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【競馬・ボート・競輪】

[競輪]村上義弘が優勝

2014年3月24日 紙面から

日本選手権競輪を制し、涙をぬぐいながら報道陣の質問に答える村上義弘=名古屋競輪場で(飯野幸雄撮影)

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 「第67回日本選手権競輪」(ダービー・GI・優勝賞金6000万円)は、名古屋市の名古屋競輪場で23日、最終11レースで決勝戦が行われた。近畿結束の核となった番手の村上義弘(39)=京都=が、最終2コーナーから一気にスパート。武田豊樹や深谷知広との激しいまくり合戦を制し、昨年の立川に続くダービー連覇を飾るとともに通算3度目の“ダービー王”に輝いた。先の全日本選抜(2月)も弟・村上博幸が優勝しており、兄弟でGI連覇となった。2着は3/4輪差で武田、深谷は惜しくも1/2車身差の3着に終わった。

 ゴールの瞬間は何も分からなかった。ファン、仲間、そして何よりも愛する競輪のため。村上義が無我夢中で踏んだ先に待っていたのは3度目の日本選手権制覇だった。「6日間、本当に苦しいことばかりだった。でも、みんなに支えられたから」。競輪を愛するがゆえに引き起こしてしまった選手会騒動。仲間まで巻き込んだ責任を背負う男の涙はいつまでも止まらなかった。

 これが競輪と言える激しくて美しい6周回だった。稲垣が近畿4車の先頭で捨て身の逃げを打つ。武田に前を任された平原もゴールまで持つはずはないであろう勢いで襲いかかる。村上義は稲垣の頑張りを無駄にしないため、最終バックで番手まくり。そして、武田も平原がいっぱいになったと見るや自力スイッチ。ゴール前は深谷を含めた「3強」による死闘だった。

 「平原君が見えたから踏んだ。ちゅうちょしていたらラインが全滅してしまう。今日はみんなの気持ちを背負って走ると決めていましたから。最後は僕の記憶にありません。博幸が『お兄ちゃんだよ』と教えてくれるまで分からなかった」。自転車を降りると兄弟、仲間同士の抱擁。名古屋競輪場全体が拍手に包まれたのはこれが初めてではないだろうか。

 1年間の自粛勧告。39歳の年齢を考えれば、“引退勧告”に等しい処分を直前に受けての今回だった。もはや平常心で戦うことなど本来は不可能。だが、魂の男は“最後”の日本選手権になるかもしれないからこそ全てをささげていた。「ファン、関係者に混乱を招いて本当に申し訳なかった。でも競輪は走っていて本当に素晴らしいと感じる。心から良くなってほしいんです」。もはや勝者であることは忘れているかのようであった。

 果たして村上義はどんな決断を下すのか。そして、周囲はこのカリスマをこのまま放っておくのだろうか。「共同通信社杯(4月26日〜・伊東)まであっせんがある。ずっと支えてもらったのだから、そこまでしっかり走ります。その先についてはその後に考えたい。ただ、1年間も競輪から離れるのは自分に耐えられるかどうか自信はない」。責任感が強いからこそ中途半端な状態では戦えないと考えるのは仕方のないところ。しかし「辞めるな」「まだできる」と叫び続けたファンの声はきっとその熱い胸に届いているはずだ。 (八手亦和人)

<村上義弘(むらかみ・よしひろ)> 1974(昭和49)年7月6日生まれ、39歳。京都市出身。170センチ、76キロ、太もも64センチ。私立花園高校卒業。73期の16位で、94年4月9日プロデビュー。GI級タイトルは全日本選抜(02年)、オールスター(03年)、ダービー(11、13、14年)、グランプリ(12年)の6V。趣味はドライブ、サイクリング。好物は肉とすしとカレーライス。苦手はセロリとしいたけ。座右の銘は完全燃焼。通算成績1592戦512勝。通算獲得賞金は14億934万7789円。

 

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