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偏見の逆を行って偏見を打ち消そうとする人々
差別される人々は、偏見をはねのけるべく画策する
「そのステレオタイプには該当しない私です」とふるまいがちになる被差別者2013/04 PSYCHOLOGICAL SCIENCE People present themselves in ways that counteract prejudices toward their group
2013/04 LiveScience Discriminated Groups Strategize to Avoid Prejudice
差別的に見られている、偏見を持って扱われている、それはすなわち「**に属する人は、●●な連中に違いない」と、不当にネガティブな一緒くた扱いをされるということ。
そんな扱いを受けてしまう「差別され側」は、「**に属する●●な連中には該当しない自分なのだ」と印象付けようと心を砕いたりする。
「あの上司は、女に対してひどい偏見を抱えている」
「彼は高齢者について不当に差別的な意見を持っている」
「教授は**出身者のことを●●だと思っている」
そんな気配を感じたら・・・肥満者で実験
●「太りすぎだと自覚している学生」「そうではない学生」を集めて比較実験。
●手順その1
ランダムにいくつかのタイプの人々について、
・時間を守るタイプか
・服装がきちんとしているか
・感じのよい笑顔の人だろうか
どんな印象を持っているか回答してもらった。
(実際には、イスラム教徒、ヒスパニック、肥満者、の3種について回答させた)
つまり、各自どのくらいの偏見を持っているのかを回答してもらったわけだ。
●手順その2
初めての人に会う場合、相手に良い第一印象を与えるには、どこに最も気をつければよいかを想像して回答してもらった。
・ちゃんと時間を守る
・きちんとした清潔な服装をする
・感じのよい笑顔を見せる
ほか8項目を、重要な順に格付けしてもらった。
●「太りすぎだと自覚している学生」「そうではない学生」に、それぞれ「手順その1」と「手順その2」両方を経験してもらうのだが、経験してもらう順番によって結果が違ってくる。
もちろん、「手順その1」を先にやったグループのほうが、「イスラム教徒、ヒスパニック、肥満者」などのステレオタイプが強く心に刻まれた状態で「手順その2」の「自分が与える第一印象」を想像することになる。
●すると、先に「偏見」を想起してから「自分が与える第一印象」を想像したグループのほうで、回答に偏見の影響が見られた。
肥満者は、良い第一印象を作る要因として「清潔な服装」を重視した。
太ってない学生や、先に偏見想起の手順を経なかった学生では、「ちゃんと時間を守る」ことのほうが「清潔な服装」より重要だと回答された。黒人で実験
●同様に、今度は「肥満者」と「黒人」で比較実験。
●「デブは不潔でだらしない」偏見を想起した肥満者では、やはり「清潔な服装」が良い第一印象を与える上で最も重要だと回答された。
●(反社会的に粗暴な人種だと偏見されがちな)黒人の場合は、良い第一印象を与える上で最も重要なのは「感じのよい笑顔」だと回答された。
なお、これらは、ネガティブな偏見を打破しようと、偏見を打ち消す行動をする事例。
逆に、偏見の気配によって、その偏見を強める行動が惹起されることも多く、こちらの現象は(ステレオタイプ脅威 stereotype_threat)と称されている。
例えば、「男はメカの操縦が上手い」と偏見されているように感じた男性は、めっちゃうまく操縦しようと、ことさらに頑張ったり。
「女は算数が苦手」「女は操縦が苦手」と評されると、実際に算数の点数が下がったり、事故ったりする。
「ステレオタイプ脅威」の事例:
┗ 偏見で高齢者はボケやすくなる/偏見の影響で成績が下がる
論文: Would an Obese Person Whistle Vivaldi? Targets of Prejudice Self-Present to Minimize Appearance of Specific Threats
Psychological Science
doi: 10.1177/0956797612458807
研究者代表: Rebecca Neel Arizona State University
「太った人は汗かきで不潔」的な粗雑な偏見で自分は見られてしまうんじゃないか、そんな気配を感じた肥満者は、ことさらにシュッとしたファッションを披露するべく尽力してみたり。
「柔道関係者だから粗暴な指導をするに違いない」みたいな決めつけを感じたコーチは、ノイローゼになるほど人当たりを和らげるよう神経を配りまくるとか。
差別の気配は、ひどい心的負担になることがある。
差別を受けているという逆境感にさいなまれる人は、心のみならず、身体も病みやすくなるという報告もある。
差別的に見られている、偏見を持って扱われている、と感じた人は、その不当な差別や偏見をはねのけるべく、涙ぐましくも尽力してしまうことがある。
「んなもん、会えば一発でその偏見ぶっとばせる」と確信していても、会えないし正体を明かせない。
どうにもならない、解消できない「相手の中の偏見」。あらかじめの不当な決めつけ。
「未成年の言葉なんざは、口達者耳年増なだけの中身のない屁理屈不見識に決まっている」
「女はコーヒーが嫌いなら、紅茶が好きに決まってる」
「高齢者は時流にうとくて察しが悪いのに面ばかり大きくて扱いづらい」
「在宅ワーカーは家でダラダラしているだけの怠け者」
「オタクはファッションもルックスもクソで礼儀も常識もわきまえない」
「研究者は専門バカだし素人を上から目線でなめてかかる無礼者」
そんな気配を感じたとき、その決めつけに当てはまらないように、自分の言動をどのようにすればいいか、細心の注意を払って何度も何度も画策をしたことはないかい。まっこう逆を強調して演じようとしたことはないかい。
いくら言葉を尽くしても、ネット経由の不自由なやり取りだけでは相手の偏見は打ち消せない、根深い、言葉だけではどうにもならない、焦燥感に疲れ果てて、泣き寝入りするしかなかったことはないかい。
もしくは。
いつのまにか誰かをそんな「偏見対象の典型にならないようにあがかねば」煉獄に陥れていた、そんな心当たりを。
お持ちですか。
「マジョリティ」に向かって「マイノリティ」として語らないこと。
〈語らないこと〉こそが「マイノリティ」を主体たらしめ、〈拒否されること〉が「マジョリティ」をいやがおうでも主体的立場に立たせる。
〜鄭暎惠『差別と共生の社会学』