一人の人と一緒にい続けること
少し前の記事ですが、面白く読みました。
好きな人の好きなところだけを見ていたいと思ってしまう - 能面ヅラ美
能面ヅラ美さんの記事はいつも淡々と深く人間関係について考察されていて、読んでいて心に染み入ることが多々あります。
(ちなみに私の個人的スタンスは「結婚したい人はすればいいし、しなくても大丈夫な人はしなくてもいい」です。私は昔したかったので、してみました。もう一度したいかと問われると、微妙です)
今回、上記記事の肝になると思った文章を書き出します。
私は好きになった人の"好きな部分だけ"を見ていたいのだろう。
でも現実では友達でも恋人でも、相手との関係が深くなるほど、好きだと思える部分以外も見なければいけない。近付けば近付くほど、意外な部分がどんどん見えてくる。どんなに好きな人でも、2人の関係を保つにはお互いに我慢が必要となってくる。
好きな部分以外を見てイライラしながら生活を送りたくない。
ヅラ美さんはこういう考えの持ち主のようで、結果として「好きな人を好きでい続けるためには近づきすぎない方が(私は)心地よいと思う。だから私は結婚生活には向いていない」という結論に至っているようです。(誤読していたらすみません)
うーん、それは確かに結婚という「共同生活を送る」には向いていない考え方かもしれない…と思いつつ、個人的にひっかかったのは「好きな人を好きでい続ける」という箇所。
私の実感としては「好きでい続けることは難しい」&「一緒にいるために、全てを好きでい続ける必要はない」という2点。
ブコメにはこう書かせてもらいました。
kimaya 一緒にいるには「私はこの人を受け入れるんだ」という諦観込み決意を更新し続けるという感じ。でも更新しなくなる日も来るのかも…。
ここを考えだすと「今でも夫を異性として好きかどうか」という答えにくい質問に直結してしまうんですが、
答えはYESでもありNOでもあるわけです。
異性の中で一番のお気に入りではあるのです。
でも「好き!」というのとはもう違って、「面白いやつだなぁ」と眺めている感じ。
「私の人生にこの人が必要かどうか?」となると「どちらでもいいかも…」と思います。
我が家はけっこう精神的に放置し合っている夫婦なので、こういう感じになります。
だから私は「この人と一緒にいたい!」と切実に願っているわけじゃなくて、上記ブコメのように「私はこの人を受け入れるんだ」と思っているだけなのです。
そしてその決意は、諦観込みでもあるわけです。
結局は夫も他人なので、いつも私が「この人面白いな」と思えることばかりするのではなく、「なんでそんな変な(思いやりが無い、こちらに迷惑かける)ことやる(言う)の?」と思うことは必ずあります。他人だもの。
夫だって私に対してそう思いつつ、一緒にいてくれるんだと思います。
「つまらないこともあるけど、まぁ、いいや」とどこかで諦めていないと、他人と暮らすのは難しいかもです。
でもこれは「我慢をしている」という意識ではないのです。
単に「私はこの人に決めたんだから、これを全部受け入れよう」と思っているだけです。
勿論、積極的に「あなたのことは何でも受け入れるわ!」というラブラブな奥様もいるんだろうと思います。
…でも男性側が書いている他のブログでは、旦那のあれこれに何でも文句つける奥様もいるようなので…。
色々ありますねぇ、としか言えなくなりますが。
「その人のことを好きでい続けたい」なら、一緒に暮らさない方がいいとは思います。他人に対する夢はなくなります。
でも、その「気にくわない所」を知るのも生活の醍醐味であるので、嫌なことばかりでもないし(多分)、嫌になったら離れればいいだけかも、と思います。
この「離れればいい」は距離的な面もありますが(だから離婚する人がいる)、気持ち的な部分だけでもありえることです。
「夫とはいえ所詮他人なんだから、これ以上深入りしないでおこう」と思う点は多々あります。
例えば親戚付き合い
具体的には書きませんが私が夫に対して「どうして親でもないその人に固執するの?」と思ってしまうことがあって。いるんです、なぜか夫と関係が濃い親戚が。
その人の夫に対する影響力たるや、濃いです。
でもそれ(その人に振り回され続けるという選択)は夫個人の自由なので、私はノータッチにしています。
私自身が異様に親戚付き合いに興味がない、ということもあるし。
そして相手側も私のことは少しも眼中に無く、夫だけを可愛がっています。そういうこともあるのです。私は、平和ならそれでいいや、と思っています。
これを妥協だと思う人もいるでしょう。
「夫を可愛がってくださる方なら、妻として仲良くしなきゃ!」と思う人もいるでしょう。
逆に「妻は眼中にないのに夫だけを可愛がり続ける親戚はけしからん!」と思う人もいるでしょう。
でもその人が「この子は昔と変わらず好きだけど、この妻は特にいらない」と思うのも自由なわけです。夫に「奥さんによろしく」の一言を言ったことがないとか、みんなで一緒に話していても私には目も向けないとか、そういう行動も個人の自由なわけです。
でもこの「妻のことを無視し続ける親戚との関係を一人で重視し続ける」という夫の行為も、私から見たら「夫の嫌いな部分」になるんだと思います。まぁ、嬉しくはないです。不自然だし…私の親に言うと眉を顰めるし…。
でも、私は気にしないです。その人と夫には私には知り得ない歴史があって、私には関係ないことなんでしょう。
例えば洗濯物
あと、これはよくある話ですが「夫が靴下脱ぎっぱなし」問題。居間とか廊下とかに靴下が変な形で落ちてます。毎日落ちてます。
脱いだ靴下を洗濯機に入れないんですよね…。
でもこれも基本的に私は気にしてません。そういう性質の人なんだろうと思っています。
もしかしたらまだ洗ってほしくないから、洗濯機に入っていないだけかも。
前日の靴下なんかは気づいたら私が拾うし、私が気づかなかったら単に「洗わない」だけです。次の日洗います。いつか洗います。そんな感じ。
(洗濯が終わった後に見つけたら、夫の部屋に蹴り入れておきます←これは酷いかも)
これも、「家をきれいに保ちたい」と望む奥様にとっては大問題ですよね。
イライラするかもです。 でも、私は気にしません。気にして気に病んでも損するだけです。
つまり、「嫌いな部分」に対してイライラしないでいることもできるんだよ、とみなさんにお伝えしたいと思って、ブコメやこの記事を書いています。
でも「気にしない」なんて、妥協でしかない気もしますねぇ…。どうも自分が純粋じゃない気がしてきましたよ…。
他のみなさんはどうなんでしょう?
その他の気になった記事
今朝、こんな記事がありました。
かなり気持ちとして同意したので、引用させていただきますね。
実際、ずっと一緒にいると慣れるし飽きるしで、強烈なトキメキというのは、なくなってきます。でもその代わり、安定感というか、安心感というか、刺激は少ないけどじんわりとした味わいが出てきて、それこそお米を食べるときのような、ありがたさを感じます。
そうそう、そんな感じ、と思います。
お米がないと落ち着かないですよね。私はパスタ好きなので、パスタだけ食べて生きていくこともできなくはないですけどね。
「人生におけるチョコレート的なもの」は、本物のチョコレートだけで十分です。
きまやでした。
結婚生活といえばこの本。鬱日記でもあります。
- 作者: 山本文緒
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- 発売日: 2009/10/24
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あと、この本おもしろかったです。
題名とは違ってあんまりお金の話じゃなくて、いかに家で夫に気楽に生きてもらうかという秘訣が書かれています。(家でストレスなく気楽にのびのびできていれば、いつかは出世してくれるでしょう、という文脈だと思います)