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モン=モジモジ 2日
闘争における暴力の行使は、私たちが殴られているという状況認識からすれば悪いことではない。ただし、そのことからは、暴力の行使が有効な手段であるとか、あるいは、正当な手段であるということさえ、言うことはできない。
モン=モジモジ 2日
私たちが殴られているところでは、「殴るな」という規範自体が無効なものにされており、ゆえに殴り返すことで抵抗するとしても、それは不当なことではない。しかし、正当である、と言うならば、そこには複雑さが生じる。それは「殴るな」との規範の無効を前提しているからだ。
モン=モジモジ 2日
私たちは、基本的には、「殴るな」という規範を守らせたいのであって、殴る権利を欲しているわけではない。その観点からすれば、たとえば、不可逆的な損害をもたらす行為(特に人命に関わることで)を注意深く避けることは、多くの場合に有効な行動原則になるだろう。
モン=モジモジ 2日
とりわけ、その有効性について考えるなら、暴力の行使には大きな疑問が生じる。物理的暴力の行使は、大抵の場合、独裁的な権力の側の最も得意とすることであり、相手の最も得意な土俵で戦うことは、戦術的に言ってもありえない。
モン=モジモジ 2日
具体例を想起すればわかるが、権力側が占拠を暴力的に排除するのを躊躇うのは、必要な暴力が不足しているからではない。排除後の社会的な反発を恐れるが故である。直接行動を守るのは、その物理的暴力的実力ではなく、世論であり、世論を喚起する正しさの感覚である。
内藤朝雄 1日
日本は大衆の質が低いので、世論が敵にまわります。台湾の学生には共感しつつ、一部の方がたに日本では真似をしないようにと注意喚起する必要があります。大衆の質の低さは、モジモジさんのフォロワー数がたったの一万、木下黄太さんがたったの三万という数値に表れています。
内藤朝雄
わたしはこの大衆の質の低さを担保する学校と職場の生活環境を漢方治療的に問題にしてきましたが、日本がどうしようもないご臨終状態になってしまって悲しいです