以下は、David Beckworth, “Abenomics at the Brookings Institution”(Macro and Other Market Musings, March 21, 2014)の訳。
本日行われたブルッキングス研究所主催のBrookings Panel on Economic Activityでは幅広い話題にわたって興味深い報告がなされたが、今回はその中の一つである「アベノミクス」をテーマとした論文について取り上げることにしよう。その報告を行ったのはジョシュア・ハウスマン(Joshua K. Hausman)とヨハネス・ウィーランド(Johannes F. Wieland)の2人である。彼らの論文ではアベノミクスの中でも特に日本銀行による金融政策-2%のインフレ目標の達成に対するコミットメント、無制限の資産購入、マネタリーベースを倍増させる方針-に対して焦点が合わせられている。アベノミクスについてはこのブログでもしばしば取り上げているが、彼らもまた私と同様の結論に達している。
本論文での分析結果によると、アベノミクスは2013年中にデフレを終わらせ、長期的な予想インフレ率を高める効果を持ったことが示されている。さらに、アベノミクスは実質GDP成長率を0.9~1.7%ポイント上昇させる効果を持ったとの推計結果も得られている。金融政策単独の効果については主に消費の刺激を通じて実質GDP成長率を最大で1%ポイント上昇させたとの推計結果が得られている。
彼らの見立てでは、アベノミクスが成果を上げている理由は金融政策のレジーム転換に求められるということだ。つまりは、金融政策の新たなレジームにコミットすることで長引くデフレに苛まれた過去から信頼のおけるかたちで決別したことこそがアベノミクスの好調な結果を支えている理由ということだ。彼らもまた他の論者と同様にアベノミクスを1933年にフランクリン・ルーズベルト大統領が果たしたレジーム転換のエピソードになぞらえているが、アベノミクスはこれまでのところルーズベルト大統領によるレジーム転換ほどには経済に対して強力な効果をもたらしてはいないという点についても注意が向けられている。その理由[1] としては、実質金利に対する効果の面で違いが見られる[2] という点に加えて、日本銀行によるインフレ目標の達成に対するコミットメントが完全には信頼されてはいないという点が挙げられている。そして、日本銀行の(インフレ目標の達成に対する)コミットメントが完全には信頼されていない理由としては、金融政策の過去の失敗[3] に加えて、人口の高齢化に基づく政治経済学的な要因(高齢の年金受給者らによるインフレの嫌悪)が挙げられている。
彼らの主張には私もおおむね同意するのだが違いもなくはない。彼らの論文ではアベノミクスの効果がニューケインジアンの立場から捉えられている。つまりは、彼らの論文では、アベノミクスは予想インフレ率を高めることで実質金利の低下を促し、その結果として実体経済に好影響を及ぼすと理解されているのである。一方で、私の個人的な見解では、アベノミクスの重要な側面はマネタリーベースの(一時的ではなく)永続的な拡大に対するコミットメント-そしてその結果として将来の(予想)物価水準と将来の(予想)名目所得を引き上げる効果-にあるのではないかと思われるのだ。この点については不況下における名目GDP水準目標(NGDP level target)の効果を論じたつい最近のエントリーでも指摘したところである。以下に引用しておこう。
名目GDP水準目標が採用されることになれば、中央銀行による資産の購入を通じて新たに供給されたマネタリーベースの一部は(将来的に途中で売りオペを通じて吸収されることのない)永続的なものだ(加えて、準備預金に対する金利(IOER)によって無効化されることはない)との予想が生み出されることになるだろう。そうなれば、将来的に物価水準や名目所得は上昇すると予想されることだろう。その結果、投資家たちはポートフォリオの組み換えに臨み、流動性が高くて低利の資産に代わって流動性が低くて高利の資産の保有を増やすような方向に動き出すことになるだろう。このようにしてポートフォリオリバランスが進められる過程では、資産価格の上昇やリスクプレミアムの低下、そして(銀行貸し出しをはじめとした)金融仲介活動の増加がもたらされることになり、それに応じて実物投資が刺激されることになるだろう。そして最終的には総需要の堅調な回復が促されることになるだろう。
(ハウスマン&ウィーランドが拠って立つ)ニューケインジアン的な見解と私自身の見解とはおそらく(代替的というよりは)補完的な関係にあるのだろうが、ニューケインジアン的な見解に執着し過ぎると重要なポイントが見失われてしまうのではないかと懸念されてならない。上で引用した箇所でその概要が説明されているポートフォリオリバランスの過程というのは見方を変えると「貨幣の超過需要」が解消される(和らげられる)過程であると言えるが、私の判断ではこの「貨幣の超過需要」-狭義の貨幣に対する超過需要ではなく、(貨幣に加えて)価値の貯蔵手段となり得る安全資産に対する超過需要-こそが過去5年にわたる不景気の根っこにある問題だと思われるのだ。これまでにFRBがマネタリーベースの永続的な拡大に対してコミットしていれば「貨幣の超過需要」の解消に向けて大きな前進が見られたに違いないと思われるのである。
しかしながら、FRBによる資産購入プログラムが進められる過程ではマネタリーベースの拡大はあくまでも一時的なものであることが示唆され、国民もまたそのように受け取るというのが常であった。その結果、FRBによるこれまでの量的緩和プログラムは思うような効果を上げなかったのである。この点を視覚的にわかりやすいかたちで表わした図を先日のエントリーの中から以下に再掲しておくことにしよう[4]。
マネタリーベースの「永続的な」拡大と(マネタリーベースの)「一時的な」拡大との区別についてはハウスマン&ウィーランド論文でも(日銀のインフレ目標に対するコミットメントの)信頼性の問題が論じられる中で仄めかされてはいるものの、残念ながら真正面から取り上げられているわけではない。この区別についてはマイケル・ウッドフォード(Michael Woodford)によってだけではなく、アラン・オーバック(Alan Auerback)とモーリス・オブズフェルド(Maurice Obstfeld)が2人で執筆した(American Economic Reviewに掲載された)かの優れた論文-金融政策を巡るここ最近の議論の中では不幸にもほとんど注目されることのない論文だが、この論文ではマネタリーベースを「永続的に」拡大することの重要性が理論的に裏付けられている-の中でも強調されているところである。オーバック&オブズフェルド論文の中から以下に一部だけ引用することにしよう(ゴシック体による強調は私(ベックワース)によるもの)。
「流動性の罠」を巡る流行りの議論によると、ゼロ下限制約下(名目金利がゼロ%に達した状況)では貨幣と債券が完全代替的な資産となるため、中央銀行による公開市場操作は景気を安定化する手段としてはその有効性を失うと語られる傾向にある。・・・しかしながら、我々の分析が示しているところでは、・・・経済が流動性の罠にしばらく嵌り続けると予想される場合であっても、その永続性がマーケットから信頼されるような公開市場操作は景気を安定化する手段としても好ましい効果を持つと予想されることになる。つまりは、公開市場操作を財政的な観点(政府予算に及ぼす影響の面)からして魅力的なものとするような(金利に関する)条件が成り立つ下では、マーケットから永続的だと見なされる金融緩和は物価に対して影響を及ぼすとともに、価格が完全には伸縮的ではない場合には生産量に対しても影響を及ぼすことになると考えられるのである。・・・我々の分析によると、日本の政策当局者はインフレ目標-それもプラスの値を上限とする幅(レンジ)のあるインフレ目標-の宣言などを通じてこれまでに市中に供給したマネタリーベースは(しばらくは売りオペを通じて吸収されることのない)永続的な性質のものであることを強調すべきであり、さらにはマネタリーベースをなお一層拡大する必要性があることが示唆されることになる。
最後の文にはハッとさせられるばかりである。というのも、オーバック&オブズフェルドはほぼ10年前の段階でアベノミクスの採用を求めていたに等しいからだ。ハウスマン&ウィーランド論文でもこの話題が論じられていればなお結構であったとは言え、全般的に興味深い論文であることには違いなく、わざわざ時間を割いて読むだけの価値があることは確かだ。是非ともご一読あれ。
(追記)おそらくミルトン・フリードマンもアベノミクスの成果を見てあの世で喜んでいることだろう。
- 訳注;アベノミクスがルーズベルト大統領によるレジーム転換ほどには経済に対して強力な効果をもたらしてはいない理由 [↩]
- 訳注;ルーズベルト大統領によるレジーム転換の方がアベノミクスよりも実質金利を一層大きく下落させる効果を持ったと予想されるということ [↩]
- 訳注;物価に関する目標の達成に失敗した前例があるために(2%のインフレ目標の達成に対する)コミットメントが完全には信頼されない結果となっているということ [↩]
- 訳注;下の図の縦軸はマネタリーベースの拡大がどの程度永続的なものと見なされているかを表わしており、横軸は名目支出(名目GDP)の変化率を表わしている。図中の赤い曲線は、マネタリーベースの拡大が永続的と見なされるほど名目支出の伸び率は高くなるという関係を示している。 [↩]