いわゆる「ハム・イクピョン医師事件」でも、そうした空気を目の当たりにした。ある地上波テレビ放送のバラエティー番組にレギュラー出演していたハム・イクピョン医師は、月刊朝鮮のインタビューで「安哲秀(アン・チョルス)議員」を批判し、「独裁」に言及し、女性の憲法上の権利・義務に抵触した罪(?)で世論の袋だたきに遭い、突然番組を降板した。一人の専門家が、日常の問題や一般的関心事について率直な意見を述べたのに対し、集団でののしってうっぷんを晴らす韓国社会の「わがまま風土」の中で、ほかならぬ国家的関心事をめぐって世論に反する発言を行い、生き残れる人物が、果たしているだろうか。厳格・非情な国民的検証システムを経てもいないのに、数回のテレビ出演で人気を得て国の指導者クラスに浮上する韓国政治の現実を批判したハム医師の指摘は、拍手を受けるに値する。
韓国人は、国内問題では俗っぽい言葉を使って血みどろになって戦う。一方がOKと言ったら、相手は是非も問わずNOだ。政治、イデオロギー、経済、社会、文化、どの分野でも合意を導き出すのは難しい。わざとでも戦い、戦いのための戦いも存在する。一方で対外問題では、異なる意見の入る余地は少しもない。良く言えば、互いに宿敵のように戦っていても、対外的問題では一致団結するのだ。しかし悪く言えば、国内では親族間の土地争いのごとくささいなことで対立しながらも、外に向かっては何も言えずしょんぼりと動くことに慣れてしまっているからではないだろうか。