東日本大震災から3年。被災地の惨状は、多くの人に「自分は何ができるか」を問う機会になった。

 復興事業では、被災者の複雑な要望を調整しつつ、過疎と地域経済の沈滞という震災前からの課題の克服を迫られる。

 大きな挑戦だが、だからこそ新たな人材が育つ場にもなりつつある。この流れをさらに太くしていきたい。

■変化しているニーズ

 東京では新年度を前に、被災地で働く人材を募集する説明会がいくつも開かれた。

 復興庁が事業主体の「WORK FOR 東北」も昨秋のスタートから3回、個人向け説明会を催した。実際の運営は公益団体やNPOが担っており、派遣先の仕事は様々。原則1年以上、専従できる人が対象だ。

 事務局の日本財団によると、説明会や転職サイトを通じた呼びかけで、これまでに333人が応募・登録した。

 震災直後を支えたボランティアが減る一方、こうした中長期型の支援への関心は必ずしも冷めてはいない。

 被災地側のニーズは変化してきている。

 震災当初は、物資の輸送やがれきの片付け、避難先での生活や企業の復旧に必要な人事・総務的な仕事など、目の前の問題処理が中心だった。

 「今後は現地の課題を分析して解決策を提示できる人が重要になる」。そう話すのは、各地の復興プロジェクトを支援する一般社団法人「RCF復興支援チーム」の藤沢烈代表理事だ。「とりわけ民間企業で一定の経験を積んだ人材が欲しい」

 例えば津波被害の大きかった沿岸部の水産業は、賃金の高い建設業に人を奪われ、思うように事業再開にこぎつけられない状況が生じている。

 収益性の高い産業へ再生するためには、付加価値を上げる新しい商品・サービスの開発や国外も視野に取引先を切り開くことのできる人材が不可欠だ。

■従来型の発想に限界

 自治体でも、民間人の経験を生かそうとする動きが活発になってきた。

 福島県浪江町は一昨年、初めてNPO法人を通じて職員を募集、採用した。背景には、「雇う/雇われる」という主従型の仕組みでは復興事業が保守的な行政の発想内にとどまり、住民や企業の思いに応えきれないという危惧があった。

 活用したのは、社会起業家の育成を手がけてきたNPO「ETIC.」が展開する「右腕派遣プログラム」。復興に取り組むリーダーを対等の立場から支援する人材の派遣だ。

 津波被災地区の集団移転事業の担当者として採用された菅野孝明さん(44)も、身分は職員ながら、あくまで事業上のパートナー。国の制度や予算措置と絡めた工程表づくりや、避難先が全国に拡散する住民に電話で意向を聞き取る調査などに、建設コンサルタントや大手進学塾で得た経験を生かし、次々と提案を実現させている。

 同僚の青田洋平さん(34)は「菅野さんに触発され、国の指示や住民要望を待って動くことに慣れていた自分たちも仕事ぶりが変わった」という。

 ただ、被災地での仕事は決して「厚遇」ではない。年収で400万円を超えることはまずないという。しかも、ほとんどの仕事は有期だ。関心はあっても転職には二の足を踏む人もいるだろう。

 その点では、企業が出向などで一定期間、被災地に希望者を送り出す仕組みを広げる必要があろう。復興事業への参加経験は元の職場でも大いに生かせるはずだ。経済団体が取り組んでいるが、強化してはどうか。

■起業を通じた再生

 新規事業の立ち上げや起業を考える人にとっては、被災地はまさに学びの場だ。

 高知県出身の溝渕康三郎さん(31)は大手飲食チェーンを辞め、昨年、岩手県陸前高田市の長谷川建設に転職した。

 いずれは地元に帰り、森林資源を使った自然エネルギー関連の地域おこし事業を始めたいと考えていた。長谷川建設では木質燃料を使ったストーブの営業開発を任されている。

 「県内外の自然エネルギーや地域おこしに関わる人と接する機会が格段に増えた」。起業に向けて、具体的にどんな準備が必要かも見えてきたという。

 ETIC.の山内幸治理事は「大企業との連携も大事だが、むしろ独立して起業する人材の育成につなげたい」と話す。ETIC.による派遣事業では、すでに14人が起業したという。「被災地で問われている問題は、東北だけでなく全国が震災前から抱えていた課題でもある。ここでの成功が日本再生のモデルになる」

 被災地での経験を、広く社会に生かしていく。支える対象から、ともに将来への打開策を探る場へ。東北を見つめ直し、人の交流を進めるときだ。