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自殺と向き合う ―生き心地のよい社会のために―

パーソナル・メッセージ「あなたのいのちのこと わたしのいのちのこと」

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知人から「死にたい」といわれたら、どんな言葉をかけますか?

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ゆあさん(20代 女性)からのメッセージ

人それぞれだと思います。
私もふと死にたくなる事があります。
でも、死んではいけないと言う人もいます。
生きたくないと思っている側からすれば、きれい事にしかきこえません。逆の場合もなぜ死にたいのかわかる事はないでしょう。自分が死にたいと思うことがなければ。

少し前のCMで「命は大切だ。何千何万回言われるより、あなたが大切だ。それだけで生きていける」というものがありました。
当時は、よく理解できなかったのですが、最近やっとあのCMの深さがわかるようになってきました。
人に話を聞いてもらう、今まで言えなかった事話したくても誰にも話せなかった事を聞いてくれる人がいて、それも案外そばにいて。
うまく書けないですが、テーブルに正面に向かって話すのではなくて、隣同士に座って同じものを見るような感じで話せれば、今までとは少し違って話ができるようになる気がします。
その人には初めて死にたいと思っていると話せました。どうせ、死んじゃだめだとか言われるかもと思っていたのですが、いなくなったらさみしい。と言われました。言葉は違いますが、意味としては似ている気がします。
ほんとに上手く説明できなくて申し訳ないのですが、一般論を言われるのではなくて、その人を見てどう思っているかが大切なのではないでしょうか。
あなたのために言っているというのでは、止めている側の自己満足にさえ感じられます。そうでなくてその人をみて、つらいことがあるならどうすればいいか一緒に考える。
結局、自殺したい人が自分で生きたいと思わない限り本当の意味で止めた事にはならないと思います。
願わくはそういう一緒に考えてくれる人がそばにいますように。気づいてもらえますように。

私はさみしいと言ってくれた人のおかげか最近少し気分が楽になってきました。思いつめなくていいとゆっくり諭してくれて、それでもたまに死にたくなることもありますが行動に移すことはなくなりました。
なるべく考えすぎないように。少し前から、不安なことが頭をよぎったら、ノートに書きとめておいて1週間後位に見返して、ほんとに起こったかチェックをつけています。驚くほど悪い事っておこってないです。
そんな余裕なくて、今苦しい人は、とりあえず深呼吸しましょう。少し楽になりますよ。

紗嬉(さき)さん(50代 女性)からのメッセージ

・あなたが、いなくなるなら 一緒に消えたい。
・私を一人にしないでください。
・親友は あなただけなの 一人でいかないで。

3年間 1日中 伝えている言葉です
とりあえず 3年間 親友は 生きていますし
今は お弁当やさんで 働けるまでになりました。


「自殺」「死ぬ」とか言う言葉は 使わない方が良いかもしれませんね

のんさん(20代 女性)からのメッセージ

「死にたいと思うのは君の自由だ。
でも、君に死なれたら、バカな話をしながら酒を飲める友達が一人減ってしまう。それはとても困る」

「死にたい」と口にした友人に、実際にそう話したことがあります。
「生きろ」とか「自殺はいけない」とか「命を大切に」なんて言ったところで、結局、生きるか死ぬかを選び取るのは本人です。
生きる権利もあれば、死ぬ権利もある。

いわば、自殺するのは本人のエゴです。

ならば、周囲には周囲のエゴ――それを阻止する権利もあるのではないでしょうか。
ご大層な世間一般論を言うよりも、私は私のエゴで言葉をかけるでしょう。
「困る」と。

あとは、
「どうせ死ぬなら、もうちょっと悪足掻きしてからでも良いじゃないか。
人間いつかはどうやっても死ぬんだ。
大暴れして、悪足掻きして――死ぬのはそれからでも遅くないだろう? 今『死にたい』なんて、そんなに急いでどうするつもりだい?
人知れず、黙って死んで何になる?
どうせ死ぬなら、派手に暴れてからにしよう。とことん付き合うよ」
かな。

今 一生さんからのメッセージ

「生きろ」なんて、僕は言えない。


 僕は30歳の頃から10年以上、自殺志願者や自殺未遂を辞められない人たちと向き合ってきた。
 昼でも夜でも相談電話を受け、最長8時間も一人の話を聞いたこともある。
 親との関係に悩んで飛び降り自殺を未遂した青年に呼ばれて、家族の様子をうかがいに遠方の彼の家まで足を運んだこともある。

 母・妻という役割に疲れてネット心中に向かうという主婦からメールをもらった時は、ランチを一緒に食べながら話を聞き、保証人不要の賃貸物件に住まわせて「人生の休み時間」をたっぷり取らせた。
 一度死んだ人生だ。自分らしく楽しんでいい。

 働くのにほとほと疲れ果て、薬を大量に飲んで倒れた女性の家にケースワーカーを呼んだ時は、生活保護を取らせた後で、彼女の夢だった作家デビューを支援するために彼女の経験を書籍として商業出版することを手伝った。
 「私には何もない」と絶望する彼女に、「苦しんだ経験は財産に変えられるネタなんだ」と知ってほしかった。

 全身を刃物で傷つけていたひきこもり青年が、「もう切るところがない。このままでは内側に向いていたエネルギーが外へ向けられそうで怖い」と電話してきた時は、空手道場への入門を勧めた。
 精神科医のいう「うつ病」が格闘技をやれば短期間で治ることは、300人以上も自殺未遂者を取材してきた僕にはわかりきっていたことだからだ。

 日本の精神科医の多くは初診の人をいきなり「患者」に仕立て上げ、基礎体力や人間関係、生活習慣の改善に十分な関心を払わないまま、「オマエ一人だけがんばれ!」と言わんばかりに大量に薬を買わせ、薬で支配した患者たちを続々と薬物依存やネット心中などへ導いている。
 そのほうが楽に儲けられるからだ。

 マスコミも同罪だ。お約束のように「がんばって生きて」と連呼する。
 そうした自己責任の押し付けが「死にたい」当事者たちをげんなりさせ、「みんなが自分の苦しみを他人事にしている」「誰も助けてはくれない」という孤独を再確認させ、ますます死にたくさせてしまっていることに気づかない。

 厚生労働省だって同罪だ。彼らは、ニートに人並みのスキルを身につけさせれば雇用されると妄信している。無責任極まりない。
 医者もマスコミも行政も「自殺したい当事者」の側に立っていないし、そもそも関心が薄いのだから真正面から向き合おうとしないのだ。
 ふざけんな、バカヤロー!

 「死にたい」と言う人に、僕は「生きろ」なんて簡単には言えない。
 「生きろ」と言う以上は、その人を死にたくなるほど苦しめ続けてきた問題を一緒に解決していく覚悟と体力、そして資本力が問われるからだ。
 僕はそれを身をもって知った。
 自殺志願者と共に問題解決に取り組んだ結果、働く時間を奪われ、自己破産まで経験したからだ。

 だからといって、当事者の抱えるつらさに向き合うことまで失敗だとは思わない。
 失敗は、死にたい人の問題を解決しようとする個人にどこからも金が運ばれないことだ。
 僕も40歳を過ぎ、自殺志願者とまっとうに向き合うには体力が衰えてしまった。
 だが、自殺を誘引する社会問題をビジネスの手法で解決しようという「社会起業家」の存在をふつうの人に知ってもらう活動を始めている。
 手段としてビジネスを利用すれば、支援は労働となり、生活が保障されるからだ。

 もっとも、自称「社会起業家」の中には、当事者の抱える個々の問題には向き合わず、死にたがる当事者たちからウザがられている支援活動をしていたり、そうした活動を実情も知らずに称賛する人たちもいる。
 結局、彼らは自殺したい人たちと付き合うのがウザいと思っているんだろう。
 せめてNHKさんは、本当に自殺したい人自身から喜ばれている支援なのかを検証してほしい。
 それだけでも、支援のあり方は洗練されてくると思うから。

今 一生(こん いっしょう)

1965年生まれ。フリーライター&エディター。広告ディレクションやテレビ番組企画なども手掛ける。97年、親からの虐待を告白する手紙集『日本一醜い親への手紙』3部作(メディアワークス)をCreate Media名義で企画・編集。著書に『親より稼ぐネオニート/「脱・雇用」時代の若者たち』(扶桑社新書)、『生きちゃってるし、死なないし 〜リストカット&オーバードーズ依存症』(晶文社)、『「死ぬ自由」という名の救い 〜ネット心中と精神科医』(河出書房新社)、『社会起業家に学べ!』(アスキー新書)など多数。


雨宮 処凛さんからのメッセージ

 昨年の自殺者もまた、3万人を突破した。この国では1日に約90人、16分に1人が自らの命を絶っているということになる。
 自殺について語られるたびに、いろいろな人がいろいろなことを言う。自殺はいけないだとか、精神的な治療についてだとか。そのたびに、思う。そもそも、この国では「ただ生きること」そのものが認められていないじゃないか、と。
 この社会では、「条件つき」にしか生きることを許されない。人の役に立ったり、いい成績をとったり、職場の競争に勝ち残れたり、「生産性」が高かったりと、なんらかのハードルを常にクリアしていないと存在そのものが認められない。
 だけど、そんなのって、明らかにおかしいのだ。役立たずだろうが、「生産性」が低かろうが、KYだろうが、当り前だが生きていていい。私やあなたの「生存」は、誰かに条件つきで「許される」ようなものではない。だからこそ、「役立たず」でも堂々とのさばろう。そのことこそが、この優しくない社会への、ひとつの抵抗だと思うのだ。

雨宮 処凛(あまみや かりん)

1975年北海道生まれ。00年『生き地獄天国』(太田出版)で作家デビュー。著書に『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!  難民化する若者たち』(太田出版)など多数。現在は生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。


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