SWITCHインタビュー 達人達(たち)「野村萬斎×市川猿之助」 2014.03.01

ピッと伸びたこの背筋。
狂言師野村萬斎47歳。
Eテレ「にほんごであそぼ」でもおなじみ。
(一同)ややこしや〜。
…で知られる狂言界の永遠の貴公子である。
私がそなたでそなたが私。
これから会う相手はちょっと変わり者らしい…。
そうですね…。
あるパーティーで彼がスピーチしてるのを拝聴しましたけれど…。
そしてそのスピーチの内容がね人生だの何か…「妊娠に例えられますが」とかそういうお話をされてたので…。
その事に驚きを感じましたね。
おはようございます。
おはようございます。
よろしくお願いします。
どうもよろしく。
その男とは歌舞伎界異端の花形市川猿之助38歳。
もしかしたら襲名なさってから初めてかもねちゃんとお会いするのは。
スーパー歌舞伎をはじめとする革新的な舞台を生み出してきた…その若きリーダーが市川猿之助だ。
私は勝ったのだあらゆる事に!私は勝ったのだ〜!ある時は狐となって肉体を酷使しまたある時は女形として妖艶な色気を振りまく。
猿之助が背負う宿命とは…。
世の中でよく言われるのは反逆児革命者猛優異端児とかそういうのですね。
反逆児になってやろうと思ってなる反逆児っていうのは大した事ないよね。
野村萬斎もまた650年続く狂言という伝統を背負って生きてきた。
僕らはその古典芸能って今まで続いてきたという事がある意味プレッシャーにもなる訳ですね。
時代時代に対応させていかないと廃品になってしまう訳ですよね。
狂言と歌舞伎。
一度じっくり話してみたいとこれまで何度も声をかけ合ってきたがどうしてもスケジュールが合わなかった。
それが本日10年掛かりで実現する。
ところでそこのあなた!どっちも古典芸能似たようなものだと思っていませんか?でも話してみてびっくり!本当に一番違うなと思うのは三味線が入ったとたん僕ら動けなくなるっていうか逆に言うと全然違うジャンルだなと思う。
まあくま取りしてあれだけのでっかい衣装でバ〜ンって出てきたらそれはある種…僕がいいなと思うのは狂言は最低2人とかでもできますでしょ?まあね。
やっぱ歌舞伎というと豪華な衣装白く塗るにぎやかな音楽。
これ必然的に場所が限られてくるじゃないですか。
だから僕はそういう…なりたいなっていうよりも歌舞伎役者って気持ちいいだろうなというふうに思う事はありますよ。
そりゃ地味ですからね我々。
話はどんどんヒートアップ。
猿之助の衝撃発言も飛び出した!そうなの?僕の別に…。
猿之助は今かつてないスーパー歌舞伎を生み出そうとしている。
今回は佐々木蔵之介をはじめ歌舞伎界以外の人気俳優たちが出演する。
「誰が役所とまともに渡り合えるというのだ」。
「引き継ぐやつはいる」。
「年寄り連中には話したのか?」。
「これからだ。
幼なじみのお前には先に話しておこうと思ってな」。
「空ヲ刻ム者」。
猿之助が才能に恵まれた仏師を蔵之介が悪に身を落とした幼なじみを演じる。
主人公の仏師は人々を幸せにできない仏教にいらだち都に出て盗賊たちと交わりながら成長していく。
スーパー歌舞伎らしからぬ題材にあえて挑む野心的な作品だ。
自分の思いというものはホントに強くてそれを実現する力というものが並の人間ではないぐらいのパワーをお持ちだと思いますね。
それに僕たちは…稽古は猿之助主導で進んでいく。
歌舞伎ですからきっと…襲名から1年半休む間もなく新しい事に挑み続けている。
僕が猿之助さんと初めてお目にかかったのは多分パーティーなのかな。
スピーチされたのえらく覚えててね。
すごいなと思って…。
昔の方がね…今は何かだんだんコンピューターが壊れてきちゃって起承転結が「結」がなくなってきて「転転転転」行くけど昔はやっぱり学校の時は起承転結できてました。
何かそういう弁論部にでもいたのかなっていうぐらいに…。
そうそう。
しかも「人生を語りお産に例え」って言う時に…やっぱり構築するとか弁証法的に起承転結とかというのは割合好き?うちの家系がそうだったんです。
やっぱり緻密であったり構成構築するっていう…。
でもそういう力がなければスーパー歌舞伎もできないでしょ。
伯父がよく言ってたのは…大体まあ最近ですと瀬戸内寂聴さんのが有名でその訳を現代語訳を読んで「源氏物語」のすばらしさが分かる。
だから歌舞伎の大歌舞伎が古典の原文だとしたらスーパー歌舞伎は現代語訳だっていう言い方をしたんだよね。
なのでそういう取り組み方ではやってますけどね。
入っちゃいますね。
だからつくり上げていく方が楽しいんでしょうね。
自分は役者に向いてないと思います。
つくる側だと思います。
そうなの?だから稽古が一番楽しいんです。
初日にこれで完成だと思うともうここからやんなくて…やる事楽しいですか?表現する事…。
まあね。
つくるのも好きだしやる事も嫌いじゃないですね。
両方だな。
僕はどっちかって言うと。
役者もいろいろなタイプがあると思うけど本当にその役だけをやっている人とある種その役だけに集中してあんまりこう…周りはついてくりゃいいというタイプとある程度構造的に読んじゃうとか自分は段の中にいるんだとかという意識の人と…。
でも演出に携わるとこれだけじゃ駄目ですよね。
もちろんね。
現代劇に近い台詞回しでテンポよく展開するスーパー歌舞伎。
しっかりいたせ。
しっかりいたせ。
我らにはやらねばならぬ事がある。
ここで死んではならん。
ここで死んではな…!そうだ!あの袋だ!大がかりな舞台装置や派手な立ち回り。
ドラマチックで分かりやすいストーリーが人気を呼んだ。
僕はスーパー歌舞伎っていうのは本来かぶく精神というのはこうだっていうふうな精神なのかななんていうふうに…。
伯父のをそのまま受け継ぐんじゃなくてそこら辺を考えていかないと…。
だから要するに何でもやっていいってなるとそこから何にも生まれなくなっちゃいますからね。
だからそういう意味で言うと今っていうのは生まれにくいかもしれませんね。
あまりにもみんながいろんな事やっちゃってるから…。
目新しさがない。
「秘すれば花」とか「珍しきが花」っていう事を世阿弥も言ってますけど…それはホントに何かもう当たり前になっちゃうというのはね。
歌舞伎みたいに時代とともに刻々と変わっていくかお能みたいに時代が変わろうが何しようが「これで僕らは行く!」っていう生き方もかっこいいって。
「いやもう僕らは誰が何と言おうと変えません」みたいなね。
フフフ…!ところでこの2人実は同じ役を演じた事がある。
めっぽう強い博奕打ちが閻魔大王を翻弄する…「博奕十王」はもともと狂言の演目だ。
生前悪行の限りを尽くした博奕打ちがあの世の入り口にやって来る。
なんとかして地獄へ攻め落とそうと待ち構える閻魔大王と鬼たち。
博奕打ちは言葉巧みにサイコロ博奕を持ち掛ける。
まず打ってお目にかけましょう。
博奕打ちは連戦連勝。
閻魔大王や鬼たちを身ぐるみ剥がしてしまう。
ハッハッハッハッハ…!これ古いんですか?この狂言って…。
この狂言自体は古いはずなんですけど実際にはちょっと途絶えてうちのじいさんとかそこら辺で復活している感じなんですね。
そうなんですか。
ですから割合自由な発想がきくし…。
実は猿之助「博奕十王」を今年1月に演じたばかりだ。
歌舞伎らしいにぎやかな登場シーン。
ちなみに狂言だとどうなるかと言うと…。

(鼓)これを見ると2つの演劇の共通点と違いってものがありますよね。
そうね。
今違うなと思うのはやっぱり楽しくしますよね。
例えば僕らが博奕のようないくらギャンブラーだといっても…ひょ〜っと。
やっぱり歌舞伎の場合はそうだとしても根っから明るい人が出てくるっていうかね。
2人が注目したのは死者を表す三角頭巾。
幽霊がつけているあれです。
そうね。
多分普通はホントは三角だったはずなんだけど狂言では三角のはやめて普通にハチマキにした。
三角がすごく…。
だからこれ狂言の方かなと僕は思ってたんですよ。
こんな後ろに返すのはないんですよね。
う〜ん…。
最初はでも三角つけてたと思うんだけどね。
僕らどっかで様式的に変えちゃったんだんだね。
みんな…ホントに?これ。
アッハハハ!閻魔大王が鏡を使って博奕打ちの生前の行いを調べる場面。
悪行の数々が鏡に映し出される。
この鏡にご注目。
こちらが歌舞伎版。
鏡はうんと大きく派手になりしかも枠だけに。
このとが重き者じゃが何として…。
僕はあれが狂言からそのまま持ってきたと思ったら鏡も小さいし。
だから…あれは工夫なんでしょうね。
狂言のをそのまま持ってくるんじゃなく…かと言って歌舞伎風にするんでもなく歌舞伎狂言みたいに…。
でもよく考えられてますよね。
それはこうすると…確かに…。
鏡をくりぬいてるっていうの例えばいつごろこれが出来たか分かんないですけど昔ね「ロンパールーム」だか分かんないけど子ども番組で「鏡よ鏡よ鏡さん」と言って鏡に向かってんだけどおねえさんがくりぬいた鏡でずっとしゃべってるっていうのがあったりしたのが例えば歌舞伎にできた時にそういうのがあったからそういう発想になったとかっていう事はあるんじゃないの?いよいよサイコロ博奕の場面。
閻魔大王がルールを知らないのをいい事に1が出たら閻魔大王の勝ち。
それ以外は博奕打ちの勝ちという自分に圧倒的に有利な賭けを持ち掛ける。
「1にしよう」。
「心得ました」。
狂言でやると荘厳な感じがしますね。
サイコロ一つでも。
そう?これもちろんおもりが入ってるんでしょ?まあね。
それはちょっと業界内の秘密だから言っちゃいけない。
だってこれ1が出たら大変な事になっちゃう。
まあね。
「えいえいあやっと〜な!」。
後見は見えない事になっておりまして。
これならいいけど僕ら本当に転がすから一度舞台から落ちた事があるの。
その時にねアドリブで「これはいかな事三途の川に落ちた!」って言って拾って「打ち直しましょう」って言ってやった事がある。
これ終わりはどうなるんですか?終わりはつまりギャンブルに勝ってサイコロ博奕に勝って閻魔に極楽浄土へ案内させるっていう事。
芝居の結び。
まんまと極楽行きの通行手形を巻き上げた博奕打ちは意気揚々と極楽浄土へ昇っていく。
これはどうされたんですか?最後金棒を奪うんですよ。
それで弁慶の六方に見せて…花道から引っ込む場面も大きな見せ場。
博奕打ちは手を大きく振り足を力強く踏み締めながら歩く六方を披露し去っていく。
でも猿翁の伯父のプランの中では自分はこういう演出したけどゆくゆくはそれこそ雲の幕を下ろしてお釈様たちが出てきて亡者がラインダンスをしながら・「おらは死んじまっただ」を歌ってそこで宙乗りをしてほしいっていう…。
やっぱり歌舞伎の場合はつくづく一種ショーアップされている感じ。
とにかく重々しく受け止めてきちんと座って見てなきゃいけない雰囲気とは違って華やいでいい気分で見てもらうっていう感じ。
そういう方から見れば歌舞伎自体がお客に擦り寄っているっていうか歩み寄っている訳ですよね。
いかに楽しませようかっていう。
だから大古典の大歌舞伎だって言ったって能狂言から見れば大古典でもかなりショーアップされてるだろうって感じですよね。
僕らはその中にしかいないからいやショーアップはしてないと思っちゃうけれど。
僕もそれこそスーパー歌舞伎がはやり始めた頃じゃあスーパー狂言っていうのはできないかなとかっていう事は当然思う訳。
しかもすごく脚光を浴びている時に同じ古典芸能の役者として。
あそうですか。
フライングを使って最後カーテンの中に…。
えいっ!やっとな!萬斎によるスーパー狂言「博奕十王」。
博奕打ちは宙乗りで極楽浄土へと昇っていく。
アッハッハッハッハッハ…。
今度三味線を入れておやりになったらどうですか?あんまりないですか?狂言で。
でもそれはね本当に一番違うなと思うのは三味線が入ったとたん僕ら動けなくなるっていうか逆に言うと全然違うジャンルだなと思うかな。
囃子に三味線が入るでしょ。
途端に何か違うっていうのをそこで一番感じますね。
萬斎が大好きな曲「三番叟」。
足拍子がロックの縦乗りのリズムに通じると言う。
五穀豊じょうを祈るめでたい舞だ。
この舞は歌舞伎にもなっている。
萬斎が歌舞伎俳優市川染五郎との共演を試みた「二人三番叟」。
狂言の場合伴奏は笛や鼓などのお囃子だけ。
一方歌舞伎はというと…。
お囃子に5人の三味線が加わる。
「三番叟」はやっぱりお囃子できっかけを取るんですか?今何杯目だとかどこだとか。
そうそうそううん。
そのきっかけの取り方が違うんですよ。
もうどこをその…。
一応掛け声が…「ヤ〜」とか「ヨ〜」とか言って…。
僕ら分かんないから。
きっかけになったらいつもよりちょっと大きな掛け声をしてそしたら行くからみたいな…。
なるほどね。
あと謡をうたわれちゃうともうお経に聞こえて。
三味線のあの長唄浄瑠璃。
ちゃんと歌詞は聞こえてくる?歌詞とかはそのリズムですよ。
そっちで取るんだ。
歌舞伎だと何となく終わる体ってあるんですよ。
こういう三味線が鳴ったらもうすぐ終わりだなってゆっくり終わるんですけど謡は「何とか何とか…ハッ」と切られちゃうから振りが分かんなくなってぱっと切られると振りが余ってたり終わり方も違うし。
それは多分歌舞伎の方が分業制がはっきり確立されているからある種知らなくてもできちゃうっていうところあるでしょ?僕らは謡を自分たちも…時に地謡もしたり謡を歌うしそういうふうにして全部お囃子もほとんど習うしという事があるので多分もう謡で取るし。
僕がいいなと思うのは狂言は自分で身ひとつ。
衣装もご自前じゃないですか。
で着せっこするじゃないですか。
最低2人とかでもできますでしょ?まあね。
スーツケースに衣装だけ詰め込めばね。
それで狂言の本質を表せるじゃないですか。
ある意味歌舞伎の本質表して下さいって言うといくら素で踊っても…。
やっぱり歌舞伎というと豪華な衣装白く塗るにぎやかな音楽。
これ必然的に場所が限られてくるじゃないですか。
そういう意味で言うといや〜狂言とかお能みたいにこぢんまり本質を表現できたらなって憧れる事ありますよね。
まあそりゃ禅的といえば禅とかそういう中世の発想とやっぱり江戸時代の一種商業的な文化のこうねお金がかかるような…。
こっちは何かこうわびさびの武士道精神ですからね。
4歳で初めて舞台に立った猿之助。
天才子役の名をほしいままにした。
こちらは11歳の時の映像。
踊りを踊らせたら大人顔負け。
女形としても高い評価を得る。
歌舞伎の道を歩むのに迷った事は一度もない。
一方萬斎はロック・ミュージシャンを夢みていた。
「船人…」。
「船人も」!狂言師の家に生まれた事への反発と葛藤を常に抱えていた。
僕はどっちかって言うと稽古はね一般的には厳しいといわれるぐらいだし親に調教されるような稽古だったからそんな楽しいものではなかったしロックはねやっぱりそりゃあキャーキャー言ってもらえるんじゃないか…。
まあそういう事とかね。
じゃあもしかしたら狂言でキャーキャー言われなかったらロックへ行ってたかもしれない?そうですね。
でもだから僕はそういうキャーキャーも好きなんで結構歌舞伎役者にもなりたいなっていう…。
なりたいなっていうよりも歌舞伎役者って気持ちいいだろうなというふうに思う事はありますよ。
何か聞くところによると歌舞伎はとにかく大好き?大好きだったですね!僕はそれは幸せだったと思うんです。
たまたまだと思うんですね。
遊んでくれたんですよね。
厳しいだけじゃなく。
スタッフさんとか大道具さんとか衣装さんが。
割と昔は今と違って怒りながら教えてくれるみたいな事あるじゃないですか。
衣装またいだら怒られたりとか三味線またいだら怒られるとか。
まあそういう事が楽しく感じちゃったんでしょうね。
4歳の時に「義経千本桜」の安徳天皇で辞世の句を内侍局とみな底へ沈む前に言うとお客がわ〜っと湧いたんですよ。
あぁ〜気持ちいいと思ってそこからやめられなくなって。
波の底にも都ありとは。
(感心して喜ぶ内侍局)お客様に喜んで頂く事でうれしいと思い始めたな。
初めて台詞を言う役がもう4歳で来るんですけど「いろは」っていうんですけどね。
訳も分からなく僕らは口伝えで親が言ったのをまねして台詞は覚える訳ですけれども本なんか当然読めないからね。
何も意味も分からずしゃべっているのを本番でそれをしゃべるとお客さんが笑ったんでそれを聞いて舞台で笑ったというのは聞くんですね。
お客さんが笑ったら演じている僕が笑った…。
それは何かしめたと思ったんですかね?…ですかね。
何かそういう現象にお客さんが笑うって事に楽しくなっちゃったっていうのがあったようです。
それが今の根本的な原体験としてありますか?今も。
そうですね。
やっぱりやって笑って頂く…。
お客さんの反応が好きですよね。
3歳の初舞台。
猿の面をかぶっているのが萬斎だ。
「靭猿」という曲のお猿さんの役で出るっていうねまあ猿まねですけど。
猿回しの猿の役ですから。
お猿さんより逆立ちもできないような3歳児なんて大した事ないですけどね。
猿やってるとか覚えてますか?3歳の…。
猿はねあんまり覚えてないけど…僕の場合はウルトラ怪獣っていうのをたくさんもらってね。
初舞台の時には周りの人からたくさんもらうから一気にウルトラ怪獣園みたいな事になる訳さ。
それは狂言の方のしきたりなんですか?3歳で「靭猿」へ出る…。
特にうち野村家の伝統で「猿に始まり狐に終わる」という…。
「釣狐」?そうですね。
「靭猿」で初舞台を踏んで「釣狐」で。
「釣狐」。
狂言師としての技能の全てとマラソン並みの体力を要求される作品だ。
猟師に一族を次々と殺された古狐が猟師の伯父に化け殺生をやめさせようとする。
しかし猟師の仕掛けた油揚げのわなを見つけ思わず手を出してしまう。
面をつけ着ぐるみを着て1時間にわたって狐になりきらなくてはならない。
(狐の鳴き声)「釣狐」の狐っていうのはどういう狐なんですか?何を表すんですか?修業の段階の中でお猿さんというまあ一種獣から始まって獣の芸で終わるっていう。
まあ人間を本来演じる事なんでしょうけども何か…特に狂言はモノマネ芸から始まってるという歴史があった時にモノマネの根源として身近にいるもの。
人間もそうですけど動物も含めてまねしよう。
しかも狂言の場合は名前のない身の回りの人間を演じるというところがあるので…面白いですねそれは。
普通だったら神様の役とかなんだけどそこが面白いですね。
人物とかじゃなくね…。
人間の…そういう意味でいうと欲望にも似ているようなものを狐を通して表しているような感じもしますよね。
狐は猿之助にとっても当たり役の一つ。
「義経千本桜」の狐忠信。
母を殺された子狐が侍に化け鼓にされた母を取り戻そうとする。
狐が乗り移ったかのような激しい動きに加え早変わりや階段抜けなど見せ場が満載だ。
この役も体力の限界との闘いだ。
やっとの事で鼓になった母を取り返した子狐。
鼓を抱え狐は宙乗りで去っていく。
こっちで言うと「義経千本桜」で描かれる狐は乱世人が人を裏切り親が子を殺し子が親を殺し…。
まあ今現代に通じるような殺伐とした中で…人間が一番持っているべき心を狐が持ってたっていう事で皮肉っぽく描く事によってあぶり出すみたいな感じで「一番人間らしいのは狐じゃん」みたいな…。
面白いね。
変身!弁護士を主人公にしたコメディードラマ「そこをなんとか」。
そうだ。
電話といえば通話記録は調べたんですか?通話記録?何の?ちょっと癖のある敏腕弁護士役を好演した。
村松さんの証言の裏取ってないんですか?もし犯行があったとされる時刻に通話していたらその女子大生は痴漢の被害に遭いながらのんきに電話をしていたって事になりますよね。
舞台やドラマで猿之助と度々共演している佐々木蔵之介。
あるドラマに出演して頂いた時は日系アメリカ人三世の役で出て頂いて。
「あなた歌舞伎俳優でしょ」って思いながら突っ込みながら…。
何かホワイトボードで指しながら「この犯人が」じゃなくて「こやつが」っていうふうに言ってらっしゃいましたけども。
生まれた時からもう歌舞伎役者なので本人がおっしゃってたみたいに息吸うようにごはん食べるように芝居をすると。
遊びは劇場だと。
僕たちはお芝居するのが非日常なんですけどお芝居する事が普通に日常なんだという人たちとやっぱり違うなとは感じますね。
どうだろう?やっぱり歌舞伎の場合は日本の現代劇と歌舞伎の世話物であるとかっていうのは近似値っていうのはあるんじゃないですか?僕は…もう諦めたの?諦めました。
体に染みついたものは抜けません。
そう。
そんなね普通に歩いて下さいって普通に歩けないですもん。
僕らは。
僕は「ハムレット」やった時初めて靴を履いて芝居をしたって事が確かにあってそういう時どうやって立っていいか分からない。
だから立ち方から構え方から研究しなきゃっていうふうには思いましたけどね。
やっぱりそういうふうに思考なるでしょ?なります。
袖がないからね女形やった時に。
やっぱり僕らって常にたもとを使ってやってるけどしぐさがこう持とうとしたら何にもない訳なんですよ。
だからこのやり場に困るからどうしようみたいな…。
あとスカート初めてはいた訳ですよね。
蜷川さんのやつね。
蜷川さんの。
評判よかったじゃん。
ヒールじゃないですか。
これはしょうがないと思って。
袖になる代わりのものちょっとつけてもらってそれいじるしかないと思って…。
シェークスピアの名作「じゃじゃ馬馴らし」。
猿之助は跳ねっ返りの資産家の娘キャタリーナを演じた。
さっきから私をからかってたのね。
お願いケイト。
手をほどいて。
ふざけてる。
今ふざけてると言ったわね。
何してるの?
(笑い)ふざけてるならね今までもずっとふざけてるからよ!それでやっぱり僕を呼んで頂くからには歌舞伎の味を全部消してしまっては…。
だったらほかの人でもいい訳でなのでとりあえずザットイズ歌舞伎でやってみてそこからそれを何%薄めて下さいっていう事はしますけどそれを全部やめて下さいっていう人は今まで幸いな事にいらっしゃいませんでしたね。
なのでそこはこだわっていこうかなって。
そうしないと僕の存在意義もないし何か不安になっちゃいます。
まあね。
そうそうそう…。
それを引き寄せた方がやりやすいんですけどだんだんそれじゃいけないかなと思ってちょっと出ていくとちょっとやけどするかなって気もしますね。
確かにね。
じゃあ今度やけどさせて下さい。
そうね。
今誰が言った!吉田茂の生涯を描いたドラマ「負けて、勝つ」。
萬斎は近衛文麿役を演じた。
マッカーサー元帥に擦り寄っていると君たちが話している事を!敗戦後服毒自殺に至るまでの文麿の揺れる心理を巧みに演じきった。
君か?君か!?新たに挑んでいるのは「ドン・キホーテ」。
400年前の物語を現代によみがえらせる。
すごいですね。
お邪魔します。
(一同)お願いします。
白い服を着てるのは大駱駝艦の皆さんです。
ああだから…。
お坊さんかと思ったら…。
すごいですね。
とっぴな妄想にとらわれた滑稽な男ドン・キホーテ。
彼が現代に現れたら何と戦うのか。
演出主演を兼ねる萬斎は狂言の精神や型を巧みに応用する。
(ロバのいななき)「ドン・キホーテ」を通じて現代の人間の在り方をふかんしてみようという試みだ。
馬に乗ってるっていうかロバに乗ってる動きってのをもうちょっと…ロバは割合こうでも…。
こういう足を入れると…。
かかとの上がった。
うんうん。
誰もが知っている有名な物語から誰も見た事がない舞台を生み出したいと言う。
僕ね今まで演じたのが夏目漱石とかねあとまあ昭和天皇をさせて頂いた事もありますけどそこら辺までですね。
ほぼ戦前までの人しか僕やった事がなくて戦後の人って演じた事ないですよ。
じゃあこういう現代劇にご出演なさった時にカルチャーショックはなかったですか?女優さんと絡む事は少ないとか世話であるとか泣くとか恋愛っていうジャンルはどうもどちらかと言うとお能に任せていたせいかあまりないんですね。
そしてあまりに省略しているからもうちょっと具体的な現代劇みたいになると「えっ椅子に腰掛けるんだ」とか「本当にグラスで酒飲むんだ!」っていうねそういう事に戸惑いを覚えたりしますけど。
狂言には女性とか出てきませんしそれは歌舞伎も女形ですけどね。
ぬれ場とかあんまりそういうのはないんですよ。
恋愛事は。
だから女優さんと抱き合ったりしないといけないとかそういうのがまず僕はハードルになるんですけどそういうのは全然大丈夫ですか?でもこちらは多少どこ触っても乱暴に扱っても男性ですけどやっぱり女性はねむやみやたらに…やっぱりそこは気ぃ遣いますよね。
だから妙に緊張しますよね。
色事どころじゃないですよね。
僕一番困るのが「ふだんどおりやって下さい。
いつものあなたでいいですよ」って言われるのが一番困りましたね。
何か僕らはやっぱり型を通して日常的な芝居であろうとふだんの日常は置き去ってそれで演じろっていうふうに仕込まれてきたので。
型っていうのはねある人が言ったのはものを学ぶ上での最短コースだと。
型があるからこそ短時間で習得できるっていう事。
だから今おっしゃったように小さい頃にものを習うっていうのは型があればこそ覚えやすいっていう面もある。
でも年齢が長じていく重ねていくにつれて葛藤はなかったですか?僕らは泣くっていう時にはほぼしおるという型をするしまた狂言ですと「え〜へっへっへ…」というだけでほとんど実際に涙が流れるっていう事はないんですよ。
「え〜へっへっへ…」。
だけども映像も含めてやっぱり涙を流せって言われるし流さないとうそっぽいって事もあると狂言の舞台でもそういう時になるとホントに涙が流れちゃうとかっていう事…。
まあでも流れていけなくもないけどどこか狂言はそういうところからもう離れてるんじゃないかなと思う事あるし。
これは役者のタイプとして「気持ちの流れとしてその台詞は言えない」っておっしゃる方いるじゃないですか。
僕歌舞伎役者でそういう人を今まで見た事ないんですよ。
歌舞伎役者ってどんなセリフだろうがこう読んで下さいって言うと何かそれらしくやってしまう。
そこに気持ちが全然途絶えてても。
だからそこが狂言でも似てるのはおっしゃったように…実はリアルリアルって言ってる現代劇の方がリアルではないんじゃないかという…。
そうですね。
身につけた型が武器として使えるようになるまでには長い年月が必要だ。
長男の…萬斎と同じく3歳で初舞台を踏んだ。
遅い。
「ござる。
まず親じゃ人へ…」。
「いでたっておじゃる」。
もっとスッと引いて。
出る勢い。
スッ。
狂言の人気演目「二人袴」。
世間知らずの婿が1人でしゅうとの家に挨拶に行くのを恥ずかしがり父親に付き添ってもらう。
2人一緒に家に入るよう言われるが袴が1着しかなく2つに裂いて取り繕おうとする。
(2人)「えいえいや〜とな」。
(笑い声)「申し申し」。
そういうとこは確実に手で取って下さい。
こうじゃない。
肘下げてんだよ。
よく観察しろ。
もう一回見てごらん。
まねなよ。
モノマネ。
先生のまねができない人は駄目。
こう。
ほら。
こうやって横から見てごらん。
明らかに袴が前に来てるでしょ。
ここわざと距離空けてるでしょ。
これはピッとこうくっつけてんだよ。
「申し申し」。
ポンポン。
その動きがはっきりしないと面白くない。
まあ楽しくはないけどどっちかって言うと好きなんじゃないかな。
昔おじいちゃんに教えてもらっていた父さんっていうのはやっぱり…おじいちゃんがすごい怖かったりしたからだと思うんですけどだって家に帰ったら稽古みたいな感じになってたっていうのはやっぱりすごいと思うし。
僕はちゃんと日程を決めてとかそういう事でちゃんと話し合って稽古をしてたりするので。
1週間後に迎えた本番。
問題の袴を取り繕う場面。
申し申し。
両人ご一緒においでなされりと申しまする。
(2人)えいえいや〜とな。
(笑い声)申し申し。
早うおいでなされいと申しまする。
声を出す事で日々発散できないものが発散できたりとかそういう事もあるので。
そういう使命を何か持ってたりとかする事がある意味いいと思うしそういう事があった事に親に感謝はしないといけないかなと思います。
まっとうに育ってる。
俺は「何でこんなとこに生まれたんだろう」ってずっと思ってたんだけど。
でも面白いですね。
この発散できるって。
声を出す事によって。
しかも日程を話し合ってというのがいいですよね。
現代の親子の在り方ですよね。
昔の修業のVTRとか見るとそんな日程とかじゃなくて帰ってきて「座れ!」ってこうじゃないですか。
まあ運動会とかも突然「早引けだ」とか「今日は舞台だ」とかあってそれから林間学校も「今回は休め」とか言われたりすると「何で?」って思ったりしてね。
そういう意味で言うと…僕はだから狂言師の家に生まれたって事をあんまりうれしく思ってなかったですね。
僕はご子息と同じように人と違う事が嫌じゃなくて違う事やったいいなぁと思えました。
だからどう捉えるかですよね。
そうか。
ここの今の性格の違いもそこにあるのかもしれないね。
僕はどっちかって言うと人と同じところが…もちろん違うって事は承知した上でどこか同じでいたいって思うから現代劇をやるとかっていう事に対しても何か同じ土俵に乗りたいなとか思うんだけど割合我が道を行かれるタイプね。
1994年ロンドン。
28歳の萬斎は突破口を求めて海を渡った。
シェークスピア劇の本場で狂言を現代に生かすヒントを探ろうとした。
その経験を足掛かりに海外に進出。
シェークスピアを狂言に仕立て本場イギリスでも喝采を受けた。
猿之助もまた幾度となく海外公演を経験している。
シェークスピアの「十二夜」を歌舞伎で演じた事もある。
歌舞伎で海外はもう何度も行かれていると思いますけれどいかがですか?ありがたい事に歌舞伎というブランドが歌舞伎イコールすごいと思ってるからある意味水戸黄門の印籠みたいなので下手すると歌舞伎って言って違うものやっても「オ〜歌舞伎」みたいな。
芸者富士歌舞伎みたいな。
腹切り侍みたいな。
そうなってしまう可能性が僕はあると思うんですよ。
でも単純に僕ら地味な芸能で行くよりまあくま取りしてあれだけのでっかい衣装でバ〜ンって出てきたらそれはある種言語すべてを超えて「これはなんじゃ!」っていう驚かしというか一種見せ物としてもショーとしてのインパクトっていうのはよくできてるもんだなと思いますけど。
ありがたいけれどもそこがちょっと僕は危険だなと思って。
じゃあ海外に何でも行って「絶賛された絶賛された。
やっぱり歌舞伎すばらしいんだ」となってしまうから。
そうなると歌舞伎の本質を見誤ってしまうので…。
今や日本も世界の一部だと思うので日本でしっかりやんないとこれからはいけないなという感じはしてます。
例えば日本っていうのはすごい珍しい国らしくて全世界的に見ると。
それこそ平安の頃のですよ雅楽とか舞楽とかそういうものもありまあ室町の頃の能狂言もあれば江戸時代に歌舞伎や人形浄瑠璃がありそして新劇がありアングラがあり…。
ホントにすだれ式に全部がその相手を否定する事なく逆に言うと僕らも舞楽や雅楽の影響を受けて舞に取り入れたり。
そして僕らの影響が多少なりとも歌舞伎や文楽にも入っていって…。
例えばそういうふうなグラデーションが起こっている。
だからホントにパレットとして広い。
ですからホントに僕が思うのはいつも海外の演出家が日本からいろいろ一種搾取してる。
佐渡の金山じゃないけど演劇の金山である日本からいろんな手法を取っていって今世界に打って出てる気もするんですね。
ジャンルを超えてやっぱり通用するな。
これは国境をも超えてあらゆる演劇に伝わるんじゃないかとかヒントになるんじゃないか。
そういう要素っていうのはありますか?狂言の中で。
何もない空間で演じるっていう事。
つまり何もないっていう事は逆に言うと皆さんの想像の余地があるからどう捉えてもいいし逆に具体的なものを出せば食べ物一つ…茶わんすら僕ら出さない時がありますから。
ほとんど扇だけで飲むとか。
まあそういうような事も含めて…だから僕ねブルーバックの撮影って得意なんですよ。
いわゆる合成ですよね。
ここに大きな敵がいるといった時にこれじゃあ大きいにならない。
こうやると大きな敵がいるように見えるっていう僕らは想像でそういうのを出さなくても大きな敵と対しているんだという。
常に体で表現する事が身についているので割合そういうブルーバックCG系の演技っていうのはできますね。
うわ!一つの手段として声と体のバリエーションというものが一種様式的に。
つまり生な演技ではなくてあるという事。
謡であるとか舞であるとかっていうそういう方法論を身につけている。
僕らはやっぱりオールマイティーだ。
特に狂言師はオールマイティーな強さがあるというのが僕の中ではかなりアドバンテージだとは思いますけれど。
狂言には登場人物の第一声として度々出てくる台詞がある。
「この辺りの者」。
それは特定の誰かではなく観客と変わりないどこにでもいる人間という意味だ。
やっぱり人間の心をちゃんと…特に狂言の場合「この辺りの者でござる」という精神があるのでそれこそニューヨークへ行こうがロンドンへ行こうが「この辺りの者でござる」。
時代も文化も超えて「この辺りの者でござる」って言えるという人間の普遍性を押さえていないといけないなと。
まあそこら辺がヒントでしょうね。
人間の心が変わんないからこそ。
でももしかしたら今現状を見てると変わりつつあっちゃうのかもしれないし。
そうするとそういう普遍性に根ざしてる伝統芸能はどうなるのか。
だから200年後ぐらいにお化けになって出てきて見てみたいですね。
この歌舞伎と狂言がどうなってるかっていうのを。
今まで続いてきたものだからそんなに簡単にも崩れないものではないかなという気がするんですよね。
先輩からいろいろ習う型があるっていった時にね型というものをふんどしにそれこそ例えるとふんどしをず〜っといろんな人がはいてきた。
いろんな体形の人がいただろうと。
そうするとかなりでかい訳ですよ。
僕らの感覚で言うととにかくそっちに合わせて太らなきゃいけない。
つまり自分の可能性というか自分の持っているものだけではなくて先人たちが築いてきた…何か自分の可能性っていうものを大きくする。
個人一人で考えたらこれっぽっちのものもやっぱりその数百年の伝統に合わせていけば太る事でそれがこれからの未来で闘える一つの方策になるんじゃないかなみたいな。
僕はこれ1回どっかで言ってすごいひんしゅくを買ったんだけど歌舞伎の未来なんか知ったこっちゃないというのが僕の別に…。
アハハハハハッ!まあ無責任なように見えるけれども僕は震災があってねやはり日本。
未来を語るのはね不遜のような気がしたんですよ。
将来歌舞伎はこうなりたいというのは世の中があってという当たり前の前提で語っているようにね。
あれを体験した時にいやそうじゃないんだと。
もしかしたら明日失う命かもしれないからとりあえず今のお客様これをどうやって喜んで頂くか。
そしてあとは勝手に考えるだろうって後継者たちが。
そういう姿を見てくれてれば。
そこで滅びれば歌舞伎はそれだけの力しかなかったと。
だから先輩から譲り受けたのを次世代に受け渡す事は最低限と責任とそれはある。
預かった荷物を渡す。
まあそれ以上は知らないというのがね僕の素直な…。
または次の人たちに全部がんじがらめにしてもかわいそうだし時代もあるだろうし。
でもまあそうですね。
一瞬一瞬しか僕ら残らない芸をしていますしね。
ただまあじゃあ古典だけでも済まないじゃん?僕は何かね現代劇という違う新しい血を吸いたいという気がするけど。
どちらかと言うとスーパー歌舞伎は新しい血を吸いつつ歌舞伎にフィードバックする事がもっとダイレクトに行ってる気がするのね。
それはかなりある種の未来志向な気もするんだけど。
僕は何か直接的に狂言にはあんまり持ち込めない。
そこが歌舞伎と狂言のちょっと違いかもしれないんですけど。
何かものの考え方とかそういう精神みたいなものを受けた上で狂言っていうシンプルな中にスパイスを効かせるというイメージなんですけど。
僕はこれ伯父から言われたんです。
だから客を入れる芝居を作りなさい。
これだけです。
僕はそれを伯父に見習って。
理屈なんかいいと。
なるほど。
客席が満杯になればいいという事を言われたんでもう後輩たちには何やってもいいと。
客を常に満杯にしろという事を伝えたいです。
羨ましいですねえ。
何か自由な感じがするなあ。
狂言師野村萬斎47歳。
歌舞伎俳優市川猿之助38歳。
それぞれに型を守り時に型をはみ出しながら時代の華であり続ける。
2014/03/01(土) 22:00〜23:00
NHKEテレ1大阪
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「野村萬斎×市川猿之助」[字]

狂言界の永遠の貴公子・野村萬斎と歌舞伎界異端の花形・市川猿之助の初顔合わせ。話してビックリ、お互いの違いばかりが明らかに。やがて猿之助の衝撃発言も飛び出して!?

詳細情報
番組内容
「どちらも同じ古典芸能でしょ」とお思いのあなた! 「こんなに違うんだ」と驚くこと請け合い。「三味線が入ると、どう動いていいか分からない」と萬斎が言えば、猿之助は「三味線がないとタイミングが取れない。狂言の謡はお経にしか聞こえない」。現代ドラマ出演時の爆笑秘話から、名作のディープな舞台裏まで、縦横無尽に語り尽くす。そして「歌舞伎の未来がどうなろうが知ったこっちゃない」という衝撃発言の真意とは…。
出演者
【出演】狂言師…野村萬斎,歌舞伎俳優…市川猿之助,佐々木蔵之介,【語り】吉田羊,六角精児

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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