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事件
【重かった扉~袴田事件 再審決定・釈放】(上)背中さすり「お帰り」 表情緩め「ありがとう」
拘禁反応「姉いない」
「みなさま、本当にありがとうございます」。再審開始決定を受け、静岡地裁前で秀子さんは声を震わせた。30年以上にわたり毎月1回、東京拘置所に通い、弟を支え続けてきた姉は感極まった。
浜松市に住む会社員一家のもとに育った。秀子さんと袴田さんはきょうだいの中でも年が近く、幼い頃から仲が良かった。「おとなしい、口数の少ない子。いつも一緒だった。スポーツが得意でね」。中学校卒業後に弟がボクシングを始めたときも「好きでやっていることだから応援しよう」と決めた。
やがてプロボクサーを引退した袴田さんは、昭和36年にみそ製造会社に就職。41年6月に事件が起きる。「しばらくは息を潜めて暮らしていました。何も言うまい、黙っていようと思っていた」
面会に通ううち、袴田さんに拘禁反応が出始めた。「痛みを出す電気で攻撃されている」「ごはんに毒が盛られている」…。認知症も進行して「姉なんていない」と話すようになり、面会を拒否した。
秀子さんは「長い拘置所生活で、まともでいるという方が無理。『拘禁反応は出てくれば治る』とみなさんが言ってくださるので、それを信じたい」と語り、今後も弟を支える決意を示した。
菅家さん「よかった」
再審で無罪を勝ち取った人たちも喜びの声を上げた。
「良かった。(再審開始決定に導いた)DNA型鑑定といえば、自分と同じ。自分のことのようにうれしい」。栃木県足利市で平成2年に女児が殺害された「足利事件」の再審で無罪が確定した菅(すが)家(や)利和さん(67)は話す。
静岡県島田市で昭和29年に女児が殺害された「島田事件」の再審で無罪が確定した赤堀政夫さん(84)は「検察官には絶対に即時抗告をしないように言いたい。裁判所は一日も早く袴田君の再審裁判を開いて、無罪判決を出してほしい」と語った。
「最有力証拠の5点の衣類は捏(ねつ)造(ぞう)された疑い」「衣類の色合いや血痕の赤みは不自然」…。静岡地裁の決定文には当時の捜査を痛烈に批判する言葉が並ぶ。静岡県警の佐藤真哉刑事企画課長は「県警としてはコメントする立場にない。今後の裁判の結果は関心を持って見守っていきたい」と述べるにとどまった。
袴田さんの今後は未定だ。「(社会に)順応しながら、ゆっくり過ごしてもらいたい」と弁護団は話しており、当面は人前に出ないという。
◇
逮捕から48年。死刑判決確定から34年を経て、ついに司法の重い扉が開いた。27日の再審開始決定を受け、釈放された袴田巌さん。関係者の反応を追った。
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