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憎しみ。悲しみ。孤独感。閉塞感。

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憎しみ。悲しみ。孤独感。閉塞感。

自分は小、中学校時代、常にいじめられていた。

自分で言うのもなんだが、

真面目で嘘もつかない、ルールも事細かに守っていたし、

一般的に「悪い」とされるであろう事は決してしなかった。

けれど、周りがそうでなければ、

自分は逆にその「悪い」とされるであろう事をしなければいじめられてしまう。

真面目すぎて、太ってもいたのだが、

どうしてそれだけでいじめられなければいけないのだろうか。

しかも、いじめが始まった頃は太っていなかった。

真面目なだけだとダメなんだと気づき、

どうにかして笑わせないといけないと思ったのか、

今では恥ずかしくて仕方のない事も平然とした。

けれど、奴らはただ笑うだけで、結局いじめられる事に変わりはなかった。

一度いじめの対象に選ばれてしまったからには、逃れる事は容易ではない。

休み時間は、見つかったら、殴られる、蹴られる。

どのルートを通れば誰にも会わずに済むかを常に考えていた。

また、職員室からも離れすぎてはいけない。

トイレに行くと教室にある物は取られるか捨てられるか壊されるかのどれかだ。

かと言って、トイレに持っていくと、それが見つかった時には殴られ、蹴られ、奪われ、

トイレの床に置かれるか投げられるかだ。

それを取ろうとして手を踏まれる事だってある。

それよりも重大な出来事は、

トイレに休み時間にも行けないのは勿論、

授業中に行くとなっても、笑われてさらにいじめられるのはわかっていた。

だから、我慢が限界に達して、中学1年の時に、うんこ(大便)を漏らした。

そのままその日はタクシーで帰った。

学校は戦場だ。

教師の目につかないところで見つかった時にはいつも、死を覚悟していた。

奴らは思う存分自分を殴り、蹴り、チャイムが鳴り、気が済んだかのように帰っていく。

そして、もし僕の味方をしたら次はその人が標的になるのが見えているから、

自分は独りで戦わなければならなかった。

教師は全く役に立たない。

スカートの長さだとかどうでもいい校則ばかり語るくせに、

いじめについては奴らはトコトン自分のために逃げ切ってみせた。

あげくの果てに、一人のためにそこまで時間は取れない、とまで言い張る学年主任もいた。

警察はいじめにおいても「証拠がない」と言い張る。

かと言って、学校側はカメラの設置を許可しなかった。

要するに、やられたらやり返せ、という喧嘩両成敗に持ち込めば済むとでも思ってるんだろう。

それなら殺してやる、と思い、ナイフを持っていくと真面目に親に宣言したが、

真面目だったので説得された挙句やめた。

糞タラシと言われ続け、

中学卒業後、高校に入るまでの1年間の浪人期間に、中学校に行く機会もあったが、

先ほど言った一人のためにそこまで時間は取れないバカな学年主任は僕の事を「不良」だったと職員室で紹介していた。

その瞬間、そいつを殺してやろうとも思ったが、

その頃丁度ダイエットも順調で、スリムになっていたため、

これからの自分の明るい人生のためにも、殺さずにいてやった。

その後、高校に入り、

何としてもあいつらを従える立場になろうと必死に勉強はしたものの、

友達も出来ず、彼女も勿論出来ず、

バレンタインにもチョコレートを貰えなかった。

高校もまた、くだらないしきたりを押し付けるだけの似非進学校で、

余裕もない中、受験シーズンになってもねぷた祭りなんていうくだらないバカ騒ぎをやっていたし、

それでいて大声で説教ばかりしている教師もいたため、

3年の7月に限界が来て、全く学校に行かなくなり、結局中退した。

その後高卒認定を取って大学受験はしたが落ちてまた浪人した。

浪人中は邪魔になる奴らがいなかったため勉強も捗ったが、

それとともに精神も病んでいった気がする。

3年の7月から全くもって外の世界とのかかわりがなかったため、

自分が何のために生きているのかわからなくなっていた。

友達も恋人も居ない中、学生時代のいじめ、何もかも楽しくなかった日々を思い返しながら、

後悔し、これから先果たして、楽しい事があるのだろうか、と不安になっていた。

唯一の楽しみは「同人音声」と称されるものだった。

同人音声の購入代金を払うためだけに、数か月ぶりに外に出て、

雨の中コンビニに行き、店員からお釣りを受け取る時に、

久々に、女性の手に触れた。優越感に浸りながら帰った。

こうして、脳内では彼女という存在にに限りなく近い何らかの存在がいて、

寝るときには一緒に居るかのような感覚を味わった気がしていた。

とはいえこれは決して充実しているわけではなくて、

もはや同人音声を聞いて射精する以外に癒しがない、というものでしかなかった。

そんな生活を続ける中で、同人音声の極みなのかどうなのかはわからないが、

自分が満たされていると思いこみ、同人音声の声優の人と外で一緒に座っているかのような感覚になり、

青空が見えたりしたのだが、実際にはそれは壁であったり天井であったりした。

その後、天井に青空が見えたからかはわからないが、

もう中卒の方が目立って良いだろうという考えとともに、

何はともあれ目立ってやる、と思って上京した。

とはいえ、上京して何をやったかと言えば、

友達もいなく、かと言って職に就くわけでもなく、

夜には秋葉原UDXビルの2階で座っている人に話しかけたり傘を振り回したりして、

不審者がられたり、無駄に説教されてストレスが溜まったり、

カップル批判をメモ帳に書いてはニヤけたりしていた。

ニートと言われるのが嫌だったため、無駄に会社を2社設立したが、

実態はなく、社長である自分が世間に対する不満を吐き出すだけの会社となっている。

勿論社員もいない。

あとやった事と言えば、他人の家や事務所を訪問する様子を配信して警察に目をつけられたくらいだ。

しかしどれも、一般的には歓迎されるものではない気がする。

というように、自分のこれまでの事を具体的に話してきたが、

どうして集団における多数派と称される人たちとどこかが違ったりするだけで、

病気だと言われたり、いじめられたりしなければならないのだろうか。

絶対的な基準など決して存在し得ないにも関わらず、だ。

そして、いじめられた復讐だって、簡単には出来ない世の中だ。

もし実行しようとしたら、今度は国家による暴力が待っている。

いじめられたとき、決して助けてはくれなかった警察が、

今度は自分を制裁しようと追ってくる。

こうした、「助けてはくれないが無駄に立ち現われてくる」権力という存在が嫌いだ。

生存の保障と引き換えに従順を強いる権力は、主体性までをも規格化した。

たとえその権力があるがゆえに生かされている側面があろうとも、

いじめすら解決できない権力をどこまで信用するべきだろうか。

そして、少なくとも、その権力が絶対的な正義を行使する事はない。

なぜなら、絶対的な正義そのものが存在し得ないからだ。

したり顔で、常識、正義、などと語って説教し始める奴らを簡単に信じてはいけない。

時代が変わればそれはすぐに変わり得るものだからだ。

そしてこれから先も、対象は変わろうとも、

多数派とされる奴らに勝手に善悪を判断され、個性を抑圧され、

いじめやそれに近い何かはずっと続いていく事だろう。

きっとないだろうとは思うが、一神教が全人類に普及しない限りはそうだろう。

しかし、たとえその一神教自体がどのようなものかは、それが完全に浸透したしてしまったときには、

いかなるものであれ信じる以外に方法はない。

主体性を捨てて生きていく事を余儀なくされる。

だから、全人類が幸福となるためには、

不幸がない、という点で相対的に幸福と呼べる、衰退しかないのだろう。

生まれてくる事自体が不幸な事だ。

赤ん坊は決して自分が生まれたくて生まれたわけではない。

親が勝手に「幸せに生きてほしい」などと思っていてもいなくてもそれは同じだ。

生まれてくるときに「生まれますか、生まれませんか?」などとボタンがあってどちらかを押したわけではない。

そして、どうあれ生まれた後は、

様々な争いの中で苦しみながら成長していき、誰しも最後は死ぬしかない。

生まれてきた以上は、死にたくはない。

生きたくもない、死にたくもない中で、人は生きていかなければならない。

いじめられた過去の自分が、

これからも「復讐心」をもって生きていけ、と心の中で叫び続ける限り、

自分はこのまま死ぬわけにはいかない。

衰退しなければならないという理念を武器に、

憎しみを力にして、これからも生きていきたい。

http://live.nicovideo.jp/watch/lv171330267

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