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石巻・大川小遺族、原告に加わらず 悲劇自ら伝えたい

都内での講演で生徒たちが「いのちの石碑」に刻んだメッセージを紹介する佐藤さん=15日

 東日本大震災で児童と教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の津波災害で、児童の遺族が市と宮城県を相手に損害賠償請求訴訟を起こした。原因究明を求める遺族のまとめ役だった女川中(宮城県女川町)教諭の佐藤敏郎さん(50)は原告に加わらず、自身の言葉で悲劇を伝える道を選んだ。津波を教訓とする教え子たちの取り組みも発信し、「あの日」と向き合い続ける。(石巻総局・丹野綾子)

 「見上げれば ガレキの上に こいのぼり」
 東京都内で15日に講演した佐藤さんは、震災後に女川一中(現女川中)の生徒が詠んだ俳句を紹介した。
 町の大半が壊滅し身近な人を失った心情を五七五に込めながら、生徒たちは「女川のために何ができるか」を思案。大地震が来たら津波に備えて高台に逃げる鉄則を引き継ぐ「いのちの石碑」を計画し、募金活動で資金を集めて実現させた。
 「過酷な体験と向き合うのはつらいが、大切なこと。生徒は同じ悲しみを繰り返してほしくないと行動し、大人でも難しいことをやり遂げた」
 講演の後半、大川小について語り始めた。6年だった次女みずほさん=当時(12)=が犠牲になった。
 「避難に必要な時間も情報も手段もあったのに、救えなかった。なぜ救えなかったのかを議論しないといけないのに、『大災害だから仕方がなかった』で片付けられようとしている」
 第三者の事故検証委員会がまとめた最終報告書は多くの犠牲を出した原因の核心に触れず、責任追及を避けた。再発防止への提言も、検証すべき本質を分かりにくくしていると感じる。
 遺族の一部は子どもの死の真相究明と責任の明確化を求め、提訴に踏み切った。責任をかわしたり、体面を取り繕おうとしたりしているとしか見えない市教委や検証委に失望した。
 命の重みを受け止める検証を司法の場に委ねざるを得なくなった親の思いは、佐藤さんも同じだった。
 葛藤の末、別の決断をした。「裁判は難しい役所言葉の応酬になる。それより中学生でも分かる言葉で大川小のことを伝えたい」。教員でもある自分にできる使命だと思った。
 教え子たちは17文字で悲しみや絆の大切さ、支援への感謝、未来への希望を伝えた。200ページを超える検証委の報告書より説得力があった。
 「大川小の犠牲は救えた命だった。子ども一人一人の姿が命そのものに見えた時、先生や学校は変わる」
 市教委との話し合いを続けながら、願いを込めた言葉を講演会やブログで紡いでいく。

[大川小の津波災害と検証作業] 児童108人と教職員13人のうち児童74人、教職員10人が犠牲になった。地震発生後約50分間は校庭にとどまり、北上川堤防付近に移動中、津波に襲われたとみられる。石巻市教委の調査は助かった子どもの聞き取りメモを廃棄するなどして遺族の不信を招き、第三者の事故検証委員会が設置された。検証委は3月1日、「避難の意思決定の遅れと堤防付近を避難先に選んだことが直接的要因」とする最終報告書を市に提出した。


2014年03月22日土曜日

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