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唄う海R(改訂版) 作者:水底に眠れ

妖魔夜行は満ちる・4

飛び出したミスミは、手に持つ投げナイフを器用にも更に増やす。その本数は六本、片手三本ずつを指の間に挟んでいる


『はぁっ!』


そして、そのうち二本を木野瀬に目掛けて投げ付ける。列車で出会った相手と同じならば、それほど防御はすまいと目を直接狙った一投だった


ドカン!


爆炎が起きた
『な、ナイフでなにが?』
志摩らは驚いている
『私のナイフじゃ、攻撃力不足ですから、アララさんに』
ミスミは目を反らさずに言う。投げナイフにニトロを塗り付けて維持するやり方を教わったのだ。ああいう手合いは破断しなければ効果が薄い
『アララ?』
アルが首を傾げる
『ポーランドで世話になった人です』
『物騒な話だネ』
山本が嘆息する。良く飼い馴らせてるものだ
『・・・』
ミスミは腰を低めた。ここで追い込めば、海に落ちて自滅するかもしれない。だが、いま接近するのは無謀が過ぎる。目をやられて、あたりかまわず暴れだすのに巻き込まれかねない


だが、期待は裏切られた


『な、防御してる!?』
木野瀬はその丸太のような腕で、自分の顔を防御していた。肉の一部が剥がれて垂れている
『く・・・!』
もう一度二本のナイフを投げる。再び爆炎
『野郎!手で弾こうとしやがった!』
アルが言うように、木野瀬は腕を振るい、爆発するナイフを弾き飛ばそうとした。破片の突き刺さった腕から、指の一本がぽろりと落ちる
『自分の意志で動く化け物か』
これほど厄介な相手はいない


ウォオオオオーッ!!!


その化け物が雄叫びをあげて向かってくる。ミスミを最大脅威として判断したらしい
『逃げろミスミっ!』


ブゥン!


腕が振り下ろされる。木甲板が無残に割れた。その横をミスミは間一髪で避ける。いや、それだけでは無い。振り下ろされた腕の、肩の関節部にナイフが突き刺さっている。あれなら振り下ろした腕を横なぎにはらって、ミスミを吹き飛ばすのを防ぐ効果がある。問題は


ゴォッ!


もう一方の腕の正拳突きを、ナイフを支えに反らす。まるでかつらむきのように皮膚が薄く剥がれる
『やぁっ!』
勢いを殺すようにムーンサルトキックを木野瀬の顎へたたき付けると、木野瀬は後ずさった
『があっ!』
いや、重心を後ろにして力を乗せた大旋回の蹴りをミスミに叩き込むつもりだ。キックをしたばかりのミスミに、これを避けるだけの余裕は・・・
『ミスミっ!』


ズサァッ!


ミスミの姿が消えた。いや、今さっき肩口に刺したナイフに、鋼線かなにかで糸が付いていたのであろう。それを支えにスライディングするように足に取り付く。その過程で先程木野瀬が振り下ろして割れた木甲板に引っ掛かってスカートが脱げる
『っ!』
宙をきった木野瀬の蹴りを支える軸足、その膝の裏側へ、下着もあらわな白いガーターからナイフを取り出して突き刺す
『うまいぞ!』
アルが喜声をあげた。あれなら膝をつかざるを得ない
『ミスミ!動け!』
だがその前に、木野瀬は宙に浮いたままの足を降ろしにかかる。踏み潰す気だ!


ばきゃっ!


ミスミはとっさに転がって避けるが、フリルが踏み付けられて破れる
『うーん、女給服はやっぱり戦闘服にはむかんかネ』
『『あたりまえです!!』』
山本の呟きに伊藤と志摩が突っ込む
『はあっ!』
跳びはねて起きたミスミは、ナイフをまた取り出す。細身であるが、今度は投げでは無い。そして木野瀬に向かって突っ込む。位置的に背中側からだ。膝を屈した体勢での対応は難しい位置だ。うむ、やることに隙が
『ぐぁあああっ!』
木野瀬がのけ反って手を延ばした。掴みにかかる気だ!
『きゃあっ!』
ミスミにとってもこの行動は予想外だったのだろう
『・・・きゃっ!』
身体を捻って木野瀬の手をかわすが、体勢を崩して転倒してしまう。それでもナイフで指先を二本落としているあたり、抜目ない
『ぐぅっ・・・!』
ミスミが倒れてる間に、木野瀬が自分に刺さったナイフを抜く。ブシューッと血が吹き出るが、すぐに血は止まってしまう


ウォオオオオーッ!!!ウアアアアアアアッ!!!


更に裂帛の雄叫びと共に、身体がそれぞれ変化していく。腕は猫獣人の、足は熊獣人のそれに、そしておそらくは身体の中の臓器も
『これからが本気だってか?』
アルは冷や汗を流しつつ呟いた。ふざけんじゃねぇぞ、あんなもの艦内に入れちまったらおしまいだ
『いくらなんでも無理だ!助けなきゃ・・・!』
志摩が武器はないかとオロオロする。獣人の身体能力は陸軍でも折り紙つきだ。生身の人間が近接戦闘で勝てる筈が無い
『上等です』
ミスミは立ち上がった。相手は獣化した。爪は伸びているし、力も増えている。しかし、負けない。負けてはならない
『ミスミ!』
あれは、あの力は封じてた。一族の記憶は私にとって確かに苦痛、でも今は、あの人の女だから・・・あの人の為に、私は生きたいから!
『蟲よ!今ここに、今一度力を貸して!』


江戸川区某所



『これはなんとも』
矢鹿は木野瀬を送り込んだゴリツィアを双眼鏡で眺めていた
『なんでか居たメイド一人に、あの木野瀬が本気を出すなんて』
世の中不条理過ぎる事だらけだ
『が、まぁあのメイドも終わりだな』
リミッターはもはや効かない。後は木野瀬が自壊するまで破壊が続く。あれを止めるには、それこそ大口径の歩兵砲で直撃でもさせないと倒れない
『邪魔者は消える』
矢鹿の後ろに、白衣を着た人間が現れた
『果たして、そうなりますでしょうかな?』
『教授か、南米に戻ったのではないのか?』
1899年の復讐者達の長である教授、さして本人に力は無い、ある程度の化け物を呼び出すのと、ちょっとした瞬間移動が出来るだけの男だ
『アラスカから、ちょっと車椅子の老人と話しておりましたら、少々日本でやり残した事を思い出しまして』
『やり残した事だと?マリスの解放はまだ必要なのか?』
矢鹿は首を傾げた
『いえいえ、たいした事では無いのですが』
教授は笑って拳銃を取り出し
『あなた方のクーデターに、失敗していただきたいと、思いまして、ね』
さも当然そうに引き金を引いた


タン!


『な、なん、だと・・・?』
矢鹿がくずおれる
『簡単な話ではありませんか、あの車椅子の老人はこのクーデターが成功して、戦争を納められたら、と考えている』
だったら合衆国への復讐者である我々が、あなた方のクーデターを失敗に導くのは当然の帰結でしょう。それに、あの老人は不屈の持ち主だが、徹底的に恥は隠す主義だ。実際、米国民はルーズベルトが車椅子であることはしらないし、彼が車椅子に乗っている写真は、二枚しか存在しない程である。だから、太平洋での負け戦と、クーデターの失敗は、なんとかなると不屈の魂を燃やしただろう心を、徹底的に踏みにじってやる絶好の機会なのだ
『馬鹿、なっ・・・!』
血が、矢鹿からとめどなく流れる
『人を呪わば穴二つ、ですよ。ところで』
教授は懐から試験管を取り出した
『出血熱のウィルスですが、適当に処分しておきましたから』
『き、貴様ぁっ!』

矢鹿が拳銃を震える手で取り出す
『おっと、それはいけませんなぁ』


ソレミウス・・・ソレミウス・・・


『がっ!か、身体が・・・』
教授の詠唱とともに身体が動かなくなる
『東北地方の新たな地鎮神ですよ、御呼び立てするのは、本来大掛かりなのですが、個人的に怨みがあるとかで、いやはや、まさに自業自得』
教授の後ろにぼんやり光るのは
『辻ぃっ!』
『どうぞ、泣きわめき、絶叫をあげながら好きな死に様を選んでください。黙って消えろなんて野暮な事は言いませんよ、私は。辻さんも置いていきますから、懇願して早く死なせて貰うのもオススメです』
教授は溶けるように消えていった
『私の!私の栄光が!栄、光が・・・っぐはっ!』
血の塊を吐く矢鹿に、辻が、いや、彼に巻き込まれたダークエルフや、実験に供された獣人達が近づいていく
『畜生・・・畜生っ・・・!』
絶望の内に、矢鹿の視界は亡霊達に埋め尽くされていった


ゴリツィア


『っ!ええぃ!大臣!出入り口から離れて下さい!アル!艦内でなにがあっても、パニックを起こすなって伝えろ!あと、踏み潰すなと言え!』
ミスミの放った言葉に、志摩は苦渋の表情をさらに濃くしながら叫んだ
『わかった!しかし、踏むなってのは』


カサカサカサ・・・


どういう事だと言おうとしたアルの耳に、何かがうごめく音が響いてくる
『うわっ!うわわわあっ!』
『なんじゃこりゃあっ!』
艦内からも悲鳴が聞こえてくる


ゾワッ


クモ、ゴキブリ、ムカデ、フナムシ、ガ。艦内に居た全てのそれが出入り口に殺到したのだ。生理的に嫌な人間にとって、かなりのグロテスクさに、吐き気を催す程だ
『これが・・・』
山本が嘆息した。これが異世界で使われたという蟲姫の力か
『ぐるあぁっ!』
そんな様子を気にするでもなく、木野瀬は跳躍した。早い!
『くぅっ!』
ミスミは身体を反らすが、上の服を持って行かれる。白いレースに包まれた、たわわな胸の上の部分、鎖骨の辺りが切り裂かれて血の筋が出来ている
しかし、ミスミは傷を受けたことに怯まず、後ろに飛びのいた。彼女がいた地点を、着地すぐに振り回された腕が空振りをして虚空を切り裂く
『ガアッ!?』
手応えの無さから、さらに追い打ちをかけようとして木野瀬は獣化した身体を動かそうと振り向けさせたその途端だった。両目にガがたかる
『ガッ!』
頭を振り、追い払おうとするが、なかなか離れない。その間に甲板をはってきたクモやらの蟲達が、木野瀬の足を伝って張り付き、皮膚をかじる
『グアッ!』
払っても払っても、生きてる限りはい上がってくる。が、軍艦内に居た分だけだ。まだ動きを止めるには絶対数が足りない
『ヌグァアアアッ!』
ミスミを倒さないとまずいと、本能的に悟った木野瀬はミスミの方向に駆け寄り、ろくに狙いもつけずに腕を振るう。当たれば背骨が折られてそれまでだ


~生ける物ご覧あれ、いたずらに世を砕き~


ミスミは唄って居た。まるでトランス状態にでもあるような面持ちで
『止まっちゃだめだ!近接戦闘はまずい!』
アルがその様子に叫ぶ。こんな手合いにまともな反応は期待できない。遠距離で戦って仕留めなければ・・・!


〜我、神と、したり顔、過ぎたる賢さ故〜


唄いながら、ミスミは木野瀬が繰り出す攻撃を完全にかわし、ナイフを踊るように突き立てる
『ど、どういう事だ?』
伊藤があんぐりと口を開けて言った
『見ろ』
山本は首を使って上空をさした。トンボの群れが、ゴリツィアの上空をフライバイする
『あぁ、そうだったな。あの事変の後、彼の報告書を一度読んでいた』
彼女は虫と感覚を共有できる。トンボの目から位置を把握し、張り付いた虫の感じる微細な筋肉の電気を感じて、敵の動きを予知する
『あの化け物は、もはや髪の毛一本も触れることはできまい。勝ったな』
ふむ・・・この男の細君を助けるのを手伝うという約束は、案外安請け合いだったかな?
『閣下、蟲と繋がるという事がどれだけ苦痛を伴うか、理解できますか?』
志摩が集う蟲達を睨みながら、唐突に言った。踏み潰される一匹一匹の恐怖と痛みが、精神に押し寄せる。それを言の葉として受け流すのが唄。しかしミスミは小さい頃、その技術を独占しようとする者によって、継承の途中で故郷を壊滅させられ、利用されていた。
『精神的負担は相当な物です』
簡単に勝ったとかなんとか言ってくださるな、そう志摩は言った。彼女は本気で賭けているのだ、自分の全てを


〜今に、修羅来ませり。今に、修羅来ませり~


飛行速度が早いトンボが到着してから、次々と飛べるハチや蝶の群れが木野瀬、そしてゴリツィアを取り囲む
『グギャアアアッ!』
蝶の口吻が、ついに木野瀬の眼球を貫いた事で彼は悲鳴をあげた。しかしその口にスズメバチの一塊が突入して、悲鳴すら続けられない。また、剥き出しになっている身体全体に満遍なく毒針をさされては、いかに獣人の身体を移植され、熊のように耐性がある身体といえども赤く腫れ上がる
『あはっ!あははははっ!!』
その腫れ上がって鬱血した箇所を、ミスミのナイフが浅く切り裂く。血が噴水のように吹き出るが、元々の巨体に血の気も多い。ミスミも楽しんで切り刻んでいるのだ
『おい、あれは本当に彼女なのか?』
『これじゃ、魔女そのものじゃないか・・・』
グロい攻撃と血の舞に、彼女を見知っているゴリツィアの乗員さえ引く。これでは千年の恋も冷める


グルルルゥ・・・


やがて木野瀬は喉を掻きむしりながら、朽ちた大木が倒れるように海に落ちていった。海に落ちる直前に、志摩は虫が気道を突き破ったのを見たが、あえて言及しなかった・・・むごすぎる


~訴ヘ、訴ふ、我は天人や。さ、すませすませ、妾の児よ~


ミスミの歌う唄そのものが終焉に向かい、死ななかった虫達が順を追って解散していく
『約束・・・必ず守って下さい・・・ね?』
全てが去り終わって、ミスミはそう言うと膝をついて倒れた
『ミスミっ!』
志摩がもつれる足で駆け寄って抱き寄せる
『何をしているっ!医務室まで案内しろ!いや、軍医を呼べ!』
ひらひらと腕がないため靡いている制服の左袖を口でくわえ、軍刀で引き裂いて傷口にあてる
『あーあ、おいしい所持って行きやがったな、おい!何してる!女の子のピンチだぞ!さっさと動け!節操ないのが俺達の取り柄だろうが!』
アルが固まったままの乗員達を叱責する。まったく、なんてていたらくだ
『艦長、山城の件だが』
山本が釘を刺した、身の危機は去ったが、皇居への砲撃を止めるにはまだ至っていないのだ
『わかってます、黙っててください。碇あげ!機関両舷微速!我が艦は横須賀に向かう』
ゴリツィアはゆっくりと動き出す
『うむ、では頼んだよ。伊藤君』
その様子に、山本は頷いて舷登に向かう
『どこに行くんです?』
アルが意外だ、と聞いた
『大和田だよ、私は海軍の長だからね。抵抗を続ける部隊に指示を出してやらねば』
それに、あそこならばラジオ放送が可能だと思われる。皇居が砲撃されてはどうにもならないが、事を収める手順という物が必要だ
『帝國の命運は君達の手にある』
そこで切って、山本は言葉に重みを持たせた
『なんとしても成し遂げてくれたまえ』
『わかってるさ・・・あんたの為でなくあの二人、いや、三人の為にな』
志摩は運ばれて来た担架に乗せられたミスミの手を握りながら、艦内に入っていく所だった
『あぁ、彼に伝えてくれないか?小平波平という男に全面協力を取り付ける。財面では心配させん。とな』
小平波平、当時の日立社長である。彼と山本は、技術者が陸軍の徴兵で引き抜かれてしまうという問題で、昵懇になった仲だった。ある程度無茶がきく
『伝える。嘘だったら・・・』
『あぁ、安心してほしい。今さっきのから逃げられるとは思わん』
山本は苦笑した。動くのは戦後という条件だけは付けさせてもらわないとだが
『では、な』
飄々とした、少なくともあの光景を見ながらも、まったく気にしてないような態度を取りつつ山本は退艦していった
『食えない奴』
そう呟いてアルは山本を頭から追い出した。さて、ここからは戦艦退治の大仕事だ。これがすまないと安心して上陸し、ナンパするのも出来やしない・・・いかん、断然と燃えてきたぜ
『さっさと終わらせてやらにゃな』


ゴリツィアの軍艦旗が、風を受けてばさりと音を立てた
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