昨日の記事に含めようとしたものの、話がいつにもましてごちゃごちゃするといけないから避けていたことがある。この問題、黒子のバスケ脅迫事件で考えさせられた、もう一つのことだ。結論から書くこともできるのだけど、あえて、これを考えたきっかけ話からだらっと書いてみたい。
きっかけは、ドミニオンである。
ドミニオンというのは、カードゲームだ。自著にも書いたが、私はけっこうカードゲームをする。
ドミニオンがどういうゲームなのかというのを、まったく知らない人に伝えるのは難しい。多分、ウィキペディアには解説があるだろうと覗いて見ると案の定あるのだが、まったく知らない人がこれで理解することはできないのではないだろうか。しかし、難しいゲームではない。小学生でもできる。これが、けっこう面白いのだ。
ドミニオンをあえてごく簡単に言えば、トランプゲームのようなものだが、日本のトランプゲームにありがちなストップ系(早く上がった人が勝ち)ではなく、一種のお買い物ゲームである。領土に関するお買い物でもっとも得点の高い人が勝ちになる。
つまり、富を最大に得た人が勝ちである。国家間の争いにも似ているが、同時に資本主義社会にも似ている。
つまり、ゲームの目的は、富を最大限にすること、だ。
いや、そのはず、だ。
実際、このゲームを基本セットという基本の枠組みでやると、「富を最大限にすること」だけに専念した方針のプレイヤーがけっこう強い。ドミニオンを知っている人向けに言うと、地味に高価な貨幣カードを増やし手繰りをよくすれば、けっこう勝てる。これはある意味、ドミニオンの常勝公式だとも言える。ついでにいうと、資本主義社会の常勝公式の一つでもあり、華僑など本能的ともいえるように実践しているものだ、しかも二代をかけて。
だが、ドミニオンというゲーム自体の面白さは、その戦略性にある。そこで、アクションとして、富の獲得の手順に別の多彩な手法を織り込むことができるようになる。
当然問題になるのは、つまりドミニオンの基本の枠組みでまず問題になるのは、その常勝公式とアクションを駆使したプレイのどちらが優位かということになる。
これもまた当然だが、常勝公式はつまらない。手が最適化されていてプレイの妙味がないからだ。必然的に、ゲームもまたそうした常勝公式をいかに崩せるかという問題意識が仕組まれている。アクションをどう巧妙に組み合わせるか。これを仮に常勝公式に対してアクションプレイとしよう。
アクションプレイもまたしかしマンネリ化する。そこでドミニオンは基本の枠組みをどんどん拡大したり、崩したりして、アクションプレイを多彩にする方向に進化する。ゲームの枠組みが進化するのがモダ
(1/5) 次»