ティラミス
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・店内での迷惑行為に対しては、入店拒否させていただくことがありますので、ご注意ください。
以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。
ドヨウの日、呼び出された白の神に仕える大神官カタリーナは恭しく礼をとり、目の前の少年に話しかけた。
「偉大なるお方の息子、白の子よ。此度は如何様な御用向きでしょうか? 」
本当は呼び出された理由など、承知しているのだが、あくまで礼を失することなく尋ねる。
光と成長を司る白の神の神官の中でも最高位の力を有し、全身を竜と化すことすらできるカタリーナにとって真に敬うべき現世の人間はそう多くは無い。
……目の前の少年こそが、そのそう多くは無い存在の一人であるというだけである。
「良い。堅苦しい挨拶などいらん。分かっているだろう」
この世のものとは思えぬほどに白い肌と銀髪、そして黄金の輝きを持つ竜の瞳を持つ少年は、カタリーナの態度を当然のことと受け止め、命令を出す。
彼は知っている。己が慈悲深き白の神に選ばれ、白の信徒たちの元に遣わされた『白の子』であることを。
この世界に君臨せし偉大なる六柱の神のうち、最も慈悲深き神である白の神は、人間を好む。
人間がこの大陸に住まう神の信徒たる種族のうち、脆弱な肉体と貧弱な魔力しか持たぬ最も弱き民であるが故に。
その弱き民のため、慈悲深き白の神は百年に一度は信徒の前に降臨する。
そして、降臨した白の神はその日のために選びぬかれた男の種と女の腹から産まれた、まだ何も知らぬ無垢な赤子に己の血を一滴分け与えるのだ。
ただ人が得れば間違いなく魂を砕き、発狂させ、知性を持たぬ怪物へと変じさせる成長を司る白の神の血は、心に何も持たぬ赤子にのみ、人の姿と心を保たせたまま神の力を与える。
生まれながらにしてどんな大神官にも達することが出来ない大いなる竜の力を宿し、白の信徒たちを導く『白の子』を産みだすのだ。
そして今から10年ほど前に誕生した今代の白の子が執心しているものこそが異界の菓子なのである。
「ネコヤだ。あそこの『ティラミス』を手に入れてくるのだ。
……まったく忌々しい扉だ。この僕を拒絶するなど」
扉がある場所へと視線を向け、一つ舌打ちをする。
今から3年前、あの店の菓子のうまさに目をつけた白の子は店の主人についてくるように命じて連れ去ろうとし、そこに現れた赤い女にまるで猫のように放り出された日から、扉は白の子を拒絶している。
扉には触ろうとしても触れず、開くことが出来ない。
また、白の子は恐れてもいる。
この世界で、敬愛すべき白き母を除けば、誰も適うはずが無い存在である白の子をたやすく手玉に取った赤い女を。
それ故に、白の子はそれなりに信頼している己に仕える神官をかの地に送り込み、好物の菓子と取ってこさせているのだ。
「……はい。分かりました。それでは行って参ります」
白の子の命令を、カタリーナは少しだけ嬉しく思いながら承諾し、黒い瞳を黄金色の縦に割れた瞳へと変じさせ、細やかな羽毛に覆われた白い竜の翼を生やし、飛び立つ。
「うむ。頼んだぞ。それと、もうすぐ年に一度のバレンタインディの祝祭のはずだ。もし、今日が祝祭の日だったなら、チョコレートも手に入れて来るのだ」
そんな言葉を受けながら、カタリーナは飛び、ネコヤの扉へと向かった。
街から人間の足なら二日はかかる距離を、一息に飛びきったカタリーナは荒野に降り立つ。
玉蜀黍もクマーラも育たぬほどに荒れ、鋭い棘が生えた水を溜め込む肉厚の葉を持つカクトスがポツン、ポツンと立ち並ぶだけのその荒野では真夏の太陽が大地をあぶっている。
この辺りは近くにちゃんとした街道があることもあって周りに人影は無く、そのことがこの荒野の秘密を隠していた。
「まったく、あの子にも困ったものだわ」
黒の扉の前に降り立ち、翼を消して瞳を元に戻したカタリーナは、改めてそれを見てため息をつく。
扉は、白の子が施した呪いにより守られていた。
自分のような竜の瞳が無ければ見抜けぬ、太陽の光を使った幻影の術。
まあ、これはいい。
だが、不用意に扉に近づけば容赦なく名の有る神官や強靭な肉体を持つ魔物すら屠るような裁きの光を降らせるのはやりすぎだ。
カタリーナはひそかに荒野に仕掛けられた危険な魔術を解除しておく。
またそのうち白の子自身の手で再び仕掛けられるだろうが、そのときはまた解除しよう。
「……よし、行きましょうか」
辺り一帯に漂っていた、死の魔術が消え去ったのを確認し、扉に手を掛ける。
扉が開き、カタリーナ以外には誰も聞くものがいない鈴の音がチリンチリンと辺りに響く。
それを聞きながら、カタリーナは扉をくぐり、異世界へと赴いた。
異世界の扉の先にある食堂は、相変わらず盛況であった。
あちこちから訪れた客たちが思い思いのものを食している。
(残念。少しだけ早かったようね)
店の壁に『バレンタインディの祝祭』であることを表す異界の言葉が書かれた紙が無いことを確認し、少しだけ残念に思う。
「いらっしゃいませ!ネコヤにようこそ! 」
そうしてなんとなく席に座る前に辺りを見回していると、異世界風の装束を纏った娘に挨拶をされる。
生まれついたものとして竜のものではなく山羊の角が生えているのを見るに、カタリーナの住まう土地では忌むべき邪教とされる万色の混沌の信徒。
「ええ、こんにちは。早速だけれど、注文、いいかしら? 」
されどここは異界だ。無用な諍いは禁物である。
カタリーナはにこやかに娘に尋ねる。
「はい!ご注文ですね!何にいたしましょう? 」
対する娘……アレッタもにこやかに応じる。
入ってきていきなり注文をする客もそう珍しくは無い。
この、ココア色の肌とクリーム色の髪を持つ女性もそのタイプだというだけだ。
「では、ティラミスを持ち帰りでワンホールお願いするわ。ああ、それとここでも食べていくから、一皿いただけるかしら。飲み物はカラオ豆の……ココアで」
「はい!ありがとうございます!すぐにお持ちしますね!……あ、はーい。チキンカレーのお代わりですね 」
注文を聞き、奥へと戻るアレッタを見送り、カタリーナは辺りを見回す。
(さてと……どこに座ろうかしら? )
カタリーナは白の神官。それも白の子の世話を任されるほどの大神官である。
(あそこの青……ああ、あとルシアの一族の側はやめておいた方がいいかしらね)
見慣れぬ服を着た人間と共に陸の獣の肉を使った料理を食べているマーメイドらしき竜の脚を持つ青の神官と、これまでに数度『牙』を交えたことがある、卵入りの肉料理を食らう人間の少年神官を連れた赤の神の大神官たるラミアの側は除外する。
(となると……そうね)
それからしばし考え、ついとそっちを見て、座る場所を決める。
「ごめんなさいね。セレスティーヌさん。隣、いいかしら? 」
カタリーナはここ数年の間に見かけるようになった、白の神の神官の一団に声を掛ける。
真夏にもかかわらず冬に着るような分厚い、見慣れぬ様式の服を着て、不思議な形をした揃いの金や銀の首飾りを纏ったその姿は一見すると白の神の神官には見えない。
だが、その身体に宿している光の力は間違いなく白の神の神官のもの。
カタリーナは彼女たちが白の神に仕える神官であることを見抜いていた。
「ええ。いいですよ。カタリーナ様」
その神官の一団の中でも特に強い力を感じさせる金の首飾りを下げた年長の神官、セレスティーヌもまたにこやかに応じる。
日に焼けた茶色い肌で真冬にも関わらず薄手の衣をまとっている以上、いつでも夏のように暑いという砂の国の民であろう司祭。
お忍びなのか、それともセレスティーヌと同じく甘味の誘惑に耐えられぬことを恥じているのか聖印を下げているのを見たことは無いが、その力の強さから考えるに間違いなく高司祭だろう。
……だからこそ、セレスティーヌは親近感を感じている。
「カタリーナ様はいつものものを?」
「ええ。そちらも?」
二人とも答える代わりに笑みを浮べあう。
それだけで通じ合える。なぜならば。
「お待たせしました!パウンドケーキにコウ茶のセット。それとそちらのお客様にティラミスとココアをお持ちしました! 」
そう、2人はケーキに魅了された者同士なのだから。
カタリーナの前にそっと皿と杯が置かれる。
皿の上に乗っているのは、白と黒が交互に重ねられた真四角の菓子。
柔らかそうなカラオの粉を練りこんだ黒い『ケーキ生地』と、牛の乳を使った白い『クリームチーズ』が美しい。
そしてケーキの上にはカラオ豆を挽き、脂気を抜いた粉がふんわりと振り掛けられている。
(さあ、いただきましょうか……白の子に相応しい味か、見極めないと)
心の中で少しだけ言い訳をして、食べ始める。
まず手をつけるのは杯に満たされた茶色いココア。
湯気を上げるそれをそっと口に運ぶと広がるのは、甘い香りと味。
温められた乳の柔らかな味に、ほのかにカラオ豆の香りが広がり、それが砂糖の甘みと調和する。
(うん。やはりこの脂っ気の無さはいいわね)
このカラオ豆の乳茶には、乳本来が持つ以上の油の気配が無いのが良い。
カタリーナの知るカラオ豆……カラオの実の種は、大量の油を含んでいるものである。
そのお陰で食べれば精がつく、一種の薬として味わうことが出来るが……飲み物として飲むには濃すぎて、カタリーナは余り好きではない。
だが、それに対してこのココアの乳茶は違う。
この飲み物はカラオ豆の油っ気を完全に抜いて粉にしたものを入れているのだ。
お陰ですっきりと飲みやすい。
(さてと……次はティラミスね)
ひとしきりココアを堪能した後、カタリーナはいよいよ皿に手を伸ばす。
銀色に輝く小さな匙を手に取り、ケーキの端、上の部分を少しだけ切り取る。
匙の上に乗るのはカラオ豆の粉が振り掛けられた白いクリーム。
それを口に運び……思わず顔を綻ばせる。
(やはり美味ね……向こうでも作れれば良いのだけれど)
砂糖を加えられた、チーズの甘酸っぱい味。
それは今にもとけだしそうなほど柔らかく、口一杯に広がる。
そして、その甘酸っぱい味と共に感じる、かすかな苦味。
上に掛けられたあえて甘みをつけていないカラオ豆の粉の苦味がアクセントとなっているのだ。
そして、その味に押されるように取った二匙目。
先ほどより心持ち大きめに、今度は層を作っている黒いケーキ生地も一緒に切り取る。
そのケーキ生地にはカタリーナが良く知らぬ、苦味のある異世界のコーヒーなる茶が染み込ませてあり、カラオ豆の苦さとはまた違う、甘くて苦い風味を与えるものになっている。
(やっぱりケーキはティラミスに限るわね)
ここのケーキはどれも美味だが、どれもこのティラミスの複雑な味には適わない。
この層ごとに違う味わいは重なっているものを同時に味わうことで、また違う顔を見せる。
コーヒーの加えられたケーキ生地の下の部分には卵をふんだんに使った、カスタードなるクリームが使われている。
こちらにはわずかに酒精が加えられており、酒精独特の辛みと苦味が、甘みが強いカスタードと良くあっている。
そして、それら全てを支える一番下の部分。
それは堅く焼き上げられた、焼き菓子の生地になっている。
サクサクとした、香ばしい風味を持つ焼き菓子。
それが全体的に柔らかなクリームとケーキ生地で作られたティラミスに、歯ごたえを与えている。
いくつもの、違う風味を持つ各層がそれぞれと交じり合い、違う味を産む。
この複雑さこそが、ティラミスの魅力。
そんなことを考えていると、ティラミスはあっという間になくなってしまう。
「ティラミスをもう一皿頂けるかしら? 」
「はい!ありがとうございます」
カタリーナは躊躇なくもう一皿追加した。
ティラミスを存分に堪能し、ついでに白の神の神官たちと楽しく語らった後、カタリーナはティラミスのホールケーキを手に戻ってきた。
「さてと……急いで帰らないと」
呟くと同時に、翼を生やす。
つい話し込んでしまったが、白の子より持ち帰るよう命じられてから大分立つ。
きっと今頃は『遅い』と腹を立てつつじっと待っている頃だ。
急いで持ち帰る必要があるだろう。
「まったく、あの子にも困ったものだわ。仮にも大神官をただのお使いに使うなんて」
そう呟くカタリーナに浮かぶのは、笑顔。
その理由は『役得』だけではない。
「……まあ、私がしてやれる母親らしいことなんて、これくらいしか無いし、いいんだけれど」
そんな言葉を置き去りにして、飛び立つ。
産み落としてすぐに偉大なる白の子となった己の息子に、甘い菓子を渡すために。
……雛鳥に餌を与える、母鳥のように。
今日はここまで
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