セルフ・ハンディキャッピング*1         
 
自分で自分にハンデを課す、ということの意味                   
 
●あらかじめ手を打つ
 「釈明」とは、主として事後的に自分のイメージを回復させようとする営みです。
 とはいえ、なかには事前に行う類の釈明も存在します。
 すなわち、
  ・・・これから自分が行おうとする行動がどのような結果を伴うか、それをあらかじめ予想し、その行動が遂行された時点で(その後に)、自分に有利な解釈(「帰属」)を周りの他者たち*2が行ってくれるようにあらかじめ手を打っておく・・・、
 という類の自己呈示です。
 ▲がどういうタイプの営みを指すのか、それを説明する前に、上記のようなタイプの自己呈示が確かに存在するのだ、ということを前提とするならば、人間が持っている1つの側面として以下のようなことが言えます。
 
 <人がある行動を実行するかどうかは、その行動に対する理解可能な(理にかなった)説明*3をあらかじめ他者たちに対して構成できるか(ないしは見つけ出せるか)どうかに依存している>、と*4
 
 そういう側面が人間にはある、ということです。
 
 ではまず、上記の< >を示すような実験を紹介しましょう*5
 アメリカで行われたある実験です。
 被験者数人(女性)が選ばれ、ある映画施設において映画を見る、という実験が行われました。2つの部屋が設けられていて、どちらか一方で映画を見るように実験者から求められました。どちらの部屋でも同じ映画が上映されます。いずれの部屋も席は隣り合わせで二つしかありません。一方の部屋の一つの席には身なりのきちんとした紳士風の男性が、他方の席の隣には強面の労働者風の男性が座っていました。さて、皆さんならどちらの席を選ぶでしょうか?
 その実験では、被験者の多くが「強面の労働者風の男性」の隣の席を選んだのだそうです。何故でしょう?*6
 もし被験者が「強面の男性とは関わりたくない」と思うと同時に、「見かけで人を判断(区別・差別)するような人間とは思われたくない」という、ある種のジレンマに陥っていたとするならば、このような場面では自分の本音を悟られないようにするために、強面の男性の隣の席を選ぶ可能性が高くなります。
 ところが、もう一つの実験場面では、二種類の映画のうち、どちらか一方を自由に選択することが出来る、という条件が加えられました。この条件の下で同じ被験者で同じ実験が行われました。すると多くの被験者たちが、紳士風の男性がいる部屋を選んだのだそうです。
 これは、「臨席の人の容貌の如何」という条件(理由)に「映画の種類」という条件が重なることで、(被験者たちが思うに)第3者から見て、被験者の選択の理由が不明確になったからだ、と説明することが出来ます。換言すれば、強面の男性を避けたのではなく、あちらの映画が見たかったのだ、という言い訳があらかじめ可能となったからこそ、このような「区別・差別」が実行可能となったと言えます。
 
 
●「不利な条件」をわざわざ作る
 上記の実験例からも言えることですが、一面では、人間は往々にして、自分が何らかの行動を行う際に、自分にとって有利な条件不利にならない条件)があれば進んで行動し、それが無ければ行動を控える、あるいは有利な条件を作った上で行動を開始する、といえそうです。普通に考えれば至極当たり前の「合理的な」態度です。
 ところが、人は時として、「そんなことをすれば失敗するに決まっている」あるいは「そんな選択をすればどう考えても成績が悪くなる」と思われるようなことをわざわざする場合があります。つまり「非合理的な」*1ことをわざわざすることがあります。
 たとえば、・・・
 
 明日は自分の力量が評価されるような重要なプレゼンがある*2。その社員は決して有能な人間とは言えないものの、これまでのところ、ラッキーの連続で、少なくとも周りの社員からは有能な人間と勘違い(「帰属」)されていた、とします。ところが今回、その社員には、プレゼンをうまくやってのける自信もなければ、そのための準備を十分にした、という確信もありません。そこでその社員は、その前の晩に、わざわざその晩にやる必要はない「接待」をセッティングし、夜遅くまで取引先の人と飲み歩き、翌朝、睡眠もほとんどとらないままそのプレゼンの会場へと向かいました。
 
 この場合、前の晩に十分に睡眠をとって出来る限り万全の態勢でプレゼンに臨む、というのならまだ理解できます(→合理的)。とはいえそれとは反対に、睡眠時間と体力が消耗されてしまうのが分かっていながら、上記のような「不利な条件」を生み出すような行動(→非合理的)をわざわざとったわけです。何故でしょうか?
 
 この社員が何故に上記のような「自滅行動」を選択したのか。それを理解する鍵は、前回の「釈明」と同様、「帰属」の問題にあります。
 この社員が案の定、あまりうまくプレゼンを行い得なかったとします。とはいえ、その事実を以て即、この社員には「能力がない」と結論づけることが出来るでしょうか?答えは否です。この社員があらかじめ作り出した「不利な条件」のために、・・・
 
 その社員がプレゼンに失敗したのは彼の「能力」の所以なのか、それともその「不利な条件」の所為なのか、
 
 周りの他者たちから見て彼の失敗の原因=「帰属先」が不明瞭になってしまったからです。
 
 このように、「自分で自分に不利な条件を前もって課すことによって自分の行動結果の帰属先を攪乱させようとする営み」を指して、社会心理学では「セルフ・ハンディキャッピング」と呼んでいます。
 前回扱った「釈明」が「事後的に行われるもの」であるのに対して、上記のセルフ・ハンディキャッピングは「事前に」(「予期的に」(Anticipatory))行われるもの、と言えます。
 さて、上記の社員の例を再度引き合いに出しましょう。
 
 彼が案の定、プレゼンで失敗したとします。もしここで、上記のような「接待」の影響が全くない条件の下でそのような事態が生じてしまったとしましょう。
 この場合、その失敗の原因がその社員の能力の低さに求められてしまう危険性が即座に生じてしまいます。
 とはいえ、あらかじめ「接待」というハンディキャップを作っておけば、周りの人間は「彼に能力がないから失敗したのだ」と確信を持って推測することが出来なくなります*3
 ところが逆に、こういう条件の下でも彼が仮にうまくプレゼンを行うことが出来た、としたら「不利な条件があったにも関わらず彼は成功した」ということで、彼の能力の高さが倍増されて推測される可能性が出てきます。
 
 要するに、
 
 <不利な条件を実際に作り出しておくことで、失敗しても成功しても、自分にとって有利な評価(帰属)を引き出すことが出来る
 
 わけなのです。
 
 以上のように、一見「不利な条件」(非合理的)と見えるものが、実はこの場合、彼の目的(「自分の印象の低下を出来る限り低減する」)に照らすならば、きわめて「有利な条件」(合理的)として機能しているわけです。
 課題の遂行にとっては「非合理的な」選択ですが、「印象操作の実行」にとっては非常に「合理的な」選択となっているわけです。
 
●どのような人がセルフ・ハンディキャッピングを行いやすいのか?
 いつも成功している人、あるいはいつも失敗している人がセルフ・ハンディキャッピングを行う可能性は低いでしょう。むしろ、報酬は多く与えられているが、それが自分の何に対して与えられているのか、それが本人にとって明確ではない(ないしは自信を持って特定できない、確信できない)場合に行われるのではないか。こういう仮説のもとである実験が行われました*1
 この実験を行った実験者は、人間が得る「報酬」というものを二つのタイプに分類しました。
 
 「随伴的報酬」=自分の行動と直接結びつく報酬
 「非随伴的報酬」=自分の行動と直接結びつかない報酬
 
 自分の才覚と努力によって選挙戦を勝ち抜き議員になった人間と、大物議員の2世というだけで議員になった人間。
 前者は随伴的報酬、後者は非随伴的報酬である可能性が高いのではないでしょうか。また後者のタイプの報酬を受け取る人は、「私の成功は、私の行動(能力)に基づく*2ものなのか、それとも私が誰であるのかということに基づく*3のか*4という疑問に苛まれる可能性が高い、と安藤さんは指摘しています。 
 
  実験内容:
 「代謝障害の治療に使われる二種類の薬が知的課題の遂行に及ぼす影響を調べるための実験であり、薬を飲まない条件と飲む条件で、あるテストを行い、成績を比較する」*5という表向きの目的を被験者に話して実験が行われました。
 
 第1テスト・・・薬を飲まない条件で試験実施。10人の被験者のうち、5人の試験問題は、20問中16問が解答不能(従って当てずっぽうで答えるしかない)に設定されていて(A群)、4問が簡単に解ける内容に設定されていました。残りの5人の試験問題は、20問すべてがそこそこ解ける内容に設定されていました(B群)。
 試験が終了した後、10人すべての被験者に対して実験者は、10人の各々に個別に「20問中、16問が正解でした」と通知しました。
 すなわち、A群の人々は「非随伴的成功(noncontingent success)条件」に、B群の人々は「随伴的成功条件*6」に、設定されていたことになります。
 
 第2テスト・・・
 この後、第2テストに移るのですが、ここで実験者は被験者に次のように説明を行います。
 「薬には2種類あって、一つはこれからやって貰う課題の成績を上げるように作用するもの(「アクタビル」)、もう一つは課題の遂行を妨害するものであり(パンドクリン)、いずれも量が異なるカプセルが用意されている。好きなものを選ぶように。」
 
 アクタビルが4種類、中性的な薬が1種類、パンドクリンが4種類、用意されました。






 

(10ミリ)(7ミリ)(5ミリ)(2ミリ)(0ミリ)(2ミリ)(5ミリ)(7ミリ)(9ミリ)
                    →セルフ・ハンディキャッピング
アクタビル                           パンドクリン
  1点   2点 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9点

 
 
結果を端的に述べるならば、B群の人の方が得点が圧倒的に高く出ました。
 
 
※非随伴的報酬を得やすいタイプの人々*1
 1)女性の美貌=従来の社会心理学の研究では、美貌の持ち主はただ美しいというだけで、性格や能力まで高く評価される傾向が明らかになっているとのことです。
 2)家柄=由緒ある家柄の出というだけで、高く評価されることもあります。
 3)引退したスポーツ選手=過去の栄光故に高い評価を受け続けることもあります。多額の契約料でコマーシャルに出演したとしても、その評価(報酬)は、現時点でその人が持っている運動能力とは全く関係がありません。
 
●セルフ・ハンディキャッピングの諸類型
 一口にセルフ・ハンディキャッピングと言っても、大別して四つの種類に分けることが出来ます。その4象限を作る基準として、安藤は以下の二つの基準を挙げています。
 
「位置」・・・不利な条件を自分の内部に求めるか(内的)、それとも外部に求めるか(外的)の別
「形態」・・・不利な条件を自ら作り出すか(獲得的)、それとも既存の不利な条件を口にするか(主張的)の別。
 



 


 獲得的
 


  主張的
 


 内的


 


 薬物、アルコール摂取、努力の抑制

 


 精神的・身体的不調の訴え、不安感の訴え

 




 外的



 


不利な遂行条件の選択、困難な目標の選択




 


 課題の困難さの主張
 劣悪な遂行条件の主張





 

*1 テキスト『見せる自分/見せない自分』第3章。
*2 「Others」。社会学、社会心理学では、「自分以外の人々」を「他者」ないしは「他者たち」と表現しています。それに対して、本人に相当する人物のことを「当該行為者」とか「自己」とか「エゴ」ととか表現します。ただ「エゴ」と言う言葉を使うときには、「他我」(alter)という言葉を使うようです。また「自己」という言葉も、特に社会学では、人間のパーソナリティないしは性格という意味で用いられることもあるので、「当該行為者」・「ある人」・「ある行為者」という表現が最も適切かと思われます。
*3 「他者たちに」うまく「受け入れてもらえる」ような、という意味。
*4 テキスト、54頁。逆に言えば、失敗したときに「うまく説明が付けられそうにない(上手く言い訳が出来そうにない)」行為は、それをうまく成功させる自信がない場合には行われにくい、ということになります。
*5 テキスト、55頁を改作。
*6 まぁ何ともえげつない実験を行うものです。
*1 合理的行為と非合理的行為[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1195815/ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/kuwabara/20100918/phd14.jpg]。
*2 テキスト、56頁を改作。
*3 すなわち、失敗の原因が能力にあるのか、それとも接待にあるのか、その点が曖昧になってしまう。
*1 http://gyo.tc/IgQR
*2 「業績本位」。社会学の用語。
*3 「帰属本位」。同上。
*4 =この報酬(成功)がいつまでも続くわけではない、という不安。
*5 テキスト、61頁以下。一部改作。
*6 心理学の実験では、このように、しばしば被験者たちを「○○条件」という風に、実験後に(ないしは実験の過程において)、相互に比較の対象としうるような異なった「状態」(条件)に振り分けることがある。
*1 テキスト、60頁。
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