マンガHONZ編集長・佐渡島にポチらされた『「坊っちゃん」の時代』の全巻を早速読んだのだが、その中でも特に第四部が良かった。大逆事件と幸徳秋水を描いたこの作品は、1910年(明治43年)の出来事。この年はハレー彗星が観測できた年で、『「坊っちゃん」の時代』の連載が始まったのが、その76年後の1986年、再度ハレー彗星が地球に接近した年だ。
私が初めて日本史を学んだときは、多少イデオロギーにかぶれた教師の影響もあり、大逆事件と聞けば、山県有朋と桂太郎の陰鬱さばかり印象に残ったのだが、この作品では作者の関川夏央と谷口ジローがあたかも同時代に身を浸したようにフラットに人物描写していて驚かされる。第一次西園寺内閣で内務相になっていた原敬と警視庁の伊集院景韶が、スパイによって手に入れた幸徳秋水と堺利彦の書簡を読んだ場面が象徴的だ。
幸徳と貴公(伊集院)が同意見とはおもしろい
外国を知った者同士
認識を同じゅうして ただ立場を違えるだけです
幸徳がどれだけ正確にアメリカと日本の関係を見通していたかはこの『「坊っちゃん」の時代』第四部で確認して欲しいが、原、桂、山県の立場になれば当然そうしただろうし、幸徳の立場であればそうせざるを得なかった事情が腑に落ちてくる。1986年にこれだけイデオロギーから離れてフラットに時代を観察できる作家は珍しかったのではないか。このマンガが連載開始から30年近く経ても古びないのはこのようにイデオロギーに毒されていない歴史の事実に依拠しているからだろう。
この作品で、関川と谷口は、大逆事件が昭和20年の敗戦につながる日本近代史の分岐点と考えているようだ。日露戦争に完全勝利したと思い込んでいた民衆が、頭山満などの右翼が開催したポーツマス講和条約反対国民大会に集結し、内務省や警察署などを焼打ちした都市民衆の暴動事件、日本で最初に戒厳令がしかれた日比谷焼き討ち事件について幸徳秋水が語っている場面にそれがよく現れている。
時代は変わるね
うん変わる
国権の拡大を個人の拡大と誤解する幸福な時代は終わった
これからは国家と個人の敵対する時代だ
国家と社会主義者はさらに烈しく敵対する
日本の為政者に民衆の恐ろしさを実感させ、政治にポピュリズムが忍び込む端緒になった日比谷焼打事件だが、アメだけでなく国体の崩壊につながる思想に対するムチが強化されることにもつながった。
幸徳は遊学していたサンフランシスコの地震で現れた、無政府状態にも関わらず人々が助けあう姿や日比谷焼打事件の民衆の力を見て無政府主義にますます傾倒していく。一方で、作者たちがイデオロギーに傾倒していないので、幸徳や大杉栄などに代表される、「革命家」の優柔不断も描かれ、そういう場面のマンガならではの表情の表現がどれもリアルで人間臭い。
これは『「坊っちゃん」の時代』第四部のレビューだが、実は第二部にも第四部ともつながる重要なカットがある。森鴎外が陸軍省で東條英機をつれた東條英教とすれ違う場面だ。東條英教は陸軍大学を主席で卒業したが、日露戦争での用兵のミスが原因で中将どまりで、予備役編入が早かった。
英教は自分が大将に昇進できなかったのは山県を中心とした長州閥が原因だと終生考えていたようであり、彼の長男、東條英機にその呪詛を吹き込み続けた。英機は関東軍の憲兵隊の司令官として頭角を表し、統制派の首領の一人として、藩閥の流れをくむ者たちを人事で徹底的に排除した。
国権の拡大が個人の自己実現と地続きだった明治から、逆に「私」を人事に持ち込むような形で、組織の利益を追求してとうとう国を滅ぼしてしまった昭和への分岐点がこの場面に象徴的に表されている。
日露戦争が終わってから明治時代が終焉を迎えるまでの空白期間、文学と政治状況とを合わせた時代の気分を味わうには最高のマンガだと思う。ところでこの文庫の表紙にもなっている明治の東京に降る流星の描写がとても美しい。この作品もぜひカラー化してほしいものだ。
谷口ジロー監修の彩色が圧倒的に美しい。絶対にコチラで読むべき。佐渡島のレビューはこちら
東條英教、英機 親子のシーンが収められている、森鴎外のストーリーを中心にした第二部。
『「坊ちゃん」の時代』第四部の解説で加藤典洋が大逆事件が時代に与えた影響の全体像を知りうる唯一の書として紹介しているのが『日本文壇史 転換点に立つ』。