歩き慣れたコンクリート、うんざりするような人の海、汚れのこびりついたビルの群れ。「もう景色の情報は頭に入ってこなくても良いよ」と思うほどに飽き飽きする街を歩いていると、ふと自分がいつもの半分ぐらいの大きさになってしまった様に感じる事がある。まるでゴミ置き場に捨てられた小さな人形の様に寂しげな感覚。ぶん投げられて、仰向けで寝転がった状態から立ち上がれなくなり、視界に広がるのは自分よりもずっと大きな景色。目に映るもの全てが僕に押し寄せてくる錯覚も起き始め、人生に対する恐怖心が沸き上がり、内から震えが発生する。僕が希に体験する超常現象だ。
不安や恐れが視界を歪めているのかもしれない
感情の色が濁ってしまう嫌な出来事があった直後は自信の喪失が起きる。人形の様な感覚に陥るのは大抵そういった精神状態の時だ。“不思議の国のアリス症候群”と言う、正常な視力を持っているのに、自分を含めた身の回りが大きくなったり小さくなった様に感じられるという病気があるがこれに近い。未だこの病気の原因は判明していない様だが、僕は自分なりに答えを出した。
原因解明のために考えた結果
“不思議の国のアリス症候群”は、金縛りと似た性質のものだろう。僕は十代の頃、一年間で二百回、一日で三回など頻繁に金縛りが起きていた。一括りに金縛りといっても実はいくつか種類がある。完全に夢の中に入り込んだ状態、完全に現実、夢と現実の狭間。僕が経験してきた金縛りの種類はこの三つだ。僕は、この中の、夢と現実の狭間が怪しいと睨んでいる。自身を喪失し、この世から消え去りたいぐらいの感情になっている時は、視野狭窄に陥るだけではなく外界の情報を遮断しようと考え、自らの頭の中を逃げ場として引きこもる。これが症状の出る原因なのではないだろうか。
稀に、極度の緊張状態に置かれるとばたんと眠りこけてしまう人がいるが、僕の場合は中途半端にそれが起き、夢と現実の狭間を彷徨っているのかもしれない。そうであれば、街が急に巨大化して僕だけが小さくなるという超常現象は夢の産物と言う事になり納得出来る。夢が現実を侵略して来ていると考えると、それこそ心霊的な恐怖を感じるがそこは仕方ない。今思い返してみれば、“不思議の国のアリス症候群”のような症状が現れる時は、夢の中での感覚に近い気がして来た。思考も視界も揺れているし、これは正に現実の世界で夢を見ている。夢を見ながら歩いていると言う事なのだ。
冷静に考えるとその程度のことなのだろう
実際に自分が人形の様に小さくなってしまう感覚になる時は、恐怖のあまり霊の存在について考え始めてしまう事もあるが、そこまで大袈裟なものではないのだ。所詮は僕が作り出した低レベルな頭の中の映像が、現実と重なり合って見えているに過ぎない。心霊現象に関しても、僕は信じていない。しかし、信じていないからこそ、霊が現れた場合の恐怖度は尋常では無いと思う。もしかしたら取り乱してしまった勢いで自害してしまう可能性もあるのではないかという懸念を抱いている。人形の様な感覚になるという子供騙しな現象に悩まされる事により、幽霊が怖くなってきたのもあるので対策の為に本を購入して読み切った。『幽霊を捕まえようとした科学者たち』と言う本である。この中に、僕の恐怖心を成仏させてくれる文章があったので引用しておく。
例えば幽霊を見たと称する人はほぼ例外なく、死者はきちんと服を着ていたと言う。なぜそうなのか? エレナーの言葉を借りれば、なぜ「服の幽霊」が出るのか? 幽霊とは死者の霊ないし霊エネルギーの現れである、とは言えるかもしれないが、シャツやスカートにも死後の生があるとは考えにくい。なぜ服もいっしょに戻ってくるのか?
この文章に出会えたお陰で、もう霊には負ける気がしない。仮に僕の前に登場しようが、「霊の分際で洒落たファッションに身を包んで厚かましい顔で寝室を浮遊するな」と説教をしてやれる自信がついて来た。もしかしたら僕はもう、人形の様な感覚に陥っても、その瞬間自体を大いに楽しむ事が出来るかもしれない。
定期的に人形の様な感覚になりたい
それはとても怖い事であるし、誰にも守って貰えないたった一人で苦しまなくちゃいけない小さき時間ではあるのだが、貴重な時間と考える事も出来る。人形の様な感覚と言うのは、五歳の頃に街を歩いた感覚に似ている。どんなぐうたらオヤジを見ても奥行きのある大きな存在に感じたし、立ち並ぶ家を山と捉え、電線は楽譜に見えた。あどけない思考の果てに生まれた答えを真理だと思い込んでいたあの頃が懐かしい。もしかしたら、人形の様になってしまう症状によって、過去の時間を少しばかり切り取って今に持って来れるのかもしれない。
何となしに、自分が恐怖で怯えてしまう事ついて考え始めた結果、この人形の様になってしまう症状は宝とでも言うべき思い出の一種になるのではないかと思い始めた。それは、子供時代の様でもあり、夢の世界が現実に侵略に来るSFチックなものでもあり、見飽きた世界が見せる寸劇でもある。もはや感謝するべき症状なのだ。もちろん怖さはある。けれど、追い詰められている様に感じるのも、町並みがちゃっちい作り物に見えるのも、自分がちっぽけな存在になってしまうのも、全ては世界の総合演出なのだ。
これからも僕は、小さな人形になって世界に追い詰められて行こうと思う。それはそれでありなのだ。
- 作者: デボラブラム,Deborah Blum,鈴木恵
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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十八歳の頃は本当に金縛りに耳鳴りに酷かった。夢と現実の狭間で金縛りが起きた時は、自分の体が浮遊している様な感覚に陥った事もあるし、夜中なのに電話が鳴り響いたり、真上に人形の様なものが浮いていた事もあった。この頃は霊に絞め殺されるのではないかと恐怖していたが、今考えたら現実に夢が侵略を掛けて来ているのだから、異常が展開してもおかしい話ではない。どんな物事も深く問い詰めていけば、こんなもんかと思える事ばかりだ。大人になると恐怖の理由すらも説明出来る様になるんだな(*^_^*)