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【社会】

「おかしいのは分かっていた」 冤罪可能性 最初に指摘

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 「逮捕から四十八年。最初からおかしいのは分かっていた」。元プロボクサー袴田巌さん(78)の冤罪(えんざい)の可能性を最初に雑誌や著書で訴えたジャーナリスト高杉晋吾さん(81)=埼玉県入間市、写真=はそう話す。高杉さんは一九八〇年から約二十年間支援活動に携わったが、今は離れている。だが「袴田君のことは頭からずっと離れなかった」という。

 最初に事件に関心を持ったのは七〇年代後半。既に袴田さんは一審で死刑判決が言い渡されていた。のめり込む発端は逮捕後の取り調べ状況を伝えた新聞記事。袴田さんが捜査員に対し、プロボクサー時代のフィリピン遠征試合の思い出を語ったという内容で「警察官が調べてみると、フィリピンに行ったというのはうそだった」と伝えていた。

 疑問を抱いた。なぜ警察は記者にこんなことを話したのか。「袴田さんはうそつきだという印象を植え付けたかったのではないか」

 高杉さんが記録を調べると、袴田さんは実際にフィリピンで試合をしていた。調べれば調べるほど、おかしな問題が出てきた。公判中に突然発見された五点の衣類、通れない裏木戸や凶器としては小さすぎる小刀…。

 八〇年に死刑が確定。高杉さんは「闘いはこれからだ」と誓い、ボクシング評論家の故郡司信夫さんらと支援団体をつくり活動を始めた。八一年に「地獄のゴングが鳴った」を出版、世間に訴えた。

 高杉さんは「当時はボクサー崩れという偏見があり犯人視された。今の社会も差別や偏見に満ちている。第二の袴田君をつくってはいけない」と警鐘を鳴らす。

 

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