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我々が現在手にしているロジックでは、可観測量と地震発生を関係付けられないと理解しています。流体の影響がいい例でしょう。(現状では「流体があったから地震が起こった」「流体があったからクリープが促進され地震にならなかった」という言明が同時に可能)。ですからいくら観測データを積み重ねても予知にはつながりません。観測技術・ロジックの両者ともにブレイクスルーが必要な状況です。おそらく神戸1995の段階で「今後複数の基礎科学的ブレイクスルーが必要」という認識になっていたはずですが、現建議はそのようには読めないことが問題でした。たとえば、「現在の目標到達度は,プレート境界の大地震の場所と規模の予測については,一定の見通しが得られた段階」などと書いてあります。(現実は基礎研究グループにも広く浅く研究費を配分し、ちゃんと科学的ブレイクスルーを狙っていたらしいことは理解出来ます。)
ですから問題は、そのような羊頭狗肉が許されるかどうかです。個人的には、倫理的問題以前に、あのような看板で研究計画を立てることは固体地球コミュニティの首を絞める自殺行為であると考えています。
1.一般公開などのアンケートを見るまでもなく、依然として市民の興味は地震予知にあります。建議を始めとして「予知」の看板のつく研究機関が多数あるのですから当然です。実利的な目標を掲げれば、それなりに明確なアウトプットを要求されるのは当然でしょう。(そしてそれは論文の本数やNature, Scienceなどのscholarly valueではないはずです)。しかし予知は近い将来にはまずできませんから、そうこうするうち第二の神戸や第二の3.11が来てまた「地震学の敗北」を宣言する羽目になるのは時間の問題でしょう。予知を看板に掲げて資金を取る以上、「なんとか予知してほしい」という期待が「なぜ予知できないのか」という失望に変わるのも時間の問題です。(すでにそうなっている気がしますが)
2.これは「予知」を「予測」にすげかえても同じことだと考えています。次期建議の目玉?である「地殻活動予測システム」は地震発生予測につながるとはほとんど思っていません。ひずみのインクリメントが分かるだけで絶対値は分からないし、「滑り遅れ箇所が各場所で独立に地震を起こす」という(3.11で誤りと判明した)見方に依然として依拠しているからです。局所的すべり遅れを見るだけでは巨大地震に本質である長波長の振る舞いは理解できない。異なる波数間の相互作用を真面目に考えないといけない。しかしそこを真剣に反省した研究は(この2年間では)まだ出てきていないようです。
3.予知研究は人命を救うための研究であるはずですが、将来地震予知が出来るようになったとしても人命が救われるかどうか疑わしいと考えています。なぜならパニックを恐れる政府が情報を隠すはずだからです。(福島第一のときのSPEEDIがよい例)。それどころか地震学者も情報隠匿に協力するかもしれないというのは以下のような発言を見れば十分ありうることです。「前兆をとらえたとしても影響の大きさを考えると予知として一般に公開するのはむずかしい」。このような考え方をするトップがいるという事実だけで予知研究への参画をためらわせるのに十分でしょう。