「米軍や韓国軍の駐屯地に近い都市には、韓国人経営のナイトクラブ、バー、キャバレー、ホテルなどが密集していて、その多くは売買春施設でもあった。風俗産業の相当の部分が韓国人に握られていたといっても過言ではない。その種の事業に関係する日本人は私の知る限りは2人だけでしたが、韓国人は数百人単位でいた」
一方、韓国軍が駐屯していた中部の激戦区では、基地内に「慰安所」というべき施設が存在したという。井川氏が明かす。
「サイゴン東北の米軍ライケ基地には、有刺鉄線を張りめぐらした性的慰安施設があったが、それと同種の施設が韓国軍の主要野戦基地にもあった。外部の人間からは隔離されていたので確認できなかったが、韓国軍がベトナム人女性を慰安婦として扱っていたことは間違いない。
当時、親日的な在ベトナム韓国軍高官に夕食会に招かれ、彼の公邸に行ったことがある。応接間には、超ミニのワンピースのお仕着せをまとった少女が数人いた。揃いも揃って美人。年齢は15〜17歳ぐらいにしか見えず、少女のあどけなさを感じた。そのうち2人の少女が私をはさみ、食事を口に運んでくれるのです」
彼女たちはただの接待要員ではない。次に高官が口走った一言で、井川氏は確信したという。
「少女たちをどこから集めたか問うと高官は答えをはぐらかし、『気に入った子がいたら連れ帰ってもいい』というのです。彼女たちは明らかに戦争難民でした。私はもちろん断わったが、高官の態度から察するに彼女たちは友好国の上級軍人や高官をもてなす存在だったのでしょう。ベトナムで韓国人は軍民一体となり、管理売春に手を染めていたのです」
※週刊ポスト2014年3月28日号