クローズアップ現代「東大紛争秘録〜45年目の真実〜」 2014.01.31

NHKが入手した原稿用紙およそ600枚に上る証言記録。
戦後史に残る事件の真相が語られています。

今月大学入試センター試験が行われた東京大学。

45年前日本中の視線がこの大学に注がれていました。
東大紛争です。
安田講堂に立てこもる学生たちを機動隊が実力で排除。
その年の東京大学の入試が中止になるという前代未聞の結果になりました。
戦後、守ってきた大学の自治。
それを揺るがす事態をなぜ招いたのか。
記録から浮かび上がるのは紛争の収拾に当たった教授たちが語る、その内実です。

教授たちが残した東大紛争の記録。
現代に問いかけるメッセージに迫ります。

こんばんは。
「クローズアップ現代」です。
今から45年前、全国各地で学生の反乱とでも言うべき大学紛争が続発していました。
高度経済成長の真っただ中で多くの若者たちが社会の矛盾や大学の在り方を問い声を上げていたのです。
東京大学の安田講堂での学生と機動隊との激しい攻防戦。
この映像が大学紛争を象徴するものとして記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
この東大紛争。
そもそもは、大学が決めた医学部の学生などへの退学を含む処分が不当だと訴えた学生の抗議行動に対し大学側が機動隊を導入したことから反発は助手、大学院生、学部学生など大学全体に広がっていきました。
大学による機動隊の導入は学問の自由を守るため戦後重視されてきた大学の自治を侵すものだと学生たちは見たのです。
大学の自治とは何か。
そして学問、研究の自由とは。
大学教育とは何か。
さまざまな問いかけが学生側から投げかけられましたが大学側と学生側との距離は広がるばかりで最終的には2日間にわたる安田講堂の攻防戦。
文部省の主導による東大入学試験の中止という結末を迎えてしまうことになります。
そして、その後大学への国からの指導や管理は次第に強まっていきました。
戦後の大学の在り方を大きく変えることになった東大紛争。
これまで大学側がどのような姿勢で紛争に向き合っていたのかはあまり語られていませんでしたがこのほど見つかった資料により責任者だった教授たちが紛争の最終局面をどう考えていたのかが明らかになりました。
結果的に、大学の在り方の大きな転換点となる判断はどのように生まれたのかをご覧いただきましょう。

東大紛争の知られざる記録は当時の教授の自宅に残されていました。

10年前に亡くなった植村泰忠さん。
東京大学理学部の物理学の教授でした。
その倉庫に、東大紛争の収拾に当たった教授たちの原稿用紙600枚にわたる証言記録が保管されていたのです。

若者たちの反乱の季節と呼ばれた1960年代。
日米安保条約。
ベトナム戦争。
全国の大学で学生たちが反対の声を上げていました。
その象徴が、東大紛争でした。
東大紛争は、医学部が学生を誤って処分したことがきっかけで広がりました。
誤りを認めようとしない大学に一部の学生が抗議。
すると、当時の総長は機動隊に出動を要請し学生たちを排除したのです。
当時、教養学部の助手で学生と共に行動していた最首悟さんです。
最首さんは、運動は当初「大学とは何か」「学問とは何か」という問いから始まったといいます。

しかし運動は次第に変質していきます。
東大以外の学生や活動家が参加するようになり安田講堂を占拠。
大混乱に陥っていったのです。
この混乱の収拾を任された教授たち。
今回見つかったのは彼らが紛争の直後に開いた座談会の記録です。
最高責任者の加藤一郎総長代行。
法学部の教授で46歳という異例の若さで東大のかじ取りを任されました。
加藤を補佐する執行部の教授たちも各学部から、よりすぐった人材。
記録を残していた植村もその一人でした。
座談会でのやり取りを正確に文字に起こした記録。
その大半は1969年1月の安田講堂への機動隊導入の経緯に費やされていました。
当初、執行部は大学の自治を守るためにあくまで学生との対話によって紛争を解決したいと考えていました。
執行部のナンバー2として加藤を補佐していた経済学部の大内力教授の発言です。

執行部は、学生側に対話のテーブルにつくよう再三にわたって呼びかけ集会も開きました。
医学部生の誤った処分の撤回など学生に譲歩する案も提示。
しかし学生側の足並みはそろわず事態を好転させることはできませんでした。
執行部にとって重圧となっていたのが著名な名誉教授たちでした。
戦後民主主義を代表する知識人で元総長の南原繁も、その一人です。
機動隊の力を借りてでも秩序の回復を急ぐべきだと主張していました。

ああいう名誉教授連中は早く警察を入れろということで毎朝のように南原先生から電話がかかってきてまだ入れないのかとずいぶんやられた。

さらに、この時期執行部を悩ませていたのは入試を実施できるかどうかという問題でした。
執行部にとってそれは機動隊導入の是非以上に切実なものでした。
新たな学生が入ってこなければ大学そのものの存続が危ぶまれるからです。

執行部は入試を実施するために機動隊を導入して紛争を解決する考えに次第に傾いていきました。
記録によると加藤は執行部の考えを伝えるために当時の坂田道太文部大臣にもひそかに接触し了解を得ていたといいます。
記録には2人が会った場所として「ムロイマヤ」という名前が記されていました。
私たちの取材で自宅を密談の場所として貸していたのはピアニストの室井摩耶子さんだったことが分かりました。
室井さんは2人の共通の知人でした。

当時、助教授として執行部を補佐していた石井紫郎さんです。
機動隊導入に傾いていった執行部の空気を記憶していました。

そして1969年1月。
執行部の要請で出動した機動隊は安田講堂を制圧し学生を排除しました。
しかし、これによって入試は実施できるという執行部の考えは国に受け入れられていたわけではありませんでした。
まさにこの日、執行部は文部省の幹部から入試の中止を強く迫られたのです。

結局、執行部は文部省に押し切られる形で入試の中止に追い込まれました。
さらに紛争の解決を機動隊に委ねたことでそれまで守ってきた大学の自治を大きく変質させる結果となったのです。
元文部大臣で当時、佐藤総理の側近として紛争の経過を間近で見ていた奥野誠亮さん、100歳です。
東大の入試の中止は国の主導によるものだったと証言しました。

執行部の一人法学部の坂本義和教授です。
座談会の中で、ただ一人加藤総長代行になぜ入試の中止を受け入れたのかその姿勢をただしていました。

東大紛争の終結から45年。
座談会に参加した当時の執行部のうちすでに5人は亡くなっています。
私たちは唯一存命の坂本義和さんを取材することができました。
病床に就いているためカメラでのインタビューはできませんでしたが思いを語ってくれました。

大学入試は大学が決めることで文部省に指図されることではなかったはずです。

そして坂本さんは当時学生たちとの対話によって紛争を解決できなかったことへの後悔を語りました。

今夜は戦中・戦後の歴史にお詳しく、評論家で麗澤大学教授の松本健一さんにお越しいただいています。
東大紛争が始まった1968年に3月に大学を卒業され、まさに学生の人たちと同世代、同時代を生きられたわけですけれども、資料を読み込んでいただきました。
どんな印象を持たれたでしょうか。

この資料の意味というのは、まず日本の戦争のときにも、権力者というものは記録を残さない、少し残っている資料も、戦争に負けたときに全部燃やしてしまうということがありました。
そしてまた3・11の大震災のあとの政府対応のあとでも、閣議決定ですとか、復興構想会議の資料というものは基本的に残っていないということですね。
どういう決断を誰がして、それがどういう失敗であったかということを、日本の権力構造というのは、しないような形で資料を残さないような形だったんですね。
ところが、この大学紛争も、たぶんそうだろうと私は想像していましたら、45年たって、こういう新しい資料が出てきたと。
学生側からの、例えば山本義隆とかですね、そういう人々の記録というもの、発言というものはちゃんと残ってますけれども、そうではなくて、大学当局の資料、どういう決断をして、あのときに例えば入試を取りやめたのかというふうな、そういう経過が今度、初めて資料として残っていると、資料の検討あるいは検証というものは、これからなされるでしょうけれども、しかし、そういう資料が残っていたということにおいてですね、戦争のときと、あるいは3・11の事故のとき、福島第一原発の事故のときなんかのと大きく違う状況がこの1つの資料によって、出てきたのではないかというふうに考えていますね。

その資料の中には、大学が、大学のことを自分たちで決める、この大学自治ということに対して、それがその守れなかったことへの責任への言及ですとかはほとんどありませんし、また学生たちが語りかけた、学問はなんのためにするものだろうかというような考察は入っていませんよね。
そうですね。
だからそれはまさに、大学行政を担当した執行部の記録であって、そのときに学生とどういう対話をしたのか。
学生が最初は、医学部処分という間違った処分ですけれども、そういうものをしたと。
しかし、それがあるときから全学的にノンポリの学生まで含んで、そしてまた社会の人々も今の映像を見ると、なんか暴力学生が戦ってるみたいな形で見えますけれども、その当時は、学生に対する同情とか、シンパシーというものが非常に強かったというふうに思いますし、私らがもうそのときには、例えば1月18日、19日の安田講堂事件があったときには、会社に勤めておりましたけれども、君は大学に戻んなくていいの?一人でこんなところで会社で仕事していていいの?というふうな形で、同情的に見てくれました。
ですから、そういう共感はあったと思います。
それは本当に全学的な支持があったし、そしてその世論もかなり支持があったということですけれども、何がそれほど支持を集めたんですかね?どういうことが学生たちへの?
医学部処分というのがですね、大学当局はしたわけですけども、それがまさに権力の構造でそういう撤回もしないと、非常に高圧的な態度であったというふうにいっても、それは一部の人々の反発を引き起こしただけにすぎないと思うんですね。
しかし、学生がそういう行動を起こすのは、学生が自分たちの職業を選ぶために、医師になるために医学部に行くと、あるいは弁護士になるために法学部に行くと、そういう形だけでいいのだろうか。
もっと言いますと、先ほど、高度成長ということばがありましたけれども、高度成長の時代に、一人一人がみんな産業戦士になって、これでまあ、日本を支えていったわけですけれども、果たして、それが学校で、大学でやる学問の根底なのかと。
自分の職業を選ぶことの問題なのかと、そうじゃなくて、大学の自治とか、あるいはなんのために学問をするのかとか、そしてそれは、その当時の教えられ方とすると、自己実現のため、自分の職業のためといわれてましたけども、明治の時代とか、あるいは中国の伝統的な学校というのは、学問をするのは自己実現ではなくて、社会に奉仕するためであると、社会をこういう方向に導いていったらいいという、そういう歴史的な蓄積、現実の直視というものがあって、学問をするんだということですね。
なんのために学問をするのかというふうなことが、ちょうど東京オリンピックをして、大阪万博がある、高度成長にいる、万々歳で世の中は進んでいくように見えた、職業もみんな誰も好きなところにいけたというふうに言っているけれども、実際にそれだけでいいのか。
産学共同路線ということばがあったんですけれども、そういうふうに産業界の要請する人間をつくるのが大学の役割なのかという疑問というか、自問みたいなものがそれはみんなにあったと思いますね。
今、改めて、この社会というものの中に、まだ閉塞感があったり、若者が就職しにくくなっていますけれども、こうした学生たちが上げた声っていうのが、今は聞かれないですね。
そうですね。
2014/01/31(金) 00:10〜00:36
NHK総合1・神戸
クローズアップ現代「東大紛争秘録〜45年目の真実〜」[字][再]

安田講堂陥落など人々に強烈な印象を刻んだ「東大紛争」。今回、NHKはこの紛争に関する第一級の資料を独自に入手した。戦後史の空白を埋めるスクープドキュメントである

詳細情報
番組内容
【ゲスト】麗澤大学教授…松本健一,【キャスター】国谷裕子
出演者
【ゲスト】麗澤大学教授…松本健一,【キャスター】国谷裕子

ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:30431(0x76DF)