業は衰退し村人たちは出稼ぎに出るようになりました。
木幡さんは福島第一原発が出来るとそこで配管工として働くようになりました。
全国の原発も回りました。
その原発の事故によって今小丸は廃村の危機にひんしています。
(取材者)これいっぱいまいてあるのは?これはネズミ捕り。
いろいろね。
家の中には異臭が漂っていました。
ネズミのフンの臭いでした。
原発事故後小丸の住民の多くが避難を開始したのは3月15日。
放射能が村に到達する頃でした。
彼らは自分たちの村がひどく汚染された事を知らずにいました。
来た時だけでもねこうやって。
彼らがそれを知ったのは事故から5か月後浪江町の人々が一時帰宅した時の事です。
帰りに一人一人のポケット線量計を確認したところ木幡さんたち小丸の人たちの数値だけが突出していました。
(鈴の音)
(取材者)どのくらいあります?うちの中で。
10から12ぐらいまで。
ここはもう帰れないでしょ。
(取材者)帰れない?帰れない。
まあみんなそれぞれ個人の気持ちはあっけどもやっぱりこういう状態でうちの中でも空間線量が11あるんでそれでは住めないんじゃないですかもう。
木幡さんが出会ったのは村で畜産を営んできた渡辺典一さんです。
事故後政府は20km圏内の牛の殺処分を指示しましたが渡辺さんは拒否。
今も70頭の牛の世話に仮設住宅から通っています。
牛が田んぼの草を食べる事で村の景観を守れると言います。
これまでこの集落でそれぞれ営農生活ずっと先祖代々きた人たちがさ残したものを捨てるような状態希望をなくすような状態でしょ。
それをやっぱりつなぎ止めておきながらさ管理して。
いずれ長い時間はかかるけんども少し様子見ながら管理していこうかなっていうやっぱり希望みたいなものをさ持てるような。
夏の暑い昼下がり牛たちは森の木陰に入り姿は見えません。
渡辺さんに頼んで呼んでもらいました。
(牛を呼ぶ声)リーダー格の牛に導かれるように森の中から牛たちが次々と姿を現しました。
夏場は田んぼに生える草を食べ冬場は渡辺さんが運び込む干し草で命をつないできました。
原発事故のあとに生まれた牛もいます。
小丸の放射能汚染の実態はどうなっているのか。
岡野さんが現地に乗り込みました。
小丸の集落でバーグラフは常に毎時10マイクロシーベルトを超えていました。
放射線量が高すぎてスペクトルが正しく出ない事もありました。
小丸の汚染地図です。
川沿いの谷に沿って放射線量が高い事が分かります。
牧場の土を採取させてもらいました。
2本採取したうちの一本は1m^2当たりおよそ357万ベクレルでした。
30cmほど離れた所で採取した土はそのおよそ6倍2,256万ベクレルでした。
いずれもチェルノブイリの立ち入り禁止ゾーンの基準を上回る値です。
それにしても同じ場所で採取した土なのになぜこんなに大きな差が生じるのでしょうか。
広島大学の遠藤暁さんです。
うちの研究室でも昨年夏に1か所から36個サンプル採ってどのぐらいばらつくかを確かめると。
そうすると36個中5個ぐらいが全体と比べると2倍ぐらいと半分ぐらいというようなものも出てきたと。
これは汚染のばらつきについて遠藤さんが飯舘村で調査した結果です。
10m四方の狭い範囲の中でも汚染がまだら状になっている事が分かります。
高い所と低い所では3倍から4倍の開きがありました。
(遠藤)平坦で均一に見えるような所でもばらつきが出る事はあると今は思っています。
日本の土壌の場合だと基本的にはセシウムをしっかり吸着するといわれてましてその土壌が動く事によってセシウムも一緒に移動するんだろうと。
遠藤さんによれば事故で放出された放射性物質は雨や雪によって地上に落ち一円を均一に汚染しました。
しかしその後雨や風の巻き上げ動物の関与などによって移動しまだら状の分布になりました。
その現象は人が住んでいる地域でも起こっていると言います。
まだら状の所がどういう生活圏かによるんでしょうね。
子供が遊ぶ場所だったら…汚染地図を見ると小丸の南に放射線量が高い所があります。
そこは前回の私たちの調査で最高度の汚染を観測した双葉町山田です。
山田に私たちが入ったのは2011年3月16日の事でした。
放射線量は毎時300マイクロシーベルトを超えていました。
土壌は1m^2当たり2,120万ベクレルのセシウムに汚染されていました。
私たちが土を調べさせてもらった玉澤さん一家です。
去年12月一家が2年ぶりに一時帰宅した折同行しました。
3年前と同じ地点で土を採取しました。
1m^2当たり2,584万ベクレル。
セシウムは増えていました。
ここでも放射能の移動が起こっていました。
バイバイ!カエルバイバイ!ねえバイバイ!今回計測したセシウムによる土壌汚染です。
原発から北西方向に伸びる山田小丸赤宇木のラインになお圧倒的に高濃度の汚染がある事が確認されました。
今後長期にわたって人間が住む事はできないといわれます。
岡野さんの測定器を積んだバイクで走る人。
南相馬市の小澤洋一さんたちのグループは測定器を借りて放射線量を計測岡野さんに分析を依頼する事にしました。
広大な土地が長期間人間が住めない場所となった一方南相馬のように避難していた人々が戻りつつある場所もあります。
しかしそこでも人々の不安がなくなった訳ではありません。
やはり子供たちが全部ではないんですけどここに戻ってきている。
通学路なるものを計測しようとしますと位置情報時間空間線量全部まとめてデータを自動収集できるようなもので取り組みをしないと地域の汚染状況は把握できないんじゃないかと。
岡野さんの測定器による南相馬の汚染地図です。
走行距離は560kmに及びました。
この地図では赤は毎時3マイクロシーベルト以上。
これまでの地図の半分の値で色分けしています。
岡野さんが住民と話す事になりました。
話し合いの場所となったのは南相馬の中でも放射線量が比較的高い地域です。
除染前の線量と除染後の線量30%くらいしか下がっていないです。
大体外で0.5低い所でね全体の。
家の中で0.3です。
0.5というのは玄関口庭先だけ。
村さ行ったら1.3だ。
この辺りなんですけども。
この辺りなんですね。
結局ねチェルノブイリなんかで問題になるのは食べ物なんですよ。
きのことか川の魚とかを食べなきゃいいんですけどね。
この前マツタケ採って食べたという人がいらっしゃるのね。
気になって測ってみたんだそうです。
1,700ベクレルあったと。
基本的には測定器で測るのが基本なんですね。
岡野さんの測定器を使った調査のほかにもメンバーは放射線量のメッシュマップ作りなどさまざまな方法できめ細かい放射能汚染地図を作ろうとしています。
メンバーの中には今も南相馬からの避難を続けている人もいます。
3.11の時の3月の17日に新潟に避難。
それから長野千葉今は茨城県のつくばに避難しています。
戻りたいがために本当の事を知りたい。
自分の足で歩いてみて。
数値を見て。
これを信じないで何を信じたらいいんだろうって。
原発事故発生の3日後に全村避難した尾村です。
その尾村も去年4月からは一部を除き避難指示の解除を目指す区域とされました。
しかし住民の中には既に帰還を断念している人もいます。
3年前私たちがこの村で出会った篠木要吉さんもその一人です。
競走馬の育成牧場を経営する篠木さんは全村避難のあとも村に残っていました。
一頭の馬が産気づいていたからです。
子馬は原発事故の2週間後に生まれました。
オスですか?メスですか?オスです。
今後どうされるんですか?どうしたらいいか分からないです。
篠木さんは馬を知り合いの牧場に託し尾村を出ました。
大正時代から続いた牧場は閉じられました。
2011年の秋子馬が預けられた茨城県の牧場を訪ねてみました。
(取材者)あ〜ここか。
いや〜大きくなったな。
子馬はすくすくと育っていました。
去年夏私たちは篠木さんを訪ねました。
(取材者)どうもご無沙汰です。
(取材者)お元気そうで。
篠木さんは福島市の外れに40ヘクタールの山野を買い肉牛を育成する牧場を息子と一緒に切り開こうとしていました。
息子の祐一郎さんです。
尾で父から牧場経営を引き継ぐはずでした。
尾に戻りたい気持ちもありましたが祐一郎さんには3歳と2歳の子供がいます。
子供いますんで。
子供を連れて帰るっていうのは難しい事だと思うんで。
汚染がね?そうですね。
尾村を去ってから篠木さんは産廃処理工場に勤め重機の運転をしていました。
尾に帰る日を夢みていましたが息子のために断念しました。
新しい牧場は完成まで5年計画。
資金は農協からの借金です。
だから一生懸命やっているよ。
生き生きとして。
篠木さんが楽しみにしている事があります。
あの子馬の事です。
そういえばあん時生まれてた子供間もなくデビューできそうなんですよ。
(取材者)そうですか!へえ〜!あの子馬が競走馬としてデビューする。
再び茨城県の牧場を訪ねました。
馬はトライバルと名付けられていました。
トライとリバイバル挑戦と復興という意味です。
(取材者)いや〜立派になりましたね。
この馬はどうなんですか?素質としては。
走ってみなきゃ分からない。
トライバルの顔がところどころ真っ黒なのが気になりました。
聞けば夏バテで顔の毛が抜けてしまったのだと言います。
汗かかなくなっちゃう逆に。
暑すぎて?うん。
人間でも熱中症になると汗かかないでしょ逆に。
ちょっと熱中症気味なんですかね。
いや汗はまだかいてる。
飼い葉も食うから大丈夫です。
このころトライバルと同時期に生まれた馬は次々に牧場を巣立ちトレーニングセンターで競走馬としての訓練を始めていました。
しかしトライバルのデビューの予定はまだ立っていませんでした。
今福島では畜産学や生物学の研究者たちも活動しています。
牛の模様のトラックで渡辺さんが牛の世話をしている小丸の牧場にやって来たのは「家畜と農地の管理研究会」のメンバーです。
高濃度汚染地帯に残された家畜への放射線の影響を調べようとしています。
確かその辺でやったよね?前ね。
岩手大学農学部の岡田啓司さんです。
牛の被ばく線量を計算するため牧場の72か所で空間線量を測定し地図に落としていきます。
33.0。
38.0。
同じ牧場の中でも少し離れると線量は大きく変わります。
きめ細かい地図を作る事が必要です。
これは牛の首につけるGPS発信装置です。
牛がメッシュマップ上のどこにいるのか。
立っているのか寝そべっているのか離れていても把握できるようになっています。
発信器からの情報と地図上の空間線量を掛け合わせれば牛の被ばく線量を計算できます。
(岡田)こういうふうに今牛が分布しててこの四角が1頭でこの辺いっぱいいるから重なっちゃってるんですけども。
こういうふうにやると牛のセンサーの番号が出てくるんですね。
放射線率が今この牛は38.79マイクロシーベルトの放射線率受けてると。
血液も採取します。
セシウムの濃度やDNAの損傷の有無を調べデータを集積するためです。
小丸を流れる高瀬川です。
遡上してきたサケが産卵をしていました。
毎年繰り返されてきた命の営みです。
今阿武隈山地にはイノシシなどの野生動物野鳥や魚の研究者が入っています。
高濃度汚染地帯の生き物に何が起こっているのか長期にわたり観察するためです。
岡田さんが向かったのは小丸の牧場から川を隔てた所にあるもう一つの牧場です。
牧場主の柴開一さんも渡辺さんと同様政府が指示する殺処分を拒否してきました。
しかしこの日柴さんは牧場を閉鎖する事にしました。
牛の一部を渡辺さんが引き取る事になりました。
柴さんが牧場の閉鎖を決めたのは周囲の土地が近くで出た除染土の仮置き場となったからです。
環境省によれば住民の帰還のめどが全く立たない場所でも除染をするのはその効果を調べるためだといいます。
仮置き場となったのは牛たちが草を食む場所でした。
この日渡辺さんが引き取ったのはおよそ40頭いたうちの8頭でした。
草が枯れる冬の間の牛の餌代の負担は大きく全頭を引き取る事はできません。
渡辺さんが引き取りきれなかった牛はしかたなく殺処分し海岸近くに運びました。
牛は一旦埋められ最終的には掘り起こして焼却処分する事になります。
岡田さんたちはその前に解剖し臓器や筋肉をサンプリングする事にしました。
世界でなかなかこういう例ってないですからね。
チェルノブイリの場合は牛は全頭避難しちゃったし。
そういう状況の中でもっと経過をきちんと追って分析をしていかなくちゃいけないというのが現段階だと思いますね。
牛をなるべく生かしながら研究を続けようとする岡田さんたちは国に支援を求めましたが受け入れられませんでした。
国の方針によってこれまでに殺処分された牛の数は福島全体で1,700頭に上ります。
(ファンファーレ)尾村で生まれたトライバルが当初の予定より2か月遅れでデビュー戦を迎えました。
夏バテから回復後喉に弱点がある事も分かりましたが少しずつコンディションが上がってきました。
篠木さんも牧場建設の仕事を休んで応援に駆けつけました。
(場内アナウンス)「デビューを迎える16頭をご紹介します。
13番トライバル。
リンカーンの子」。
まさしくこれがね尾で生まれた最後の競走馬だから。
(実況)ゲートイン終わってスタートしました。
まずは先行争いです。
トライバルは上々のスタートを切り絶好の位置につけました。
しかしコーナーを回ってから勢いを失います。
ゴール前喉が弱いトライバルは息切れしたのか後方に沈んでいきました。
16頭中12位。
苦いデビュー戦となりました。
まずはよかった。
無事で。
まあ先行できたしよ。
次はなんとか。
篠木さんの牧場造りの現場を再び訪ねました。
この日は作業小屋に雨よけを渡す作業をしていました。
賠償自体も全然もう進んでないから。
どういうふうになるのかなと思っているんだけど。
まあ牛やるだけにね牛の歩みというかカタツムリの歩みというか。
競走馬の価値をどう計算するのか。
東京電力との賠償交渉は難航しています。
牧場造りを業者に頼む余裕はなく何から何まで息子の祐一郎さんと2人の仕事です。
トライバルは今月2度目のレースを走りましたが最下位に終わりました。
もう一度調整し夏には故郷福島の競馬場で再起を期します。
トライバルと篠木さん親子の挑戦が続きます。
岡野さんは福島市に入りました。
人口30万のこの街はこれまでの地域と違い国の避難指示を受けませんでした。
福島駅周辺です。
毎時およそ0.2マイクロシーベルト。
福島ではバーグラフの目盛りをこれまでより1桁ずつ小さく設定しています。
繁華街に入りました。
ここでもスペクトルにセシウムのピークが見えます。
ここは大学や高校など学校が集中するエリアです。
0.6マイクロ程度に上昇しました。
阿武隈川の土手付近でも放射線量が上がります。
放射能が川底の泥と一緒になって運ばれ川岸に堆積した事が一因として考えられます。
福島市の汚染地図です。
この地図では赤は毎時0.5マイクロシーベルト以上これまでの地域より1桁ほど小さい値で色分けしています。
事故直後に比べて放射線量は全体的に下がっています。
しかし市の東部から渡利地区にかけて放射能汚染が比較的強い場所がある事が確認されました。
あ高い高い。
ちょっとここら辺ストップ。
2011年4月私たちは渡利中学校の傍らで放射線量を計測しています。
毎時4マイクロシーベルトを超えていました
福島市などに暮らす親たちは子供を守る手だてを打つよう国に求めていました
当時その先頭に立っていた一人中手聖一さんです。
福島市の渡利地区に暮らしていました
あなたに懸かってんだからお願いしますよ。
お願いします。
それから3年
中手さんの消息を聞き札幌市を訪ねました
失礼します。
はいどうも〜。
すみませんお邪魔します。
よろしくお願いします。
中手さんの一家は新たな暮らしを始めていました
これも映るの?長男の龍一と…。
長男の中手龍一です。
(聖一)これが次男の虎太郎。
ちょ…あ間違えた。
次男の虎太郎です。
よろしく。
食べていいでしょ?
(取材者)そして…?かみさんの日子です。
こんにちは。
こっちかな?カメラは今。
やっぱりまだ慣れたっては言えないかな私は。
(取材者)何で?う〜ん…慣れたっていうかついまだ「今札幌はこうだけど福島はどんなかな」っていうのを常に考えてしまって。
それはなくしたもんが戻ってくる訳ではないんだけどね。
だけど4人の生活の再建という意味ではね戻りつつあるよね。
そうね…。
事故発生から2週間後に日子さんと子供たちは岡山県に避難しました
(日子)4年生の龍一と1年生の虎太郎とね。
避難から1年3か月後家族は福島に戻らず北海道で合流しました
やっぱ子供がいなかったら多分私は避難もなかった話ですし子供をなるべく健康を守りたいという思いだけです。
今でも放射線が…というか放射能がある訳でそれは事故前と比べれば桁が1つ2つ違うぐらいの放射能がある訳で。
生活再建もしなきゃなんないしなんとかして子供たちをね育てていかなきゃなんないし。
仕事もない訳ですからね。
全部失って来た訳ですから。
福島市は避難区域にならなかったため中手さんたちが受け取る支援や賠償は限られています。
北海道で中手夫妻は障害がある人の訪問介護事業を始めました
お邪魔します。
今何かしゃべってた?まだ1文字目しか…。
夫妻はもともと福島で経験があり資格を持っていました
「事業を広げ避難した人たちの雇用の受け皿を作りたい」。
2人の新たな目標です
去年4月中手さんは福島県が行う甲状腺調査を子供たちに受けさせました。
次男の虎太郎君の結果はB判定。
精密検査を勧められました。
甲状腺に1cm程度のしこりが見つかったのです。
事故初期に出る放射性ヨウ素によって甲状腺にがんが引き起こされる可能性があります
6月の頭ごろから虎太郎の声のかすれが出てきててそのうち治るかなと思ったらずっと1か月ぐらい治らなかったんですよ。
声のかすれっていうのはね甲状腺がんの症状の一つにもなるものだからほかの症状とは違って注意深く感じていて。
そこにこれがちょうど来たんですよ。
「え〜!」ってホントに…。
「何で?うそじゃないの?」という信じられないっていうね…。
すぐさま精密検査を受けさせました。
幸いがんの可能性は今のところないとの事でした
初期被ばくが原因かもしれないなとはちょっと思いますよね。
やっぱり高かったしね実際ね福島は。
(聖一)そこについては今全く予断を持たないように努力するという感じですよ。
つまり「そうかもしれない」「違うかもしれない」なんて事を判断する根拠もないのに決めつけて思った方が楽だから…なんだけど予断を持たない。
しっかりとちゃんと判断していこうと。
子供たちにきちんと説明できるような判断を持たなきゃいけない。
「福島を離れても原発事故を経験した事実が消える事はない。
その事を子供たちにも伝えていきたい」と中手さんは考えています
福島の事を断ち切って全く別な人間として生きてほしいというのではなくてむしろこういう事情で福島を離れなきゃならなくなったんだからしっかりと福島の人間であるという事を誇りを持って生きられる人間に育てたいというふうに。
これはずっと思ってきた事なんですよ。
更に加えて言うと避難者というだけじゃなくて被ばく者という面もあるので自分の事をちゃんと理解してる自分の事をしっかりと受容して受け入れてしかも堂々と生きていくそういう人間に育てたいですね。
渡利地区では住宅地の除染が行われました。
しかしそこから離れた山や林はまだ手付かずのままです
そんな中で徹底した放射線対策で園児を守る保育園があると聞きました
おはようございます。
おはようございます。
さくら保育園の園長…
よろしくお願いします。
園長の齋藤先生です。
齋藤です。
よろしくお願いします。
およそ100人の子供が通うさくら保育園。
事故後園を一度も閉じる事なく子供たちを受け入れてきました
(齋藤)おはようございます。
おはようございます。
ここがずっと線量を測っているポイントですね。
定点測定をしているんですよ。
一定の場所をね。
今0.09ぐらいになりましたか。
事故から2か月後には園庭で毎時4マイクロシーベルトありました。
そのため子供たちの活動は屋外は一切禁止。
比較的線量が低い園舎の中に限られました
園は除染の実施をいち早く国に求めました。
事故から3か月後には園庭の表土の剥ぎ取りが行われ放射線量は8割程度減少しました
更に汚染されたマットの除去などは国の除染の対象外だったため自前の予算で行いました。
加えて内部被ばくの予防にも取り組んでいます
子供たちの給食に使う食材は全ての品目のサンプル調査を毎日行います
出荷基準より10倍ほど厳しい基準で調べ放射能が検出できない食材のみを使用しています
福島はこれから先もずっとね測定しながら暮らすというのがスタイルだからね。
そういうふうなせざるをえない状況にはずっと長くあると思いますので特に子供の施設としてはねそこは譲れないものとして測定しながら暮らすんだというのはねしてます。
去年10月。
さくら保育園でようやく再開できた事があります。
園の外への子供たちの散歩です
「四季の変化を感じさせ自然と触れ合う感性を養ってあげたい」。
園では散歩は子供の成長に欠かせないものだと考えています
それでも除染が十分でない園外へ出るのは被ばくのリスクを伴います。
そこで使用しているのが園周辺の汚染地図です
地域の汚染の程度を地図に落とし比較的放射線量が少ないルートを選んで散歩コースを定めました。
この汚染地図の作製に協力したのが立命館大学名誉教授安斎育郎さんを中心とした研究チームです
チームは園周辺をくまなく歩き放射線量の変化を記録しました
その結果分かったのは汚染が生活環境にまだら状に分布している事でした
(安斎)この中は高い。
0.6を超える。
線量は数メートル離れるだけで倍の違いがありました
子供を放したら当然この中に入りたがるので。
ただそういう知恵を持って行動すれば被ばくは低く抑える事もできると。
そこんとこ今生活の知恵として必要になっちゃってるのね。
それやっかいな事ですけど。
この春これまでの努力がある数値となって明らかになりました。
さくら保育園では去年一年継続して園児や職員など個々人の被ばく量を測りました。
その結果原発事故による被ばく量は平均で年間0.27ミリシーベルトと推定されました。
予想を下回る結果でした
思ったより確かに低かったのでそれは不幸中の幸いだったなとは思っているんだけども。
油断すると放射能が高い草むらにゴロンと寝転んだりいろんな事して遊んだりするのをそのままにしておくと被ばくが上がるって事はありうる事なので。
ここでより安全に低いリスクで暮らすにはどうしたらいいのかっていうそういう知識をもっと普及する必要があるというふうにね…。
きっとこの子供たちを大人が守るんだっていうのは私はここに住みながらみんな大人たちは思ってる気がするんですね。
だからきっとその思いがあればこの事態に対して何となく忘れようとかそんな形じゃない切り開き方その可能性は絶対そこにはあるはずだって。
福島に踏みとどまる人。
福島を去った人。
それぞれの判断は違っていました。
それでもその選択は事故が起きたあとの人生をどうつくるのかという同じ問いへの模索のように私には感じられました
3年目の福島を調査してきた岡野さん。
最後に浪江町にある岩倉さん夫妻の家に向かいました。
夫妻が犬のパンダや猫たちと共に暮らしていた家です。
(公子)どうも。
いつもテレビで拝見してます。
庭先で測ると毎時5マイクロシーベルトありました。
岩倉さんの家は年間被ばく量が20ミリシーベルトを超える事が予測され避難の継続が求められています。
(公子)ネズミのフンや何やら掃除したんだけど…。
家の中でも3マイクロシーベルト以上ありました。
ダイレクトにこの辺に降ったやつがたまってますね。
それで表面に結構ありますね。
表面にね。
浅い所。
だから除染するんだったら浅い所のあれを削った方がいいんだけれど。
いつか帰れる日が来るのか岩倉さんが庭の土を採取します。
分析してみるとセシウムのほかにもアンチモンや放射性銀などが検出されました。
セシウムは…高濃度汚染地帯赤宇木をしのぐ高さでした。
実2014/03/16(日) 15:00〜16:15
NHKEテレ1大阪
福島 科学と人間の地図〜原発事故から3年〜[字]
8日に放送したETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図〜福島原発事故から3年」では伝えきれなかった被災地での「人間の営み」を新たな編集でお伝えする特別編。
詳細情報
番組内容
2011年、取材班は原発事故直後に現地入りし、科学者と共に放射能汚染の実態を調査した。今回改めて汚染がどのように変化し、人々がどのように放射能に立ち向かおうとしているのかを追った。福島県南相馬市では、住民が自主的に放射線を測定していた。葛尾村から避難した競走馬の牧場主は福島市の山間部に新たな牧場を開こうとしていた。原発事故から今日まで続く困難に立ち向かう「人間の営み」。3年目の被災地の姿を伝える。
出演者
【出演】元・理化学研究所…岡野眞治
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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