アメリカ南部の街ニューオーリンズ。
人はこの街の事を「魂の宿る街」と表現する。
なぜ人がそう呼ぶのか。
ここにしばらく滞在した者をいつの間にか引き戻してしまうそんな不思議な魔力をこの街は持っている。
その魔力とはニューオーリンズの街角から生み出された音楽。
それはアメリカだけでなく世界の音楽に多大な影響を与えてきた。
昨年この街をニ度にわたって巨大ハリケーンが襲った。
街じゅうに音楽があふれる天国は一瞬にして地獄絵巻に変わった。
ニューオーリンズの街の8割が濁流に覆い尽くされた。
ニューオーリンズ市民およそ50万人のうち半数以上の人々が今も自分の家に戻りたくても戻れないままでいる。
ニューオーリンズを襲ったハリケーンはこの街の財産であるミュージシャンたちの生活をも一変させた。
マイケル・ハリスは財産を失い家族もバラバラになった。
音楽の仕事が欲しくても以前のように仕事がない。
焦燥の日々が続いた。
マイケルは残った一本のベースギターに再起への願いを託した。
ニューオーリンズ独自のリズムを生み出してきた「マルディグラ・インディアン」と呼ばれる人々。
ニューオーリンズだけに根づいたアフリカ系アメリカ人の伝統の祭り。
これが途絶えてしまう危機に直面した。
二十歳の若手リーダーロミオ・ブジェールは伝統を守り抜こうとしていた。
この街の魅力に取りつかれ10年前ニューオーリンズに移り住んだ日本人ギタリスト山岸潤史。
ニューオーリンズ独自の音楽を作り出してきたミュージシャンたちが被災しこの街に帰れないでいる。
かろうじて被災を免れた山岸。
仲間のミュージシャンがいち早く街に戻れるようにギターを弾き続けた。
ハリケーンによって住む家も仕事も失ったミュージシャンたち。
音楽の都ニューオーリンズ。
この街で被災から立ち直ろうと奮闘するミュージシャンたちの姿を見つめた。
ニューオーリンズの東の端。
運河脇に広がるロウワーナインスワードと呼ばれる地区。
ミシシッピ川より低いこの土地におよそ1万4,000人が暮らしていた。
昨年8月29日。
ニューオーリンズ上空を通過したハリケーン・カトリーナは運河と人の暮らしを隔てる堤防を決壊させた。
このロウワーナインスワードの堤防決壊現場は「ニューオーリンズのグラウンドゼロ」と呼ばれた。
人々の暮らしと共にこの街に響いていた音楽も一瞬にして消えた。
被災前のロウワーナインスワードの日常の風景。
常に洪水の恐怖と隣り合わせのこの地域は貧しい人たちの居住地域となっていた。
人口の98%がアフリカ系アメリカ人だった。
全米で最も貧しい地域。
そして凶悪事件の絶えない危険な地域とされてきたロウワーナインスワード。
しかしながらこの街には常に音楽があふれていた。
この街から数多くのミュージシャンが生まれた。
衛生環境の悪化から立ち入りが厳重に規制されてきたロウワーナインスワード。
再び住民がここに帰ってこられたのは被災から3か月たってからだった。
ミュージシャンマイケル・ハリスはここで生まれ育った。
ロウワーナインスワードが大洪水に見舞われたのは昨年が初めての事ではない。
1927年65年そして昨年。
洪水は繰り返されてきた。
ミュージシャンたちは洪水を題材に歌った。
被災から3か月。
マイケルは初めて我が家の変わり果てた姿を見た。
マイケルが失ったもの。
ベースギター7本アコースティックギター2本キーボード1台。
そしてこれまで制作してきた楽曲やマスターテープ。
それらはミュージシャンとしてのキャリア全てだった。
マイケルが持ち出したのは楽器でも楽譜でもなく20年前病気で亡くなった母親の形見のアイロンだった。
ハリケーンがニューオーリンズを襲った時マイケルは公演のためブラジルにいた。
マイケルが家族と再会したのは避難先のテキサス州ヒューストンだった。
政府からニューオーリンズに戻る許可が出されるとマイケルは単身この街に戻ってきた。
被災前週に3回から4回ステージに立っていたマイケル。
景気のいい時には月に8,000ドル近く稼いだ。
しかし被災後のニューオーリンズではマイケルが立てる舞台はほとんど無かった。
多くのクラブが被災し営業停止に追い込まれていたからだ。
マイケルは仕事を求めて営業を再開したクラブを歩き回った。
被災後ミュージシャンが仕事を得るための競争は激しさを増していた。
マイケルは自分の連絡先を渡して出演の依頼を待つしかなかった。
被災後住む家を見つけるのは容易な事ではない。
水害から免れた地域はニューオーリンズの2割のみ。
まともに住める物件は僅かしか無かった。
マイケルは知り合いを通して比較的損傷の少なかった小さなアパートを見つけ一人暮らしを始めた。
部屋はワンルーム。
家賃は月500ドル。
アメリカ政府からの災害援助金とかつての蓄えを切り崩して賄っている。
マイケルには1年前に離婚した妻との間に大学生の娘2人と高校生の息子がいる。
マイケルはロウワーナインスワードの家で息子と2人で暮らしていた。
被災後教育や生活の不安もあって息子をヒューストンにいる別れた妻の元に預けていた。
ハリケーンで閉鎖されていた空港が再開されると一時全米中に避難していたミュージシャンの中にはニューオーリンズに戻る者も出始めた。
その中に日本人の姿もあった。
ギタリスト山岸潤史。
ニューオーリンズのストリートから生み出される音楽に魅せられ10年前日本での全てのキャリアをなげうって単身この地に乗り込んだ。
山岸潤史は1970年代関西を舞台に日本のブルース音楽の礎を築いたギタリストである。
自らの理想とする音楽を追い求めた結果最後に行き着いた場所がアメリカニューオーリンズだった。
山岸が被災後初めて見るニューオーリンズ。
(山岸)すごい事になってるね。
あの屋根。
スーパードームの屋根が吹き飛んだのは近所の人のアパートでラジオで聴いて「えっ!?」って。
水が漏ってどうしようもないって。
山岸の自宅周辺は洪水は免れたがライフラインは寸断されていた。
2か月前ハリケーンの暴風雨が吹き荒れる中自宅に1人でいた山岸は仲間のミュージシャンに助けられ間一髪で街を脱出した。
あ電気来てるわ。
電気来てる。
何で電気がつかないんでしょ。
ついた!ピース。
俺こっちで寝てたらすごい音がしてたからここで寝てたの。
こっちの方が静かだから。
それぐらいの状態。
ここってこういう造りだから風が当たらないの。
いつもそうやから停電2〜3日我慢したら大丈夫やとたかをくくってたわけ。
俺が初めて状態を知ったのはレイクチャールズに逃げてから。
レイクチャールズへ行って初めてテレビが見られた。
テレビで映ったニューオーリンズの全体の姿を見てびっくりしたよ。
何これ!?って。
テレビニュースで見たニューオーリンズが被災後どんな状態になっているか山岸は気がかりだった。
うわぁ〜この幅。
せめてねぇ…補強してほしいよね。
出ていく人もいるやろうけど戻ってくる人がほとんどやと思う。
ニューオーリンズは人生やり直せる街。
そう思ってる人がいっぱいおると思うし。
その人たちのために街の人たちが一緒になって何かやりたいなと思ってる。
山岸はニューオーリンズに帰った翌日被災から免れて営業を開始したクラブに楽器を持って向かった。
ニューオーリンズに戻ってきたバンドの仲間と演奏するためだ。
この日集まれたのはメンバー5人のうち2人だけだった。
山岸が今最も力を入れて活動するバンドパパグロウズファンクそのバンドリーダーのジョン・グロウ。
彼も2か月間この街を離れ帰ってきたばかりだった。
音楽の仕事を探し歩いていたベーシストマイケル・ハリス。
ミュージシャンを支援する団体の協力もあって11月下旬感謝祭のステージに何とか立つ事ができた。
マイケルが所属するバンドチャッキーC&クリアリーブルー。
バンドリーダーはロウワーナインスワードで共に生まれ育った幼なじみチャッキーが務めている。
チャッキーの家もマイケルと同様にハリケーンで使い物にならなくなった。
マイケルにとって今一番の心配事がチャッキーの事だ。
ロウワーナインスワードの立ち入り規制が解かれた後チャッキーはこの家を週に2〜3回は訪れていた。
チャッキーはこの家で妻と娘息子4人で暮らしていた。
ハリケーンがニューオーリンズを襲った時チャッキーはマイケルと共にブラジル公演のためこの家を留守にしていた。
残された家族とは避難先のミシシッピ州で合流した。
チャッキーの妻アイデラは昨年9月避難先のミシシッピ州で亡くなった。
心臓発作だった。
2度目のハリケーンリタがニューオーリンズを襲った時アイデラは避難先のホテルでテレビを見ていた。
そして自宅周辺が再び水没した映像を見た瞬間アイデラはそのまま倒れ帰らぬ人となった。
年が明けニューオーリンズの街に人々の活気が徐々に戻ってきた。
2月ニューオーリンズはマルディグラのお祭りムード一色になった。
マルディグラとはフランス語で「太った火曜日」。
19世紀初めまでニューオーリンズはフランスの領土だった事もありこの土地では独自の文化が育まれてきた。
キリストの復活を祝うイースターに先立ってカトリック教徒はキリストに倣って断食をした。
その断食修行の前大いに食べて騒いだ事がニューオーリンズ独自のマルディグラの祭りに発展していった。
街の有力者が「フロート」と呼ばれる山車に乗り沿道を埋め尽くした観衆にビーズを投げる。
このようなパレードが始まったのは今から150年前。
1857年にまで遡る。
白人たちの祭りとして始まったマルディグラ。
しかし19世紀後半からニューオーリンズのアフリカ系アメリカ人たちによってもう一つのマルディグラが生み出されていた。
ニューオーリンズには「マルディグラ・インディアン」と呼ばれる人々がいる。
彼もマルディグラ・インディアンの一人だ。
彼らが白人たちのものとは異なるもう一つのマルディグラをつくり出している。
ロミオ・ブジェールはハリケーンで被災したロウワーナインスワードで生まれ育った。
ロミオと家族は一時ヒューストンに避難していたがマルディグラの祭りのためニューオーリンズに戻り借家暮らしを始めた。
ロミオはマルディグラ本番を前に友人のマーキス・テロと共に街に買い出しに出た。
ロミオたちマルディグラ・インディアンのパレードで最も大切なものが打楽器である。
2人はマルディグラ本番で使うタンバリンを新調した。
彼らが生み出すリズムこそがニューオーリンズ音楽の独特のビートにつながった。
アフリカ系アメリカ人のロミオたちがなぜマルディグラ・インディアンと呼ばれるのか。
それを理解するには彼らの祖先がたどってきた歴史をひもとく必要がある。
ニューオーリンズの街の中心部にあるコンゴスクウェア。
ニューオーリンズ音楽はこの場所から生まれた。
ニューオーリンズをフランスが統治していた時代アフリカから連れてこられた奴隷たちは日曜日だけこの広場に集まる事を許された。
この広場に集まった人々は出身部族ごとに集まりドラムをたたき歌いそして踊った。
奴隷たちが享受できたひとときの娯楽だった。
しかし日常に戻ると奴隷たちには過酷な労働が待っていた。
奴隷の身分は代々変わる事なく白人地主の所有物として市場で売買された。
奴隷たちは自由を求めて奴隷制度に批判的だった北部の州を目指した。
しかしニューオーリンズ近郊には「Bayou」と呼ばれる水路や湿地帯が広がっていた。
そこに逃げ込んだ奴隷はある者はワニに襲われそしてある者は深瀬にはまって溺れ死んだ。
「Bayou」「Shallowwater」「浅瀬」という言葉が逃亡奴隷たちの合言葉になった。
逃げ延びた奴隷は湿地帯を越えネイティブ・アメリカンの居留地にたどりついた。
白人たちに故郷を追われ居留地に強制移住させられていたネイティブ・アメリカンたちは逃亡奴隷たちに救いの手を差し伸べた。
奴隷の子孫たちはこの恩義を決して忘れなかった。
ネイティブ・アメリカンへの恩義を忘れず彼らの伝統文化を継承している黒人たちが19世紀後半に「マルディグラ・インディアン」と呼ばれるようになった。
歴史の中で黒人たちとネイティブ・アメリカンの融合も進んだ。
ロミオにはネイティブ・アメリカンの血が流れている。
マルディグラ・インディアンと呼ばれる黒人たちの中にはロミオのようにネイティブ・アメリカンの血を引く者もいる。
彼らの歌う歌には黒人奴隷たちの合言葉が頻繁に登場する。
「Bayou湿地帯には気を付けろ」。
「Shallowwater浅瀬に入る時は用心をしろ」。
「Honanae」とは相手を威嚇する時の言葉。
それらはマルディグラ・インディアンの中で代々伝えられてきた。
マルディグラ・インディアンには地域ごとのトライブ部族を束ねるビッグチーフがいる。
ロミオはニューオーリンズで最年少のビッグチーフだ。
ロミオが見せてくれたのは彼らのマルディグラ本番で着る衣装の一部。
この衣装にはロミオ自らの手でネイティブ・アメリカンの刺しゅうが施されている。
この衣装を着る事ができるのはビッグチーフだけだ。
ビッグチーフは一針一針手間暇をかけてかつての恩人たちの刺しゅうを本番の日までに作り上げる。
ロミオはマルディグラを前に衣装作りが遅れていた友人たちを手伝いに出かけた。
ビッグチーフは自分が着るインディアンコスチュームを毎年自分の力で作らなければならない。
それがマルディグラ・インディアンたちの決まりだ。
しかし今年はビッグチーフの多くがハリケーンで被災しマルディグラ本番を迎えるために他人の手助けを借りる必要性に迫られていた。
マーキス・テロはトレメ地区のビッグチーフ。
ハリケーンで作りかけの衣装が全て台なしになった。
今年のマルディグラは博物館に保存してあった去年の衣装を着て参加する事にした。
インディアンスーツ一着にかかる制作費用はおよそ3,000ドル。
ビッグチーフたちにとってその負担はこれまでになく重い。
1世紀以上にわたって親から子そして孫へ受け継がれてきたマルディグラ・インディアンの衣装作り。
その伝統がハリケーンの被災で危機に立たされた。
マルディグラを前にロミオたちビッグチーフは「インディアンプラクティス」と呼ばれる歌の練習を頻繁に行う。
プラクティスは違う部族のビッグチーフたち数人が集まって行われる。
彼らの大切な祭りを前に精神を高揚させる事が主な目的だ。
そこから生み出されるリズムはニューオーリンズ音楽の底流に流れている。
仕事を探し続けるミュージシャンマイケル・ハリス。
今年に入って彼の生活は大きく変わっていた。
ヒューストンに避難していた16歳の息子マイケル・ジュニアがニューオーリンズに帰ってきたからだ。
マイケルは息子の教育環境を心配して別れた妻に息子を預けていた。
しかしテキサスという慣れない土地で新しい学校に溶け込めず息子は次第に家に引きこもりがちになった。
音楽の仕事が減り生活が苦しいにもかかわらずマイケルは故郷ニューオーリンズで自分と暮らす事を望んだ息子をこの家に呼び寄せた。
一人暮らしを続けていたマイケルにとって息子との共同生活は張り合いを与えた。
私立高校に通わせている息子の学費は奨学金と貯金で何とかやりくりしている。
マイケルは成績優秀な息子の可能性をハリケーンのせいで潰したくはなかった。
待ち望んでいた息子との同居。
父親としての責任は以前にも増してマイケルの肩に重くのしかかっていた。
しかしマイケルは自分の力でそれを乗り越えようとしていた。
マイケルはゴスペル聖歌隊のバックバンドにベーシストとして迎え入れられていた。
ニューオーリンズ市民白人と黒人の混成でつくられたゴスペル聖歌隊ShadesofPraise。
マイケルはこの聖歌隊に出会った瞬間自ら音楽監督に頼み込んで聖歌隊に加わった。
ハリケーンから半年マイケルは自分の心に浮かぶ言葉を歌にした。
それは自分が加わったゴスペル聖歌隊のために作った曲だった。
マルディグラ本番の日。
今年はロミオがビッグチーフとして迎える初めてのマルディグラだ。
父親から譲り受けたビッグチーフの座を守るためロミオはこの日に備えてきた。
ロミオの晴れ舞台を祝いヒューストンに疎開していた一族が駆けつけた。
顔にナインスワードハンターズのビッグチーフの証し。
「9」を記すのは部族のしきたりだ。
ハリケーン被災後ロミオは避難先のテキサスの空港で荷物運びをして衣装代を稼いできた。
ロミオは途中衣装代のやりくりに苦労し何度も挫折しそうになりながらもマルディグラ本番を迎える事ができた。
マルディグラのスタート地点はまだ住民が戻らないロウワーナインスワードの自宅前。
例年ナインスワードハンターズはビッグチーフ以下10人編成で華麗なパレードを行っていた。
しかし部族の中で衣装を着る事ができたのはビッグチーフロミオただ一人だった。
ロミオが歌うのは「IndianRed」という曲。
ネイティブアメリカンの祈とうの歌に由来する。
地域ごとにつくられたマルディグラ・インディアンの部族は現在53。
それぞれの部族を代表するビッグチーフが華麗な衣装をまとい途中出会った部族のビッグチーフと闘いを演じていく。
ロミオが向かった先は自らが避難しているトレメ地区。
ロウワーナインスワードと並んで黒人人口が多い。
ここは家を失った貧しい人たちが身を寄り添って暮らす街だ。
違う部族と途中遭遇すると「スパイボーイ」と呼ばれる偵察係が探りを入れにやって来る。
スパイボーイはどの部族が近寄っているかを自分のビッグチーフに報告する。
最初に遭遇した部族はロミオの友人マーキス・テロがビッグチーフを務める「トラブルネーションズ」だった。
ニューオーリンズの歴史の中でアフリカ由来の文化とネイティブアメリカンの文化の融合が起こった。
それはマルディグラ・インディアンというニューオーリンズ固有の文化を生み出した。
今年多くのビッグチーフがたった一人でマルディグラに参加した。
被災して費用を捻出できなかったビッグチーフはタンバリンだけを持ってこの場にはせ参じた。
ニューオーリンズに帰ってこられなかったビッグチーフはそれぞれの避難先でマルディグラの祭りを祝った。
ハリケーン被災で一時はマルディグラの参加を諦めかけたロミオ。
1世紀以上続く伝統の祭りを絶やす事なくビッグチーフとしての務めを果たした。
ギタリスト山岸潤史。
彼の家から歩いて10分。
ここはニューオーリンズの地元ミュージシャンがよく集まるカフェーだ。
山岸は休みになるとよくこのカフェーに出かけミュージシャンたちと情報交換をしていた。
ハリケーンのあと避難したミュージシャンの中で誰が戻って誰が戻ってきていないのか山岸は仲間の消息が知りたかった。
(取材者)その雑誌何ですか?「offBEAT」。
ニューオーリンズの…月刊のいわゆる音楽情報誌。
だからこれ見たら街のどこで何をやってるかとか全部分かる。
山岸はこの音楽情報誌を見て仲間の消息を頻繁にチェックしていた。
この雑誌を飾るニューオーリンズを代表する有名ミュージシャンたちは今も州外で避難生活を続けている。
ライブの時だけニューオーリンズに戻りライブが終わったら州外に帰る。
山岸はニューオーリンズ音楽の空洞化が気がかりだった。
ニューオーリンズのミュージシャンってみんな本当にファミリーみたいだから。
みんなが友達。
2月被災したミュージシャンのためのチャリティーコンサートが開かれた。
出演するのは被災して州外に避難していたミュージシャンたち。
チャリティーには山岸のバンドも参加した。
ハリケーンのあとバラバラになっていたメンバーが再び一堂に会した。
山岸はニューオーリンズ音楽の復興を感じ始めていた。
ニューオーリンズの音楽を愛する人々が彼らの音楽を待ち望んでいた。
ベーシストマイケル・ハリスにとってゴスペル聖歌隊の練習が今では心の支えになっている。
週に一度行われる聖歌隊の合同練習にマイケルは必ず参加している。
白人と黒人肌の色に関係なく音楽で一つになる。
このゴスペル聖歌隊の結成理念はマイケルがこれまで思い描いていた理想そのものだった。
聖歌隊結成から3年シェイズ・オブ・プレイズは今ではニューオーリンズのあちこちの教会から出演依頼が来るほどの実力を備えている。
マイケルはこの日聖歌隊のために作曲していた曲を初めて披露した。
(拍手と歓声)被災から8か月たったロウワーナインスワード。
住民たちはこの土地で再び元の暮らしができる事を望んでいる。
しかし行政側はこの被災を機に大型ショッピングセンターの建設など大規模な再開発を目指している。
住民と行政側両者の深い溝はいまだに埋まっていない。
今年4月ロウワーナインスワードにはかつての住民たちが戻り始めていた。
政府が支給するトレーラーハウスに入る事もできず電気もガスも水道もまだ復旧していないこの街で自力で生活を始めた人たちだ。
チャッキーは再びロウワーナインスワードの自宅を直して住むつもりでいる。
避難生活を続ける中で自分たちの生きる所はここしかないと家族を説得し始めた。
チャッキーは仕事の合間にここに通い壊れてめちゃくちゃになった家を少しずつ片づけてきた。
ロウワーナインスワードが生んだ偉大なミュージシャンたち。
中でもスーパースターファッツ・ドミノは巨万の富を築いてもなお最後までこの土地を離れなかった。
ファッツはエルビス・プレスリーやビートルズに次ぐレコード売り上げ記録を打ち立てたリズム&ブルースの大御所だ。
この街を愛し続けたファッツ・ドミノ。
しかし彼もいまだにこの家に戻れないでいる。
通称ジャズフェスト。
「ヘリテージ」とはニューオーリンズ音楽を形づくってきた西洋音楽アフリカ音楽ネイティブアメリカンその他全ての音楽を含んでいる。
それはニューオーリンズ音楽のもとに2014/03/02(日) 00:25〜01:56
NHKEテレ1大阪
Eテレセレクション・アーカイブス「ETV特集 楽都はふたたび歌う」[字]
ETV特集「楽都はふたたび歌う〜ニューオーリンズ・不屈のミュージシャンたち」(2006年放送)。ハリケーンからの復興に立ち上がった演奏家たちの記録。
詳細情報
番組内容
ETV特集「楽都はふたたび歌う〜ニューオーリンズ・不屈のミュージシャンたち」(2006年放送)。ハリケーンからの復興に立ち上がった演奏家たちの記録。
出演者
【出演】山岸潤史,小室等
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
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