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ネットメディアで露出した「図書館で本を借りた」と公言してしまうナルシシズム

2014年3月24日 10時00分 (2014年3月24日 15時32分 更新)

ライター情報:千野帽子

『露出せよ、と現代文明は言う: 「心の闇」の喪失と精神分析』立木康介/河出書房新社

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フロイトにはじまる精神分析は、幼児期の性欲をずいぶんと重視した。
幼児期に性欲の充足(とりわけ、親を性の対象とすること)が禁止されることによって、子どもはいわば「断念」あるいは「欠如」を体験する。この欠如が、人間の欲望のもとになっている、という人間観である。
だから、精神分析に批判的な人は、いくらなんでも幼児期の性欲を大きく見積もりすぎなんじゃないか、と言う。僕自身も、ちょっとそう思っている側の人間だ。

フロイトが書いたもののなかでおもしろいのは、これでもってフロイトが人間の行動、とくに「文化的」な行動を説明しようとしたところだ。
もちろん、フロイトの当初の目的は、人間が精神を病む仕組を解き明かすことだった。
ところが、いろいろと臨床の経験を積み、また理論を構築していくうちに、病だけでなく、人が恋したり、出世しようとしたり、お金儲けしようとしたりするような、要は一般的な行動も、「禁止」「断念」「欠如」「抑圧」をキーワードに説明できるようになる。
それだけでなく、ついには宗教とか流行とかいったような、文化面での現象が、「なにか」の欠如にたいするリアクションとして説明できてしまう(かもしれない)のだ。
その「なにか」が「幼児期の性欲充足」なのか、そして「幼児期の性欲充足」がこれだけ大きい比重を占めることが、ほんとうに正しいかどうか、という議論は置いておくとして、
「自分の心のなかの、自分に見えない部分」
を仮定したのが、フロイトのやった最大のことだった。
そこにある「なにか」は、フロイトに影響されたり反撥したりする後世の医師や心理学者によって、「幼児期の性欲充足」以外のさまざまなものに置き換えられてきた。その詳細は措くとして、そのいっぽうで、フロイトに還れと主張したジャック・ラカンのような人たちもいる。

立木康介(ついき こうすけ)の《文藝》連載をまとめた『露出せよ、と現代文明は言う 「心の闇」の喪失と精神分析』(河出書房新社)は、フロイトやラカンの文明論を、現代の先進諸国の実情にあわせてアップデートしようとした、精神分析サイドからの同時代文明論だ。
時代や文化が異なれば、なにが禁止されなにが重視されるかが変わる。というか、この言いかたはむしろ因果関係が逆かもしれない。禁止される対象が変化することによって、文化が変わる、というのが精神分析っぽい考えかたなのかも。というのが、この本を読んで考えたことだった。

ライター情報

千野帽子

休日のみ文筆業。米光一成らとの公開句会「東京マッハ」を司会しています。著書『読まず嫌い。』『文藝ガーリッシュ』『世界小娘文學全集』『文學少女の友』『俳句いきなり入門』、編著『富士山』
ツイッター/@chinoboshka

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