大岡頼光『教育を家族だけに任せない』
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大岡頼光『教育を家族だけに任せない 大学進学保障を保育の無償化から』(勁草書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b166021.html 家族が教育費を負担するのが当然とする「家族主義」のままでは、すべての子ども・若者の能力を伸ばしきることができず、日本の将来はない。家族主義から抜け出し徹底して教育費を社会が負担するスウェーデンの経験の分析を踏まえ、長期的視点から全教育段階の公的負担や運営方法を戦略的に変えれば、家族主義は変えうると主張する。
このブログでも何回か取り上げてきたOECDの
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/oecd-af93.html(学費は高いわ援助はないわ・・・日本の高等教育@OECD)
の根っこにある子供の教育費は親が負担するというイデオロギーからいかに脱却するかを説いています。 序章 人生の初めから家族だけに任せない文化を創る 1 介護保険導入後も減らない介護殺人 2 大学授業料の親負担主義廃止と「脱家族化」 3 介護と学歴 4 少子高齢化社会を支える子ども・若者の進路保障 5 社会構想のために 6 本書の構成
第Ⅰ部 高等教育での親負担主義の問題点─スウェーデンとの比較
第一章 教育費負担の現状 1 大学卒業までの教育費 2 親の収入による進学格差 3 高等教育費負担の国際比較 4 生活給の崩壊
第二章 制度が文化を創る─スウェーデンの大学での親負担主義の廃止 1 問題設定 2 親負担主義廃止と中間層の支持 3 親負担主義廃止の議論と背景 4 平等と親負担主義廃止の対立 5 日本への示唆
第三章 高等教育費の公的負担の根拠 1 教育費の「脱家族化」と進路保障 2 不況期の教育予算増の背景 3 逆進性 4 スウェーデンの給付奨学金 5 高等教育よりもまず就学前教育を充実
第Ⅱ部 就学前教育を無償化し信頼を創る
第四章 子どもの貧困解消─普遍主義か選別主義か 1 保育と大学─普遍主義への転換時期の違い 2 普遍主義が望ましい理由と問題点 3 スウェーデンの保育の歴史と普遍主義 4 普遍主義の長所と問題点からみた保育と大学 5 対称的な日本の待機児童 6 普遍主義と政府への信頼の関係
第五章 就学前教育で政治への信頼を創れるか 1 職員と親の協働と信頼 2 ウェーデンにおける親協同組合保育所の意義 3 親協同組合保育所を運営できる時間はあるか 4 自治体立の保育所での親の協働、親の評議会 5 保育・就学前教育の平等化の方向とその条件 6 日本の問題点と改革の方向性
第六章 保育・就学前教育の無償化 1 「幼児教育の無償化」三~五歳限定案の根拠 2 日本の特異な問題状況 3 〇~二歳児の保育の無償化を優先すべき 4 三~五歳児だけでは教育格差は減りにくい 5 〇歳児保育の平等化効果
終章 家族主義を変える 1 保育・就学前教育 2 学力形成と進路選択 3 小中学校 4 高校 5 大学
あとがき
面識のないわたくしにお送りいただいたのは、拙著『若者と労働』のこの一節が本書の議論に関わっているからだと思います。 この問題に対しては、最近になって急速に関心が高まってきましたが、逆に言うと、それまではなぜこの問題に対してほとんど関心が持たれなかったのか、社会問題にならなかったのか、ということの方が、諸外国の目から見れば不思議なことのはずです。なぜだったのでしょうか。 それは、日本人にとっては、生徒や学生の親が、子供の授業料をちゃんと支払える程度の賃金をもらっていることが、あまりにも当たり前の前提になっていたからでしょう。そもそも、生活給とは妻や子供たちが人並みの生活を送ることができるような賃金水準を労働者に保障するという意味がありますから、子供が高校や大学に進学することが普通になっていけば、その授業料まで含めて生活給ということになります。 おそらくこのことが、高校教育にせよ、大学教育にせよ、将来の職業人としての自立に向けた一種の投資というよりは、必ずしも元を取らなくてもよい消費財のように感じさせる理由となっていたのではないでしょうか。つまり、公的な教育費負担が乏しく、それを親の生活給でまかなう仕組みが社会的に確立していたことが、子供の教育の職業的意義を希薄化させた一つの原因というわけです。 そうすると、そのことが逆に公的な教育費負担をやらない理由となります。もしその教育内容によって学校で身につけた職業能力が職業人となってから役に立つからのであるならば、その費用は公共的な性格を持ちますから、公的にまかなうことが説明しやすくなりますが、それに対して教育内容が私的な消費財に過ぎないのであれば、そんなものを公的に負担するいわれはないということになりましょう。つまりここでは、日本型雇用システムにおける生活給と、公的な教育費負担の貧弱さと、教育の職業的意義の欠乏の間に、お互いがお互いを支えあう関係が成立していたわけです。
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