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たとえば、ある女性が好きな男性に妄想を抱いたあげく、「私は彼女だもん」と思い込んでしまう場合がある。
一躍時の人になった彼女もこんなほろ苦い経験があったと『週刊文春』が書いている。高校は県内の私立進学校。
<「当時は、後に国立医学部に進学したバレー部の秀才にずっと片思いしていました。彼にはその気がなかったようですが、彼女はとても思いが強く、『もう諦めたほうがいいよ』と忠告する友人たちに『もう彼女だもん!』と泣きながら食ってかかり、ハラハラしたほどです」(同級生)>
( → j-cast )
これは、「思い込みが激しい」というふうに報道されているが、私は違うと思う。
《 訂正 》
「人権侵害かも」という指摘が来たので、以下は公開停止の扱いとします。読みたい人だけが工夫して読めますが、その責任は、ご自分で。
( ※ 私としては、読むことを推奨しません。)
これは普通の人の「思い込み」とはかなり違う。ほとんど病的である。「軽度の認知障害」と判断していいだろうかもしれない。脳に微弱な欠陥があると見ていいかもしれない。(【 訂正 】「かもしれない」と書き直しました。)
日常生活を送るには不自由はしないだろうが、人々との関係では「変な子だな」と思われることがしばしばあるはずだ。
さらに、日常生活でなく理系の仕事をやるとなると、大いに問題が生じるはずだ。およそ論理的な段階を踏む行為は実行不可能だと思う。ほとんど倒錯とか錯乱とかの状態になりそうだ。理系の論文を書くなんて、もってのほかである。
こういう人であれば、当然ながら、理系の入学試験をパスできるはずがない。パスするとしたら、AO入試ぐらいしかないだろう。AO入試なら、「学力でなく人柄で決める」という感じなので、うまく行けばパスできる。特に、意欲があると見せかけることができれば、楽にパスできそうだ。また、入学後には、カンニングとコピペで何とか卒業までたどりつけそうだ。
これは、人格障害とは違うか? もちろん、違う。人格や性格のようなものが歪んでいるのとは違って、単に能力の一部が弱いだけだからだ。
これはパラノイアとは違うか? パラノイアは妄想をもっているので、『もう彼女だもん!』というふうに妄想をもつ点では、合致している。ただ、パラノイアの場合には、何らかの妄想が先にあって、その妄想に合わせて現実の行動を取る。たとえば、「私はあの人の恋人だ」と思い込んだあげく、あの人の恋人としてふるまう。(勝手に腕を組んだりキスしたりつきまとったり。)
今回の事例では、そういうことはない。妄想に沿って現実から遊離した行動を取るということはない。単に現実認識が狂っているだけだ。それゆえ、パラノイアというよりは認知障害である。
認知障害であると、自分が何をしているか理解できなくなる。たとえば、STAP細胞だと思って、ES細胞をいじったりする。ここでは、人をだますというような意図はない。本人はあくまで正しいことをしているつもりである。ただし、正しいことと間違ったこととの区別が、うまくできないのだ。
比喩的に言えば、思考の赤緑色盲である。赤緑色盲ならば、赤と緑の区別が付かない。それと同様に、STAP細胞と ES細胞の区別が付かない。まったく区別が付かないのではなくて、(軽度の障害のせいで)認知がときどき混同してしまう。ある時点までは、STAP細胞と ES細胞を区別できているのだが、いじっているうちに、記憶が歪んで、どっちがどっちだかわからなくなる。その状態で、「うまく細胞が増殖したんだから、これはきっと STAP幹細胞なんだ」と都合よく決めつけてしまう。
こうして、「自分で自分をだます」という状況になる。この場合、自分自身がだまされているのだから、そのあとで他人をだますことはない。たとえば、STAP細胞だと言って ES細胞 を渡すことは、他人をだますことには当たらない。なぜなら、本人がそれを STAP細胞だと思っているからだ。(自分が自分にだまされているからだ。)
これがつまり、認知障害である。重度の認知障害だと、何が何であるかもまったくわからなくなるが、軽度の認知障害では、若干の混同があるという程度だろう。この場合、日常生活ではちょっと不便だというぐらいで済むが、理系の実験では、致命的なエラーが起こるだろう。
このような「軽度の認知障害」が、「愚かさ」の真相であると思える。
【 関連項目 】
→ ハンロンの剃刀(かみそり)
「愚かさで説明できることに、悪意を見出すな」
という、格言のようなもの。
この部分は???
ご指摘ありがとうございました。
「STAP細胞だと思っている」
に書き直しておきました。
管理人さんに対するおもいっきいの皮肉。
私は、まあ精神保健福祉法の措置入院の起案をして、人格障害、精神障害の人をいろいろ見てきました。が、Oさんには鑑定できる情報はまったくといってほとんどありません。面接していないからです。
それで鑑定している人、しているつもりになっている人の方が「おかしい」のです。
それは関係ありません。本項はあくまで「軽度」です。何度も書いているんですけど。
「軽度」と「それ以外」とは、プロなら区別できますよね? 前者は日常生活には差し支えのないレベルです。
> 鑑定している人、しているつもりになっている人
そんな人、おらんでえ。
推測している人がいるだけでしょう。
まだ存在そのものが捏造だったと断定されたわけではない「STAP細胞発見の成果」を第三者に泥棒させないために、理研は小保方さんを中心に据えた研究チームを支援し続けるべきなのでしょうか?
> 推測している人がいるだけでしょう。
冗談を通り越しているレベルなので、やめた方がいいでしょう。逆に管理人さんが「変人」を疑われます。(管理人さんを「人格障害」と言えないのは面接をしていないからです)
専門家ですら何度か診断を行ってから判断しますしネットやメディアからの情報だけで【「軽度の認知障害」と判断していいだろう。脳に微弱な欠陥があると見ていい。】(引用)と記載してしまうのはよくないと思われます。