最近では「機会格差」の問題が語られることが多くなっている。
たとえば貧困層が経済的な事情から大学への進学をあきらめるような構造的な問題が、日本でも今後は深刻化していくことだと思う。親が低学歴なら子も低学歴、という風に格差が階層化し、永久に続く問題だ。マイルドヤンキーをめぐる分析をみていても、今後は日本も一握りの超富裕層と大勢の下流の二極構造となるアメリカ型社会に移行していくものと思われる。
だが、こうした社会を招いたのは政治家だけの責任だろうか?
私はそうは思わない。これはむしろ50代~40代の中年世代たちの問題だと思うのだ。
団塊世代より上の世代であれば、世の中のそこら中に「機会を与える立場の人」が居た。
私の死んだ祖父は学校教師だった。盆の墓参りのために家を尋ねると、四六時中、来客の対応を行っていたり、難しそうな長電話をしており、ほとんど孫と遊んであげる暇などなかったものだった。相手はみな卒業した教え子である。
昭和の学校教師は、単なる公務員とは異なり、人生のすべてをかけて「先生と教え子」の関係をまっとうしていたのだと思う。
けっして富裕層ではなく、ガレージの車はトヨタの大衆車が置かれた家である。もしかしたら教え子の方が経済的に裕福になっているかもわからないが、それでも大の大人が老人に「先生」と呼び続け、親密であり続ける人間関係は、地域の絆につながっていたものだと思われる。
ドラマ「3年B組金八先生」はそうした本来の形の教師を第一シリーズ以来描いている。主人公の坂本金八は、クラスの問題児に対してプライベートを割いて世話をし続けた。シリーズが長引くなかで、大人になった3B卒業生がゲスト出演することも頻繁になっていった。坂本を演じた武田鉄矢は団塊世代である。
ところが平成生まれの私の世代は、そんな教師を見たことも聞いたこともない。どの教師もただクラスを受け持つだけの公務員であり、休み時間に生徒相手に「休日はひたすらパチンコで暇をつぶしている」と公言していたいい加減な授業を行う若手の担任もいた。
(「3年B組金八先生」より)
1983年にビートたけしが結成したたけし軍団は、歴代総数を100人超えるグループだという。軍団結成の理由は「漫才が限界で団体芸をやりたかった」とも「草野球をしたかったから」ともいわれているが、たけしは若い世代にお笑いの世界に入る機会を作っていたのも事実だろう。お笑いタレントから政治家に転身した東国原英夫前衆議院議員も、たけし軍団がなければ、世間に知られることなくただの会社員として生きていたかもしれない。
今年亡くなったやしきたかじん氏には、何かと荒くれたエピソードが多い。番組収録中に激怒し、スタッフを殴ったりセットを壊したりしたあげくそのまま帰ってしまった「味の素事件」や、読売新聞の記者に暴力をふるった事件など、さまざまな不祥事がある。
しかし一方で、人生相談番組に出た失業者を自分の会社に就職させたとするネットの書き込みもある。この信ぴょう性は定かではないが、若手時代の明石家さんまに与えた「一生の恩」のエピソードなどを見てもあながちありえない話ではないと思う。
彼は最期まで良くも悪くも人情味にあふれた大阪のおっちゃんだったのだろう。
(故やしきたかじん)
「機会を与える立場」にいたビートたけしもやしきたかじんも団塊世代である。一方「機会を与えられた」タレントも同じ世代にいる。それはまもなく32年の歴史に幕を下ろす「笑っていいとも!」の司会者のタモリだ。
もともとタモリは福岡在住で、月に一度カンパで集めた資金で上京し、即興芸を披露する生活を行っていた。
そのタモリの芸に注目したのが、数年前に亡くなった漫画家の赤塚不二夫だ。赤塚は当時、「天才バカボン」のヒットによってマンションやベンツを保有する豊かな暮らしをしていたが、タモリを東京に引き止めようと住まいに居候させた。タモリはそれらを自由に使えるだけでなく、赤塚から月2.30万の資金が支給されたという。
その豊かな環境のお蔭で、タモリはテレビ出演を果たし、一躍国民的タレントとなることができたのだ。もし赤塚の配慮がなければ、彼は狭い身内に芸を披露しながら福岡で細々と暮らし続けていたかもしれない。
(故赤塚不二夫)
団塊世代よりは少し上になるが、仮装大賞の司会でおなじみの萩本欽一は、10年前に茨城県で社会人野球チームを結成した。当初萩本は監督も兼任していたが、3年前からは片岡安祐美が監督を務めている。
片岡は、チームの唯一の女性選手として設立時に入団。高校時代にはすでに女子野球日本代表に選出されるなど頭角を現していたが、所属していた硬式野球部では、高野連の規定によって公式戦には出場できなかったという。女子も甲子園に出られるようにルールを変えることが夢のようだ。
陸上や水泳、フィギュアスケートなどと違い男性中心主義が根強い現状があるのが日本の野球界だが、そこに機会を与えた萩本の功績は大きいかもしれない。「ナックル姫」吉田えりが活躍したのはその後のことである。
(萩本金一と片岡安祐美)
日本において「機会を与える立場の人」が世の中のそこら中にいたのは団塊世代が最後だろうと思う。
団塊世代までなら伝統的な地縁社会があり、教師のような地域の「先生」が例えば貧困層の経済的な自立のための援助をしただろう。そこにはもしかすると、縁故で就職機会を与えるようなグレーなこともあるかもしれない。
一方で、地縁社会を脱した、ゲゼルシャフト的な社会が一般化したのもまた団塊世代からだ。しかし、そこにもやはり、ビートたけし氏ややしきたかじん氏のような豪快な人物がいたわけである。
では団塊世代より若い大人たちは、はたしてどれほどの人が「機会を与える立場」にいるだろうか。
中年世代のタレントが軍団を結成したという話は聞いたこともない。あらゆる業界に、第一線で活躍する壮年世代がいくらでもいるが、アメリカのタレントや実業家のように私財や自らの余暇時間をおおがかりなチャリティー活動に割いたという話は聞こえてこない。
ボランティアやチャリティー活動の世界には、プチブルないし富裕層の大人は大勢いるのだが、彼らは決められた範囲以上の利他的行動をとらない傾向がある。あくまで個人主義であり、自らのプライベートはかたくなに守っている。それでも、そうした活動に参加しているだけでマシだというのだから救いようもない。大半はそれすらせずに、稼いだ資産は私利私欲に満たすことにしか使っていないのだ。
昭和の時代のその辺の田舎の教師と、現代の富裕層では経済的な豊かさや暇は確実に後者の方がある。しかし、そこにはノブレスオブリージュは欠如しているのである。
意識の高い学生は必死になって憧れの業界の大人たちと接触し、込んだつくりの名刺を渡してあれやこれやとゴマをすりたがるものだが、そういう子たちが学生時代の異業種交流などをきっかけに仕事にありついたという話は聞いたことがない。彼らは3年の後期になれば普通に就職活動をし、夢やこれまでの努力とまったく連動性のない身の丈に合った企業に就職するのである。
平成になって、企業の年功序列や終身雇用制度は崩壊している。労働者の3分の1は非正規雇用だという。戦後日本の豊かさを支えた大手企業はみな大企業病に陥っており、経営幹部だけが富を享受し続けながら、不採算部門のリストラを繰り返し、それでも立て直しができずに悩んでいる。今後日本社会は人口減少に転じる一方、コモディティ化の恩恵を受けてアジアなどの新興国の企業が躍進していくことを考えると、若者の間では名だたる企業に就職することが人生のゴールとも思えない現状もある。財政事情の悪化から、公務員になっても給与の削減や政治的なリストラを受ける可能性がある。
世の中がもしも完全な実力主義なら、一握りのエリートや特殊技能の持ち主(たとえばプロ野球選手など)にだけ機会が一極集中してしまう。しかし日本人の多くはそういうものも持たない凡人ばかりで、中にはその人固有の欠点を抱えている人も大勢いる。もちろん、甲子園に出場できなかった片岡選手のように、特殊技能があっても機会のないことすらある。行き着く先はアメリカやイギリスのような壮絶な格差社会である。
壮年世代には、そういう「機会格差」を防ぐ義務がある。
もちろん、多くの大人は会社勤めで日々多忙に追われ、自分や自分の家庭のことに精一杯であり、利他行為をする暇もなければ第三者に与えられる機会を持っていない。退職金は出るだけマシで、ローンは重くのしかかる。
しかし、例えばガレージにプリウスや外車のコンパクトカーでも泊まっているようなプチブル層や富裕層であれば、その義務を全うすることはいくらでも可能なわけだし、彼らのうちの何割かは「恩師のくれた機会」のお蔭で今の生業があるわけだ。
若者を悩ませ、苦しめている戦犯は政治家や企業経営者というよりは、こうした人たちではないだろうかと私は思う。個人主義と利己主義は違うということを知らない彼らは、己の罪深さの自覚を持つ必要があるのだ。