闇の獣
ギザギザの翼、槍の矛先を持つ長い尻尾。
おおよそ人間とはかけ離れた部位を晒した自分の弟子に押し倒されて、私は久々に動揺した。
「マスター、どうしたんだ?」
それはこちらの台詞だ。
私は先程までいつもの組み手をベクターとしていた筈で、その時はこんな仮装紛いのものはなかった。
揺らめくベクターの尻尾が私の腕に緩く絡んだところで、ようやく上体を起こす。
器用に立ち退いたベクターは不思議そうに首を傾げてみせ、相変わらずその長い尻尾をゆらゆらと遊ばせている。
「ベクター……その尻尾は、いやその翼もだが……」
「…?マスター、何のことだ?」
「惚けるな。それともふざけているのか」
「……マスター、気を悪くさせたのなら謝るが…。どこか頭を打ったのか?受け身はとれたのか?」
「…………」
話がうまく噛み合っていない。
ベクターの背中から生えているだろうその翼も、尻尾も、ニセモノだとは思えない。
だが、目の前の弟子がいきなり悪魔のような姿になっていたなどという非現実的な出来事に納得できるほど私もできてはいないらしい。
ソレが本物かどうか、歩み寄って直接翼に触れてみる。
「……マスター?」
「…………………」
丈夫である、骨格も肉も皮も本物だ。僅かに見える血管もとてもニセモノには見えない。
「ベクター……コレは、本物なのか?」
馬鹿らしい質問ではあるが、尋ねずにはいられない。
「ああ、勿論だが……ソレがどうかしたのか?何か目立つ傷でもあったか?」
「………いや、そうではないが…」
どうやらこの翼も尻尾も、本人にとっては生えていて当然のものらしい。まるで私だけ感覚がおかしいのかと疑ってしまう。
「具合でも悪いのかマスター……顔色が良くない」
「……そうかも、しれないな……」
自分は狂ってしまったのだろうか。それともこの弟子が狂っているのだろうか。
いい加減不審な師の態度に憂う弟子の様子を見て、一度冷静になろうと背を向けた。すると、
「いッてぇぇえ!!!」
「だから動くな…すぐに終わる」
「尻尾まで切ったりしねぇよ、暴れるなって…ッ!」
「ああもう、だから掃除中は大人しくしてろってキツく言ったんだぞ」
リビングブースへ繋がるドアから転がり込むように、ローンウルフとエージェント、スペクターとベルトウェイが現れた。
よく見なくてもわかる、奴等の背中からもベクターと同じ蝙蝠のような翼が生えている。
その中の一人だけ、悶えるローンウルフの尻尾は掃除機のノズルに吸い込まれているようで、スペクターとベルトウェイが必死に外そうとしていた。
「お…お前達……」
「いてぇって!マジでもう無理!」
「キィキィ喚くな!オメーの尻尾が矢印型だからうまく抜けないんだよ!」
「だからって何で容易に切る方向に…いてててて!!」
「クックッ……邪悪な悪魔らしくてカッコいいと言えば言えないこともないが、今はそのカッコいい形状が災いして大層残念なことになってしまっているな」
「笑い事じゃねぇ!!」
「大丈夫だ心配するな切れるのはノズルだけだたぶん」
エージェントがその手に持つハサミを掲げて、それを見たローンウルフがめちゃくちゃに暴れ回る。
「全く…何をしているんだ」
背後に立つベクターが私を通り過ぎてその団子の中へ向かう。五人の悪魔が揃ったところで、いよいよ私は不安に駆られた。
そっと自分の背や腰周りに触れてみる。何もない。
どうやら自分は正常…と言えるのかはまだ断定できないが、一応は人間である。
「引っ張っても抜けねぇならもう切るしかねぇだろ!」
「観念しろ、ローンウルフ。自業自得だ」
「ぜっ……てぇ嫌だ!!」
するとローンウルフはやおら立ち上がって力任せに尻尾を振り抜いた。その結果は当然ながら、掃除機は木端微塵になり。さらに悪いことには今まで吸い込んだゴミのコレクションが全部、訓練施設の部屋中に撒き散らされてしまった。
「何てことをするんだ!」
「ゲホッ!埃くせぇ…!」
「買ったばかりの掃除機が…!」
「こらローンウルフ!何だその態度は!」
埃まみれの団子の中から抜け出た悪魔は真っ先に私の方へ飛んできて背中へ隠れる。邪悪なローンウルフは長い尻尾を一振りしてフン、とそっぽを向く。
ベクターはハッと気付いて訓練施設の窓を開けにかかる。
「……ローンウルフ」
「何だよ。可笑しかったら笑えよ」
「そうではない。お前達のその翼と尻尾は……」
「尻尾?ああ、なんとか無事だぜ」
「違う。そうではない。そうではないんだ」
「……?」
私の肩から顔を覗かせて、ローンウルフが首を傾げる。
「お前達が異常なのかそれとも私が狂っているのか……その翼と尻尾は何なんだ。お前達は………悪魔なのか?」
怖いわけではないのに、らしくもなく震えた声が出る。騒がしく埃を片付ける奴等の様子を遠い目で見ながらそう尋ねると、ローンウルフは笑い声を含ませて答えた。
「悪魔なんだから、こんなの当たり前だろ」
だが、しかし、
「私には……お前達のような翼や尻尾がない」
「はあ?そりゃあ、あんたは……」
「死神」
揺さぶられる感覚に頭がぐらつく。
「死神、おい大丈夫か?」
ぼんやりと声が聞こえる。
「受け身はその時ちゃんととれたのか?」
「いや、もしかしたら俺の投げ方が悪かったのかもしれない…」
「おいおい、バーサ呼ぶか?」
「バーサはやめておけ……下手な町医者よりある意味タチが悪い」
「氷を持ってくる。頭部は動かすなよ」
聞こえる声と意識がハッキリと鮮明になったところで、己の上体を起こした。すると、心配そうに顔を歪めた弟子がすぐに詰め寄って来た。
「マスター!大丈夫か?すまない、俺が投げ方を誤ったばかりに……!」
「おい、蘇ったぞ」
「ああ、でも一応冷やすべきだろう」
「それなら俺も行くか…」
見渡すと、メンバーが全員で私を取り囲んでいる。後頭部が少し痛む。どうやら打ち付けたらしい。
「ベクター……コレは一体……」
「組み手で負けたんだろ」
「黙れ! マスター、気にしないでくれ。それより、後頭部は大丈夫か?出血はないが、気を失っていたようだから一応衛生兵に診てもらった方がいい」
「気を失っていた…?」
「おう、短時間だけどな」
「………………」
「……どうした、急に黙り込んで」
改めて見るが、ベクター達にあの翼も尻尾も見当たらない。夢、だったのだろうか。
「……マスター」
「……ああ、私なら大丈夫だ。すまない、心配をかけたな」
憂う弟子を安心させようとその肩に手を置こうとする。
「ほら見ろ、死神がこの程度で死ぬわけねーだろ」
「…!」
「黙れローンウルフ」
「何だよ怒るなよ」
言い争うベクターとローンウルフ。
何かが引っかかる。痛む後頭部を押さえて考える。
「だってそうだろ」
『私には……お前達のような翼や尻尾がない』
『はあ?そりゃあ、あんたは……』
「なあ、死神」
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