NHKアーカイブス選 2014.02.16

先月世界文化遺産に登録された富士山
古来人々の信仰を集め多くの芸術作品を生み出してきました
今回世界遺産に登録されたのは信仰の拠点や巡礼地をはじめ絵画や歌の題材となった景勝地です。
NHKではこれまでさまざまな視点からこの名峰を描いてきました。
四季折々に美しい表情を見せる富士山の絶景を捉えた「ハイビジョン特集」
紅葉が一気に山を駆け下り森は一面豊かな色彩に彩られました。
絵の移り変わりから日本人の富士に寄せる思いを探った「新日曜美術館」
北斎はこの連作の中で富士山と人々の営みをドラマチックな構成で映し出しました。
(六根清浄を唱える声)
江戸時代から今に伝わる富士信仰を記録した「ふるさとの伝承」
(念仏)
今日はNHKアーカイブスに残る貴重な映像を通して日本人の心のよりどころ富士山の魅力に迫ります
見事な姿を見せてくれました。
今日は山梨県河口湖にあります大石公園に来ています。
こちらこの湖越しに富士山を間近に見る事ができます観光客にも人気の場所です。
今日はここから富士山と日本人の信仰や芸術との関わりについてお伝えしてまいります。
ゲスト登山家の田部井淳子さんとご一緒です。
どうぞよろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
いかがですか?この河口湖からの眺め。
うんすばらしいですね。
もう私は登る事ばっかりだったんですけどこういう湖越しに見てあ〜やっぱり改めて美しいなって思いました。
その富士山今回文化遺産として登録されました。
このニュースはどんなふうに受け止められましたか?やはりこの裾野が美しくて独立峰でこんな美しい形っていうのは今まで世界のいろんな最高峰登ってきたんですがなかったんですね。
ですからあ〜文化遺産…自然遺産ではなかったんですけれども選ばれたっていうのはとっても誇らしくてうれしく思いましたしこれからは文化的な事も考えて登っていきたいかなって思いました。
それではまずですね一年を通して四季折々の富士山の絶景を記録した2006年放送の「奇跡の山富士山」からご覧頂きます。
貴重な映像を14分ほどにまとめました。
夜明け前の富士山です。
日の出の瞬間山の頂が宝石のように輝く…一年に数回しか見る事ができません。
富士山。
遠い昔から日本人の心を捉え続けてきた山です。
標高3,776m。
完璧なまでの美しい円錐形はどの方向から見てもほとんど変わりません。
春。
新緑の初夏。
夏。
秋。
そして冬。
富士山には心洗われる日本の四季があります。
そしてたった1日でも刻々と変わるその表情。
一瞬の輝きが私たちを魅了してやみません。
類いまれな絶景の山富士山。
その姿を1年にわたり見つめました。
4月の初め。
河口湖のほとりで桜が満開になっていました。
(キビタキの鳴き声)アサギマダラです。
春になると1,000km以上離れた南西諸島から渡ってくるチョウです。
森の奥深くひっそりと咲く花がありました。
ヤマシャクヤクです。
花をつけるまでに3〜5年。
1年にたった3日しか咲かない貴重な花です。
7月。
富士山に登山シーズンがやって来ました。
は〜い頑張って上がってくるよ〜。
午前3時山頂に向かって光の波が押し寄せます。
富士の頂で御来光を拝もうという登山者の明かりです。
蛍のように揺れる無数の光。
夏の富士山の風物詩です。
この日山頂には霧が立ちこめていました。
お〜来た来た来た。
突然雲の隙間から太陽が顔を出しました。
(歓声)
(拍手)次の瞬間思いもかけなかった光景が目の前に広がりました。
(歓声)太陽が光の輪をまとったのです。
光が雲に当たって生まれる光環というめったに見る事のできない現象です。
海から一気に4,000m近くまでせり上がる富士山。
湿った海風が直接ぶつかりさまざまな雲を生み出します。
風が山の斜面を駆け上り空気中の水分が冷やされる事で雲が生まれます。
雲は風が山を登る時に生まれ山頂を越えると消えてしまいます。
海とは反対側の山中湖から見た富士山。
まるで巨大な雲の塊をその体で受け止めているようです。
山頂に巨大な笠をかぶせたような雲笠雲です。
独立峰富士山ならではの雲です。
湿った強い風が山頂で渦を巻いて生み出されます。
山頂から少し離れた空に出来る不思議な雲もあります。
つるし雲です。
山を乗り越えた風がなって複雑な気流とこの雲を生み出します。
秋。
麓の集落では富士山の湧き水が育んだ稲の収穫が始まりました。
紅葉が一気に山を駆け下り森は一面豊かな色彩に彩られました。
落ち葉の上に雪が降り始めました。
富士山が雪と氷に閉ざされる冬。
ごくまれに見られる不思議な現象があります。
富士山の作り出す雲が太陽の光を浴びて七色に輝くのです。
彩る雲彩雲と呼ばれています。
彩雲は富士山の上空に薄い笠雲が出来しかも太陽がその裏に回った時にだけ現れます。
富士山のオーロラとも呼ばれる幻の現象です。
1月20日。
この日山頂付近に次々と雲が湧き立っていました。
雲が僅かに色づいています。
午後2時半。
太陽が傾いてきた時だ円形の笠雲が出来始めました。
彩雲です。
雲全体が淡く七色に色づきました。
一年に1回出るか出ないかの現象です。
富士山の上空太陽の光を浴びた雲は確かにオーロラのように見えます。
赤オレンジ緑青。
その色彩は雲の動きと共に微妙に変化していきます。
僅か20分。
富士山が見せたはかない夢のような光景でした。
四季折々の奇跡の山の姿どのシーンが印象に残りました?いやどのシーンというよりもあの雲の形がどれを見てもあっすごいなっていうので何回も何回も見たくなるようで雲の動きこれはすばらしいと思いました。
やっぱり刻々と変わるんですね。
そうですね。
今もそうですよね。
私たちの後ろもそうですもんね。
あれをすごいハイスピードで見せて頂いて何か改めて雲ってすごいなって思いましたね。
毎年のように富士山に登ってらっしゃると伺ってるんですけども富士山の魅力というとどういう事になりますか?もうホントにいろんな形というか姿表情があってその表情に行く度にびっくりさせられる。
毎回毎回。
それがやっぱり大きな魅力かなって思いますね。
雲海がやっぱりすばらしかったんですね。
雲の上にいるなっていうこの爽快さ。
途中で振り返って見ると日本全部が見えるような気がしたんですね私は。
湖があって田園生活があってその向こうにはまた北アルプスが見えてっていうふうにもうホント日本の山岳の…日本っていう山国日本っていうのを見たっていう感じがしてですね。
そして夜景はなんとはるか横浜まで見えるんですよ。
「あれ横浜だよ」って言われて。
いや〜さすが富士山高いなっていう印象があって富士山の存在の大きさを改めて感じました。
どうなんでしょう?最初登られたのはおいくつぐらいだったんですか?大学2年ですから二十歳の時でしたけれども。
福島から出てこられて…。
大学に行って大学の友達3人…女3人で行ったんですが何か日の出を見た時やっぱりすごく感激して雲海のかなたから一条の光がさしてもうホントに思わず手を合わせてですね何となくお祈りしたり自分の願い事いっぱい言ったりするような気持ちになってああこういう瞬間を作曲家はどういうふうな曲作るのかなとか画家だったらどんなふうに描くのかなと自分にその才能があったらいいななんて思って御来光見たの覚えています。
ホントその富士山魅力あふれていて古くから絵画のモチーフとして取り上げられてまいりました。
どのように描かれてきたのでしょうか。
その変遷を見つめて日本人が富士山に寄せる思いを探った番組をここでご覧頂きます。
1998年放送の「新日曜美術館」です。
「描かれた名峰富士」から12分ほどご覧下さい。
四季を通じて美しい姿を見せる日本の最高峰富士。
古くから日本人は絵画や工芸品身の回りの品々に至るまで富士山をさまざまに描き続けてきました。
日本人が名峰富士に抱いてきた思いを描かれた富士の姿を通してたどります。
富士山の絵が描かれるようになったのは平安時代からといわれています。
当時描かれていた富士の姿を残しているのが大阪四天王寺に伝わる「聖徳太子絵伝」です。
「聖徳太子絵伝」は聖徳太子への信仰を広めるために鎌倉時代以降盛んに作られました。
聖徳太子にまつわる伝説が絵物語として描かれています。
元服の儀式に臨む太子。
黒い馬に乗る太子。
飛び越えようとしているのは富士山です。
これは聖徳太子が超人的な能力を持っていた事を表現しようとした情景です。
この絵の富士山は極端な急斜面に描かれていて現実とはかけ離れた姿をしています。
鎌倉時代末の作品です。
在原業平が京の都から東国へと向かう有名なあずま下りの場面です。
「伊勢物語」にはこの時初めて富士を見た業平が富士は京都比叡山の20倍もある高い山だと驚いたと記されています。
しかしこの絵巻でも富士山はなだらかな裾野を持つ現実の姿とは全く異なった形で描かれています。
室町時代になると物語ではなく風景として富士山の現実の姿を描く作品が登場し始めます。
臨済宗建長寺の禅僧仲安真康による「富嶽図」です。
手前には三保の松原付近の海辺の様子が繊細な筆遣いで情緒豊かに描かれています。
なだらかな傾斜で幅の広い裾野を持った富士山。
現実の姿に近いこうした富士山が描かれるようになったのは禅文化と共にもたらされた中国の山水画の影響によるものだといわれています。
日本の山水画を大成した雪舟が残したとされる富士の姿があります。
前景に配された寺院の描写には中国絵画に学んだ力強い筆遣い。
一方背景にはなだらかな裾野を持つ現実の富士のスケール感が見事に捉えられています。
しかしよく見ると富士の姿は現実とは微妙に異なっている事に気付きます。
山頂が3つの峰に分かれています。
室町時代に描かれた富士山はどの絵も頂が3つの峰を持つ姿で描かれているのです。
静岡県富士宮市にある…富士信仰の中心地です。
この神社に伝わる1幅の掛け軸から富士の山頂が3つの峰に分けて描かれた理由を知る事ができます。
室町時代に描かれた「富士曼荼羅図」。
富士山をまだ見た事がない地方の人々に富士山の偉大さありがたさを説くために作られたものです。
富士山への参詣のしかたが順を追って細かく描かれています。
頂上を目指す信者たちはまず富士山の湧き水で身を清める事から始めます。
富士信仰では神仏が宿る山頂にたどりつく事で死後極楽往生を遂げる事ができるとされていました。
こうした教えを説いた「曼荼羅図」の山頂には三尊の仏が描かれています。
右の峰には…左の峰には…そして中央には…富士の3つの頂は極楽浄土へ導く三尊を表していたのです。
時代が下って江戸時代の初期徳川幕府の御用絵師として気品に満ちた世界を作り上げた狩野探幽の富士山です。
探幽も富士の頂を3つの峰に分けて描いています。
富士山頂を3つの峰に描く事はこの後江戸時代の中頃まで続きました。
実に400年近くの間絵師たちの決まり事とされてきたのです。
冬の晴れた日の朝今でも東京から富士の姿をはっきりと見る事ができます。
かつて江戸に住む人たちにとって富士山は暮らしの中の当たり前の風景でした。
江戸時代の中頃富士山の描き方に革命的な変化が起こります。
西洋絵画の技法がもたらされ写実的な絵画が描かれるようになるのです。
これは洋風画を代表する一人司馬江漢が描いた200年前の東京・お茶の水の風景です。
川岸の木々を照らすやわらかな日ざしが陰影法によって描かれ夕暮れ時の空気が情感豊かに漂っています。
江漢が最も熱心に取り入れたのが遠近法です。
通りを行く人々を手前に大きく描き遠景に小さく富士を配する事で富士山の姿を江戸の町のリアルな風景として描く事に成功したのです。
遠近法がもたらされて以来江戸に住む画家たちにとって富士山は一層身近なモチーフとなります。
その最たるものが浮世絵の風景画です。
「東海道五十三次」で知られる浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景」。
広重は遠近法を巧みに使った奇抜な構図で江戸の日常のさまざまな情景の中に富士山を取り入れました。
呉服商が立ち並び町人たちでにぎわう…通りのはるか遠くには巨大な富士が人々の暮らしを見守るかのようにそびえています。
歌川広重と並び称された浮世絵師飾北斎。
富士を描く事に最も情熱を傾けた画家の一人です。
北斎はこの連作の中で富士山と人々の営みをドラマチックな構成で映し出しました。
富士川上流甲州鰍沢の漁師と富士山を描いた作品です。
漁師の引く網と岩が形づくる三角形が富士山の印象をより強める効果をあげています。
遠く海の上から見た富士山の姿です。
北斎は前景の波を思い切って大きく描き中心に小さく富士山を配する事で逆に見る人の目が自然に富士山一点に集まるように構成しています。
荒波の雄大さに重きを置きながらも巧みな構図で富士山の存在を強烈に印象づけているのです。
「赤富士」の別名で知られる…北斎が富士山そのものと真正面から向き合った傑作です。
空の青と山肌の赤が見せる大胆な色の対比。
そびえ立つ富士の高さを表現する鋭い稜線の描写。
北斎はこの絵でそれまで日本人が抱いていた富士山のイメージを打ち破る新しい富士山を生み出したのです。
それぞれの時代にそれぞれに描かれてきた富士山ですけどもどんなふうにご覧になりました?いや〜私も初めて知る事が多くてですねこういうふうに3つになって…。
頂上がね。
ああそうだったんだって思いましたし北斎の絵は私日本で本物を見た事なくて海外の山に行った時に美術館で見てあ〜すごいって思ったんですね。
外国人もこうやって富士山の美しさを分かってこういう所に飾られてるんだなっていうので何かうれしく思ったんですけれども改めて見るとやっぱり日本の富士山を描いた絵っていうのはたくさんあってまだまだ知らない部分もあったなって思いました。
最初におっしゃった頂上が昔は3つに…長い間あんなふうに描かれてたんですね。
知らなかったですね。
でも何となく描く時こういうふうにギザギザって描いてましたね。
私たちも子どもの頃。
小さい頃にね。
あれはそれを由来してたんだななんて見ながら思い出してました。
それも如来をそれぞれに描いてまさに信仰心をある程度重ねて描いてたんでしょうかしらね。
やっぱり信仰っていうのは古くから山に対しては持ってたんですね。
やはり山に行く時には私たちも登ってやるぞっていうよりは何か登らせて下さいみたいな思いがあるもんですから富士山でもほかの山でもどんな小さい山に行く時でも今日も登らせて下さいっていうこういう手を合わせるような気持ちっていうのを私たちは持ってるんですね。
特に私なんかは小さい時「死んだらどこに行くの?」って聞いた事があって福島だったもんですから親に「磐梯山の頂上へ行くんだよ」って言われたんですね。
「ああそうなんだ」って。
「死んだら山の上に行くんだ」っていうようなそういう事を子どもなりに教えられてきたので特に富士山高いですからねみんなが行くのかななんて…。
それでもう思わず手を合わせる。
そういう気持ちはいつも山へ行く時持っていますね。
ホントに誰の心の中にも昔からやっぱり信心信仰というような思いとつながるものがやっぱりあるんでしょうかしらね。
ですから富士山もそうですけれども昔はこうやってみんな信仰して登っていったんだなという事を私も一歩一歩単調なんですけども単調なだけにそういう事をあっ分かるなというか思い出しますね。
まさに今おっしゃった一歩一歩信仰してっていう番組をこれからご覧頂きたいんですけれども実は江戸時代から受け継がれてきました富士山信仰を記録した番組があるんです。
1995年放送の「ふるさとの伝承」「霊峰に魅せられて〜ある富士講の夏〜」。
23分ほどにまとめました。
日本一高い山富士山。
この山は古くから神が宿る聖地とされ人々の信仰を集めてきました。
富士山への信仰が庶民の間に急速に広まったのは江戸時代。
人々はやがて富士講と呼ばれる集団を各地で作り聖なる山を目指しました。
富士講は富士への信仰を持つ人々が各町内で集まったものです。
この信仰は山梨静岡東京など関東周辺で特に盛んになりました。
東京・高田馬場にある住宅街。
ここに今なお富士講を守り続ける人がいます。
井田清重さん79歳。
今も続く富士講の先達です。
先達とはいわば講のリーダー役です。
代々行ってきた信仰の儀式を口伝で受け継いでいます。
年に1度の富士登山や毎月お焚き上げという儀式を行います。
井田さんはこの日お焚き上げのために御身抜と呼ばれる祈りの文字を書き写します。
御身抜は江戸時代から井田さんたちの講に伝わるものです。
富士講を開いた角行という人が悟りを開いた時に残した言葉です。
浅間大神の鳥居の下には富士山が置かれています。
最上段には富士山の御神体木花開耶姫命が祭られています。
(お伝えを唱える声)午後7時町内から20人の講員が集まりました。
お焚き上げが始まります。
お焚き上げとは御身抜を書き写した札を線香の火にかざし吉凶を占い安泰を祈る儀式です。
(お伝えを唱える声)線香を富士山の形に立てていきます。
(お伝えを唱える声)今唱えているのは富士に宿る神をたたえるお伝えという経文です。
(お伝えを唱える声)線香の火と煙は噴火する富士山を象徴しています。
その火は汚れを払うものとされています。
井田さんたちの講は丸藤宮元講社と呼ばれこうした儀式を250年も続けてきました。
(お伝えを唱える声)御身抜の言葉が書かれた札を火にかざします。
(お伝えを唱える声)この日御身抜が書かれた3枚の札は見事に燃え上がり占いは吉だったと井田さんは言います。
(お伝えを唱える声)父親も講の先達だった井田さんは幼い時からこうした儀式に参加するようになりました。
線香が燃え尽きる頃40分のお焚き上げが終わります。
富士登山の信仰は平安末期の文献に初めて登場します。
室町時代修行者の一人角行は食べず眠らずの苦行を富士山で続け独自の教えを開きました。
角行の教えは弟子たちによって世に広められ富士講として庶民の間に受け入れられたのです。
江戸末期に講の数は300を数えたといわれています。
それぞれの講はマネキと呼ばれる旗を作って自分たちの目印にしました。
山梨県富士吉田にある…富士山の登山道が始まるこの神社を富士講の人々は欠かさず訪れます。
浅間神社の浅間は古くはアサマと言われ一説では噴火する山の事を意味したと言われています。
浅間神社では山開きを祝う儀式が行われました。
(拍手)力の神手力男命が綱を切ります。
境内では続いて茅の輪くぐりが始まります。
これは京都の八坂神社でも行われている疫病よけの儀式。
ここ浅間神社ではカヤで作った輪をくぐる事で登山者の安全も祈願します。
富士吉田は富士講が盛んになる事で栄えた町です。
通りに並ぶ石柱の門。
御師と呼ばれる人たちの家です。
御師は富士講の人々に宿泊所を提供し信仰の手助けをしてきました。
御師は家に祭壇を設け神職の仕事を受け持ち時には富士登山の案内もしました。
富士信仰を広めるため各地の講社を回ったといいます。
最盛期には80軒以上あった御師。
今では半分に減ってしまいました。
ほとんどが民宿を経営しています。
江戸時代から続く御師の大国屋です。
田辺四郎さんは大国屋16代目です。
御師の蔵には富士講ゆかりの品々が残されています。
これは大国屋に代々受け継がれている享保年間の巻物です。
巻物は「三十一日乃御傳」と呼ばれるものです。
富士講中興の祖といわれる修行者身禄の教えが細かに書かれています。
身禄は富士山の8合目近くで断食の行に入りました。
毎日1つずつ教えを弟子に書き取らせ31日目に亡くなりました。
富士へのあつい信仰が人々を救うという身禄の教えは巻物に記録され御師を通してたくさんの信者に伝えられました。
御師が一番盛んなのは昭和の始め頃までですね。
戦前…つまり戦前が一番盛んな頃です。
私たち小さい時ですからよく覚えがありますけども現在ありますあの金鳥居からずっと浅間神社まで白装束の富士講の方々が列を成して歩っとったのを存じております。
井田さんたちの富士登山の日です。
(念仏)御師のタツ道を念仏を唱えて歩きます。
念仏は到着の知らせです。
(念仏)念仏を聞いて御師が出迎えます。
(念仏)江戸時代江戸からの富士登山は全て徒歩で往復10日だったといわれています。
ここ富士吉田からも頂上まで登るのに3日もかかりました。
そのため30年前までは登山の前の日は御師の家に泊まり休息をとりました。
宿のお礼にお布施や座布団茶わんなどを納めたといいます。
しかし今では富士の5合目までバスで行けるようになり御師の家に泊まる事はほとんどなくなりました。
それでも井田さんたちの講社は毎年欠かす事なく立ち寄って登山への最後の身支度をします。
この日昼前御師の家を出た一行はまず浅間神社に参拝します。
(念仏)井田さんがこの浅間神社にお参りし富士登山を始めたのが7歳の時。
72年前の事です。
戦時中を除いて毎年欠かさず行っています。
現在宮元講社の講員は20人ほど。
この日登山にはほぼ全員が集まりました。
(念仏)午後1時井田さんたちを乗せたバスが到着しました。
このあと一行は8合目まで登ります。
そして山小屋に1泊し翌朝頂上を目指します。
一度は富士山に登ってみたいという庶民の心が江戸の富士講を盛んにしました。
当時は富士登山のために講の人たちは事あるごとにお金を積み立てていました。
それでも全員が行けるだけのお金が集まらずくじ引きで選ばれた人たちだけが登山できたといいます。
先達である井田さんは下山するまでは食事をとりません。
苦行をしながらも全ての講員が無事に登山できるように気を配っています。
午後6時8合目の山小屋に到着しました。
山小屋の奥には身禄を祭る神殿があります。
井田さんたちを前に一つの儀式が始まりました。
修行者身禄の霊の力を講の人たちに分け与えるものです。
おみたまと呼ばれる身禄の霊が人の目に触れないように明かりを消して儀式を行います。
(念仏)おみたまを講員の頭に掲げ神主が気合いをかけていきます。
(念仏と鈴の音)神主は夏場の1か月をここで過ごし各地から訪れる富士信仰の人々のために儀式を行います。
翌朝4時30分。
快晴の8合目で御来光を待ち構える井田さんたちです。
(念仏)ここまで登ってこられた事を感謝しての祈りです。
雨で御来光が拝めなかった年もありました。
井田さんは山小屋の中で日の出の方向に向かって手を合わせたといいます。
(念仏)朝8時2日目の登山が始まります。
山頂まであと4時間の道のりです。
(六根清浄を唱える声)8合目からは斜面が急になります。
体力が落ちてくる中自分を励ますように六根清浄を唱えながら登っていきます。
(六根清浄を唱える声)六根とは目耳鼻など汚れや煩悩の源となる6か所です。
六根清浄を唱え頂上を目指す事で煩悩を消し去ろうとするのです。
井田さんたちが着ている白装束は全て手作りです。
腰に下げた鈴は鈴と呼びこの鈴の音に励まされながら井田さんは富士講の行を続けてきました。
御神体を担いで登るのも先達としての井田さんの役目です。
(六根清浄を唱える声)正午たくさんの登山客でにぎわう山頂に到着しました。
ここには浅間神社の奥宮があり富士講の人たちが目指してきた神聖な場所です。
浅間神社の奥宮が見えてきました。
講員はここで白装束に朱印を押してもらいます。
朱印の数は登山を重ねる度に1つずつ増えていきます。
御鉢と呼ばれる富士の噴火口です。
富士講の人々にとってはここは浅間大菩薩が宿る聖地です。
井田さんは東京から背負ってきたしょい袋をほどいて木花開耶姫命の厨子を開きます。
1年に1度御神体を聖地に里帰りさせるのだと井田さんは言います。
(鈴の音)
(念仏)井田さんたち丸藤宮元講社のように昔ながらの行事を欠かさず行う講社は数えるほどになってしまいました。
誰もが登れる山になってもこの人たちの富士への信仰の重さは変わりません。
富士山は征服するものではないんですよ。
富士山はホントに自分で登ってねそしてありがたいという事で下りなければホントの信仰の山というね価値がないと思いますね。
征服なんていうような問題じゃないですよ。
ありがたい山ですよホントに。
体力の続く限り登り続けるという井田さん。
今回で158回目の登山でした。
富士吉田市の中心部にあります御師宿坊。
番組にも出ておりましたけれども御師宿坊のこちら旧外川家にやって参りました。
いかがですか?ご覧になって。
はいなかなか古くて趣のある建物ですね。
立派な門構えですもんね。
ここからはですね山梨県立博物館で富士山信仰についても研究を続けてらっしゃいます堀内眞さんに加わって頂きます。
どうぞお願い致します。
(堀内)よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
この宿坊というのは改めましてどういうものなんでしょう?そうですね富士山に信仰的な登山をなさる方々に宿を提供して富士山の信仰をレクチャーして安全な登山をできるようにというふうな事でお山に送り出す宗教活動をしていた人を御師といいますがその御師住宅の代表的な建物でございます。
これはいつごろ建てられたものなんですか?そうですね。
おおよそですけれども今から240年くらい前に建てられた建物でございます。
母屋の方はそのころ建てられましてそれから70〜80年たってから離れを増築してという形で造られております。
離れを増築という事ですからねそうすると随分多く皆さん泊まられたんですか?最盛期ですけれどもひと夏に1,000人を超える登山者をお迎えするなんていうような事をしておりました。
そうですかすごい人ですね。
ねえ。
では早速中にお願いできますか?はいご覧下さい。
あっ水が流れてますけど。
はいこれはですね富士山に登山にやって来た人がまず中門をくぐって頂いてここで禊ぎをした場所なんですよね。
富士山に登る方々はここで手足を洗って禊ぎをしてからこの中に入って頂くというふうな形をとっておりました。
富士山の伏流水がもとになっていると考えてもらっていいと思います。
(桜井田部井)へえ〜。
残ってるんですね。
じゃあどうぞ中へ。
もういきなり畳が敷いてあるんですね。
そうですね。
御師の典型的な建物の一つになっております。
こちら側が家族が使う部分。
奥の部分が富士講のお客さんを泊める部分になっております。
まだ奥があるんですね。
まだ奥がずっと続いてます。
ちょっとうなぎの寝床のように細長い建物になっております。
あらららら。
あっ立派な神棚ですがこれは何ですか?
(堀内)御神前と申しまして富士山と同じ神浅間神社に祭られている神さん木花開耶姫を中心とする神さんをお祭りしている施設でございます。
どこの御師にも必ずこの御神殿というものがついております。
そして後ろにもねこれ祭ってある方とかいらっしゃいますけどね。
そうですね。
吉田口にとってはとっても大事な人で食行身禄という方なんですけども断食の果てに宗教的な自殺を遂げた人なんですよね。
富士信仰の中で特に吉田口では欠かせない人物でございます。
富士講の方々はこの前に一座して登山の前に拝みをあげてそれから富士山に登るという事をしておりました。
じゃあ毎年来る方はここをお参りしてから行くという事なんですね。
(堀内)そうですね。
単に泊まるだけではなくてこういう信仰的な事もしてそれから心を新たにして山に登るというふうな事をしておりました。
それにしても先ほどねじゃあ多い時には1,000人ここにぎゅうぎゅう詰めになったりしてたんです?
(堀内)大勢いらっしゃる場合には廊下にもござを敷いて布団を敷き並べてっていうふうな事で恐らく1畳に布団を1枚敷いてそこに2人ずつ泊まってというふうなそのくらい大勢の方が泊まるという事をしておりました。
それにしてもホントにですね江戸時代には庶民にまで盛んだったこの富士信仰ですけれども番組の中でも当時でも少なくなっていると言ってましたよね。
今どういう状況なんですか?そうですね今年のお山開きなんかを拝見しますと富士講の方々は恐らく5グループか6グループくらいしかやっていらっしゃらなかったんですよね。
もう少し20年くらい前まではお山開きには13くらいの講社の方々見えていたんですけども年を追うごとにやっぱり少なくなっているというふうな事は言えると思いますね。
どうなんでしょうでもねそれはずっと見てこられて。
富士山というのは信仰の山ですけども過去の人が信仰を遂げただけではなくて現代人にとっても意味のある山だと思うんですよね。
そういう事を考えた時に潜在的に富士講とは言えないまでもそういう心持ちで富士登山をしたいと思ってる方は少なからずいらっしゃるんじゃないかと思うんですよね。
確かにあれですよね富士山に登る人たちホントに今もう年間30万人を超えるほどどんどん…いわゆる登る人は増えてますけどもね。
増えてますね。
特に若い方でですね初めて山登りするのが富士山っていう方も結構多いんですよね。
そういう方たちはやはり頂上で御来光を見たいと。
やっぱり手を合わせて拝むというそういう気持ちっていうのは何かこう信仰につながっていくんじゃないかなっていうふうにも思うんですけども。
言ってみればそういう信仰が長く引き継がれてきて現代人にとっても富士山っていうのはそういう意味では登りたい山だし大切な山だって認識は引き継がれていると思います。
ホントに私たち日本人にとって大切な山大事な富士山ですけれどもその世界遺産に登録された事をきっかけにしまして富士山を守ってそして伝統を受け継いでいくための取り組みが各地で始まっています。
富士山から湧き出るきれいな水で出来た8つの池忍野八海です
今回世界遺産に登録された事を受け地元の人500人ほどがこの池を守ろうと清掃活動を行いました
地元の小学校では忍野八海を題材にした授業が始まりました。
3年生は忍野八海の成り立ちについて学んでいます
「何ちゅうきれいな泉ずら。
おっあっちこっちにえらい泉が湧いてらあ」。
この池は江戸時代に村人たちが富士講の修行の場として使えるよう整備しました。
飢饉などで苦しんだ村が巡礼地として栄えた事で救われた歴史を学んでいます
自分たちの住む村の貴重な文化を受け継いでいこうという取り組みです
みんなに分からない事は教えてあげたりしたい。
忍野八海や富士山をしっかり大切に守っていきたいって思いました。
ホントに取り組みは始まっておりますけれどもこの富士山世界遺産をですねどう守って伝えていくかと非常にやっぱり私たちに今大きな責任があるように思うんですけど。
世界遺産の登録をきっかけにこの山をどういうふうに保全して次の世代に引き継いでいくかというふうな事をルールを作ってそのルールどおりにきちんと守りながら次世代に伝えていくっていうのが大きな仕事になっていくだろうと思います。
日本人の自然観というものをですねやっぱり富士山を通して伝えていければなと思うんですがその辺りいかがですか?富士山というのは自然の生成物ですけどもそこに登る行為というものを文化遺産というふうな形で私たちは認識してる訳なんで単にスポーツという訳ではなくて富士山はじっくりと登って頂きたいし麓の文化的な施設も散策して頂いて山の麓もともどもに大事にしていって次の時代に引き渡していくというふうな事ができればいいと思っています。
いかがですか?被災した高校生に富士山に登ってもらった時に高校生がすごくいい事を言ったなと思ったんですが3,000越えたらすごく苦しくて一歩一歩がつらくてとってももう嫌だとやめようかなと思ったけれども頂上に立って風景を見た時にああやめなくてよかった。
諦めなくてよかった。
それでその時に思わずありがとうっていう言葉が出たって言うんですね。
高校生が?はい。
今までありがとうっていう言葉を言った事はあんまりなかったのに山の上でそういう言葉が出たっていう事自体が何か聞いててうれしいなと思いましたし思わずやっぱり拝みたくなるようなそういう気持ちがすごく大事なんだなと思いましたね。
もう一歩一歩登っていくという行為をやる事によってこれは大事にしなければいけないという意識が生まれると思いますのでこれからも若い人たちにはそれを受け継いでいってもらいたいと思います。
今回の登録をきっかけに改めてホントそういう気持ちが伝わっていくといいですもんね。
今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2014/02/16(日) 13:50〜15:00
NHK総合1・神戸
NHKアーカイブス選「世界文化遺産 富士山〜日本人の心の山〜」[字]

世界文化遺産に登録された富士山。NHKの番組で紹介した美しい映像をご覧頂くとともに、芸術や信仰の対象として富士山に寄せてきた日本人の思いを探る。

詳細情報
番組内容
【ゲスト】登山家…田部井淳子,山梨県立博物館 学芸員…堀内眞,【キャスター】桜井洋子
出演者
【ゲスト】登山家…田部井淳子,山梨県立博物館 学芸員…堀内眞,【キャスター】桜井洋子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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