「アニメ」で生きていくということ
谷口悟朗監督×ヤマサキオサム監督ロング対談 第1回
『
プラネテス』『コードギアス 反逆のルルーシュ』などで知られ、2009年9月放映の『ジャングル大帝』では古典的名作に新たな命を吹きこんだ谷口悟朗監督。最近では『イタズラなKiss』『地球へ…』などを手掛け、業界のベテランとして専門学校講師も勤められるヤマサキオサム監督。
谷口監督がアニメーション業界に入ったばかりのころからのお付きあいだというお二人に、業界での体験談や、若手への期待と人材育成の方法論を語りあっていただきました。
第一回では、お二人がアニメーションの世界に飛び込まれたときの逸話を踏まえた、これから飛び込んでくる人たちへの厳しくも熱いアドバイスをどうぞ!
二人をつなぐ縁
―― お二人が初めてお会いになられたのはいつごろなんでしょう?
ヤマサキ 一番最初に会ったのは21~22年くらい前かな。谷口くんがアニメ業界に入ったその年か、翌年くらいのことだと思う。
谷口 少なくとも、もう20年くらい前のことになりますね。
―― 直近でお会いになられたのは?
ヤマサキ 2年半くらい前かな?
谷口 そうですね。
ヤマサキ その前だと、10年くらい前に一度アミューズメントメディア総合学院のパンフレットに掲載された座談会の収録があった。
谷口 映画館かどこかで収録したんでしたよね? その時の映像はちゃんと残っていますか?
ヤマサキ 阿佐ヶ谷に「ラピュタ阿佐ヶ谷」という映画館があって、そこの二階の山猫軒というレストランで収録したんだよね。たぶん捜せば有ると思うけど。
他の参加者には、当時はまだ新人だった脚本家の岡田麿里1さんとかもいた。今はもう売れっ子シナリオライターだね、彼女も。
谷口 あの座談会には内田 (順久) 2さんとか佐野(浩敏)3さんとか黒田 (洋介) 4さん もいて、私もヤマサキさんにはお世話になっていたので、協力しないわけにいかないでしょう……という気持ちで参加した座談会でした。
ヤマサキ いつも無理矢理頼んじゃってごめんね(笑)。
谷口 いえいえ!(笑)。
若手に求められる心構え
―― 「ぷらちな」は「未来のクリエイター志望者を支援する」という趣旨のサイトなので、今日も人材育成についてのお話を中心にお話を伺いたいと考えているのですが、谷口さんはこれまで教壇に立たれたことはほとんどないですよね?
谷口 学生さんにお話しするのは向いてない方だと思うんですよ。
ヤマサキ そんなことはないと思うけど。
谷口 いろいろな学校関係者の方々とお会いしたり、名刺交換をする機会がありますけれど、そこから先に発展したことが一度もありませんもの。大体、教育を頼まれるのは(制作)現場ばっかりです。
―― 現場ではどういったことを教えてらっしゃったんですか?
谷口 セクションによって違うんですが、アニメ業界ではご飯を食べられなくてもおかしくないのが前提だということ、そこから「どうやったらアニメを作ることで食べていけるのか?」を考えないといけないということは共通して教えますね。その意識が持てなければ、絶対に甘えて駄目になる。
あとは、アニメーター・演出・制作・企画などなど、各セクションによって生き方は違います。特に気を遣うのはアニメーターさんですね。技術は先輩が教えてくれると思うんですけど、「裏技」の部分は誰も教えないと思うので。
―― 「裏技」といいますと?
谷口 一例ですが、アニメーターさんは、ある程度キャリアを積むと、制作スタジオから拘束料、もしくは半拘束料が出たりしますよね?
―― はい。
谷口 あれは何のために払われているお金かというと、アニメーターの現役寿命が一番短いから、引退後のために貯金するなり、元手にして事業を起こすなり、自己投資するなりしなさいよ……という意味のお金なんですよね。制作会社はわざわざ説明しないですが。
だから、年を重ねたアニメーターが物量をこなせなくなって、収入が下がった場合に手当を出さない。前倒しで払っているわけですからね。そのことは先に言います。「アニメーターが、他のスタッフたちがもらっていないお金をもらっている意味を考えなさい」と。
―― 人生設計に踏み込んだお話をされるわけですね。となると学生さんたちにはたしかに教えづらいところがあるかもしれませんね。
「君たちには才能がない」
―― 現場からのシビアな視点で教育について捉えている立場からすると、専門学校で勉強している学生たちというのはどのように見えますか?
谷口 ええとですね……ズバリ言うと、現段階ではまだ使えません。あくまで「現段階」においては、ですけれど。
―― 具体的にはどのようなところが?
谷口 以前学生さんたちの前でお話させていただいた時、最初に私、自分がどういった会社にいたかとか、どういった形でアニメ業界やマンガ業界、声優業界に絡んできたかとかを話して、関わってきた業界については大抵のことは答えられます……という自己紹介をした記憶があるんですね。
で、それらについて、どんなつまらないことでもいいから何か質問がありますか? と振った時に、何も反応がなかった。
―― つまり?
谷口 「前に出よう」という意識がないと言えばいいんでしょうか。待っているだけなんですよ。私は待っているだけの人間が大成したのを見たことがないんです。
だから、かなり意識を改革させないと、10年もたないだろうと思います。教壇に立たれているヤマサキさんは、そのあたりを鍛え上げることに努力されているのではないかと思うのですが、いかがですか?
ヤマサキ 意識のことは一番最初に言うのはたしかです。それがないと、学校は単なる技術教育の場になってしまう。「こういう手順を踏めばこういうものができる」というのを教えるのはものすごく簡単で、学校としては最低限それだけを教えればいいんだ、という露骨な考え方もあると思うんです。
しかし、もうひとつ踏み込むと、逆に興味さえあれば、マニュアルを読むだけで技術的なことは大抵覚えられるんですよ。実際に僕らは、学校で教わらなくてもできるようになっているわけですからね。
だから、出来るか出来ないかは意識の問題で、自分が何を「分かっていないか?」を、まず理解できる必要がある。学校はそれを教えられる場所でないといけないと思っています。
―― 谷口さんが実際に仕事の中で指導するときには、新人に必ずすすめることなどはありますか。
谷口 アニメーション制作のテクニカルなところでいうと、私が現場で企画以外のセクションの人たちに対してまずすすめる仕事は、「基礎に当たる」ことなんですね。
―― 「基礎」といいますと?
谷口 まず、いわゆる社会人の基本とおなじものです。”ホウ・レン・ソウ”=”報告・連絡・相談”は最低限できるようになっててほしい。どのセクションに行くにせよ、これがない限りはコミュニケーションが取れませんから。
―― まさに根本の部分ですね。
谷口 作品作りでいうと、「ターゲットがはっきりしていて、やるべきこともはっきりしている作品を徹底してやりなさい」ということですね。今の商業アニメーションは応用編に特化した作品が多いんです。それは仕方のないことなのですが、いきなり応用から入ってしまう新人さんが多いのは問題なんですね。
結局、ここで「応用」ができていたとしても、それによって別の「応用」に行けるかと言ったら、基礎がないと絶対にそこは行けないんですよね。基礎の習熟が絶対なんです。
だから、深夜アニメの中途半端な萌えものをやっているくらいなら、基礎を徹底してやりなさい、と言います。よく言うのは「『ドラえもん』さえできれば萌えものは作れる。でも、萌えものが作れても『ドラえもん』は作れないんだ」ということですね。
ヤマサキ そこは難しいところだよね。いろんな意味で……。
谷口 そうなんですけどね。で、私が学校さんにとりわけ望むことといえば、徹底して「君たちには才能がない」ということを伝えてほしいということですね。
ヤマサキ (笑)。
谷口 いや、これ大事だと思うんですよ。
ヤマサキ おっしゃりたいことはわかります。
谷口 君たちは才能が何もない、価値がない人間だということを先に言ってほしい。才能があると思っている人間ほど使いものにならないですよ。「どこどこの作画スタジオにいた」「有名な作品の現場にいた」という要らんプライドだけが肥大化していて、実際には全く使いものにならない人間というのはたまに見かけます。
そういう人よりも、「自分には才能はないが、やりたいのだ」という方が間違いなく伸びます。
僕たちにも才能はなかった?
―― 谷口さんやヤマサキさんがアニメーション業界に入られた時にも、才能なんかないと思った方が伸びるというような意識はお持ちだったのでしょうか?
ヤマサキ 僕は中学時代から大学までは行く気がなくて、高校も工業高校(熊本工業高校)に入ったんです。
そうしたらそこに、わたなべひろし5さんがいらっしゃって(笑)、「マンガ描くのが好きだったら来いよ」とアニメーション同好会に誘われて、「宇宙戦艦やまと」という8ミリ映像を自主制作するのを手伝わされたりしていたんです。
そうこうしているうちに、わたなべさんが簡単にアニメーターになっちゃったので、「なら僕もなれるんじゃないのか?」みたいな感じで業界に入ろうとした。
谷口 (笑)。
ヤマサキ ただ、それで飛び込もうと持ち込みをしたら、いきなり芦田(豊雄)6さんから「この絵じゃ無理だね」と言われて。それですごく落ちこんで一度は挫折もした。それでも「絵を描いて飯を食っていきたい」と頑張ったのも事実だけどね。気がついたらちゃんとアニメ業界に入っていた。
谷口 私の方は映像か演劇でご飯が食べてみたいと、ヤマサキさんと同じように、高校の時に思ったんです。ただ、実写なのか舞台なのかアニメなのか、方向性が特化していなかった。実際に、実写のバイトもしていましたし。
それで日本映画学校に通うようになって、いざ卒業といった時に、自分はアニメだけは手がけたことがないと思ったので、アニメをやってみようかな、と。だから随分不純なんですよね。他の方々に比べると。
ヤマサキ 僕もそんなに純粋でもないと思うけどな(笑)。
谷口 (笑)。あとは、兎にも角にも、当時は実写業界は上の方がいっぱい詰まっていたんですよ。監督には「助監歴十何年」なんて人がぞろぞろいたし、プロデューサー志望もたくさんいた。
「ぴあフィルムフェスティバル」[注:1977年に"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマにはじまった映画祭。石井聰亙、黒沢清、中島哲也、園子温、矢口史靖などをはじめ、日本映画界を支える監督が多数輩出されている。]みたいな若手の登竜門も当時からなくはなかったんですが、今みたいにビデオはないから、8ミリで撮るしかないんですよね。そうすると、どうしても金が必要なんですけど、そんなものはどこにもない(笑)。
で、正直な話、のし上がれそうな、ゆるそうなところはどこかと思ったら、アニメだったんですよ。とにかく、最初から監督になることが前提だったんです。
―― それはたしかにすこし「不純」(笑)かもしれませんね。
ヤマサキ J.C.STAFFに入ったきっかけはなんだったの?
谷口 あれ、実は掛須(秀一)7さんが学校のOBで、そこからの紹介です。
ヤマサキ ああ、掛須さんに引っ張られたのか……。
谷口 アニメ会社に対する就職の伝手がなくて、掛須さんに相談したら「AICとJ.C.という会社に伝手があるけど、AICにはこの前別な人紹介しちゃったから、J.C.でどうだ?」と言われまして(笑)。
ヤマサキ いいねえ、その「どこでもいいです」みたいな感じが本当にいいと思うよ(笑)。
谷口 本当にスタートはどこでもいい感じだったんですよ。
―― でも「監督には絶対なろう」と思っていた。
谷口 そう。「なろう」どころか、もう「なれる」と思ってましたね。そこは実はヤマサキさんと同じなんです。なれるにちがいない、自分は天才だ、と思ってました。
だから、序盤の話と矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、個人としてそういう気持ちを持っている分には構わないんですよ。ただ、周りがそれを認めちゃうと、その人は単なるアホになるんです。だから周りは押さえつけた方がいい、と私は思うんですよ。
ヤマサキ なるほど。
谷口 「君たちは才能なんかない」と思われていた方が、バネになって伸びるんじゃないでしょうか。
注釈
内田順久
アニメーター、キャラクターデザイナー。『機動戦士Zガンダム』『機動戦士ガンダムZZ』メカニカル作画監督、『機構警察メタルジャック』キャラクターデザインなど、サンライズのロボットアニメを中心に活躍。
わたなべひろし
アニメーター、演出家。『魔法のプリンセスミンキーモモ』(82年版)の作画監督、版権イラストで人気を博し、91年版ではキャラクターデザインを担当。その後も旺盛に活躍を続けている。代表作に『地獄少女三鼎』『クッキンアイドルアイ!マイ!まいん!』など。
芦田豊雄
演出家、キャラクターデザイナー。スタジオライブ代表取締役、日本アニメーター・演出協会代表。『魔神英雄伝ワタル』シリーズなどのキャラクターデザインで多くのファンを獲得。総監督を勤める『蒼天航路』などで監督、演出、プロデューサーとしても活躍。