ETV特集 アンコール「若きビジネスマンが挑んだ農業再生550日」 2014.02.15

名物のイチゴは3月が最盛期。
農家は家族総出で出荷に追われていました。
あの日津波は全てを飲み込みます。
24軒の農家は生活の糧だったビニールハウスを流され僅かな蓄えを削りながら生きていました。
震災から8か月が過ぎた頃失われつつあった農業のともし火がともります。
全国からボランティアが集い被災した農家の支援に動き出したのです。
せ〜の!強い海風の中サッカーグラウンド18面もの広大な農地に土壌の塩を抜く効果があるというナノハナの種をまいていきます。
この地で再び農業に歩み出してほしい。
そんな願いが込められていました。
陣頭指揮を執るのは眼鏡がトレードマークの若きビジネスマン。
京都で農業ベンチャー「マイファーム」を起業し震災後は農家の支援に駆け回ってきました。
西辻さんの真骨頂は津波で塩をかぶった農地をよみがえらせる事。
震災から半年もたたないうちに各地で諦めかけていた農業を再開させました。
その手腕は高く評価され被災地の農業を救う救世主と目されていました。
しかし…。
なんかその…すごい悔しくて。
西辻さんの前に立ちはだかったのは被災地が抱える厳しい現実。
一向に進まない行政の復興計画。
思いもよらない農家の反発。
「復興」という言葉を信じて挑み続けた若きビジネスマンの550日。
被災地の農業再生に懸ける日々を追いました。
震災から半月たった昨年3月下旬。
降り立ったのはかつて見渡す限りの田んぼが広がっていた仙台平野の一角。
豊かな実りを約束してくれた東北の農地。
その変わり果てた姿を西辻さんは目の当たりにしました。
西辻一真さんは福井県の山あいで育ち幼い頃から裏庭の畑で野菜作りに慣れ親しんできました。
小学校に通うようになってからある疑問が湧いてきます。
それは近所に広がる耕作放棄地の存在。
農業を諦め放置された農地の事です。
農業に関する法律や土壌学を学んだ西辻さん。
卒業後2007年に農業ベンチャーマイファームを立ち上げます。
会社の理念に掲げたのは耕作放棄地の根絶でした。
そのために西辻さんは新たなビジネスモデルを生み出します。
農家から耕作放棄地を借り土壌改良したのち体験農園として貸し出します。
収益の一部は農家に還元。
荒れた農地を再生させ少しでも日本の農業を元気にしたい。
その思いで集まった同世代のスタッフ20名。
創業から4年で体験農園の数は60を超え年商は2億円近くに達します。
農業界に新たな風を巻き起こし急成長を遂げてきました。
昨年10月。
震災から半年が過ぎた岩手県陸前高田市。
がれきを取り除いても土は大量の塩分を含んだまま。
国は塩の除去に3年かかるとしています。
しかし生きるすべを失った農家にとってそれを待つ事は不可能でした。
早期の塩害解決に向けて西辻さんは動きました。
この畑はビニールハウスこそ流されなかったものの深さ1mの海水につかりました。
土には基準値の10倍に達する塩分が含まれていました。
西辻さんが持ち込んだのは塩害除去剤。
耕作放棄地の土壌改良の経験を生かし開発しました。
海洋微生物とサンゴを混ぜ合わせたものです。
農家が見つめる中除去剤の効果を試す実験が始まります。
1か月間おいたのち作物の植え付けへ。
あえて塩害に弱いとされるハツカダイコンの種をまきます。
6週間後成長は少し遅れましたが土の中では小さなダイコンが育ちました。
津波をかぶった土地でも作物は実る。
農家にとって大きな一歩でした。
試験的に植えた作物が今では多くの農家に栽培され町の復興のシンボルとなりました。
被災地の農業を次々と再生させる若きビジネスマン。
国の復興計画が遅れる中で一躍時の人となったのです。
陸前高田での実験開始から1か月。
西辻さんが次に向かったのが宮城県亘理町です。
塩害除去剤を散布した農地にナノハナの種をまくイベントが開催されました。
農家とボランティア総勢100名が集まり震災1年目の春に黄色い花の絨毯を咲かせようとしていました。
西辻さんを亘理町に呼んだ1人イチゴの専業農家齋藤正一さんです。
仙台平野の海岸部に位置する亘理町は震災前風光明美な松林と肥沃な田園地帯が広がる日本有数のイチゴ産地でした。
250軒のイチゴ農家が1パック2,000円の高級イチゴを栽培。
朝4時に作業を開始して終わるのは夜10時。
それが毎日の日課でした。
40年以上イチゴ作りを続けてきた齋藤さん。
津波で自宅と11棟のビニールハウスを流されました。
今は自宅のあった場所から3km離れた高台の仮設住宅で妻の京子さんと2人暮らしです。
ごめんなさいいっぱい散らかってます。
あははっいいのに…。
震災後がれきに埋もれたたんすの中に大切にしていたアルバムが残っていました。
齋藤さんは地区の会長を務め24軒の農家を束ねていました。
齋藤さんの作るイチゴは味がいいと仲間うちでも評判でした。
代々続く農家の7代目。
跡を継ぐ息子や孫にも恵まれていました。
しかし震災はそんな齋藤さんの生活を一瞬にして奪い去ります。
跡継ぎだった和樹さんはイチゴ農家をやめ土木会社に就職。
現在は仙台で暮らしています。
実は亘理町は震災後すぐにイチゴ農家救済のプランを作成していました。
国の復興予算を使って震災の翌年にはイチゴ団地を新たに作る事を計画。
当初農家は負担金ゼロ誰でも加入できる事を目指していました。
しかし予定していた総額154億円の予算は復興庁の査定によって4分の1がカット。
111億円となります。
町議会で担当の農林水産課長は計画を縮小し農家の数を絞り込む方針を表明せざるを得ませんでした。
「いろいろと国の方の規制がありまして最初の要望とはずんずん絞り込んできております」。
町が挙げたイチゴ団地加入の条件は後継者がいる事。
更に最低5年は続けその後土地を全て買い取るという被災した農家にとっては厳しいものでした。
結局亘理町のイチゴ農家のうち団地に加入できたのは4割にあたる99軒でした。
(取材者)毎日ゴミ拾われてるんですか?うんずっとね。
齋藤さんもイチゴ作りの夢を絶たれ震災以降がれき拾いのアルバイトで生計を立てています。
町のブランドイチゴを支えてきた農家の人たち。
復興計画の縮小によって生活再建を阻まれる事となったのです。
塩害農地を再生させ農家の気持ちを奮い立たせてきた西辻さん。
被災地を回る中で国の支援が行き届かない農家の生活を何とか立て直せないか考えていました。
農地の再生から人の営みの再生へ。
進まない行政に代わって農家が本来の営みを取り戻せるモデル作りをこの時模索していました。
ナノハナの種をまいてから3か月が過ぎた今年2月下旬。
塩を除去したはずの畑で異変が起こります。
みんなでまいたナノハナが枯れていました。
顔を出した芽も重い砂がかぶさり成長不良に陥っていました。
原因は防風林がなくなったため冬の間強い海風が吹き荒れ砂を巻き上げた事。
震災前海岸線には幅300mもの防風林が広がっていました。
予期せぬ形で津波の被害の深刻さが露呈したのです。
ナノハナを楽しみにしていた農家たちには更につらい現実が突き刺さります。
がれき拾いのアルバイトが予算不足で突如1週間後に打ち切りになるというのです。
農業再開の見通しは全く立たないまま唯一の収入源も断たれる事になりました。
農家から連絡を受けた西辻さんが京都の本社から駆けつけました。
農家たちを集め急遽練り上げたプランを伝えます。
まず農家同士による組合農事組合法人を作ります。
必要なトラクターやビニールハウスなどが共同で使えるようになり最初の費用は行政からの交付金で賄います。
次に出来上がった作物の流通先を確保。
そうすれば来年以降も継続して農業を続ける事ができます。
西辻さんは「行政の支援」と「流通先」この2つを確保すると約束します。
自分の会社から出資はせず農家の自立を促す計画でした。
西辻さんが次に向かったのは亘理町役場。
国の交付金を申請するためにやって来ました。
農業担当者に作成した資料で説明をします。
そこには「水利のかからない農作物栽培」と記されていました。
齋藤さんたちの畑では水路や水まきの設備が壊れているため現時点ではイチゴの栽培はできません。
その打開策として水利の必要がない加工用のトマトを考えます。
狙ったのは全額支援を受けられる東日本大震災復興交付金です。
町は既にイチゴ団地で復興交付金を申請しており急遽出された加工用トマトを追加で申請する事はできないと言います。
それならと西辻さんは半額の支援が受けられる農業生産対策交付金を提案します。
こちらの交付金は申請可能。
提出書類が渡されます。
西辻さんは直ちに資料作りを開始します。
農家が自立し営みを取り戻してほしい。
西辻さんはそれが可能となるモデルを作り成功すれば他の被災地にも適用できると考えていました。
4時間後役場への提出を終えます。
この日から西辻さんの新たな挑戦である被災農家たちの組合がスタートしたのです。
31名の農家が集まり農事組合がスタートしました。
まずは使わなくなったビニールハウスを近所の農家から借りて加工用トマトの苗作り。
地面を這うように成長し海からの強い風にも耐えられる品種を選びました。
苗にまく水は水利施設が復旧しておらず3km離れた場所からくんできます。
電気も使えないため動力は発電機を使用。
苗を移し替える畑は塩害除去剤で塩を抜いたものの耕すたびに重いアスファルトのかけらが現れます。
慣れない作業の連続。
それでも齋藤さんは懸命に前を向いていました。
西辻さんは組合の資金繰りを続けていました。
国の交付金が半額になったため他に融資してくれるところを探さなければならなくなったのです。
トラクターや人件費など最初にかかる費用は1,530万円。
国からの交付金はその半額。
残りの半額765万円を調達しなければなりません。
そこで目をつけたのは収穫したトマトを卸す流通先です。
栽培契約を結びトマトの代金を前払いでもらおうと計画しました。
資金の調達先を確保するまであと僅か。
組合のモデル作りは完成間近でした。
農事組合がスタートしておよそ1か月がたちました。
組合をサポートしているボランティアスタッフから思わぬ知らせが伝えられます。
組合設立から僅か1か月で多くの農家が辞めてしまったというのです。
31名いた農家は9名に減っていました。
理由は4月分の給料が払えなかった事。
国に申請した765万円の交付金の決定が延びお金が入らなかった事が理由でした。
実はこの頃復興庁の厳しい査定により交付金が出ないケースが続出していました。
宮城県で交付金を受けられた事業は57%にとどまりました。
組合に残った農家と今後の話し合いが持たれます。
震災前イチゴ農家はビニールハウス1棟で2,000万円もの費用がかかり多くはそのローンを今も抱えたままです。
生きるためのお金が欲しい。
農家の訴えは当然でした。
西辻さんは国の交付金765万円を自社で立て替えます。
組合は残った9名の農家で続けていく事になりました。
この日西辻さんは1週間ぶりに京都の本社に出勤しました。
おはようございます。
マイファームのビジネス基盤である体験農園は順調にその数を増やし震災以降60から80へと拡大していました。
しかし西辻さんは体験農園の事をほとんどスタッフに任せっきりにしていました。
更に亘理町の組合に資金を援助した頃から西辻さんとスタッフとの間に少しずつ距離が出始めます。
何もなかった畑にはビニールハウスが設置され農家の営みの形が少しずつ戻ってきました。
必要な農業機械は中古やリースでそろえました。
肝心の加工用トマトは強い海風にも負けず苗からの植え替えが完了。
順調に育ちます。
一方で国の交付金を立て替えたままの西辻さんにはまた1つ予期せぬ事が起きていました。
流通先からは栽培契約は結ぶがまだ実績のない組合に前金を出す事はできないと告げられました。
初期費用の全額1,530万円を西辻さんの会社が全て立て替える事となりました。
西辻さんの会社ではこの時期客からのあるクレームが増えていました。
被災地を救う事と会社を支える事。
その両立は難しくなっていました。
今年7月。
トマトが小さな実をつけた頃。
亘理町で緊急の会議が開かれようとしていました。
もっとです。
もっとです。
・「もっとです」?健康的でいいんじゃない。
沖縄に行ったようだ。
ははははっ。
じゃあ皆さんそろったという事でいきましょうかね。
今日はどうも皆さんありがとうございました忙しいところ。
西辻さん…いろいろあるとは思うんですけども。
(西辻)はいじゃあ僕の方からちょっと。
まあその今…千葉さんからお話し頂いたように僕って生まれた時からずっと農業農業って言ってきて何とか農業を復興したい再生させたいなって。
特に農地というところを何とかもう1回戻して活力ある農業を作っていきたいなってここまで子供の頃からずっとやってきてですね震災があってこっちに来たんですけども…。
実は僕6月30日付けでマイファームをクビになってます。
会社の事業が拡大する中本来業務に手が回らなくなった西辻さんに創業当時の仲間から「代表を降りてくれ」と告げられました。
6月の28日が僕30歳の誕生日で結婚記念日でもあってですね非常にめでたい日だったはずなんですけどまさかそこでこうなってしまって全然心の整理がついてなくて。
で今日ここに来ているっていうのがさっき千葉さん本音の状況でっていう話があったので。
ちょっと何も考えられてないっていうのが正直な話です。
なんかその…すごい悔しくて。
すいません。
(千葉)森さん齋藤さん何か。
(齋藤)今までさ西辻さんを頼ってきたんだからこれからも今までどおりにしてもらった方が我々も力強いしさそうしてもらいたいなっていう気持ちがあるのさ。
わざわざ今まで手をかけてきて一からずっとやってきてトマトもああいう状況になって成長してさようやく実もなるようになってきた状況の中でこれからもやっぱりバックアップとかしてもらいたいなとは思ってんの。
我々子供を育てるのと同じような状況になってるトマトだからさ。
みんなして心を込めてっていうかみんなで手がけてきたものだから。
会社を辞めれば西辻さんがこれまでのようにここに来る事は難しくなります。
設立から4か月組合は大きな曲がり角に立たされました。
震災後2度目の夏が終わろうとしていました。
齋藤さんにとって今年の夏は去年とは違う夏になりました。
齋藤さんは毎朝8時半に畑へと通う生活をしています。
トマトの実も大きくなり収穫は間近です。
イチゴをやめ思わぬ形で始まった農家としての再スタート。
その1年目の成果が出ようとしていました。
ほんでも去年の津波になったとここういうトマトで再生できたってのは俺はいいかなと思って。
復興できるんだなと思うよねやっぱ。
とにかくうまく作っていくのがこれからの課題だっぺな。
トマトが収穫を迎えた今年9月。
西辻さんはスタッフの一員として会社に残り月1回という条件付きで再び亘理町でのサポートを続ける事になりました。
(西辻)大丈夫ですこれで。
(西辻)あははっ了解です。
まだ近隣の畑は被災当時のまま。
農業が再開できていません。
予算不足によって町のイチゴ団地のスタートが延期となり団地に入る予定だったイチゴ農家たちがアルバイトに来ていました。
トマトは全体で7割の収穫を達成。
1年目のスタートとしては上々の結果です。
更に品質の良さが認められ来年度以降も栽培契約が結ばれました。
8月に国からの交付金765万円が下りる事が決定。
組合はようやく自分たちの足で歩み出します。
齋藤さんは農家として次の目標を見据えていました。
僕にとっての何がここの成功なんやろうってずっと今考えてたんですけどまだ成功してないって思ってるし。
どこが成功なのかもちろん見えてないんですけどまだまだ途中だな。
だから1年たってみて振り返っての感想って正直感想言えるまでじゃないですね。
楽しかったつらかったっていう過去形になるものじゃなくて現在進行形の話だなって思います。
逆に来年続いてたらもしかして僕1年後の感想とか言えるかもしれないですね。
あの時つらかったけどもこれだけやれたんだとか。
ここから実際にボランティアさんが就職してとか若い男の子が現場に入ってとかっていう話になればそういう感想を言えますけれども今はまだ言えないな。
何の成果も出てないんでね。
芽はあるかもしれないですけど。
とは思います。
はい。
あまりいい事言えなくてすいません。
この日西辻さんが齋藤さんたちと一緒に撮った写真です。
何もない畑での出会いからおよそ1年。
共に歩んできた末の笑顔。
東北の農家に営みを取り戻すためこれからも西辻さんの闘いは続きます。
2014/02/15(土) 15:00〜16:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集 アンコール「若きビジネスマンが挑んだ農業再生550日」[字]

2012年10月28日放送のアンコール。津波で潮をかぶった田畑で農地再生の支援を続ける西辻一真さん。復興行政の壁にぶつかりながら農業再生を夢見る日々を追った。

詳細情報
番組内容
東日本大震災の被災地で、塩害の農地を舞台に農業復興の支援を続ける西辻一真さん。全国の耕作放棄地を再生する農業ビジネスで注目された、若きビジネスマンだ。西辻さんは震災後、日本有数のイチゴ産地だった宮城県亘理町で活動を続けてきた。復興行政の壁、思いもよらない農家の反発、会社の仲間からの「被災地から撤退しろ」との声。もがき苦しみながら農業再生を夢見る日々を追ったドキュメント。
出演者
【語り】西村江太郎

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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