アサリの酒蒸し
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・本日のおつまみは日ごとに変わります。
詳細は従業員にお尋ねください。
以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。
じっくり砂抜きをしていた『それ』を調理し、出来あがったそれを一つ味見する。
「……うん、うまい」
程よく香りだけを残した、口の中に広がる味に頷き、店主はアレッタに伝える。
「こいつを上に届けてくれ」
ざらざらと深めの皿に盛って、焼いたパンにバターを添えてアレッタに渡す。
「はい!行って来ますね」
受け取ってアレッタは慣れた手つきで魔法で動いている(とアレッタは考えている)移動装置『エレベータ』に乗り込み届けに行く。
時刻は土曜日の夕方前……二階にテナントとして入っているバー『レオンハート』が開店する、少し前の時間。
レオンマスターのマスターはこの時間、夕方から深夜まで続く仕事の前の腹ごしらえとして、夕飯の注文を入れてくる。
頼むものはそのときの気分で様々だが、毎年この季節になると、必ず注文してくる料理がある。
生来の酒好きであるあそこのマスターらしい、酒が主役であるその料理。
「……そうだ。せっかくだし今日のおつまみはこれにするか」
店主はこれを今日の酒のつまみにすることにする。
……これを好みそうな客に心当たりがあった。
「あのちっこい爺さんたちなら、喜びそうだしな」
毎度ここに来るたびに、飲み放題サービスをやっていたら間違いなく大赤字になりそうなほど飲んでいく、小柄な老人の客。
ここ数週間は顔を見せていないが、そろそろ着そうだと、店主の十年でそれなりに磨かれた勘が告げていた。
まだわずかに雪が残る春の山を、ドワーフの職人であるガルドとギレムは延々と登っていた。
「まったく!寒いのう!」
「ほれ、もう少しじゃ!頑張らんかい!」
季節はようやく春になったとはいえ、山の上である。
分厚い筋肉の鎧と熊の毛皮で作った革鎧も兼ねたコートを羽織ってもまだ寒い。
「せっかく晴れとるんじゃ!逃したら悔やんでも悔やみきれんわい!」
「のう!ああもドヨウ毎に雪が降るんじゃ困るちゅうてワシャあもう火の神じゃのうて空の神に鞍替えしようかと思ったわい!」
ガルドの言葉にギレムも大いに頷く。
あそこの酒を飲めるのは、今日が実に二十日ぶりなのである。
冬の間も、二人は山の上の『あれ』目当てに足しげく通っていた。
ガルドもギレムも、並のドワーフと同じくらい……
美味い酒のためとあらば多少の雪や寒風くらいであきらめ無い程度には酒好きである。
だが、相手は冬山である。
山が吹雪いているときに入れば、如何に頑丈に出来ているドワーフとて命に関わる。
流石のドワーフとて命には変えられない……死んで冥府に行ったら二度と酒は口に出来ないのだ。
ここ二回ほどの『ドヨウの日』はちょうど、山が荒れて吹雪いていたため、二人は泣く泣く諦めざるを得なかった。
そして今日。
空は見事に晴れていた。
絶好の『ドヨウの日』である。
だからこそ二人は嬉々として斧を担ぎ、鎧代わりのコートを着込んで山を登っているのである。
「おう。見えたぞ」
「おう。ついたな」
そして、しばらく歩き、目的の場所につく。
屋根に雪が積もった、頑丈な造りの石造りの山小屋。
以前、ガルドとギレムが協力して建て直したそれが滅多に人の通らぬ冬山の道にひっそりと建っていた。
「ほれ、急がんか!」
「わかっとるわい!」
ごくりと唾を飲み、小屋へと入った二人は、奥のごく小さな部屋の入り口に設けられた頑丈な鋼の扉の鍵を開け、扉を開く。
並の人間ならば数人掛かりで無ければ開けられないほど頑丈で重い扉の先にあるのは、人が寝転がることすら出来ないほどの小さな部屋。
この部屋には七日に一度だけ不思議な扉が現れる。
「よっしゃ!行くぞい!」
「おう、異世界の酒がワシ等に飲まれるのを待っとる! 」
鋼の扉の向こうにある小さな部屋にぽつんと佇む、猫の絵が描かれた黒い木の扉。
その黒い扉の真鍮製の取っ手に手を掛け、ガルドが扉を開き、チリンチリンと鳴り響く鈴の音をかき消すほどの勢いで二人は店に駆け込む。
適当に開いている卓の椅子に揺らすほどの勢いで座ると、二人は声を揃えて、言う。
「「まずはビールをジョッキで三杯!すぐに持ってきてくれい!!!」」
暖かな部屋の中で飲む、冷たいビール。
それは、二人があの山の中を登ってきて渇いた喉を潤すために、必須のものであった。
それぞれが二杯のビールを一息に流し込んだあと、三杯目のビールをちびちびやりながら、二人はメニューを覗き込んでいた。
「まず酒は……冷たいもんの後は熱い酒がよいかのう」
「ならアツカンじゃな。もっともあれは量が少ないのが難じゃが」
まず酒はすぐに決まった。
二人の住む東大陸では貴重な、米を使った酒を温めたもの。
喉が渇いたとはいえ冷たいビールで更に身体を冷やした二人には、何よりのご馳走のはずだ。
「後は食いもんじゃが……」
「そこじゃな……おい、娘っ子!今日の酒のつまみは何があるんじゃ!? 」
カン酒には油物ではない魚の類があうはず。
この店に通ううちに自然と覚えたことを思い出しながらガルドがアレッタにたずねる。
今日の酒のつまみ。
それはこの異世界食堂が酒を飲む客のために用意しているそれは、その日その日で出るものが変わる。
そこでは普段は出てこない料理が楽しめるので最近良く頼んでいた。
「はい。今日はですね、アサリのサカムシがありますよ。アサリって言う貝をお酒で煮たお料理です」
アレッタの方も心得たもので、今日のお勧めと聞いていた料理を告げる。
「ほう!そんなもんがあるのか!」
「ではそれを貰おうかのう!とりあえず一人に二皿ずつじゃ! 」
酒で煮た貝の料理。
そう聞いてはドワーフとしては頼まないわけにもいかない。
ガルドとギレムは口を揃えて料理を注文する。
「分かりました。少々お待ちくださいね」
対するアレッタも分かっていたのだろう。
快く返事を返し、厨房へと戻って待つことしばし。
「お待たせしました!アツカンとアサリのサカムシです。えっと、そっちのおショーユが良く合うって言ってました。
それでは、ごゆっくりどうぞ」
二人の前に大き目の皿に山盛りになった料理と、小さな陶器の壷に入れて温めた酒、そして酒を入れるための小さな陶器の器が置かれる。
「おう!じゃあ早速食うかの!」
「足んなくなったらまた注文するから、頼むぞい! 」
後ろを向き、他の客の対応に向かうアレッタに一声掛けて、ガルドとギレムは早速とばかりに料理に取り掛かる。
「ほう!こいつが酒で煮た料理か! 」
「確かに酒の香がするわい!じゃが、酒精の香はせんのう!」
未知の料理に二人は顔を寄せて料理を良く見る。
カキなどと比べると小ぶりな、殻つきの貝がパカリと開いた状態で深めの皿にたっぷりと盛られ、上から小さく刻んだ緑色のハーブが掛けられている。
漂ってくるのは溶けたバターと、かすかに果物のような米から出来た酒の香。
だが、熱しすぎて飛んでしまったのか酒精独特の匂いはしない。
「早速食うかの!」
「おう!」
美味そうな酒の香を漂わせた料理にゴクリと唾を飲み、二人は早速料理に取り掛かる。
左手には熱いが、ドワーフの分厚い手のひらにはどうということは無い酒壷をがっしりと握り、右手で貝を摘み上げる。
如何にドワーフの歯が頑丈だとはいえ、殻ごと食っても美味くは無いので、口元に貝を寄せ、ちゅるりと身だけを食う。
「「うむ!うまい!」」
その味に二人は大いに頷く。
新鮮で臭みの無い貝の肉厚な身から零れる貝が纏う、バターの風味と酒の香。
味付けは塩と香辛料をのみだが、それが返って貝の味のみがしっかりと楽しめるようになっている。
そして何より……
「こりゃあ絶対にアツカンにあうぞい!」
「おう!」
その味に確信を抱きながら、今度は酒と一緒に食らう。
殻を捨て、次の貝を手で拾って食らい、貝の身の旨みが口の中に広がったのを見計らってすかさずアツカンの壷を煽る。
「こりゃあ効くわい!」
「酒の香がするもんを食いながら熱い酒を飲む!こりゃあええ! 」
その味に二人は確信したとおりの手ごたえを感じる。
酒精の味をしっかりと含みながらかすかに果物のような甘い香りを持つアツカンが、喉を通って冷えた二人の身体に熱を注ぎ込み、かすかに口に残ったハーブと貝の旨みがアツカン酒と混ざり合い、旨みを含んだ酒の味になる。
西方から来たという老いたセイシュ好きのサムライから教わったやり方は、二人を大いに満足させた。
二人はあっという間に貝を食いつくしてスープまで飲みつくし、酒の壷を空にする。
「おう!次のお代わりをくれい! 」
「また二人前を二人分じゃ!それとアツカンもお代わり! 」
「はーい!ただいまお持ちします! 」
そして再び注文し、次が来るのを騒がしく待つ。
「今度はさっきあの娘っ子がいっとった奴をやるかのう! 」
「ショーユじゃな!ほれ!」
二人は慣れたもので皿の上にショーユソースを回しかけ、再び食らう。
「ほう……確かにショーユを入れると見違えるのう! 」
「確かに、味がはっきりしとる!やっぱり海のものにはフライ以外はショーユじゃのう! 」
先ほど食べたアサリのサカムシに、ショーユを加えると、味が大きく変わる。
貝そのものの味が薄れる代わりにショーユのすっきりとした塩気が加わるのだ。
ショーユのすっきりとした塩気は海の食べ物に抜群にあう。
それはこのアサリのサカムシでも例外ではなかった。
「こりゃたまらん!どんどん食えるぞ! 」
「問題は量が少ないことじゃ!……おい娘っ子、じゃんじゃん持ってきとくれい! 」
実に二十日ぶりの異世界食堂の美味い酒と料理。
この組み合わせに、ドワーフたちの酒盛りは大盛り上がりを見せる。
……かくて二人の酒宴はいつものように夜更けまで続くのであった。
今日はここまで。
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