「太平洋戦争に打って出た日本」その結果何が起きたか!

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 昭和16年12月8日大日本帝国陸海軍は先の大戦、いわゆる太平洋戦争に突入する行動に出ました。海軍協力のもとで、まずは陸軍の侘美支隊が英国の植民地マレーシアで英国軍航空基地コタバルの占領をめざし、そばの海岸に上陸し英国軍と交戦せり、「マレー進攻作戦」の幕開けです。
 マレー進攻作戦の1時間後にはハワイ・パールハーバーにある米軍基地を帝国海軍機動部隊による航空機と特殊潜航艇甲標的などによる奇襲作戦が始動されました。いわゆる「真珠湾攻撃」です。
 大日本帝国議会は大英帝国及び米国に対し開始された戦争とすでに継続中の支那事変(※日中戦争とも呼ばれるが、交戦相手の中華民国の国民党軍は単なる軍閥であり国家の体をなしていないので厳密には戦争とは呼べず事変と呼ぶのが正しい) をも含めて「今次の一連の戦争は大東亜戦争と呼称す」と閣議決定されています。昭和16年12月12日の事です。
 大日本帝国は一国で英、米、オランダ、オーストラリア、シナ国民党軍と戦い、最後にはソ連が火事場泥棒のごとく襲いかかってきたので、自己防衛のためにやむを得ず交戦しました。
 今どきのテレビ、新聞はこの、いわゆる「太平洋戦争が軍部の暴走による侵略戦争である」「日本の軍国主義により、日本国民や朝鮮人、中国人、アジア民族が犠牲になった戦争である」などといった感じで評価するモノがほとんどです。

 そもそも何で閣議決定したはずの大東亜戦争と呼ばないのでしょうか。それは何故か、戦後、進駐してきたGHQの命令で、大東亜戦争と称呼するなと命令されたのでした。
 なんで? 大東亜戦争の戦争目的が進駐軍の占領統治に都合が悪かったのです。

 進駐軍は戦後日本へのプロパガン(政治的な宣伝活動)において、大日本帝国政府は国民を騙した、言論弾圧をした、人権を無視した悪い政府であると決めつけ、日本国民及び朝鮮人、台湾人、アジア人はその犠牲者であると教育したのでした。
 NHKラジオ番組「真相はかうだ」や書籍「太平洋戦争史」などによる連合軍に都合の良いような筋書きのストーリーを、「これが真実の軍国主義日本だ」と日本国民に思い込ませたのです。勇猛果敢で強靭な、自らの命を厭わない世界最強の戦士であった大日本帝国軍人を恐れたGHQは日本を根底から弱体化するための政策「日本弱体化政策」を策定し、様々な面から工作し、日本人共産主義者をも利用して、その絶大な効果を上げることになるのでした。
 情報操作により大日本帝国はヒドイ軍隊であったと思い込ませ(南京大虐殺、沖縄での民間人虐待、バターン死の行進など)、逆にジュネーブ条約やハーグ陸戦条約に違反する民間人に対する攻撃(民間人の輸送船撃沈、多くの都市へのジュウタン爆撃、都市への原爆投下、其の他多数)を行った連合国軍の暴挙は覆い隠され、場合によっては「それはやむを得ない作戦であった」と日本人に思い込ませる、刷り込みを行ったのです。

 「大東亜戦争」と閣議決定され、そのように呼ばれた戦争目的は何か。
 ●それは大日本帝国の独立国としての地位の確保、当時の西洋的な常識である白色人種による有色人種に対する「植民地支配」に組み込まれない様にする為、つまりは自存自衛の為である。

 ●そしてもう一つの目的が、植民地支配されているアジア諸国、アジア諸国民を解放し、アジア人による独立国を創らせ、それら諸国と連合する理想社会、いわゆる「大東亜共栄圏」の建設です。アジアを日本の植民地にする目的なぞ、微塵もなかったのです。

 事実、日本が占領した植民地諸国は、ビルマ、フィリピンなど戦中に独立国となり、インドネシアでは独立の準備段階でした。紀元前660年以来の「八紘一宇=ハッコウイチウ=広がった領地のみんなは、一つ家の家族の様なものであり、みんなで仲良く暮らそうという理念」の日本建国精神を発露したのが「大東亜共栄圏」ではありますが、アジア諸国を植民地として支配しようとしたのではなく、日本が指導者となり連合した対等な諸国関係を構築しようとしたものなのです。

 大東亜戦争という称呼はこの「アジアの解放による大東亜共栄圏建設」という戦争目的を意識させるために、それを忘れさせるために「太平洋戦争」という米国側から見た表現をGHQは、占領日本政府に厳命したのでした。


 さてそれでは大東亜戦争により、アジア諸国はどうなったか。日本が占領した植民地は終戦後、再びアジア人を家畜の様に思っている白人国家列強による帝国主義支配が襲いかかってきました。しかしながら、ある国では、アジア人政府による統治の仕方、近代国家建設のの基礎、戦闘の仕方、などが教育され、または一致団結し侵略者と対峙する愛国精神、または神のごとく強大な存在と思っていた白人が有色人種により駆逐され、無敵ではないという事実、これ等を大日本帝国陸海軍により教えられたのです。
 その結果アジア諸国民は座して奴隷になる事を良しとせず、戦って民族の誇りを、独立を勝ち取ることを選んだのです。白人帝国主義と戦い、血を流す事を恐れずにです。
 このことは、直接日本が占領した地域に留まりませんでした。インド、中東諸国、アフリカ諸国なども白人の無敗神話を投げ出して、有色人種も白人と渡り合えるという勇気を大日本帝国から学んだのです。この前に亡くなったマンデラ元南アフリカ大統領も不屈の闘志を大日本帝国から学んだのかもしれません。
 東京オリンピック開催決定が話題になっていますが、オリンピック参加国数の推移を観るとどんなことが解るのか。1896年アテネオリンピックー14ヶ国、1936年ベルリンー49ヶ国、1948年ロンドンー59ヶ国、1964年東京ー93ヶ国、2004年ロンドンー204ヶ国。第二次大戦以降は急速に参加国が増加していますが、これは独立国の増加と正比例しているのではないでしょうか。

 約200年前の英国経済学者トマス・マルサは食糧生産能力の限界により、これ以上の世界人口は増加できないと論じていましたが、現在の人口ははその約3倍の約70億人です。これを実現せしめたのは「奇跡の麦」と呼ばれる小麦の品種改良と、その世界的な普及です。この奇跡の小麦はメキシコで活動していた米農学者ボローグが改良して試験栽培していた品種と米国で戦後普及した品種を掛け合わせたものでした。この奇跡の小麦は単位面積当たりの収穫量が従来の品種のオヨソ3倍ぐらいだそうです。このことでボーグは世界的な名声を得たそうです。
 ところでその「奇跡の小麦」の基礎となる性質の品種は、戦後の米国で普及した品種は何か、それは稲塚権次郎博士が品種改良した「農林10号」です。終戦後やってきた進駐軍と共にS・C・サーモン米国農業顧問が有用な種苗品種の調査のために来日しました。倒伏しにくく、連作が可能で、米国品種の3倍から5倍の収穫が出来る農林10号を岩手県の国立農業試験場でみつけたのです。サーモン農業顧問は日本全国から手に入る農林10号を全てかき集めて米本国に送り、本国では「ノウリン・テン」が瞬く間にひろまり全米の小麦収穫量が約3倍になったのでした。
 インドで飢饉が発生したあと、奇跡の小麦の種がが大量にインドに送られました。数年後にはインドの小麦生産量は2倍以上になり人口はその後飛躍的に伸びました。
 農林10号開発者の稲塚博士は、戦後中国で農協指導を要請されて中国にわたり、農業指導に尽力し、中国の農業生産を飛躍的の増大させました。そして当時5億の人口だった中国は現在15億位の人口を有しています。

 地球上には限られた資源と空間しかありません。世界各国の関係は、簡単に考えれば、その限られたモノの「分捕り合戦」であると断じる論者がいます。現在の日本人の生活水準をを全世界の人類が享受する事は不可能です、今のところ。しかし日本の農林10号のハーフの子孫により世界人口は200年前の3倍になりました。

 空き地や野原などを観ていると植物などの生存競争を目の当たりにします。いろんな植物による攻防が繰り広げられ、季節による様々な植物の盛隆の推移、数年の間の勢力分布の推移、常にいろんな種類の植物による大なり小なりの勢力争い、または相性の良い者同士の共棲が繰り広げられています。限られた空間、日照量、土の栄養分、これら全てを皆で平等に共有し、なおかつ全ての種類の植物が増殖し繁栄する事は不可能です。人間でもこれは同じことです、残念ながら。

 ところで大日本帝国が理想とした大東亜共栄圏は、アジア人による公平な共棲世界を構築しようとしたものでした。その目的は達成できませんでしたが、アジアの植民地支配からの脱却はアジア民族の熱望により、それぞれ達成できました。それに触発されたせいか、アフリカ諸国もほとんどが独立国となりました。農林10号が米国に渡り、品種改良され、奇跡の小麦が生まれ、その結果世界人口が3倍ぐらい増加しました。

 鵜飼という伝統漁法があります。鵜にとっては自由に大空を飛べる方が幸せなのでしょうが、運悪く人間に捕まり、鵜匠に支配され、鵜飼として働かされる運命にあります。農耕馬や牛は人間に支配され強制的に働かされています、いう事を聞かなければ処分されるかもしれません。ペットは人間の都合で支配され愛玩となっています。猿回しの猿は、やはり人間の都合で演技をさせられています。
 帝国主義的白人の視点に立てば、白人が支配者であり、有色人種は鵜であり牛馬、サルなのでしょう。その中で凶暴な黄色いサル「日本人」が集団で組織的に暴れ出し、全ての鵜、牛、馬、サルなどが野生に帰って自由に暮らすようになったのでしょう。鵜匠や猿回し芸人にしてみればいい迷惑です。

 日本は伝統的に人間は自然の一部である、全ての生き物と同じように自然と共にある、皆がそれぞれに懸命に生きていると考える習慣が、信仰があるのではないかと私は思っています。靖国神社に行きますと、そこには戦陣に散った英霊などのみならず、軍馬、伝書鳩までが軍人と同じように顕彰され、その功績を讃えています。全国各地には食べられた牛馬、クジラ、などを慰め感謝する石碑や人形、包丁、縫い針を供養するお寺などもあります。
 人間は生きるために、様々な命を奪い、または人間の都合で支配し、自らの生活を豊かにしています。しかしその奪った命、支配している動物などに対しての感謝が存在していたのではないかと思います、少なくとも昔は。「ごちそう様」という言葉は食物を提供してくれた人にではなく、食物そのものに対する感謝だったはずです、今では忘れ去られてはいますが。
 私はそんな考え方が好きです。それが日本人の大和民族の伝統的な考え方、信仰だったのであろうと思っています。

 だいぶ話が分散してしまいましたが大東亜戦争が起きたことにより、世界は人種差別が良くない事であると認識する傾向に傾き、人口が爆発的に増加する事が可能となりなした、結果的に。これが地球的な視点で良い事なのか悪い事なのか、世界人類的に良いのか悪いのか、黄色人種から見てよいのか悪いのか、日本的価値観からから良いのか悪いのか判断するのは甚だ難しいです。客観的に物事を判断するという考え方がありますが、しょせん主観的な思考による「客観的と思われる判断」であろうと推理しているだけです。何が正義で、何が悪かは、しょせん自己満足的な主観で判断するしかありません。しかしそこには地域的な、民族的な判断の傾向があると思います。それが集約され、習慣化され伝統が築かれているのかもしれません。私は大雑把には日本の伝統が好きなようです、ただそれだけです。

 太平洋戦争といわれる戦いを日本人は遂行する事を決断し、戦闘においては連合国軍に敗れました。日本列島は焦土と化し、多くの国民が、あるいは倒れ、傷つき、路頭に迷い、大変な思いをしました。そして現在に至っています。戦って良かったとか、悪かったとか判断するのは難しいですが、自然の流れとしてこれが世界の運命であったのでしょう。
 個人的には日本が開戦の決断をして、そして現在に至っている事は、極めて絶妙に人類にとって有益であったのであろうと私は思っています。批判を覚悟でいえば、敵も味方も、関係のない巻き添えを食った人も、その倒れた屍が人類社会のコヤシと成り、新たなより良い社会の礎となったのであろうと信じています。たとえそれが凶悪な人間だろうと、勇敢な善良な人間であろうとも、平凡な人間であろうとも。

     ご清聴ありがとうございます
 

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このブログ記事について

このページは、わんこが2013年12月 7日 13:41に書いたブログ記事です。

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