※日本語ラップのサブカル的側面編
※ラップの歴史なんかどーでもいいよ、という方は「3.サブカルとラップ」まで飛ばしてください
1.不良とロック
ラップは面白い。過去に「ロック」という音楽は不良が聴くものだった。
ミュージシャン ジェリー・リー・ルイスを描いた映画「Great Balls of Fire」に「ロックを聴くなんて不良だ」と言われるシーンが出てくる。
新しい若者が聴く音楽はいつでも不良のもの。
学生運動でゲバ棒を振り回す若者にはフォークが不良の音楽だった。
70年代にははっぴいえんど頭脳警察、村八分などのバンドがデビュー。
そんな中、ヤンキー文化と結びついて革ジャンにリーゼントというコードでロックがカリカチュアライズされた。
キャロルや横浜銀蠅がロックなものとしての記号を確定させる。
キャロル (ファンキーモンキーベイビー) - YouTube
80年代、RCサクセションやサザンがデビュー。
90年代に番組「イカすバンド天国」から幾つものインディーズのバンドがメジャーシーンへと登場する。
そのころには「ロック=不良」と言うイメージはすっかり形骸化している。
80年代後半から90年代前半にはチーマーが産まれる。
リーゼントに長ランに……と言う不良スタイルが都会で壊滅する。
「ビーバップハイスクール」は、80年代のコンテンツ。
「ろくでなしBLUES」は88~97年。
「特攻の拓」は91年から97年。
「カメレオン」は90年から99年。
「DQN」と言う言葉の元になった「目撃!ドキュン」は94年から2002年。
いわゆる「ヤンキー」と「DQN」の推移はその辺りに存在すると思われる。
(現代でもクローズ、クローバーなどあるがヤンキーと言いつつ主人公らはDQNのニュアンスに近しい)
ヤンキーではなく、ヒップホップ的なストリートのファッションスタイルへの推移。
2.不良とラップ
日本でのラップは80年代になる*1。ヒップホップカルチャーとして、まずブレイクダンスなどが輸入されている土壌にラップが入るのは当然の流れ。
Vibrastone "ジェットコースター" - YouTube
87年近田春夫がビブラストーンを結成。
90年代前半に「ダンス甲子園」が始まる。
LLブラザーズ、メロリンQこと山本太郎、今きた加藤が踊りお茶の間でそれを観る。
M.C.ハマーが来日。
93年、RHYMESTERデビュー。
94年、バンドブームと渋谷系を経て解散したフリッパーズギター(88-91)の小沢健二とスチャダラパーによる「今夜はブギーバック」がヒット。
お茶の間で流れるレベルにヒットしたミクスチャー(ラップロック)。
しかしスチャとオザケンには、ラップにあるアングラで過激なギャングスタの匂いがない。
「今夜はブギーバック」と同じ94年にEAST ENDxYURI「DA.YO.NE」がヒットするのも面白い。
同年、RIP SLYMEがインディーズでデビュー。
海外でのミクスチャーは80年代のパンク+ラップのビースティ。
84年にデフ・ジャム・レコード設立。
パブリックエナミー、LLクールJ、ビースティが所属。
「Walk This Way」の仕掛け人リック・ルービン。
最近だとカニエの「Yeezus」もプロデュースしてる。
90年代のRATMやレッチリらが思い浮かぶ。
リンプ・ビズキットがヒットを飛ばしたのは97年のこと。
FAITH - LIMP BIZKIT!!!! - YouTube
どれにしろロックからラップへとアプローチした側面が強く、ギャングスタ的な雰囲気よりもマッチョだったり政治的なニュアンスを多く含むバンドが多い。
フジロックフェスティバルは1997年から開始。
ロキノン系と呼ばれるバンドの台頭が始まる。
THA BLUE HERBは97年結成。
Dragon Ash feat ACO, Zeebra - Grateful Days - YouTube
98年「陽はまたのぼりくりかえす」でヒットを飛ばしたDragon Ashが「Grateful Days」でオリコン一位を獲得。
ZEEBRAの「東京生まれ HIPHOP育ち 悪そなヤツは だいたい友達」と言うリリックは現代まで語り継がれるフレーズになる。
2002年、RIP SLYMEの2nd「TOKYO CLASSIC」がオリコンチャート1位。
3.サブカルとラップ
こうやってずらっと並べても「ギャングスタラップ」的な「ラップ=不良」と言うテイストがお茶の間には流れていないのが判る。
だからこそ「東京生まれ HIPHOP育ち 悪そなヤツは だいたい友達」というリリックは、メインストリームに上った稀有な言葉として残り続けているのかも知れない。
過激な表現を含んでいたり攻撃的なラップと言うのは基本メインストリームやマジョリティなお茶の間では忌避される。
日本のシーンが特に独特だと思うのだけれど
三木道三の「Lifetime Respect」(2001)もヤンキー的ではあるが過激ではない。
そういう「ぞっこんラブ」みたいなヤンキーイズムはメジャーシーンで好まれる。
日本語ラップ・ヒップホップも歌詞は歌詞で重要だが、それよりも「言葉の音>言葉の意味」となっている楽曲は何だかカッコいい。まあ、ブルーハーブやスチャダラパーは前者ですが、それはそれで。スチャダラパーに関してはそのダサさが逆に良いという良く分からんことになっています。この印象ってとても面白い。
例えば英国のTHE STREETSであればイギリスの低所得層のリアルな現実をリリックに詰め込んでみせたり、米国のギャングスタであれば麻薬や犯罪やギャングやディスり、過激でさまざまなアングラを描いて見せる。
もちろんデ・ラ・ソウルみたいな方向性もあるけれど。
SIMI LABがインタビューで答えていた「俺のラップで全員殺してやるぜ」なんて感覚とは格世の感があるダサくてユルくてヌルいラップシーン。
スチャダラパーは、いつの間にか「タモリ倶楽部」にフラっと現れて見せたり、大槻ケンヂと並んで文化人枠に座っていたり、あるいはみうらじゅんとトークショーをやってみたり、なんだかユルい。
DJ HASEBE feat.ZEEBRA&MUMMY D - Master ...
このユルい「サブカル的なヌルさ」と言う日本独特の土壌がなぜかラップな人々と相性よく感じる。
MXテレビの「5時に夢中!」にはRHYMESTER宇多丸が玉袋筋太郎の横でコメントし、ウィークエンドシャッフルの映画評のコーナーで有名だったりする。
「SRサイタマノラッパー」ではど田舎でラッパーを夢見る若者が描かれ。
アイドルとラップのライムベリーが結成され、色んなアイドルが曲の中でラップを歌う。
ラップがサブカルと一部溶け合ってるんですよね。
サブカルというモノが曖昧で広くユルいからこそ、なのかも知れないけれど。
「ブギーバック」のオザケンや渋谷系もサブカル。
いとうせいこうもサブカル。
近田春夫もビブラストーンからすっかり「タモリ倶楽部」の空耳アワーと週刊文春の「考えるヒット」のイメージが定着した。
サブカルは、文化系。
そこにギャングスタ的な「悪そなヤツは だいたい友達」の匂いはない。
ナードでギークなサブカルとラップ。
4.まとめ タモリとラップ
どこにもここにもサブカルがあって、ラッパーの隣にタモリの人脈が絡んでる。サブカルと音楽を繋ぐラインはタモリだろう*2。
ジャズが好きなタモリとサブカルの関わりはとても深い。
そしてジャズとヒップホップ、ラップの関わりも深い。
ジャズとすごい似てるんですよね。まあ、ジャズの孫だと私、思いますけど。ジャズがおじいちゃんで、息子がファンク・R&Bで、孫がHIPHOPだと思うんですよ。で、この話、番組でも何回もしましたけどね。孫はかわいいですよね。おじいちゃんから見ると。お父さんから見ると、息子はウザい(笑)。まあ、仲がいい親子もありますけど。その、2代離れちゃうとね。サブカルは、浅く広くさまざまなものを取り込む。
タモリが直接ラップと絡んでいると言うよりも、サブカルに多大な影響を与えているタモリを源泉として音楽も当然のごとく取り込み、ラップはジャズの孫。同じ血脈のラップも取り込んでいる。
タモリすげぇ。