<AID>遺伝上の父捜し続ける 情報開示ルール化訴え
毎日新聞 3月26日(水)8時0分配信
遺伝上の父がどういう人かを知り、人間的な交流がしたい−−。慶応大病院(東京都新宿区)で実施された第三者からの提供精子による人工授精(AID)で生まれ、提供者に関する情報開示を求めていた横浜市の医師、加藤英明さん(40)に25日、厳しい現状が同病院から突きつけられた。「両親がAIDを受けた事実すら確認できない」。第三者がかかわる不妊治療で生まれてくる子どもの思いに、どこまで応えられるのか。「(知りたい)気持ちは分かっても知らせる材料がない」と、医療現場にももどかしさがにじむ。
加藤さんは、医大生だった2002年12月、血液検査の実習で偶然、父親と血のつながりがないことに気付いた。母親から告げられたのは、「AIDで生まれた」という想像もしなかった事実だった。「自分は何者なんだろう」。そのとき生じた疑問と不安感は、12年たった今も変わらない。
両親が治療を受けたころ、同病院でAIDの責任者だった飯塚理八教授(当時)はすでに他界。後任の吉村泰典教授が今月末で同病院を退職することを知り、「このままでは情報が闇に埋もれてしまう」と、加藤さんは危機感を募らせた。
今月7日、「遺伝上の父を知りたい」と吉村教授へ情報開示を求める文書を送った。そして回答期限の25日、吉村教授の提案で東京都内で面会することになった。吉村教授と直接話すのは、飯塚氏の紹介で会った03年3月以来。そのときは、加藤さんが医学的、科学的な課題について考えをただすだけだったが、この日は出自を知る権利だけではなく、AIDの問題点について、互いの胸襟を開いて語り合った。
吉村教授は対談で、加藤さんの両親のカルテは保存期間の20年間を過ぎて廃棄されており、提供者の台帳も確認できなかったと説明。現在も、両親が治療を受ける前にサインをした同意書など、当時を知る手がかりを探しているとした。だが、精子の提供者は当時も今も匿名が条件。吉村教授は「仮に分かったとしても、知らせることは難しい。当時は、両親が子どもにAIDを秘密にしておくことがいいと思われていた」と話した。
成人後にAIDで生まれた事実を知った人は、自分の存在について深刻なアイデンティティーの危機に陥ることが多いとされる。加藤さんは「子どもには出自を知る権利があることを公的なルールで明文化すべきだ。それが、両親の告知に対する意識を変え、告知を後押しする強い力になる」と強く訴えた。
長年、数多くのAID治療に携わってきた吉村教授も「生殖補助医療は、その治療を受けるかどうかについて子どもの同意を得られないことが特徴だ。医療者には子どもの思いは分からないが、それでも子どもたちの『知りたい』という気持ちは想像できる」と応じ、次のように言い切った。「出自を知る権利の問題が克服できなければ、AIDを続けていくことは難しい」
「もし、提供者と将来会うことができたら何をしたいか」という問いに、加藤さんは少し考えて、「一緒に飲みに行きたい」と答え、表情を緩ませた。吉村教授も「その通りだと思う」とうなずいた。「顔や身長、体重を知りたいわけじゃない。親ではないが自分と最も近い男性と交流して、どんな人なのかを知りたい。それが僕の一番の思いなんです」。加藤さんは、今後も遺伝上の父を捜し続けるという。【須田桃子】
【ことば】非配偶者間人工授精(AID)
第三者の男性から提供された精子を使って人工授精する不妊治療の一種。国内では1949年に慶応大病院で初めて実施された。無精子症や精子が少ないなどの男性不妊の治療法として普及し、これまでに1万5000人以上が生まれたとされる。90年代に夫の精子を体外で直接、卵子に注入する顕微授精が開発され、AIDの実施は減っている。一方、最近は国内でも卵子提供が実施されるようになり、第三者がかかわる不妊治療は続いている。自民党のプロジェクトチームが生殖補助医療の法制化の議論を始めたが、出自を知る権利に関する結論は先送りする方針となっている。
最終更新:3月26日(水)9時18分
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