現在、ウクライナ・クリミア情勢に関して強硬な姿勢を崩さないロシアへの、欧米各国の対応が注目されています。報道でも言及され始めているように、EUはロシアに対しエネルギーを依存している状況にあり、外交的なかけひきの材料となっています。
本記事は執筆者の鈴木一人氏にご快諾いただき、「EUの「資源外交」を巡る戦略とその矛盾」(『年報 公共政策学 第六号2012』2012年3月30日)を転載したものです(※表記に関する編集を適宜加えています)。天然資源の乏しいEUが、 これまでエネルギーに関する議論をどのように展開し、その困難を乗り越えようとしてきたのか。その背景をおさえ、現下の情勢を読み解いていただければ幸いです(シノドス編集部)。
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EU全域で見ると、エネルギーの対外依存度は57%であり、2030年には65%にまで上昇すると見られている[*1]。北海油田を除くと、域内に安定的で潤沢な地下資源を持たないEUは、日本と同様、資源を対外的に依存しなければならない状況にある。
また、既に市場統合を果たし、石油やガスの域内における移動の自由も保障されている市場であるため、EUが各国ごとに資源外交戦略を立てるよりは、EU全体で統一的な戦略をもつほうが、対外的な交渉力が向上し、資源供給国に対して有利な条件を引き出すことが出来ると考えられている。加えて、欧州域内におけるガスパイプラインや送電線のネットワークは緊密に連携しており、国境を超えた売買電やガスの流通が日常的に行われている状況の中で、EUが統一的な資源外交戦略をもつことは合理的に考えて当然である。
にもかかわらず、EUレベルでの資源外交というものは存在していない。それはEUの政策文書などで用いられる用語から見ても明らかである。欧州では「資源外交(resource diplomacyないしはenergy diplomacy)」という単語は滅多に使われず、主として「エネルギー安全保障(energy security)」という単語が用いられる。ここから明らかなように、EUにおける資源外交の中核には、いかにエネルギーの安定供給を確保し、安定した価格で調達できるのか、という問題が横たわり、それを達成するための手段として外交が展開される。
つまり、EUでの議論の中心は「エネルギー安全保障」であり、「資源外交」はエネルギーの安定供給のための手段の一つでしかない。さらに、エネルギーの安定供給を実現するための手段としての外交は、現在においても加盟国の権限として強く残っており、EU全体として統一的な資源外交を展開することが困難となっている。
このような状況の中で、EUの「資源外交」が成立するのか、また、成立するとすればどのような資源外交となるのかを本稿の検討対象としたい。天然資源の乏しいEUにおける資源外交の困難と、それを乗り越えていこうとするEUのエネルギー安全保障戦略を分析することで、分析概念としての「資源外交」の精緻化をすると共に、同じく天然資源の乏しい日本に対してのインプリケーションを見て取ることも出来よう。
[*1]Commission of the European Communities, An Energy Policy for Europe, Communication From the Commission to the European Council and the European Parliament. COM(2007) 1. January 10,2007. なお本稿では、地理的概念として、ヨーロッパ大陸全体(冷戦期については主として西ヨーロッパ)にかかわる場合「欧州」と表現し、地域機構としての政策などを論ずる場合は「EU」と表記する。また、EU 加盟国に限定する問題については「EU各国」、また欧州大陸の国家全体にかかわる問題については「欧州各国」と表記する
1.欧州のエネルギー戦略の前史
欧州がエネルギー戦略を必要とするのは今に始まったことではない。欧州が深刻なエネルギー戦略の危機に直面したのは、1970年代の石油危機であったが、そこで欧州各国は何らかの対策を取らなければならないとの認識を高めることとなった。その第一は、欧州各国間のエネルギー政策はもちろんのこと、世界的なエネルギー消費国の間の調整が必要ということであった。
そのため、1974年に欧州各国も参加する国際エネルギー機関(IEA)を設立し、需要側の調整を行うことで石油輸出国機構(OPEC)に対抗し、市場を安定させることを目指した。第二に、欧州各国はエネルギーの供給源を多様化させ、中東に偏っていた依存関係を緩和することを目指した。
その中で注目が集まったのはソ連である。冷戦真っ只中であるとはいえ、1960年代のドゴールの戦略的仏ソ関係の構築や1970年代のブラントの東方外交など、ソ連との戦略的交渉はこれまでも存在しており、欧州にとってはもっとも安定的で、安価なエネルギーの獲得手段としてソ連とのパイプラインの接続を目指した[*2]。
しかし、これは1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻によって大きな障害に直面する。この年から「新冷戦」が始まり、米ソ関係が悪化したことで、米国の同盟国である欧州の立場も微妙なものとなった。ソ連から見れば、経済的な衰退と米ソ間関係の悪化を緩和すべく、欧州からの投資と技術移転は重要な意味を持ち、欧州から見れば、エネルギー供給の多様化と安定化のためにも、ソ連との関係を強化する必要があった。そのため、欧州各国はソ連のアフガニスタン侵攻を批判しつつも、シベリア・パイプラインプロジェクトは継続されることとなった。
これに対し、アメリカはソ連への技術移転は対共産圏輸出委員会(COCOM)協定違反として、1981年から欧州各国に対して経済制裁を発動し、米欧間関係が悪化する事態となった。この時期はフランスで初の社会党大統領となるミッテランが政権に就き、ドイツではコール首相が政権についた時期であり、そうした政権交代期の不安定な状況の中で、ソ連とアメリカの間での戦略的選択をしなければならないという状況に追い込まれた[*3]。結果として、ソ連からのエネルギー供給を優先する欧州にアメリカが折れる形で経済制裁を撤回し、パイプラインの建設が進むこととなった。これが、現在にまで続く、欧州のロシア依存の基本的な構図となっている。
この問題は、1991年のソ連崩壊によってさらに複雑な状況を生み出すこととなった。これまでソ連の一部であったカスピ海沿岸からのガス供給を受けていた欧州は、ソ連崩壊によって15の共和国(バルト3国も含む)に分裂し、新たに生まれた共和国と個別に交渉する必要に迫られただけでなく、これまではソ連としてひとまとまりの対象であったため問題にならなかった「エネルギー経由国」が多数生まれることとなった。そのため、国境におけるガスの受け渡しなどが複雑になるだけでなく、ガスの供給国のほかに経由国とも交渉する必要が生まれた。
そのため、EUはソ連崩壊後の欧州におけるエネルギー秩序を安定させるために、「エネルギー憲章宣言(Energy Charter Declaration)」を1991年にオランダのイニシアチブで取りまとめ、ユーラシア大陸全体におけるエネルギー政策の規範的基礎を築こうとしたのである。この「エネルギー憲章宣言」に基づき1994年には「エネルギー憲章条約(Energy Charter Treaty)」が締結され、1998年に30ヶ国の批准によって発効することとなった(現在は51ヶ国が批准)[*4]。
この条約はエネルギーに対する対外投資規制の標準化やエネルギーの自由貿易、エネルギーの自由移動の保証、エネルギー効率化の推進、そして紛争解決メカニズムに関する規定が盛り込まれている。ここから明らかなように、この条約はソ連崩壊後のユーラシア大陸におけるエネルギーの欧州への安定的な供給を目指したものであり、欧州の資源外交の一つの金字塔となっている。しかし、これはあくまでもユーラシア大陸におけるエネルギー貿易の条件を定めたものであり、実際のエネルギー供給の安定化を保証するものではない。さらにガスの最大供給国であるロシアと経由国であるベラルーシが条約を批准していないという点も含め、この条約だけでエネルギーの安定供給が担保されているとはいえないだろう。
[*2]Zeyno Baran, “EU Energy Security: Time to End Russian Leverage”, The Washington Quarterly, Autumn 2007, vol.30, no.4, pp.131-144
[*3]Patrick J. DeSouza, “The Soviet Gas Pipeline Incident: Extension of Collective Security Responsibilities to Peacetime Commercial Trade”, Yale Journal of International Law, Vol.10, No.2, Spring 1985, pp.92-117; Stephen Woolcock, “East-West Trade After Williamsburg: An Issue Shelved but not Solved”, The World Today, Vol.39, No.7/8, Jul.-Aug. 1983, pp.291-296.
[*4]各国の調印・批准状況に関しては、http://www.encharter.org/fileadmin/user_upload/document/ECT_ratification_status.pdf を参照。ロシアとベラルーシは調印のみだが、暫定的に条約を適用している。