おはようございます。
週刊ニュース深読みです。
きょうは記録的な大雪により、関東甲信の各地で起きた地区の孤立や農業の被害の問題、そしてソチオリンピックのメダリストたちのニュースなどをお伝えしてまいります。
後半の深読みパート、きょうは福島県から中継でお伝えします。
小野さん。
おはようございます。
おはようございます。
東北のハワイと呼ぶ人もいる福島県いわき市に来ています。
でも、けさの気温は現在6度。
暖かいというよりはむしろ身が引き締まるような冬の朝です。
私がお邪魔していますのは、広いキャンパスを持つ、いわき明星大学。
大学ですよ、その大学の端にある、高校です。
こちらには福島県立富岡高等学校、双葉翔陽高等学校、双葉高等学校という3つの高校が入っています。
実は東京電力福島第一原発の事故の影響で、現在も、この3つの町にある高校が、こちらのいわき市で避難を続けています。
きょう、福島県内、多くの高校は、卒業式なんです。
この3つの高校の生徒たちは、元の校舎で一度も学ぶことなく、きょうの卒業式の日を迎えました。
この3つの高校のうち、富岡高校の校舎をきょうはお借りしています。
中には中山アナウンサーがいます。
中山さん。
後半の深読みパートは、きょうはこちらの高校生や大学生にも参加してもらいます。
皆さん、おはようございます。
おはようございます。
みんなは、この緑や赤などの避難指示区域の中に自宅があるという皆さんなんです。
つまり、この外での避難生活が続いて、まもなく3年になるというわけなんですが、率直にどうなんでしょう?今、一番言いたいことっていうと、どんなことになりますか?
このような複雑な環境の中で生活していますが、楽しく暮らしています。
…もあるということなんですね。
こうしたみんなの声、きょうは、事前にいろんな高校生や大学生からも聞いています。
こうした声を含めて、若者たちがどんな思いを描いていて、どんな未来を見つけようとしているのか、本当のところの気持ち、なるたけしっかりとお伝えできればと思っております。
ではまずは、記録的な大雪についてです。
先月14日から降った大雪で、関東甲信の各地では、孤立する地区が相次ぎました。
孤立は山梨県や埼玉県など、合わせて42の市町村、最大で5464世帯、少なくとも7931人に広がりました。
今はほぼ解消しています。
今回、私が取材したのはこちら、山梨県の大月市、この大月市の山あいにある用沢地区という場所があるんですが、大雪から8日間にわたって孤立した住宅もありました。
孤立している間、住民に何が起きていたのか、そしてその厳しい状況をどう乗り切ったのか、取材しました。
雪の影響で一時孤立した山梨県大月市の用沢地区です。
今はこのように、路面の雪はなくなっています。
この住宅が集まっているこの場所から、山側に一本入った、ちょうどあの辺り、最後まで孤立していた場所だというんです。
行ってみます。
私がいた場所がこちら。
最後まで孤立していた場所は、そこから一本道を500メートルほど山側に入った所にあります。
向かう途中の道は。
ああ、山の斜面、まだ雪が残ってますね。
私の腰の下ぐらい、1メートル弱くらいでしょうか、積もっています。
こちらは雪かきをした跡でしょうか、泥だらけの雪が道の両側に積み上げられています。
佐藤玲子さん76歳です。
夫を亡くし、1人暮らしをしている佐藤さんも孤立しました。
1メートル50センチくらいですかね。
そうですね、はい。
雪の壁に阻まれ、佐藤さんは家から一歩も出られなくなってしまったというのです。
大雪から2週間近くたったこの日も、裏庭を見せてもらうと。
ああ、もうこれ、もう家の壁ギリギリまで雪がもう押し寄せてるような状況ですね、これ。
当時は窓の高さまで雪が積もり、なすすべもなく、雪がとけるのを待ったといいます。
孤立する中、佐藤さんはどのように過ごしていたのでしょうか。
電気や電話は使えて、外と連絡を取ることはできたといいますが、大変だったのは。
沢の水を引いていますが、まだ雪が残っていて修理ができません。
しかし、山あいの地区に1人で暮らす佐藤さん。
もしものときのために、水を備蓄していました。
孤立が長引くことを想定して、少しずつ使ったといいます。
防災用の?
防災用の。
食糧も日頃から備蓄していました。
保存していた野菜などを食べていましたが、孤立して3日目、この野菜を2階から降ろそうとしたときでした。
ひっくり返っちゃった?おけがはなかったんですか?
近所の人や救急車に来てもらうのは難しいと考え、助けを呼ぶことはできませんでした。
一人、痛みを我慢していた佐藤さん。
3日後ようやく、知人にけがのことを電話で話し、その知人から消防に情報が届けられたといいます。
そして孤立から6日目。
大雪のため、山梨県に応援に来ていた横浜市の消防のヘリコプターが、佐藤さんを救出することになったのです。
佐藤さんと連絡を取りながらも、雪に阻まれ、助けられなかったという近所の女性。
その様子を、自宅の窓から見ていました。
こうした中、佐藤さんの家につながる道の除雪も進められます。
これは孤立から8日目の映像。
雪かきをしているのは、近所の住民たちです。
同じ地区の孤立世帯を、自分たちの力で助け出そうと取り組んだのです。
幸い大きなけがではなかったという佐藤さん。
除雪された道を車で送ってもらい、今週火曜日、ようやく帰宅することができました。
記録的な大雪では、農業にも大きな被害が出ました。
埼玉県深谷市では、多くの農業用ハウスなどが倒壊。
深谷ねぎで知られる特産のねぎは、雪の重みで折れたり曲がったりしました。
今回の大雪で、農業用ハウスは、このように壊れ、農作物に大きな被害が出ています。
松村猛さんです。
きゅうりを栽培している7つの農業用ハウスがすべて倒壊しました。
松村さんは大雪が降った15日の早朝、ハウスの様子が気になり、自宅から僅か200メートルの距離を20分かけて見に行きました。
雪かきを始めたその5分後。
今月上旬に新しく苗を植える予定でしたが、断念せざるをえなくなりました。
実は松村さん、1月にハウスのシートを張り替えたばかりでした。
76万円の支払いは、まだこれからです。
まずは壊れたハウスを撤去しなくてはなりませんが、その費用も重くのしかかります。
ハウスを作り直すには、数百万円はかかると見られ、新たに借金を背負うのも厳しいことから、松村さんはきゅうりの栽培をやめようと考えています。
こうした農業被害。
NHKのまとめによりますと、関東甲信では、群馬県が247億円余り、埼玉県が229億円、栃木県が142億円などとなっています。
スタジオには気象予報の南さんです。
本当に大雪による被害、深刻なんですが、関東の山沿いや甲信を中心にあさってにかけてまた雪になる予報が出ているんですね。
そうですね、また雪の所が出てきそうです。
まずは先月15日に降ったときの天気図ですけども、南の海上を低気圧が発達しながら進んでいきました。
南岸低気圧と呼ばれる低気圧です。
北のほうには寒気があって、低気圧が発達したため、寒気を引っ張り込んで、関東甲信などを中心に、雪の所が多くなりました。
このように南に低気圧や前線、北に寒気があるときには、関東甲信は雪が降りやすくなります。
そして今夜の予想天気図ですが、今夜は南の海上に前線があって、関東の南東に低気圧が発生する見込みです。
これも南岸低気圧ですか?
そうですね。
まあ、南岸低気圧に近いような感じのタイプになってますよね。
南のほうに前線があります。
あまり発達は、低気圧はしませんので、沿岸部は雨の所がほとんどですが、北のほうには寒気があって、この寒気の影響もあって、山沿いなどを中心に雪が降る見込みです。
そしてあすの夜はといいますと、前線上に低気圧が発生して、この低気圧が少し発達をする見込みです。
発達をすると、北からの寒気を引っ張り込んで、比較的広い範囲で雪になるおそれがありますので、雪に対して注意が必要ということになります。
これからあすにかけての雨や雪の移り変わりです。
まず午前中、きょうの午前中、関東甲信の山沿いで一時的に雪の降る所が出てくる見込みです。
そしてきょうの午後から、本格的な雨や雪で、山沿いでは夜にかけて雪が降ったりやんだりの天気になりそうです。
これまた同じような場所ですね?
そうですね。
大雪が降った同じような場所で雪が降りそうで、そして、あすにかけても断続的に雪が降ったりやんだりの天気になる見込みです。
いったん、雪の上がる時間帯も出てきそうですが、夜にかけて、雪の降る所が多く、比較的長い時間、雪が降り続きますので、雪の量がかなり多くなりそうです。
あすの朝までで関東甲信の山沿いで10センチから15センチ、あすの夜にかけて雪は降り続きますので、さらに雪の量が多くなるおそれがありますので、雪の降り方には十分注意をしてください。
南さんには、後ほどまた伝えてもらいます。
さあ続いてはこちらです。
ソチオリンピックで大きな感動を与えてくれたメダリストたちです。
それぞれのふるさとに戻って見せた表情とは。
フィギュアスケートで、金メダルを獲得した羽生結弦選手。
ソチでは震災復興への思いを語っていました。
ふるさと、仙台では、市役所に700人が詰めかけました。
羽生選手は、メダリストに支給される報奨金を、東日本大震災の被災地などへの寄付に充てたいという考えを示しました。
スキーフリースタイル女子ハーフパイプで銅メダルを獲得した、小野塚彩那選手。
出身地は特産のコシヒカリで知られる、新潟県南魚沼市です。
スノーボード女子パラレル大回転で銀メダルを獲得した竹内智香選手。
おととい、ふるさとの北海道旭川市に戻りました。
そしてダブルコーク。
高いエアを武器に、冬のオリンピックで日本選手最年少でメダルを獲得した平野歩夢選手。
帰国後、練習を続けてきた山形県小国町のスキー場を訪れ、銀メダルを報告しました。
おめでとう。
高橋恒行さんです。
平野選手が4歳のころから練習に協力してきました。
練習メニューに合わせて、細かくコースを調整。
平野選手は、この場所で技を磨いてきたのです。
これ、メダル。
うわー、すごいなこれ、初めて見た。
平野選手と共にメダルを獲得した平岡卓選手。
地元の奈良県御所市役所を訪問しました。
おめでとうございます。
園児からは、手作りのメダルをプレゼントされました。
平岡卓先輩、銅メダル、おめでとうございます。
さあ続いてはこちらのニュース。
大筋合意には至りませんでした。
シンガポールで開かれた、TPP・環太平洋パートナーシップ協定の閣僚会合。
大筋合意には至らず、次の交渉期限を明示しないまま、閉幕しました。
交渉全体に大きな影響を及ぼす日本とアメリカの間で、農産物5項目の関税の取り扱いを巡って、意見の隔たりが埋まらなかったことが、要因の一つと見られています。
中長期的なエネルギー基本方針を示す、エネルギー基本計画。
政府案が先月25日にまとまりました。
原発の位置づけについて、経済産業省の審議会の原案では、基盤となる重要なベース電源となっていましたが、政府案では、基盤となるという部分を削除したうえで、重要なベースロード電源となっています。
ベースロード電源とは、昼夜を問わず、一定の電力を供給できるという意味で、経済産業省は、原発への依存の度合いを示すものではないとしています。
新潟市中央区の上空です。
町全体が白くかすんで、見通しがかなり悪くなっています。
先月26日、大気中の汚染物質、PM2.5の濃度について、各地で比較的高い値が観測されました。
欧米寄りの暫定政権が発足したウクライナ。
大統領職を追われたヤヌコービッチ氏や、側近らのぜいたくな生活ぶりが明かになっています。
金色に輝くシャンデリア。
敷地内には池。
そして巨大な船も。
さらにこんな動物まで。
ヤヌコービッチ氏は28日、ロシアで記者会見し、誰も私を追い落とすことはできないなどと述べて、みずからの正当性を強調し、辞任しない考えを示しました。
もっと福島を見てほしい。
現状を知って、実際に現場を見て、私たちの話を聞いてほしい。
自分が生きている間に富岡町に戻り、もとの生活ができるようになる可能性はあるのか、知りたい。
今も避難生活を余儀なくされている福島県内の高校生、大学生たちの声です。
きょうも全国の皆さんからのメール、ツイッターでの参加、お待ちしています。
こちらの教室には、避難指示区域の中に家があるという、高校生、大学生の6人の方々にご参加いただいています。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
それではまず、この3年間で福島の復興がどう進んだのか、徳永アナウンサーのプレゼンからスタートです。
おはようございます。
ではですね、まずは、議論の前提として、大前提の知識からいきたいと思います。
今、どうなっているか、まず地図を見てください。
きょう、全国放送になりますしね、今、避難指示が出ているのはこの地図で濃くなった色、赤、オレンジ、緑のエリアです。
ここが事故を起こした原発。
事故直後は、原発からの距離で避難指示出たんで、ちょっと丸い形になってます。
そのあと、線量が高い所が次々と明らかになって北西にどんどん伸びていって、このような形になりました。
もちろん、避難指示が直接は出ていない、これらの地域からも、自主的に避難している方はいらっしゃいます。
足しますと、3年たつんですが、13万5000人の方が、まだ避難を余儀なくされていると、こういうことです。
で、おととしから去年にかけて、国や地元自治体はこの避難区域を3つに分けました。
放射線量の高さで分けたんです。
この地図の色でいうと、左に行くほど線量が高いと思ってください。
赤は年間50ミリシーベルトを超える所です。
すぐには帰るのが難しいという帰還困難区域という所です。
赤です。
それからオレンジは、年間20ミリシーベルトから50ミリシーベルトの間。
これは居住制限区域という所です。
そしてこの中では、あくまでこの中では比較的低い、年間20ミリシーベルトを下回る、避難指示解除準備区域というのがあります。
できるだけ早く解除できるように、一番早く準備していきましょうという定義づけられた3か所に分けて、少しでも避難指示を解除していきましょうという方向になっています。
線量で分けるってことは、同じ町の中にも差が出てくるわけですね。
なるほど。
同じ町の中でも混在するんです。
3つが混在している町があります。
その一つがここです。
富岡町。
今、どうなっているのか、私、先週、富岡町を訪ねてきましたんで、映像でご覧ください。
まず、入りましたのは、緑色の避難指示解除準備区域です。
3つの中では比較的線量が低いので、日中でしたら、許可なくても入ることができます。
駅前です。
これ、先週の映像です。
まだこんな状態なんですね。
あららら。
これ、先週です。
そのままですね。
本当だ。
駅前の中心部なんですね。
まだ作業ができない状態なんですかね。
この区域、お店などを再開するために、建物の補修ですとか、資材を持ち込むことも認められているんですが、現在は手付かずです。
それからさらに入りまして、オレンジ色の居住制限区域が、この辺りです。
ここも日中、入れるんですが、災害復旧など、ごく限られた仕事しか認められていません。
この区域にあるのが、富岡高校。
きょう、実は来ている3人の高校生のみんなは、本来だったら、この校舎に通うはずでした。
金子さん、香坂さん、サッカー、強いところで、全国大会も出ているところです。
きれいなグラウンド。
こうやって見るとね、普通に通えそうな学校ですけどね。
そうなんです。
毎月1回、この方、職員の方なんですがね、漏電がないかとか、不審者がいないかなど、最低限の見回りに来てらっしゃいます。
そのときのままなんだ。
そのままなんです、例えばほら、ペンケースとノートがそのまま。
そしてほら、よくこういうパック、飲みますよね、高校生ってね。
自習中に。
着のみ着のままだったんですね。
わあ、大変。
本当、そのままですね。
学校がいつ再開するかも見通し立ってないし、この校舎になるのかも分からないし、そもそも除染も全く、どうしていいか分からない。
どうしていいか分からないから、片づけることもできないんです。
さらに行きました。
福島第一原発の方向に進むと、道を遮るように、バリケードがあるんです。
このバリケードの向こう側が、赤色の帰還困難区域。
線量が高いので、原則、立ち入り禁止です。
手前はオレンジ。
この画でいうと、奥が赤、手前がオレンジです。
あっ、あのガードレールから向こうは入れないんですか?
そうです。
つまり目の前にこうやって家があるのに、ここから先は帰れない。
そんな状態に富岡町の皆さんは、3年間も置かれていると、こういうことなんですね。
きょう来てくださっている作山さんは、実は赤いプレート、この枠がついたものをつけてくださっていますが、帰還困難区域が、まさに自宅が、その場所として指定された方なんですよね。
なんかこの映像を見ると、やっぱりちょっと違う、世界が違うじゃないけど、本当に区切られちゃって、入れないのがすごい悲しいです。
そうやって最初に聞いたとき、理解とかってできました?
すぐには、なんかちょっと、パニックじゃないけど、ああみたいな、よく分かんなくて。
でもなんかこうやって見ると、本当に景色としては同じじゃないですか。
どうしてそこに線がっていうぐらい、同じだから、やっぱり理解するのは難しいですよね。
そうですね。
洗濯物を干したままの家もあるんです。
だから本当に急だったし、着のみ着のまま、とりあえず逃げたままになって戻れていない方が大勢いらっしゃるんだなというのを感じたんですね。
じゃあですね、どうやって復興を進めようとしているかっていうのを、分かりやすく、いつもの模型をここに持ってまいりました。
実は国の方針っていうのが、震災から去年12月までと、去年12月から今に至るまでと、大きく変わってるんです。
去年12月に大きく変わったんです。
それを整理します。
12月より前はどうだったかを見ていきます。
原則、この富岡町、みんな、どこのエリアも帰る。
実は富岡町というのは、全地域が避難指示が出ている所です。
多くの1万5000人近い方が避難していて、こんなにも大勢の方がそれぞれいらっしゃるわけです。
避難先というのは、実は、調べてみると47都道府県すべてに及んでいます。
富岡町から?
そうです。
根本さん、来てますけど、学生さんもね、もちろん避難していると、こういうわけなんです。
みんなどのエリアの人も帰れるようにしよう、元どおりにしていきましょうというのが大方針です。
国は人やお金を支援しますから、市町村の皆さん、計画を立ててくださいって言いました。
じゃあどうやって避難区域じゃなくなることができるのか、条件があります。
それを整理してみます。
まずこれです。
これ、大事ですよね。
まずは年間20ミリシーベルト以下になるようにしましょう。
まずは、とりあえず。
それがまず条件ですとしました。
それからきょう、若い方も来てますが、子どもたちは比較的、放射線の影響を受けやすいともいわれていますから、学校などの施設は、これよりもさらに条件を厳しく課しています。
生活が元どおりになるということは、電気、水道、ガス、道路。
あの大きな地震や津波で壊れたものも元どおりにしましょう。
生活をしてもらうためには、郵便局、病院、生活の拠点であるこうきょうしせつも戻しましょう。
さらには、人が帰ってこなければいけないので、住民の皆さんとちゃんと相談をして、計画を立ててくださいね、これが国が示した、避難区域じゃなくなるための条件で、それに合うように富岡町も、これまで一生懸命やってきているということなんですね。
47都道府県に皆さん散っちゃってるんでしょう。
皆さんで話してくださいねって、どうやって意見を合わせるんでしょうかね。
きょう、役場の方もお見えになってるんですが。
菅野さん、本当に大変なんですよね。
そうですね。
いろんな方法を使いたいとは思っておるんですが、実際、47都道府県ですから、やはり一方的な町の広報誌ですね、そういうものは当然、月2回ぐらい、送ってますし、あとタブレットを希望される世帯には、全部配ってるんですよ。
こういうものですね。
こういうもの。
そうですね。
あとは住民の説明会とか懇談会はやっておりますが、やはり全国には及ばないんで、やはり情報を出しても、その出しっ放し、返ってくるのは難しい。
対話すらこんなに大変とおっしゃる中で、これ、全部クリアするのは本当に毎日頑張っても大変という中で、もっとスピードを早めようと国が方針を去年の12月に変えます。
これです。
テーマは復興加速と国はうたっています。
じゃあ何が変わるか。
ポイントはこれです。
今示した色によって、やり方を変えます。
線量が高い所は、みんな、今までは帰ろうというルールだったんですけど、これも場合によっては支援します。
帰還困難区域の人は。
そう、戻らないという決断をして、移住しますと言った方には、その方にも資金で援助をしましょうというのが、新しい方針です。
ただ、オレンジと緑に関しては、あくまで早くもとの生活にその場所に戻りましょうというのは変わりませんが、そのためのお金は今よりも積みますよということにしたんです。
オレンジと緑はもっと早く帰ろう、もっと早くみんなに帰ってもらおうじゃないか。
これで新しい方針が出たってことは、市町村の皆さんも一生懸命、今、計画を練り直しているというところです。
最新の富岡町の今の復興計画を見ると、帰れるメドっていうのは、大体3年から6年をメドに、この赤以外は帰りましょうというのが、今の方針と。
3年から6年ということは、相当環境変わりますもんね。
そうですね。
3年から6年っていう。
ずいぶんなんかこう、広い範囲というか、漠然としていますよね。
6年なんてね、大学卒業してね、就職したら、やっぱりそこに根づく生活ができるわけじゃないですか、そこからまた戻るっていうのは大変ですしね。
そもそもこの3年から6年っていう数字を聞きながら、皆さん、なんかあんまりリアクションしておられないのはなぜですか?
すぐ、そんな言うのは簡単でも、やるのは難しいから、そんなすぐ早くは戻れないって思っちゃうところがありますね、やっぱり。
そんなうまくいくはずがないと思っておられる?どのへんが難しそうなんですか?
やっぱり除染をするとこから始めなきゃ、何もできないから、除染にまず時間がかかるし、それがすぐ終わるとは思えないので。
だから。
でも除染自体は一生懸命やっておられるんでしょ、菅野さん。
双葉郡8か所全部ですが、やはり市町村ごとに違うんです。
作業自体が違いますよね。
ですから、富岡町に関して言えば、3年過ぎますが、除染が始まったって、モデル除染を除いて始まったのがやっと1か所、1月の8日なんですよ、ことしの。
ことしです。
ですから、3年間、全然全然モデル除染というのはやりましたが、それ以外は普通の家は、ことしやっと始まりそうなんですね、始まったんですが、ただ、普通の家はまだやっていません。
今、おっしゃったのは1月8日から始まって、今1軒?
一軒というか、お寺さんを最初は始めまして、一軒一軒の同意が必要なんですよ。
ですから、一軒一軒の同意を立てた。
一軒一軒じゃだめなんです。
面的に除染なんで、ある一定の集団の中でしかできないんで、おっしゃるように除染は、除染計画そのものも遅れて、見直してますんで。
だいぶかかるぞっていう感覚が分かってきました。
そのとおりだと。
感覚的には。
自治体は頑張ってやってるんですけれども、この地域の特徴があるんですね。
やっぱり山林が圧倒的に多いので、町場の除染をやったとしても、山林の除染っていうのは大変な分量になるわけですね。
雨水などでまたぎってしまうというようなことがあって、なかなかそれまで含めると、長期間かかるんだろうなということなんですね。
でもまあ、長期間かかってもやっていこうということなんですよね。
そうですね。
あと引っかかっているのはどういうことなんですか?ほかの皆さんでもいいですよ。
なんか、周りに、その帰還困難区域とかがある中で、一部が帰れるようになるって言ったときに、例えばこう、戻れるようになったときに、元みたいな生活できる環境がそろっているのかな、そこだけで生活するようになっちゃうんじゃないかなとかいうような。
さっきガードレール一個で、こっち側とこっち側に分けてって。
こっちは生活できても、隣はだめっていう。
お友達どうしで話すと、やっぱりみんな元の町に戻りたいっていう意見が多いんですか?学生さんは。
そこなんですよ、実はですね、ちょっとご覧いただきたいんですけど、これ、富岡町が去年10月に行ったアンケートなんです。
16歳から18歳を対象に、富岡町に戻りたいですか?と聞いたら、はいと答えた人が18%、それを大きく上回って、いいえと答えた人が39%。
この理由は何なんだろうか、どうして帰りたくないと思っているのか。
そこですよね。
富岡町出身の根本さんから聞いてみましょう。
私は帰りたいですけど、さっき説明あったとおり、インフラの整備も公共施設の復旧もまだまだ進んでないので、すべてとはいわないですけど、なんか普通の生活ができるようになれば、帰りたいなとは思ってます。
でも、そのためには心をそろえてみんなでよーし、やるぞっていうふうにやりたいですよね。
なんかほかにも引っかかっていることがあるんですか?
ちょっとほかの方にも聞いてみましょう。
どうでしょう?早川さん。
やっぱり友達どうしでも、帰れる人もいれば、まだまだ帰れないという人もいるので、なんだろう、こう、ちょっと気を遣うところもあったり。
自分ちは帰れそうだけど、友達は帰れないんだったら、自分だけ帰るのもちょっとってこと?
はい。
おうちではどんな話をされてるんですか?明日香さん、坂本明日香さん、聞いてみてください。
私の家は本当に広野に近いので。
楢葉町の中でも広野町に近い?だから、こちらですね、こちらに近いということですね。
戻れるかもしれないんですけど、やっぱり道路とかも全然整備されてないし、…。
一点で帰れてもコミュニティーとして成り立つかっていうと、すごく難しいところはありますよね。
そうか、だからそんなにすんなり戻りたいっていえないと?うーん。
大人の皆さんは、どうなんですか?戻りたい?戻りたくないっていう話をお聞きしていいですか?
戻りたい?戻りたくないっていうわけではなくて、たぶん、みんな一律で思ってるのが、みんな帰りたいとは絶対、思うんですよね。
それがたぶんベースになってるんですけど、ただ帰りたいんだけれども、帰れないっていう感覚ですね。
戻る、戻らないじゃなくて、帰れないよねって。
帰ってもどうにもならない感覚ですか?
ならないというか、現実問題としては、やはり3年っていう期間がありますので、たぶん皆さんも、先ほど説明あったように、高校がそこにあるけども、行っている高校じゃなくなってしまった問題があるとか、今、いわき市でこうやって通っている子たちにとってみれば、全国にいろんな通っている子たち、いらっしゃるけど、やっぱりそこで3年間、過ごしてるわけですからというのも、一つ、また大きな要因でもあるし。
元に戻ることっていうのが、地域に戻るというか、インフラだけじゃなくて全体として、震災前というか、事故の前に戻れるのかなということに関しては、やはり疑問はどうしてもきますよね。
そうですよね。
魔法みたいにパンって、全部元どおりになれば、みんな帰りたいよね。
そうすることが全員いいと。
大人たちが…。
それが絶対無理だって分かっているところがあるから、どうしたらいいだろうということですよね?
でもなんかやっぱり、福島県外の人間としては、なんとかして元のようにして、なってほしいし、そういうふうに協力したいと思うんですよね。
なんか、それにはちょっと、皆さん、無力感、失礼ですけど。
どうしたんですか?なんか、一斉にやるぞ!っていうふうではないんですか?
いや、やるぞって、確かに極端な話じゃなくても、現実問題としてみんな復興という形の中で、いろんな所でたぶんやってるのはやってます、たぶん、各地、いろんな所では動いているけれども、ただ、それがじゃあ、どういうふうな形で、目に見えてくる問題になるのかといったときには、なかなかさっきの除染の話の中とか、あんましこれ言っていいのか分かんないですけども。
線量の話をさっき説明されてますけど、どういう測り方されてるのかとか、そういう話からしたときにやはり疑問符は、どうしても残ってしまう状況。
こうしたいなと思っても、本当かよっていう話が。
やっぱり、どうしても疑念という形は残るんじゃないかなと思いますよね。
3年もたってここまで作業が進んでないと、やっぱ皆さんも戻れないのかなという気持ちのほうが強くなってきたりとか、最初に比べると。
松本さんはかなり、ご自宅に行かれてたって聞きますけど。
私も先週、自宅帰ったんですけれども、震災当時と状況変わってないんですよね。
もう町を車で走っても、道路は凸凹、そして崩れた家もある。
なんかもう、3・11のときのまま、時計の針が止まったような感じで、なんか本当にこの3年、早かったし、なんか復興進んでないんじゃないかなって思うんですよ。
計画ではどんどんどんどん進んでるんですけども、目に見えて現れてないっていうのがすごい感じます。
それはでも、一つ一つの分野では、皆さん、一生懸命やっておられるわけですよね。
立ち向かう相手がおっきすぎるってことですか?
そうですね、目に見えないものと戦っていますね、そうだと思いますね。
怒りとか、なんかいろいろ感情ってあると思うんですけど、そういうやるせなさとか強いんですか?怒りっていうより。
諦めっていうのもありますね。
その諦めがイコール帰らないかも、帰れないかもってことになっていく?
私自身は、帰りたいって気持ちもあるんですけど、状況見ちゃうと帰れないのかなって思っちゃうんですよ。
私、遠隔地に避難している人たちの聞き取り調査を続けているんですけども、11回になるんですけども、最初のうちは早く帰りたいっていう人が半数以上いたんですね。
ところが、だんだんだんだん減ってきていまして、今は1桁台。
むしろ、今、増えてきているのは、決めきれないという方たちなんですよね。
決める決断をする条件というものが、なかなかそろってこない。
確かにこのアンケートでも、16歳から18歳に聞いたアンケートでも、はいより、いいえより、多いのが分からない43%なんですよね。
判断する材料がないってことなんだろうと思うんですよ。
材料がない?
今の時点で判断しろというのが難しいんだと思うんです。
というのは、3年間、何も進んでないんじゃないかというお話がありましたが、それは警戒区域という形で、中に立ち入れなかったこともあるんですね。
富岡町でいえば、一昨年、ちょうど1年前の3月の25日に、初めてこの避難指示を3つに分けたんですよ。
それまでは、除染もインフラ整備にも取りかかれなかったんですね。
そういう状況の中で今やっと動きだしたという時点ではあるんです。
先ほど言いましたように、除染がやっと始まった。
除染とか、インフラ整備というのは前提なんですね、帰るのに。
それが出来たから帰れるってものではないし、それがあって初めて、普通の生活とかっておっしゃられるんですが、それが戻らないと、確かに若者だけじゃなくて大人も戻れないし。
じゃあ、ちょっと前提を、6年後に設定してみましょうか。
インフラが元どおりになりました。
ある程度の人数でまとまって帰ろうという話し合いをしています。
除染もだいぶ進みましたってなったら、帰るっておっしゃいますか?
たぶん、雇用の問題って絶対あると思うんですね。
若者は働かなきゃいけないので、雇用の場をちゃんと確保してくれるんであれば、自分たちも戻るんですけど、今、自分も就活してるんですけども、今、県外とか出ちゃって、そこでやっぱり働く人って絶対いるんで、そういう、自分が例えば、6年後、7年後に戻れるってなった場合でも、雇用がなかったら自分たち、戻れないんですよね、やっぱり。
そっか仕事も大事ですね。
インフラ、除染、仕事、そしてあとはその仲間、みんなで頑張って、じゃあ帰ろうかって言えるかどうか。
そこで家族を作って子どもを育てるって考えると、また違う考えも出てくるでしょうしね。
どうですか?
やっぱり子どもとかになってくると、やっぱり放射能が危ないっていって、今、避難してる人も、若い子どもがいる人はもう戻らないっていう話をしてるっていうのも聞くし。
いくら除染しても心配だってことですか?
戻れるってなったとしても、やっぱりそういう気持ちがちょっと残ってるから、戻って、子どもを育てるのは、将来、その子どもの将来的に不安なところがあるかなって思います。
ちょっとツイッターを見てみますね。
3年から6年じゃあ除染できそうにないというのは、学生の間でも常識になっているのか。
早期帰還支援したとしても、原発自体が収束しなければ、人だって戻らないのでは。
あっ、皆さん、大きくうなずいておられますね。
小野さんね、実は僕取材中、聞いた声が、やっぱり、戻れない事情はこれなんですよ。
ここなんですよ。
つまり、3、40年かかるといわれる廃炉はどうなる。
このニュースを聞かない日、ないですよね。
100トン漏れたっていうんですよ。
そして福島で出た除染の土や廃棄物をどこにいったんためる施設を作るかも決まっていない。
いったんためておく中間ですから、最終処分とか、全くもちろん決まっていない。
決まってないことがあまりに多いっていうのも、不安の大きな要素だと、取材中も聞きました。
今、大きくうなずいていたのは。
遠藤さん。
さっきも話したことと同じになってしまうかもしれないんですけれども、例えば色にある緑とかオレンジの部分が戻れるようになっても、赤が戻れないっていう状況があると、例えば僕は浪江町の出身なんですけど、浪江町から楢葉町に行くときって、震災前はずっと双葉とか、大熊とか、富岡の赤い部分を通って、買い物に行ったりとかしてたんですけど、もし緑とかが戻れて、赤は戻れないってなると、なんか、どういうふうに移動とか、生活とかをしていけばいいのかっていう。
単純に赤を避けるとなると、ぐるっと回らなきゃいけなくなっちゃうもんね。
それとその廃炉、汚染水、中間貯蔵施設、これに対する。
不安というか、すぐやっぱり近くにあるので、もし、また何かあったときとかっていう心配は、やっぱり少なからずはたぶん、絶対あると思うので。
なるほど。
いくら除染しても、元を断たないと。
私も去年、浪江町を訪ねてきたんですけども、除染で出た物質をためなくちゃいけないんですね。
それは黒い袋に詰められて、道路の脇に山積みになっている状態なんですね。
先ほど、富岡の映像では、それ、出てこなかったんですけれども、そうしたものが、だんだんだんだんたまっていってる状態なんですね。
そこへすぐ帰るっていうのはなかなか選択としては難しいかなという感じがしますね。
さっき、高校生のアンケートで、戻る、戻らない、はい、いいえ、分からないとありました。
これ、実は大人も同じで、戻るという人と、それから戻らないで新しい生活を始めたいという人たちと、それから分からないという人たち、この3つに大体、大人たちもちょっと分かれるんですね。
戻るのは今お話に出た、いろんな条件があって戻る、戻らないというのはこういう環境だから、新しい生活を始めたいという人たち。
重要なのはこの分からないという人たちで、この人たちは今はまだ判断つかないけど、もう少し、避難を続けたいと、避難を続けるという選択なんですね。
分からないってなんか意思が弱くて分からないわけじゃなくて、いろんな条件が整わないので、もう少し様子を見たい。
答えが出せないってことですね。
もう少し今の避難を続けたいという人たちなんですね。
どこに中間貯蔵施設が出来るか、分からないのにというような。
どういう環境になるか分からないし、これから何年たつか分からない、高校生、大学生が、何年たって帰るか分からない。
でもいつかは帰りたいから、ちょっと、もう少し、避難を続けたい、避難を続けるって人たちの意思なんですね。
分からないと、何も分からないで終わりじゃなくて、そういう気持ちだというふうに理解してもらうといいんですけども。
それで、だからすぐに戻りたいという人たちは、さっきあったように、基本的には除染ですよね。
元の地域で元の時間で元の生活ができるんだったら、それはみんな戻りたいのは当たり前なんです。
元の地域に戻すという条件を整って、ある程度整えば帰りたいっていう人たち、それから帰らない、新しい生活をしたいという人たちは今、ちょっとお話にあって、少し話が出てきましたけれども、全体としてはまだ十分な支援が行われてなくて、新しい土地で、新しいうちを建てられるような、そういう賠償っていうのは行われていない。
3番目のここの中間のところで、さっき分からないというところなんですけど、分からないというところは、もう少し今の様子をみたいという人たちがいるわけなんですね。
この人たちに対しては、今、放っておかれている状況なわけです。
仮設住宅に入っていたり、仮設住宅もだんだん3年たって、悪くなったりしているけれども、今、ここの人たち、分からないというのが一番多かったんです。
多いんだけれども、この人たちに対する対策っていうのが行われてなくて、5年、10年、50年、あるいはひょっとしたら子ども、孫の世代に向けた対策っていうのが必要になってくると思います。
分からない人たちが多い中で、こういう取り組みが、本当にどんどん進んでいかないと、もっと分からないからいいえにいく人が多くなっていくような気がしますけど。
時間の長さって厳しいですから、やっぱ3年たって、これが5年たって、10年たてば、本当にこの人たちの今の、避難をしている人たちに対する法的な地位ってないんですね。
今、法律って自然災害だから、水害とか、実際、1年、2年で戻れますっていうぐらいしか考えてないので、今、この人たちが5年、10年、ということに対する対応ができてない。
すみません、でもこの迷いの元である、こちらの問題は、じゃあ、いつになったら解決するんですか?いつごろ解決するんでしょうか?
それが分かってる人いるんですかね?それは?
30年。
廃炉まで30年って言ってる、一応30年って言ってるけど、30年で、なんか終わるのかなって。
廃炉をするのによく自分が分かっていない、何をするか分かってないから、何も言えないですけど、30年で事が片づくのかなって、すごく疑問には思います。
まずもって、政府の発表の中である、収束宣言ってありましたよね。
あそこからみんなで、えっていう感覚は、ちょっと感じてますよね。
そういうふうなところのスタートラインからしてずれ込んでる話なのに、今みたいな年数の話を、確かに30年ですって提示されたとしてもも、本当に?っていうことばになるのは、必然だと思うんですけどね、これは子どもとか大人とか年配の方ではなくて、普通に考えたって当たり前にそう思えるはずなんですけど、でもところが、それで復興加速みたいな話が進んでったとしても、なんのための加速で、何を加速したいのかというのが、よく分からないっていう感じはありますよね。
どうぞ、菅野さん。
まさにその今、自治体としては当然、きれいにするとか、早期帰還っていう目標があるんですが、大人も子どももやっぱり、今、おっしゃられたようなこと、みんな思ってるんですね。
今、この状況で、帰る、帰らないって選択ってできないのが、本当に正直なところだと思うんです。
ですから、当然、除染するにしても何にしても、計画的にやっていかなければ進まないので、それはやるんですが、それは理屈どおりにはいかないっていうのは現状もあります。
で、あと、こういった廃炉とか、汚染水とか、中間貯蔵、それもまあ、表には出ますが、確固としたものはまだないんで、それも迷いの原因であることは間違いないです。
今の私、行政職員なんであれなんですが、今の法体系では、なかなか災害救助法にしても、自然災害を前提にしてるんで、なかなか一生懸命やってはいただいているんですが、やっぱり制度がちがければはまらないですよね。
ですから、こういう長期的、広域的な避難って初めてだと思うんですね、大規模には。
やっぱりその辺の実態を見て、やはり今後、長くなるのはしょうがないっていうふうに思えるときに対応していただきたい。
なるほど。
若い人たちもいつごろ戻れるのか見当がつきませんが、あと20年後ぐらいだと考えていますですとか、生きている間に元の生活に戻れるのかという声が、結構ありまして、この長期的な目線で見ておられる方、多いんですよね。
皆さん…。
今回、取材してみて多くの方に伺ってるんですけど、若い人たち、取材すると、町とつながりは、なんとか、なんとか保ち続けたいっていう声、本当に皆さん、こちらに来てるみんなも言ってたんですが、ちょっと代表的な、ちょっと、例えばですね、こんなことを言ってる方がいて、大熊町出身の大学生なんですが、今、福島県内の大学に通う高橋恵子さん。
帰還困難区域のご出身ということなんですけども、出身地が、大学の今後の研究として、町の歴史の編さんに加わっていきたいなと。
大熊の人たちの気持ちや歴史を形として残して、共有することで、町の人たちのつながりがなくならないのだろうと、なんとか、そのつながりはなくしたくないんだというふうにおっしゃってるんです。
そういったふうに、町がどうなるか分かんないけども、なんとかという方、多いんですね。
早川さんも?
やっぱり家とか、自分が住んでた町に戻れるとしても、町のみんながいるわけじゃないし、今まで関わってきた人たちとも、これから全員、関わってきた人たち全員と、これから一緒にまた関われるわけでもないし。
今、現実、こう離れちゃったお友達とは、どういう形で、どのくらい連絡取ってるんですか?
友達通じて、連絡先知っているか聞いて、教えてもらったり。
もともと、連絡先知ってた人とは、メールしたりはしてます。
根本さんもね、そういったことで、連絡?
はい。
お友達と連絡取っていますか?
まあ、しょっちゅうではないですけど、たまに取ってます。
ちょっとここで皆さんに聞いてみたいことがあるんですけど、今、ツイッターでこんな意見が来ていて、当事者だけでなんとかしてほしいっていう感じがこの番組から読み取れます。
全国に原発あるのに、次の福島はほかの県民かもしれないのにというツイッターが届いていて、皆さんの中にも、そういう気持ちってありますか?そうだよなって思っておられますか?
県外の方、遠藤さん。
県外、僕の住んでいる秋田には、福島県だけではないんですけど、宮城県とか、岩手県も含めて、今もまだ1000人近くの避難してきてる方がいて、僕は震災あった年から、ずっと避難してきている人と関わらせてもらってるんですけど、子どもたちとか、お母さん方とか、たぶん、その避難先での生活をまず、安定した生活をするっていうことに、たぶん、一番考えを置いているというか、帰る、帰らないよりも、まず秋田に来て、ちゃんとした落ち着いた生活がしたいっていうふうなことがあるので、たぶん、そういうことも含めて、福島県内だけの問題じゃなくて、たぶん、そういういろんな所に、各都道府県、本当に47都道府県に避難している方がいるっていうように、たぶん、本当に各県、都道府県に、そういった目を向けなきゃ問題っていうのはたくさんあると思うんです。
たぶん、変な話ですけど、これ、不安という要素が大きいんじゃないのかなと思うんで、全部についてですけども、今の話を聞いてても、結局、私もそうですし、皆さんそうだけど、そこに学校行くとか、仕事をするとか、暮らしがあったはずなんですよね。
だから当初の話である暮らしがあったから、先ほど言ったように、戻りたいってことは、暮らしを元に戻したいから学校に行きたいよね、友達に会いたいよね、どうやって連絡取っているのかといえば、メールでなんかたぶん連絡取らなかったよね、直接話をできる環境が学校であったのが、それが変わっていくわけですよ。
変わってって、その3年っていう形になれば、やはりそこから何が生まれてくるのかって、ふるさとっていう形に変わってしまって、そこが、暮らしや場所がなくなっちゃうような感覚になるのかな。
その不安要素はすごく感じるんじゃないのかな、だから帰属としては町としてのどうやってつながりを持ったほうがいいのかっていうのは、いろんな方法を考えながらいるんですけど、実際にお恥ずかしいけど大人たちだって、ちゃんと考えられないし、で、もっと言えば皆さん、いろんな全国でも、暮らしはあるわけですよね、どこの地域でも。
っていうのがこの問題で、ある意味、なんでも壊れてしまうということをやっぱり体感をしたっていうのは、なかなか伝えることが難しいのかなという気もある意味しますよね。
皆さんは逆に避難してる町での愛着とか、なんかこう、親しみやすさって、3年たってみて、なんか出てきたりしてるんですかね?
やっぱり18年住んでたので、住み慣れた愛着もすごくありますし、やっぱり生活してて本当に便利だったなって思いますし。
ふるさとが?
ふるさとが。
浪江は全部、町のこと知っているので、やっぱ避難してきて、最初、こっち便利だなと思ったんですけど、でもやっぱり地元の浪江のほうが生活的に、するにはよかったのかなと感じましたね。
どこに住んでも同じじゃないかという話もあるんですが、今回の特徴は、私たちはよく言うんですが、覚悟ですね、ないときに、突然、一切の生活自体がなくなったんです。
だからショックだったし、なかなか対応できないです。
覚悟があって、例えば転勤しますよとか、引っ越しますよとか、みんなでどこかへ旅行しましょうとか、ないんですね。
それが突然、友達関係だったり、地域関係だったり、生活そのものがなくなったんで、やはり対応できないし、全国にもそういうものは発信してるんですが、残念ながら、私たち、力が足りないし、今回の災害っていろんな教訓があると思うんですよね。
…先の製造の問題だったり、こうやって日常生活が突然、なくなっちゃった。
そういったものはこれはどこにでも起こる、原発事故という意味ではなくてもありますんで、それはもともと私たちも発信しなきゃならないし、こう、皆さんにももっと見ていただきたいというのはあります。
たぶん、私たち、福島県外の人間に突きつけられていることは、きっと本当にこの方々の不安の根っこにあるこの問題をちゃんと片づけるというか、一緒に考えて。
自分の問題としてね。
いくことですよね、これね。
長期スパンで考える話に、ちょっと戻るようなことになるかもしれませんが、アンケートで、私たちの意見が聞かれていないという声が結構ありました。
それ、どうなんでしょうか。
作山さんね、強くおっしゃっていましたよね。
なんか、子ども、私たちも、学生のときに、私、ここの双葉高校の卒業なんですけど、すぐそこの隣の校舎で勉強してて、休み時間とかそういうときに友達と今後の話をしたりとか、町に戻れるのかどうかとか、将来の話とかをしてて、なんか、もうちょっと違う話をしてもいいんだろうけど、そういうことがやっぱり気になるから、友達とそういう話をすることが多かったです。
双葉高校も、ここのキャンパスの中にあるんですよね。
私は1年間だけ、地元の高校、本当の校舎に通えてたんですけど、2年生のときは、県内ばらばらの学校に通ってたし、で、3年になって、ここの校舎に集約されて戻ってきたんですけど。
その自分たちの声が聞いてもらえてないぞという感覚ってありましたか?
なんか、思うことはたくさん、子どもなりに、考えることはたくさんあるけど、発信する場がやっぱりなかったので、聞けてもらえてない感じ。
でもアンケートとか、そういうことは行われる?
アンケートは結構受けているんですよね?
何回か、何回かはあったんですけど、直接、自分の思っていることをみんなに伝えるっていう場はなかったので。
アンケートはたくさん行われてるんですけど、よくわれわれもそうですけど、行政もそうですけど、アンケートするのは世帯主なんですよね。
だから1人、家族に対してアンケート取るから、こういう家族の中の一員、一人一人の意見って、なかなか出てこないっていう面もありますね。
若い人の意見を吸い上げるって、難しいことですか?
難しいっていうか、一番、聞きたい、将来と、町の将来とありますんで、それは当然、若い人、関わってきますんで、聞きたいんですが、その手段を見つけられないというのもありますし、あとアンケートをしても、やはり、なかなか選挙と同じなんですよ、やはり。
選挙と同じ?
若い層がなかなか投票行動につながらないっていうのがありますよね。
それと同じ傾向がやはりあって。
なかなか答えてくれない。
その方法がまずいのかもしれませんし。
よかったら、ここがまずいっていうのを言ってください。
教えてほしい。
教えていただきたいですね。
遠藤さん、なんか言いたそうですね。
直接話せる機会が、たぶん少なからずともあれば。
秋田では、僕は避難してる方に支援活動をしてて、秋田県の被災者支援を受け入れる施設というのがあって、そこの県庁の方とすごくお話する機会があるので、たぶんそういう機会があると、すごく関心も持てるし、自分の意見も発信できるなというふうに思います。
どうぞ、今井先生。
未来の地域を決定する、どのような地域にしたいかを決定するのもこういう人たちが決定しなきゃいけないんですよ。
もちろん、今住んでいる人、今、住民の人、もちろん関わんなきゃいけないけども、これからの未来の話をね、こういう人たちとか、あるいはひょっとしたら、そこにいろんな自然もあるわけで、海とか川とか山とかあるわけで、そういう人たち、そういうのは声を出せないけど、出せないけども、そういう自然が、やっぱり受け入れられるような未来の計画っていうのを作んなきゃいけないわけですよね。
それちょっと、若い人に責任を負わせ過ぎっていうことはないんですか?
まさしくそういうふうには感じますよね。
その今みたいな話も、ちゃんと言える場を、どのように作ってるのかとか、アンケートも調査でもそうですけども、そういうような形の中でね、答えてくれるっていっても、顔色見たりとか、子どもとしては親はどう思ってるんだろうかっていうのが、聞きたいとか。
子どもに責任を押しつけるんじゃなくて、大人の責任として、現状をきっちり収束させていくっていうのが大事で、被災者の方にお話を伺っていると、やっぱり原発がどうなるか、それについて、東電とか、国がきちっと収めてほしいっていう意見が圧倒的に多い。
これはもちろんです。
2014/03/01(土) 08:15〜09:30
NHK総合1・神戸
週刊 ニュース深読み「震災・原発事故から3年 進路は?故郷は?若者のホンネ」[字]
震災・原発事故から3年。福島から中継で若者と復興について考える。先行きが不透明な中、進学や就職など人生の選択に直面する若者たち。彼らにとって故郷とは?復興とは?
詳細情報
番組内容
福島から中継で、若者たちと復興について考える。震災・原発事故からまもなく3年。当時の中学3年生は、もうすぐ高校の卒業式を迎える。若者にとっては、先行きを見通せない中で、進学や就職といった進路の決断を迫られた3年間だった。これまで進められてきた復興計画は、若者の未来をどう照らしてきたのか? 戻れるか分からない“故郷”と若者たちは、今後どうつながっていくのか? 復興のこれまでとこれからを深読みする。
出演者
【ゲスト】香坂みゆき,金子貴俊,【解説】福島大学教授…今井照,とみおか子ども未来ネットワーク理事長…市村高志,富岡町役場総務課主幹…菅野利行,NHK解説委員…早川信夫,【キャスター】小野文惠ほか
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