AID:遺伝上の父捜し続ける 情報開示ルール化訴え
毎日新聞 2014年03月26日 08時00分(最終更新 03月26日 09時18分)
遺伝上の父がどういう人かを知り、人間的な交流がしたい−−。慶応大病院(東京都新宿区)で実施された第三者からの提供精子による人工授精(AID)で生まれ、提供者に関する情報開示を求めていた横浜市の医師、加藤英明さん(40)に25日、厳しい現状が同病院から突きつけられた。「両親がAIDを受けた事実すら確認できない」。第三者がかかわる不妊治療で生まれてくる子どもの思いに、どこまで応えられるのか。「(知りたい)気持ちは分かっても知らせる材料がない」と、医療現場にももどかしさがにじむ。
加藤さんは、医大生だった2002年12月、血液検査の実習で偶然、父親と血のつながりがないことに気付いた。母親から告げられたのは、「AIDで生まれた」という想像もしなかった事実だった。「自分は何者なんだろう」。そのとき生じた疑問と不安感は、12年たった今も変わらない。
両親が治療を受けたころ、同病院でAIDの責任者だった飯塚理八教授(当時)はすでに他界。後任の吉村泰典教授が今月末で同病院を退職することを知り、「このままでは情報が闇に埋もれてしまう」と、加藤さんは危機感を募らせた。
今月7日、「遺伝上の父を知りたい」と吉村教授へ情報開示を求める文書を送った。そして回答期限の25日、吉村教授の提案で東京都内で面会することになった。吉村教授と直接話すのは、飯塚氏の紹介で会った03年3月以来。そのときは、加藤さんが医学的、科学的な課題について考えをただすだけだったが、この日は出自を知る権利だけではなく、AIDの問題点について、互いの胸襟を開いて語り合った。
吉村教授は対談で、加藤さんの両親のカルテは保存期間の20年間を過ぎて廃棄されており、提供者の台帳も確認できなかったと説明。現在も、両親が治療を受ける前にサインをした同意書など、当時を知る手がかりを探しているとした。だが、精子の提供者は当時も今も匿名が条件。吉村教授は「仮に分かったとしても、知らせることは難しい。当時は、両親が子どもにAIDを秘密にしておくことがいいと思われていた」と話した。