Joaillerie I LOVE LOUIS VUITTON♪

AmebaGGゴールドメンバーズ→Ameba Meister アメーバマイスター☆
美しいものが好き
LOUIS VUITTONのVIPルームやショー、パーティでの時間が好き


テーマ:

言葉を扱う人物が言ったことです。


「病気ならブログもFacebookもやめろ」と。

言葉を発信するな、と。


そして、「俺を友達と思うなら、ブログもFacebookもやめろ」と。


この人との繋がりは切りました。

当然です。


それでも、タイトルの言葉「病気の者は言葉を発するな」は、

私にだけでなく、あらゆる悩みを抱えた人に対するものであり、

看過できるものではないと思っています。


看過するわけがない。


実際、自らに異変を感じて病院に行く人でも多く、自覚のあるなしの曖昧さゆえに

病院に行かない人も含めて、どれだけの人たちが多くの悩み、

苦痛を抱いているかは簡単に想像がつく。


冒頭の言葉など「血の通った人間ならば」、到底言えない。

でも、血の通った人間であっても言うという現実。。。


しかも、言葉を扱う、少なくとも人の感情や感覚に触れ、それを職業とする人物が言うことに驚く。

同時に、なんと情けない人間がいるものか、と呆れました。


それを言う権利は誰にもない。

悩みを持ち、深く傷ついた人たちがかつて多くの文学作品なり、芸術作品も生み出した事実。

吐露することで救われるならば、発信することは必要なことのひとつであると思う。

苦しみは吐露していい。身近な人にでもいいから。


自らを救うためならば、言葉にはまだ力があると信じてほしい。


そして、人に頼るでもなく、まずは「自ら立つこと」。

私はこのことが最も重要だと確信しています。


言葉を発するならば、誹謗中傷や酷い言葉よりも苦しみ抜いた上の自らの言葉で語れ。

言葉を発するならば、人の痛みを想像した上で語れ。


悲惨なことに、彼にはきっと永遠にわからないでしょう。

彼からの「○○の幸せを祈っています」の言葉は何も響かなかった。


これを読んだ者の中で悪意に満ちたままならば、

いつまでも誹謗中傷と酷い言葉を吐き続ける人生でしょう。


ふと、何かに気づいたり、優しい言葉をまだ記憶しているなら、

自ら立ち、苦しむ人のそばに寄り添うような言葉を発してほしい。


言葉は人に寄り添うものでありたい。


Joaillerie


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