2014年は台湾にとって運命の分かれ道となる年だと、年初に台北を訪れたとき、なんとなく感じていた。一つは中台双方のトップ会談実現に向けて交渉が進んでいること。そして急速に進む台湾の政治、経済、文化の中国化。なかでも、昨年6月に中台で締結されたサービス貿易協定については、台湾が中国より20年は進んでいるといわれる美容、出版などのサービス部門が中国資本に乗っ取られ、中小小売店の息の根が止められ、「中国の経済植民地」になるのではないか、という強い危機感があった。
昨年9月に起きた馬英九総統と王金平・立法院院長の権力闘争「9月政争」の背景にも、このサービス貿易協定に対する立法院の批准問題があったことは以前、このコラム欄「戦後初の閣僚級会議で『新章』に入った中台関係」でも少し触れた。私はこのころは、台湾の運命は、中台統一シナリオに本格的に足を踏み入れたなと、なんとも言えない苦い気分でいた。
抗議の学生、血まみれでも怯えず
だが、まさかこの既定路線に見えた流れに抵抗する動きが今頃出てくるとは思っていなかった。3月18日からネット上で発信されている「太陽花学運」(ひまわり学生運動)である。
大勢の学生たちが立法院(国会)や行政院(内閣)を実力行使で占拠、馬英九にサービス貿易協定撤回、審議やり直しを真っ向から要求している。24日未明に行政院を占拠していた学生たちは、放水車まで出動させた鎮暴警察(機動隊)により強制排除された。機動隊の盾や警棒で殴りつけられて血まみれになった学生たちが次々と排除される様子を私もネット中継で心凍る思いで見ていた。だが、彼らは怯えておらず、ふてぶてしいまでに強い不満と怒りをあらわにして警官をにらみつけていた。
台湾の学生運動というと一番最近では、2008年11月から1カ月あまり続いた野草苺学運(野イチゴ学生運動)がある。これは大きなムーブメントにならなかった。だが、このひまわり学運は違うのではないか。ひょっとすると1990年3月の野百合学運のように、台湾の歴史の分岐点だとあとで思い返されるようになるやもしれない。立法院の占拠は24日、夜が明けた現在も続いている。まだ状況が流動的で、はっきりしたことは言えないが、台湾の動きを整理したい。