世代の相違はよくあることだ。生まれ育った時空が違うので、社会環境も価値観も大きく変わり、これを埋めることは出来ない。昔、年寄りが「今の若いもんは」と、若者の価値観なり生き方なりを批判したり、嘆いたりしていた。年寄りたちは時代に置いていかれることが不満なのだろうと思っていた。時代は常に、若い人たちによって作られていく。どんなに年寄りが、嘆こうが非難しようが、年寄り自身に創造する力は残っていない。
けれども、今日聞いた話はビックリした。大学生になった娘がキャバクラでアルバイトをするのを許したという。娘さんは「社会勉強」と言ったらしいが、娘さんを「信じる」と言った親はもっと凄い。大学生のアルバイトといえば、私たちの頃は家庭教師か売り子か郵便局の仕事くらいだった。時々、他所の大学に通っていた友だちから、「倉庫の整理」とか「交通調査」とかの情報を貰って、出かけたことはあった。
私の娘たちの頃は、もう少し幅広くなっていたと思うけれど、娘たちが探してくるというよりも、私が仕事を斡旋するケースの方が多かったと思う。大学生になった孫娘も週に何日かアルバイトをしているようだ。孫娘に「バイトの方が楽しくなって、大学を休むようになり、とうとう大学を辞めてしまった女の子の話が新聞の悩み相談に載っていたけど、あなたはどう?」と聞くと、「それは絶対にない」と言う。
私は、大学生がアルバイトすることを否定する気はないけれど、そもそも何のためにアルバイトをするのかだと思う。私は、大学生になった時は両親がいなかったので、生活するためにはアルバイトしなければならなかった。それでも欲しいものが多くあったわけではないので、そこそこに小遣いが入ればそれでよかった。お金に困ったのは、大学4年の時、東京の出版社でアルバイをしていて、先輩に連れられて飲み歩き、東京タワーの近くの川に落ちた時だった。メガネを無くしてしまったので、どうしても購入しなければならなかった。そのお金が無くて、姉に送金を頼んだ。
キャバクラでアルバイトというのは、ドラマの世界かと思っていたけれど、実際そういう女の子がいるのだ。いや、それには驚かないが、それを許した親がいることの方が驚いた。娘を信じるのは立派だけれど、どんなに賢い子でも男女の仲は計算どおりにはいかないものだろう。それを承知で許すと言うなら、親はどんな体験をしてきたのだろうと思ってしまう。世代の相違かも知れないが、本当についていけなくなった。