戦後を考える。
このタイトルを前に、ブログで書く内容ではないと自覚している。
それでもタイトルを響かせて、8月15日を「終戦」ではなくあえて「敗戦」と呼んでいる。
あまり詳細はブログで綴るべきでないと感じているから、簡単に。
また、Facebookでの友人の皆さんには加筆はあれども、多くは重複する内容なのでご了承を。
私はかつて中国吉林省長春に留学して、この「敗戦記念日」もここで過ごしたことがある。
長春は1945年まで満州(満洲)の首都、新京と呼ばれた都市。
なぜここを選んだのか…長春大学の教授が知り合いだったことだけではなかった気がする。
留学することを亡き大叔父に告げた時、
「四平で戦友が亡くなっているから、もし思い出したらお参りしてやって欲しい」とだけ言ってくれた。
往路だけは北京から列車で移動。
明け方…自然に車内で目覚めて、同じコンパートメント内の中国人に場所を聞くと、
四平あたりだと言う。とにかく手を合わせた。
大叔父の戦友にだけでなく、
国籍関係なく、多くの方々のことを想像して。
少しずつ明けていってあらわれた景色は
地平線も見えるほどの何もない大地。
震えるような感覚だった。
満州…この呼び名を口にすることすら躊躇が必要な場所で出会った
中国人の友人達とは腹を割って話せる親友。
激論も交わした。
学生~大学院時代にかけての、中国、台湾、韓国、朝鮮族の友人達とは
皆、討論して、朝まで続いて、そして明け方頃に一緒に朝食を作って食べた。
これらの経験は私にとって深く刻まれている。
今、この現在、本音を言える友人はどれだけいるだろう。
ここのところ、「切った」関係はこうしたことも起因していることを改めて感じる。
適当な言葉、都合のよい言い訳、「幸せを祈る」と言う言葉も、その場しのぎである限り、
結局は醜い。
また、マイペースさを声高に言うことは面倒なことをしない怠慢さ、知性のなさであるように。
話を戻して。
「自分には腹を割って話す相手が果たしてどれだけいるだろう」と自問する機会がこうしてある。
日本敗戦を刻んだ日に。
そして。
誰もが願った世界平和(世界和平)、遠くの存在にならないことを祈って。
Joaillerie
2012年8月15日記