「あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか」レイチェル・ハーツ 著

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お話は納豆からはじまる。日本ではこの大豆を発酵した食品は非常に好まれるが、日本人でなければ、ねばねばした糸を引き、独特の臭いが漂う納豆はとても食べ物とは思えない「嫌悪感」すら覚える何かだ。一方、同じ発酵食品、イタリア・サルディーニャ島で好まれる羊のチーズ、カース・マルツゥは独特の臭いとともに生きた蛆虫の幼虫が入っていて、食べる時には蛆虫が入ってこないように目を守る必要がある。カース・マルツゥに限らずペコリーノ・マルチェットなど虫入りのチーズは少なくない。現地の人々に好まれる虫入りチーズも、他の文化圏の人々には納豆同様に「嫌悪感」を覚えるだろう。

そんな食と臭いの嗜好に関する嫌悪感から始まり、病気、道徳、秩序、他者、さらには人種差別や外国人嫌悪まで「嫌悪感」を生む脳のメカニズムと社会心理について、嗅覚心理学者である著者が現状の研究成果を一般向けにわかりやすくまとめた一冊。

あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか
レイチェル・ハーツ
原書房
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文化の違い、すなわち我々が暮らす社会の秩序観や個人の身体感覚、清潔観念の違いは「嫌悪感」の対象の違いと密接に関係する。「嫌悪感」は社会的環境の影響下で学習を経て身につく感情であるが、同時に脳の働きとも大きく関係があることが最近わかってきたという。運動能力や認知能力など様々な機能を担う大脳基底核と大脳基底核の隣の島皮質、特に前部島皮質が「嫌悪感」を生む重要な部位であるとされている。

脳はなぜ「嫌悪感」を生むのか。従来は病気から身を守るためであるとされてきた。「行動による免疫システム」と名付けられたこのメカニズムは『病気を伝染させたり、子孫を増やす生殖能力を脅かしかねない人々から逃げることを私たちに促すように進化してきた心のメカニズム』(P169)という説が有力だったが、むしろ、人生のうちで最も病気にかかりやすい幼年期初期や老年期は逆に最も嫌悪感を抱きにくい時期であり、実際のところ嫌悪感は『本当に病気から逃げ出したい時には、役に立っていない』(P170)。病気や病気を引き起こす物質への反応は嫌悪感によってではなく学習によって身につくものである。

また、「行動による免疫システム」説は、外国人やマイノリティ、身体障碍者など異質なもの、健康でないものに対する差別を肯定することになる。『なぜなら進化学的立場から見ると、公平さを保つメリットより、差別や偏見がないことでもたらされる危機のほうが多いからだ。外国人の病気がうつったら死ぬかもしれないし、死をもたらす病気体質をもったパートナーと交わると遺伝子が絶えてしまうかもしれない。逆に、差別や偏見にとらわれずに接することから得られる進化上のメリットは存在しない』(P172)

この説だと逆に嫌悪感に従うことで社会関係は著しく阻害されることになる。著者はこれを否定して『病気は嫌悪感を引き起こす主な要因ではあっても、嫌悪感をコントロールする心のメカニズムではない。』(P183)という。では嫌悪感をコントロールしているのは何か?『嫌悪感をコントロールするのは、死への恐怖なのだ』(P183)。自身の死への恐れ、死を意識させるような秩序の変化、『いつか死ぬという真理を寄せつけずにいてくれる社会構造や幻想が脅かされたりすると、反発心が生じる』(P184)。その反発心、死や死を象徴する何かを恐怖し拒絶しようとする心理が「嫌悪感」の背後にある原則だという。

身体的嫌悪感と道徳的嫌悪感の違いを示す実験例として嫌悪感を引き起こす主要な要因である苦味の敏感度と、身体的嫌悪感、道徳的嫌悪感との関連を調べた実験が紹介されている。それによると苦味に対する敏感度が高いほど嫌悪感を覚えやすく、また身体的嫌悪感とも相関関係があったが、道徳的嫌悪感とは関連が無かったという。一方で、『道徳的パロメータに大きいプレッシャーがかかると、心理的レベルで嫌悪感により敏感になる』(P291)ことになる。つまり、『道徳的嫌悪感と身体的嫌悪感が似たものに感じられる特殊な例はあっても、両者は同じ種類のものではない』(P292)。

歴史上多く見られた人種主義(レイシズム)はこの二つの嫌悪感を結びつけるロジックで語られることが多い。ナチスはユダヤ人をネズミの群れやがん細胞に例えて病原菌すなわちユダヤ人を駆逐するようプロパガンダを打ち、ルワンダ虐殺の際にフツ族はツチ族をゴキブリに例えて駆除するよう訴えた。また、歴史を中世まで遡れば、ペストの流行はモンゴル軍と結びつけられていたし、現代でも同性愛者がHIVと結びつけられるなど、異なる文化や民族、あるいは敵の拒絶は病気や健康への脅威として語られることで、嫌悪感を呼び覚まそうとされる。

嫌悪感は人間が覚える当然の、自然な感情であるが、その嫌悪感の理由は合理的なものでもなければ正当なものでもなく、ただ死への恐怖や死を想起させるような変化に対する拒絶への衝動が働きかけているにすぎない。その具体的な要因は健康を脅かす細菌や腐り始めた食品の臭いかもしれないし、身体障碍者や同性愛者、外国人など自身とは異なる文化・慣習を持つ人々に対する理由のない偏見かもしれない。すなわち、自身が『なぜ「嫌悪感」をいだくのか』という問いはヒトがヒトである限りにおいて常に自分に課さなければならないということだ。

この嫌悪感についての研究はまだまだ発展途上で確固とした説が確立されているわけではなく、著者も随所に諸説あることを明記しているし、監修者で心理学の教授である綾部早穂氏もあとがきで『著者の解釈や見解に関して細部で賛同できない箇所もあった』と書いている。不確かな事の方がまだまだ多い「嫌悪感」という感情だが、”自身の感じる「嫌悪感」に対して忠実であることを当然のこととする風潮”が高まる現在、非常に注目に値する研究成果をまとめた一冊であることは間違いない。

また、読み物としても非常に面白い。古今東西の嫌悪感を覚える様々な事例、ゲテモノ料理、大食いショー、様々なサイコパスの事件、嫌悪感にまつわる病気、性文化のギャップなど多様だ。他にも、トイレの便器と紙幣、嫌悪感を感じるのは前者だが実は健康リスクが高いのは後者などなど、嫌悪感に関する研究成果と共に必要あるのかないのかわからないような雑学まで色々仕入れられる。日本の文化についてもいろいろ紹介されているが、まとめると「納豆臭い、触手責めは芸術、日本のポルノは世界一」だった。大体あってる。

せっかくなのでこの記事は納豆で始まり納豆で終わらせよう。納豆大好きで良く食べるのだが、そんな僕を見てたまに来る六歳だか七歳だかになる姪っ子が最近嫌悪感を露わにするように。彼女は昔は納豆を食べていたらしいのだが、近頃嫌いになったらしい。納豆への忌避がそのまま僕への嫌悪感へと結びついているわけだけど、本書によれば子供が嫌悪感を覚えるのは成長の上で重要な過程の一つでもある。幼児期の自己の形成と嫌悪感の学習は密接に結びついているようだ。嫌悪感をぶつけられるのは悲しいけれど、この悲しみが大人になるってことなのね。そんな一抹の寂しさを堪えておっさんは今日も納豆を食べるのである。

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