「外食日本一 ゼンショーの“牛丼革命”」

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小川社長インタビュー[1]発想の原点「資本主義のもとで貧困をなくす」

  • 飯泉 梓

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2010年9月21日(火)

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―― その後、社会主義革命を断念する転機が訪れます。

 1975年というのが世界の1つのエポックだったと思います。15年にわたるベトナム戦争が終戦を迎え、北ベトナムが勝った。サイゴンの米国大使館の屋上にヘリが上から着いて、ベトナム政府の高官たちが逃げていく映像が世界中に流れました。

 「これが社会主義の世界の頂点だ」。僕はこの映像を見ながら肌で感じました。つまりこれからは落ちるしかない。振り返ってみると、1989年、90年とついに社会主義国の本家ソ連、東欧が崩壊する。そのプロセスに入るちょうど節目だった。

ベトナム戦争で資本主義に目覚める

 やはり社会主義革命はダメだ。資本主義は戦ってみるとなかなかだった。少なくともこれから300年ぐらいは資本主義的な生産様式が人類の主流になると考えました。

 今度は社会主義革命ではなくて、資本主義という船に乗って、世界から飢えと貧困をなくすんだと。

 しかし、自分は資本主義をまったく知らない。議論をすればマルクス・レーニン主義や中国の社会主義革命だとか、そういう勉強ばっかりしてきた。だから資本主義をやり直さなきゃならなかった。

 そこで資本主義をゼロから学ぶために、通信教育で中小企業診断士の資格を取ることにしました。財務管理からマーケティング、法律までが網羅されている。これはいいやと思って、すぐに始めました。

―― 資本主義の第一歩として扉を叩いたのが吉野家です。

 資本主義の勉強をするうちに、外食業かコンビニエンスストアがいいのではないかと思うようになりました。

 世界から飢えと貧困をなくすことという、10代のころから命題は変わっていない。だから食のビジネスには興味があったのです。

 そんな時にこんな広告募集が目に入りました。「目標は国内200店、米国200店、人材を求む」と。吉野家の求人広告でした。なかなかはっきりしていていいじゃないかと思って、結局、吉野家さんに入ることにしました。

 78年、1月1日から京急川崎駅のすぐそばの店で働き始めました。今でもこの時の様子はよく覚えています。

 さすがに元旦はお客さんがあまり入らない。当時の店長に「どうしましょう」と聞くと、「うーん、そうだな、じゃあ目地磨きやって」と。


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