やっぴらんど楽しい世界史19世紀

ナポレオンの影武者

no.164稀代の風雲児ナポレオンは、セント・ヘレナからの脱出もままならず、この荒涼たる絶海の孤島で、1821年5月5日、52歳の生涯を閉じた。

しかし、熱烈なナポレオン党のフランス人は、本気でこう言うのだ。

「ナポレオン・ボナパルトは、セントヘレナで獄死するような脆弱な人物ではない。あそこで死んだのは替え玉だったのさ。皇帝自身が言っているではないか。余の辞書には不可能という文字はない、と」

事実、ナポレオンには替え玉が存在したのだ!

替え玉の名は、フランソワ・E・ロボ。1771年生まれというから皇帝とは2歳ちがい。小さな寒村出身だったが、年恰好から背丈、声音までそっくりで、軍隊に志願、従軍したとき、周囲の兵士たちは、「皇帝が兵士に変装して、隊の視察に来たのではないか」と、ロボを眺めて戦々恐々だったというから、その相似ぶりは真に迫っていた。

兵士仲間では誰が言うともなく、「陛下」というニックネームがロボに冠せられた。

村では妹とたった二人っきりの貧しい百姓暮らしのロボは、少しでも稼ごうと思ってナポレオン軍隊に志願したのだが、そこで「陛下」と呼ばれてびっくりした。村から一歩も出たことのなかったロボは、皇帝の顔など一度も見たことがなく、自分がそんな偉人と瓜二つだなどとは思いもよらなかった。

そのころ、ナポレオンは自分の影武者を探していた。「陛下」というニックネームの兵士の噂はすぐに側近の耳にもはいり、百姓ロボはナポレオンの前に連れてこられた。

「まったく妙な気分だ。余は鏡の中の余を眺めているようじゃ」と、皇帝が言ったかどうかは知らないが、

彼が影武者としてロボを申し分ない男と判定したのは確かだった。しかし、影武者としてのロボの任務はついに遂行されることはなかった。身代わりになるチャンスはなかったのである。

ワーテルローの戦いが終わると、彼は故郷の村へ帰った。そして再び、妹と二人で百姓仕事に精出す毎日に戻った─。

そして問題はこれからだ。

ナポレオンがセント・ヘレナに幽閉されて3年後の1818年夏、ロボが住む村に、豪華な四頭立て馬車が訪れた。馬車は人目を忍ぶようにしてロボの家の前に停車した。馬車の中から立派な服装の紳士が二人、家の中に入ったのを何人かの村人は確かに目撃した。あとでロボにたずねると、「なあに、俺がウサギを飼っているのをどこかで耳にした連中が、毛皮用に買いたいってわけで立ち寄ったまでさ」

それから3・4日後、ロボと妹の姿は忽然と村から消えた。

2年後、妹がパリの街角で偶然発見された。兄の行方を問いだされると、「兄さんは遠い国へ行っちゃったわ。外国航路の船に乗って……。」
ロボが姿を消したのと符合するように、北イタリアのベロナの町に、レバールと名乗るフランス人がやって来て、眼鏡と宝石の店を開店した。

年は50がらみで頭はかなり禿げ上がり、眼光は鋭く、しかしどこか身体の調子でも悪いのか、青白い顔をしていた。店はペルトリッチという男に任せきりで、ほとんど1日中奥の部屋で過ごしていた。そして、レナードはナポレオンにそっくりだったのだ……。

1823年8月23日の夕刻。ひとりの男が彼の店に飛び込んできた。30分ばかり話し込んだあと、レバールは出てきてペルトリッチに革表紙の書類を手渡した。「急用でパリに行ってきます。もし3ヵ月たって私が戻らなかったらこの書類を国王に届けて下さい。」

レバールは非常な慌てぶりで、夕闇の中に消えていった。
ナポレオンがセント・ヘレナに流刑されたあと、皇后マリー ・ルイーズと一人息子は、ウィーンのシェーンブルン宮殿に住んでいた。

レバールが血相変えてベロナの町から姿を消して12日たった1823年9月4日の夜。息子ナポレオン2世は、高熱にうなされていた。母は今にも息絶えそうな愛児の手をしっかり握って看病していた。

その夜11時すぎ。宮殿の高い塀をよじのぼって侵入しようとした賊が、衛兵によって射殺された。死体は庭番の小屋に投げ込まれたのち、無名墓地に葬られた─。

そうです。

あのレバールなるフランス人こそ、セントヘレナを脱出したナポレオン1世。ウィーンから一人息子の危篤の報せを受け、駆けつけたところであっけなく射殺されたのだ。そしてフランソワ ・E・ロボは、孤島のナポレオンと巧みに入れ替わったのである。さて、その替え玉の方はいったいどうしたか。

多くの証言によると、皇帝は胃ガンで死ぬ1年半ほど前から急に“人が変わった”。無口になり、それまでの日課であった著述や口述筆記もほとんどせず、驚くべき記憶力は消え失せ、急激に忘れっぽくなった。そしてできるだけ側近や医者を遠ざけるようになった。そのかわりに、天気の良い日には畑仕事に精をだした。さらに、ナポレオンの筆跡はひどく変わってしまった。サインも以前のものとは別人のようになった。

彼の死後、その毛髪から大量のヒ素が検出された。結局、替え玉ロボはその存在意義がなくなったために殺されたのだ。

以上が、イギリスのジャーナリスト、E・エドワードの「替え玉説」のストーリーである。

もちろん反論もある。ソ連の歴史学者E・ナターソンは、根拠を挙げて「替え玉説」に真っ向から反論している。

参考:浜洋『世界の謎と怪奇』(大陸書房)