創価学会・顕正会・正信会からの脱会を考える会

創価学会、顕正会、正信会からの脱会の相談に応じます。黒川和雄 186-090-9626-7585 当方大阪在住です。 大阪の方大歓迎(#^.^#)

恐れることはありません。勇気を出して脱会しましょう。

私の所属寺院は「日蓮正宗大阪南布教区妙輪寺支部法華講」。

お寺は天王寺から阪堺線(チンチン電車)で20分。姫松下車、進行方向へ100m。左側にございます。

妙輪寺住所
〒558-0054
大阪府大阪市住吉区帝塚山東1丁目12-14
脱会相談 黒川和雄 186-090-9626-7585

※このブログのコンテンツは一信徒の個人的なものであり、宗教法人日蓮正宗及び法華講連合会とは一切関係はありません。
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劣等感の権化=韓国及び朝鮮民族

【劣等感の権化=韓国】
過日、安倍首相は、参議院予算委員会に於いて、河野談話の見直しは行わない旨、答弁した。
いやはや、今に成ってこういう発言をするとは、是れこそ「答弁」ではなく「逃弁」の其れで
あろう。
...
本より、此の発言は、米国からの圧力によって屈したものであるが、今回こそ河野談話を破棄
して、我が日本民族の名誉を回復し、以って東洋の大国たる威厳を此に顕示する機会と、心より
勇躍しておったが、いやはや、此に来て其の振り上げた拳(こぶし)を収めてしまうとは、何とも
情けない限りである。

言うまでも無く、朝鮮民族の性根は、応に抑圧された歴史に於いて形成されたものであり、
其の大国に対する反骨と不満は、須らく民族の劣等感から発せられるものである。

当方が以前から言っている様に、こういう劣等感に満ちた民族に対しては、こちらがいくら譲歩
しようとも、あれが足りない、これが足りない、と、其れこそ譲歩ではなく、誠意として、その
証拠を提示しない限り、其れらの欲求は延々と続いて往くのである。

案の定、安倍首相が、河野談話の見直しをしない、と発言するも、まだまだ誠意が足りない、と
其の欲求不満を公言しているのである。

哀笑。

朝鮮よ。どーすればよいのだ。我が日本政府が土下座でもすれば、胸がすくとでも言うのか。哀。

ったく、河野談話だ、村山談話だ、と、其の度に世話(劣等感を拭う世話)を焼いておるのに、
そういう「誠意」を踏みにじって竹島にズカズカと土足で上がったは、一体誰であるのか!
お主らではないのか!

何!? 慰安婦として20万人の女性が強制連行された、だと? そんな証拠、あるんかい!
あるんなら、見せてごらんなさい! ったく、お主らは、中共支那人の其れ(劣等感)とまったく
同じであるよな。南京に於ける200万人の虐殺。こんなもん、ある訳がなかろうて! 呆笑。

本より、劣等感の強い人間は、先ず以って、自身を最大の被害者に仕立てるのであり、其の生きる
糧こそは、反骨と反発によって熟成され、遂には大国に対する対抗意識と成って、その民族の
欲求不満が満たされるのである。本より、中共支那も南朝鮮も、須らく、劣等感という原動力を
もって、経済国の一員に成ったのである。

しかし、増長してはならん。お主らは、先ず以って、仏教を排斥する邪国であり、其の意味に
於いては貧国である。そういう分際で、我が大日本国に土下座を求めるは、此れ妙国に無礼する
謗法の痴態と心得よ。

兎も角、今回の安倍首相の発言は、我が国に於いて、まったく後退の其れであると言わざるを
得ない。果たして、今度は何を要求されるのか。日本海じゃ気に喰わん、朝鮮からすれば東海だ。

哀笑。ったく、始末に終えんぞ。

言って置くが、我が国に於いて東海とは、東海四県(愛知県・岐阜県・三重県・静岡県)の事を
云うのであり、我が国に於いて中国とは、中国五県(鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県)を
指すものである。又、真の中国とは、我が大日本国をして名乗る可きものである。

ったく、「中国」などと。毛沢東率いる八路軍が名乗るべきものではない!
少しは身の程を弁えよ!

言って置くが、大東亜戦争に於いて、我が国は朝鮮と戦ってはいない。又、支那大陸に於いて
戦火を交えたは、主に蒋介石率いる国軍(現・中華民国「台湾」)であって、お主ら八路軍では
ない。仍って、終戦後に国軍から支那大陸を横取りしたお主ら八路軍に「敗戦国は黙っていろ」
などと言われる筋合いはない。言って置くが、お主ら八路軍は、日本軍に対しては負けっぱなし、
だったのである。よいか。今あるのは、米国のおかげであるぞ。米国の力なくば、支那大陸の
殆どは、我が日本国の領土となっていたのである。勿論、そうとなっていれば、チベット族や
ウイグル族などは、今ごろ日本国政府の下で、しっかりと其の人権を擁護されていたであろう。

ったく、そういう事を惟(おもんみ)れば、支那(中国)だ朝鮮だ、と売国よろしく、世辞を述べて
外交ぶっている者が居るようであるが、そんな者は、細首を針金で結わいて、頭をトンカチで
ぶっ叩いて……。おっと! これは、彼の池田太作が、平成4年12月13日の青年部幹部会で披歴
した殺人願望の発言であった。訂正しよう。当方は、そんな残虐な人間ではない。

兎も角、今後の朝鮮の出方を観てみよう。果たして、これ以上の譲歩をすれば、其れこそ青瓦台
(大統領官邸)の庭に太極旗を立てて、パク・クネ大統領を含む政府要人が其の周りに円陣を組み
小躍りするのではないか。哀笑。実に其れをして「狂喜」と云う。

本より、優れたるを勝れると思ふは、これ誤りに非ず、劣れるを優れたりと思ふが誤りなり。して、劣等の其れは、劣等でありながら常に優れたり、と欲求するに有り。これ乃ち増長の
始めなりと。

朝鮮民族は、須らく、其の性根の基底を恥ずべし。其の救いは唯一つ。我が大日本国に信順して、
其の大計に浴すべし。此れこそ、貧国の大乗国から救護さる、仏法律の正しき姿である。

兎も角、無いもの強請(ねだ)りは、幼稚の其れとなる。劣等感に浸るのもいい加減に致せ。

http://6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/45084

彼岸会とは?(フェースブックより転載)

日蓮正宗信徒の皆さまお早うございます。
今日は、春彼岸会法要が全世界の正宗寺院で奉修されます。
多くの人々のご先祖様方の成仏と、更には、皆様の幸せな人生のお役になれば幸甚です. ?#?成仏?
佛説に「善い行いを成さぬ者を悪人とは云う」と、説かれております。悪人などにならぬように、善根をお互いに積んでまいりましょう。

さて、この世界(法界)の真理、即ち、宇宙の森羅万象は、成住壊空・四劫の姿であります。更には空化中の三諦の姿です。

有情・非情を問わず、色(物体)があれば必ず生命が宿る事を中道と云います。

私たちの住む地球を例にしますと、地球が形成する過程を成と云い、そこに生物が住める状態を住と云い、寿命が尽きて壊れる状態を壊と云い、塵となって宇宙の本源に還る状態を空と云います。形の有るものは全てこの過程を辿る訳です。

人間も同様で、母胎の中で人間形成の期間と、誕生して幼・少期は人間形成の時期であるから成であります。成長して青・壮は住であり、老人になると壊になります。

死ねば遺体は火葬にされて宇宙の物質に還り、生命も宇宙の生命と同化します。

この様に私たちも宇宙と同一体なのであります。これを妙法蓮華経とも中道法相とも云います。

 また塔婆供養について、解りやすく申し上げれば、日蓮大聖人は「草木成仏抄」に、「草にも木にも成る仏なり」と仰せであります。

例えば、一枚の白紙があるとする、それは只の紙である。それに自分の考えや思いを書いて相手に届けたとすれば、その内容によって、相手を喜ばせたり、悲しませたり、驚かせたり、恐怖に落とし入れたりします。故に只の紙ではなく、自分の命を吹き込んだ分身の働きをする事になります。

この原理でお解りと思いますが、日蓮正宗大石寺の本門戒壇の大御本尊様は楠の板でありますが、日蓮大聖人様は「日蓮が魂を墨に染めながして書きて候ぞ信じさせ給え」と、御図顕あそばされた日蓮大聖人様(本佛)の法魂であらせられる故に、この教えに従って彼岸会も塔婆供養することによって生死共に成仏することが出来るのであります。

仏教では、私たちが現在生活している世界の事を穢土、または娑婆世界などと呼び、煩悩や苦しみの充満した穢れた国土であると説きます。

この娑婆世界を「此岸」、これに対して悟りの境界、成仏の境界のことを「彼岸」に譬えるのです。そして悩みや苦しみを取り除き、悟りの境界に至ることを「到彼岸」と言います。

そして彼岸とは彼方の岸であるが、一体何処の岸なのだろうか? これは精神世界の事であって、六道(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界)の衆生は貪瞋痴が強盛だから悪業ばかり積んでおります。

春秋の彼岸やお盆に、一年に二・三回菩提心を発して善根の真似事をしても、日頃の悪業に比べれば皆無に等しい状態です。

中には彼岸もお盆も忘れて遊び惚け、生活に紛れて親の祥月命日や回忌法要を忘れている人もおります。この様に悪業ばかり積んで功徳善根を積まないから、幸せを願って努力しても因果応報の道理からしても報われない訳です。

 さて、人の心は幸せを求めて常に揺れ動いております。それが波に浮かんだ船に似ているので「人生行路」と云います。

爾前経(法華経以外のお経)では、この娑婆世界はヘドロの様にドロドロと汚れた六道輪廻の社会なので穢土と云います。
この此岸から清らかな成仏の彼岸に渡る教えの大小を、大小の船に譬えております。

それが法華経ではこの娑婆世界が常寂光土と説かれております。しかし、世間の状態を見ますと、寂光土どころかヘドロの様にドロドロと汚れた社会です。何処に寂光土が在るのだろうか? 仏法では、この汚れた社会を泥に譬え、そこに生えた蓮華を自分に譬え、泥が深いほど好く育ち、その泥水を受け付けない「如蓮華在水」に譬えております。

故に方便品に「禅定・解脱・三昧」と説かれております。これは日蓮正宗大石寺奉安堂御安置の御本尊様を信心し、南無妙法蓮華経と唱題すれば御仏智を頂き、この汚れた社会から抜け出せると説かれております。

現に、今世界中で沢山の正宗信徒が、この功徳の体験生活を満喫しております。佛説の「道理・証文より現証にはしかず」のとうりです。

この三転する過程を発心・般若・解脱と云います。要するに六道輪廻の汚れた世界から菩薩・仏界の清らかな精神世界に解脱する事が彼岸なのです。

又皆様方(正宗信徒)は毎日読経唱題を行ない、先祖の霊を回向し、その上に毎月御塔婆を建立する方が大勢おります。だから彼岸だからと云って特別なものではありません。故に常彼岸常盆と云います。

 そして大聖人様はこの塔婆供養の功徳についても、
「丈六のそとばをたてゝ、其の表に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば(中略)過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世に寿を百二十年持ちて、後生には父母ともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つゞみをうてばひゞきのあるがごとしとをぼしめし候へ」(同 1434㌻)と仰せです。

供養するものは、「定業不定業」すなわち、定められた自分の命も延ばす大功徳有りとも仰せです。

さらに「今頼む方とては娑婆の追善計也。相構えて相構えて追善を営み、亡者の重苦を助くべし」と。すなわち、亡くなられている人の願いは、遺族の供養であると仰せです。

 したがって彼岸会には、これらの深い意義に基づき、先祖代々をはじめ亡くなった方々の塔婆を建立して御僧侶の導師のもとに読経・唱題し、真心から回向をすることが肝要です。
 

オ~ マンマミ~ヤ、とくとご覧ぜよ。池田大作の阿呆顔を(笑)

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日顕宗対策

日顕宗対策

平成9年9月10日



 最近、日顕宗では、活動家寺院のみならず、一般寺院にまで再折伏の動きが広がりつつある。
ここで日顕退座と日顕宗打倒を目指し、再び総攻撃をかけていきたい。




1.教宣部の具体的活動
   (1)寺院への徹底した攻撃
    ①寺・住職の詳細な状況掌握(過去と最近の様子)
    ②寺の定例行事の掌握
    ③活動家の動きの掌握
    ④寺の機関誌の定期的な入手
    ⑤寺のデータの完備



   (2)法華講救済運動の推進
      明年3月 新客殿落慶10万登山の粉砕
    ①脱会者の追跡調査 今どうなっているのか。
    ②古くからの法華講の掌握
    ③脱講の推進 登山、供養どめの推進
      ※青年僧侶への依頼
         ④脱講数の報告 月2回
      ※月に数回、脱講デーを設けて、取り組む。



      (3)組織への啓蒙

         ①脱会者を絶対に出さない。
         ②日顕宗への戦いの感覚を磨き、
                               組織への啓発をする。
         ③武器の活用
                創価新報など、ビデオ(天魔がゆく7弾の活用)

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これのどこが、
平和主義・世界平和を謳う
団体のすることなんでしょうか・・・ねkonatu??

創価学会の皆さん、
これは過去に創価学会が学会員を煽って
宗門攻撃あっち逝け!!衝撃してきた事実です!

よ~く考えましょうあんぱんまん
果たして、本当に創価学会が正しいのか
創価学会は世界平和を謳う価値のある団体なのか???????

「攻撃」だとか、
「戦う感覚を磨く」だとか、
普通はこんな言葉出てこないですよね???seisei???

謗法小悪魔悪魔悪魔のハートに縁をすると
思考回路が乱れていく・・・・ayaひぇ~

早く目を覚まし正法である日蓮正宗に帰依して
本門戒壇の大御本尊様に御目通りさせていただき、fujiyamaお願いクマ*星
命の浄化をしていくことが大切です!

たくさん積み上げてしまった
罪障を消滅させていただきましょう~ごめんごめんなさいうさぎあせ

ご連絡お待ちしておりますクマ♪

日蓮正宗 法華講
 坂井 久美子
sao☆  090-4608-0440 begin_of_the_skype_highlighting 090-4608-0440 無料  end_of_the_skype_highlighting
メール lovery_t-rex935@docomo.ne.jp
http://ameblo.jp/t-rex935/entry-11797819673.html

日顕宗対策





ウクライナ情勢 所感

オレは別にロシアの方もアメリカの方も持たぬ中立の立場であるが、今回のクリミア自治共和国に対してのオバマ大統領の経済制裁云々とか、軍隊の撤去強要などはどうかともう。何故なら、クリミア半島に位置するこの国は「クルミア自治共和国」であり、ウクライナからは既に切り離された一国(完全体の国ではないが・・・大きな権限を持つ自治体)であるからだ。

民族的には過半数がロシア人で占められており、元々親露的な自治体である。

そこにロシアの軍隊が派兵されても何ら不思議なことはないではないか。逆に放っておけばウクライナ側が圧力をかけウクライナにクリミア自治共和国は完全に併合されてしまう恐れがある。

ロシアがウクライナの人民を現在軍隊を以て攻撃しているのかい? 
何もしておらんではないか!

アメリカよ、お前たちは今までに何をしてきたのか?

①核兵器を持たぬイラクを攻撃したではないか。
②無人機攻撃を行い罪のない民間人を何人殺したのかい?
③自国民であるアメリカ人をテロリストと断定し、裁判もされず、無人機で何人殺したのか? これはアメリカ国の憲法修正第14条に違反しているのではないのかい?

しっかりせい! アメリカよ!! テメーの御都合だけで世界が動いているのではあるまいで!


http://mainichi.jp/select/news/20140228k0000m030085000c.html

矛盾を突かれて馬脚を現した、創価のバカ学者 宮田某

「日蓮大聖人非本仏論」の宮田が云く、

「一部の人からご指摘があったのですが、私が発表している論文は個人的な研究の結果であり、
私が所属している宗教法人(創価学会)や、学校法人(創価大学)の意思や意向とは無関係であります。
この点で誤解を与えたとすれば、申し訳なく思います」

今更、何を言う。

抑も、創価学会員が日蓮大聖人の御事を指して、末法の御本仏ではない、と否定する事自体がおかしい
のであって、それが仮令(たとえ)、学問であろうとも、研究であろうとも、日蓮大聖人の御本仏たるを
否定する事は、抑もが謗法となるのである。よいか、これが信仰をして学問を超える人間的法則なので
ある。

第一、所属する宗派教団に無関係とは、つまりは、己(おのれ)の我義我見を述べている、という事で
あろうが。

だから、当方が言っているのである。

其れは一体、何処(どこ)の教えであるのかと。

日蓮大聖人、早勝問答に曰く、

『是(これ)自義なるか、経文なるか』
『一義に云く、自語相違なり』と。

以って法華取要抄に曰く『私説を以て公事に混ずること勿(なか)れ』と。

果たして、此のような者が、もし日蓮大聖人の御在世に居(お)って、ベラベラと学問を書き並べて
いようものなら、いの一番、大聖人から言われるであろう。

『何、宗義は宗義、私は私とな。つまり、お主自体が法であり教義という事であるか。何だ。お主は
附仏法外道の主(ぬし)であるのか!』と。

よいか。真の学者とは、応に正法正義を堅持してこそ成るものである。

そういう初歩こそを、先ずは勉強しなさい。

「破邪の蘭室」より転載。
http://6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/45049

北山本門寺

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昭和16年興門派の統一教団「本門宗」は、顕本法華宗、日蓮宗(一致派)と三派合同を行い、
新たに日蓮宗を結成する。

その翌々年の昭和18年、興門派の大本山北山本門寺貫首井上日光師が遷化。
次期貫首の招聘を身延山法主望月日謙師に要請し、立正大学教授を務めた学僧片山日幹師の晋山が
決まる。

日幹師は法灯継承に血脈相伝を重んずる富士門流の化儀を尊重し、自ら当時の興門派の最長老で
あった京都本山要法寺に足立日城師を訪ね、富士門流の相承を受ける。そして正式に日蓮宗の中の
興門派大本山北山本門寺の第四十七世の貫首に就任する。

身延山久遠寺や京都要法寺の協力を得ながら、戦後の創価学会との攻防の中で防戦をしてきた北山
本門寺。現在は日蓮宗内の富士門流寺院を中心に構成される「興統法縁会」の中心寺院として、
歴代会長に北山本門寺の貫首も務めている。

日蓮宗内の富士門流寺院において、富士門流の化儀・法要式が失われつつある現代、北山本門寺は
再び大きな使命を背負った大本山であるといえる。

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上記は、身延信者の文を転記したものであるが、読めば読むほど、滅茶苦茶である。

はて、北山の貫首を身延の法主に要請するとは何ぞや。

加えて、身延の貫首から要請を受けた身延の学僧が、富士門流の化儀を尊重して、京都要法寺の坊主から
血脈相承を受けて、北山本門寺に晋山するとは一体何ぞや。

哀笑。

お前ら、よくも其の様な体たらくで、我ら富士大石寺の唯授一人血脈相承に文句が言えるよな。

お前ら滅茶苦茶ではないか。

一体、何なのだ。鼻笑。

「破邪の蘭室」より転載。
http://6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/45048

種勝脱劣に於ける富士門の大義

 に曰く『在世の衆生は傍なり。滅後を以て之を論ずれば正法一千年・像法一千年は傍なり。
末法を以て正と為す。末法の中には(釈尊ではなく)日蓮を以て正と為すなり。(中略)問うて曰く、
誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや。答へて曰く、寿量品の一品二半は始めより終はりに
至るまで正しく滅後の衆生の為なり。滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり』と。

さても天台・伝教が像法にして説かず(末法の為に)残し給ふ秘法とは何か。
其れこそが法華経本門の三大秘法である。果たして、其の当躰とは何か。其れこそは事行の一念三千、
三大秘法の南無妙法蓮華経である。そして、其の肝要こそが、一大秘法たる本門の本尊なのである。

因みに初めて種熟脱が明かされたのは、法華経化城喩品第七での大通下種三千塵点劫である。而して、
久遠実成の下種とは、三千塵点劫での調熟を含むものであり、それら無縁の衆生に植えしむものでは
ない。其れは何故か、其れは久遠実成の下種では、逆縁の衆生は救えないからである。

本因妙抄に曰く『唯在世八箇年の儀式を移して、滅後末法の行儀と為す。然りと雖も仏は熟脱の教主、
某(それがし)は下種の法主なり。彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり。我等凡夫の為には教相
たり。理即但妄の凡夫の為の観心は、余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり』と。

仍って観心本尊抄に曰く『但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり』と。

上記の二つの御文は、当に同意である。

云うまでも無く教相とは、教法を分別し、其れを釈するをいい、観心とは、教相の意を己心に観じる
を言う。尚、天台の観心も、三大秘法からすれば教相となる。

仍って本因妙抄、二十四番勝劣に於いて『彼の観心は此の教相』と仰せになられたのである。


■文底の種熟脱


言うまでもなく、久遠元初の文底下種とは、今時末法に於いて種熟脱の三益を具備し、一生の内に
本未有善の衆生を悉く成仏せしめる即益の大法である。つまりは、釈迦在世に無関係の末法の衆生に
対し、応に末法に御出現したる日蓮大聖人が、元々久遠元初から所持しておられた、本因下種・人法
一箇の南無妙法蓮華経を、我等本未有善の衆生に植えられる、という事である。

つまり、其の釈迦在世の三益と、日蓮大聖人御在世の三益とを、時と機根との相応に於いて、
其れらの有益を末法に充てた場合、どちらが今時末法の衆生を救護出来得るか、つまりはどちらが
功徳として得せしめるかという、其の功益優劣の対比をして『種脱相対』と言うのである。

つまりは観心本尊抄の『但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり』の御文、
加えて国府尼御前御書の『釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、
末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりと説かれて候』との御文は、正しく種勝
脱劣(種脱相対)の文証である。

仍って本因妙抄に曰く『今日熟脱の本迹二門を迹と為し、久遠名字の妙法を本と為す』と。

さて、広開近顕遠とは、広(くわし)く「近(始成正覚)」を開いて、「遠(久遠実成)」を顕す、の意で
ある。尚、久遠元初自受用身からすれば、略開近顕遠・広開近顕遠ともに略開近顕遠となる。
其の事からして、法華取要抄の『教主釈尊は既に五百塵点劫より已来妙覚果満の仏なり』とあるは、
真(まこと)に重要な御文であり、この御文の意こそは、末法の御本仏日蓮大聖人からして五百塵点劫は、
久遠元初より以降である、との御教示である。つまり、上記御文がお示しの通り、釈尊は既に五百塵点劫
より妙覚果満の仏であった、という事は、言うまでもなく、既に釈尊は五百塵点劫の時に於いて、果満の
仏(法華因円を行じて成ずる最高の仏果)であったという事である。

と云う事は、総勘文教相廃立に於る『釈迦如来、五百塵点劫の当初(そのかみ)、凡夫にて御坐せし時』の
御文からして、釈尊は、五百塵点劫に於て妙覚果満の仏と成る以前に、実は凡夫であった、という事が判る
のである。而して、其の凡夫であった時は、いつ時のを指して言うのか。
当に其れこそが五百塵点劫の当初、つまり『久遠元初』の時に於いて釈尊は凡夫であったという事で
ある。そして、其の当初(そのかみ)に於いて凡夫であった釈尊は、菩薩の道(本因)を行じて、ついに
妙覚果満(本果)の仏と成り、常ずる娑婆世界(国土)に於いて、世々番々に説法教化するのである。

仍って総勘文教相廃立の後文に曰く『(釈迦如来)は後に化他の為に世々番々に出世成道し、在々処々
に八相作仏し、王宮に誕生し、樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知らしめ、四十余年に
方便の教を儲け衆生を誘引す』と。

仍って、当体義抄に曰く『釈尊五百塵点劫の当初(そのかみ)、此の妙法の当躰蓮華を証得して、世々
番々に成道を唱へ、能証所証の本理を顕はし給へり』と。

つまり、此の事からして、五百塵点劫の当初、凡夫で御坐せし釈迦如来こそは、実に久遠元初自受用
報身如来であり、其の持する法こそが南無妙法蓮華経なのである。そして、本已有善の衆生も、本未
有善の衆生も、そのすべてが、久遠元初に於いて聞法下種を受けているのである。

つまり、久遠元初の釈迦如来こそが、本地無作三身の南無妙法蓮華経仏であり、其は人にして日蓮
大聖人なのである。

仍って百六箇抄に曰く『本地自受用報身の再誕日蓮』と。
同じく曰く『釈尊・久遠名字即の位の御身の修行を末法今時・日蓮が名字即の身に移せり』と。
又曰く『久遠釈尊の修行と今日蓮の修行とは芥子計りも違わざる勝劣なり』と。

つまり、其の行位が全く同じ(勝劣なし)である事からして、久遠名字の釈尊こそは、じつに日蓮
大聖人の御事を指すのである。

したがって、其の事行の一念三千、人法一箇の南無妙法蓮華経からして、第一番成道の釈尊及び、
其の後、化他の為に世々番々に出現し給う応仏も、結句は久遠元初の自受用身、人法一箇の南無
妙法蓮華経仏に帰一するのである。

爾して、本有無作、久遠元初自受用報身如来からして、世々番々に成道する本果妙の釈迦こそは、
垂迹化他の仏となるのである。

仍って本因妙抄の二十四番勝劣に曰く『彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千・一心三観、此は
久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直ちに唱ふ』と。

加えて妙楽大師に曰く『具謄本種【脱は現に在りと雖も、具(つぶ)さに本種を謄(あ)ぐ】』と。

つまり、寿量品文上に於いて脱益の仏が脱益の法門を説き、衆生はみな得脱するが、其の成仏の本因
を尋ねれば、実は久遠の昔に下種が蔵されているのである。そして、その本種を悟った者は、等覚が
一転して名字妙覚に入るのである。勿論、其の仏果を成ずるも、三大秘法の南無妙法蓮華経仏を本因
としているのである。因みに身延が唱える処の「ナムミョーホーレイゲキョー」とはまったく違うも
のである。(引き題目の事ではないぞ) 哀笑。

尚、十大部の法華取要抄に於いて『大日経・金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の
脇士なり。例せば世の王の両臣の如し』とあり、脇士とは抑もが臣下の意である事が示されているが、
そうとなれば、観心本尊抄の『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、
此の国に立つべし』の御文こそは、応に今時末法に於いては日蓮大聖人の仏法からして、在世脱益の釈尊は
脇士である、との御宣示であり、日蓮大聖人こそが末法の教主である事の文証なのである。又、その文証は、
実に我らが拝する一閻浮提第一の御本尊の相貌にこそ顕示されているのである。

日興上人、四十九院申状に曰く『或は勝を以て劣と称し、或は権を以て実と号し、意樹に任せて砂草
を造る。仍て愚痴の輩、短才の族、経経顕然の正説を伺はず、徒に師資相伝の口決を信じ、秘密の法
力を行ずと雖も、真実の験証無し。(中略) 大覚世尊・霊山・虚空・二処・三会・二門・八年の間・
三重の秘法を説き窮(きわ)むと雖も仏滅後二千二百二十余年の間・月氏の迦葉・阿難・竜樹・天親等
の大論師・漢土の天台・妙楽・日本の伝教大師等・内には之を知ると雖も外に之を伝えず第三の秘法
今に残す所なり』と。(全集 848)

はて、其の今時末法に於いて、順逆共に救護せる第三の秘法とは何ぞや。

尚、上記四十九院申状に於いて『徒に師資相伝の口決を信じ、秘密の法力を行ずると雖も真実の検証
無し』と真言を破折している御文があるが、この御文こそ、実は師資相伝に於ける口決の正義を述べ
ている文証なのである。

つまり『徒(いたずら)に』とは、分別なく、矢鱈に、との意であり、絶対禁止の意ではない。
つまりは逆に『徒(いたずら)に』ではなく、正法正義の師を以って師資相伝せば、其の秘密の法力を
もって験証がある、という事である。つまり、相伝にあらざれば知り難しとは、此の意を以って云う
のである。


■法華経の行者は全世界で日蓮一人である。


曰く『日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし。これをもって推せよ。漢土・月氏にも
一閻浮提の内にも肩をならぶ者は有るべからず』と。(撰時抄 新編864)

果たして『月氏(インド)にも我(日蓮)と肩を並べる者はなし』とは如何なる事か。

因みに釈迦は、其の月氏の人である。而して、日本第一の法華経の行者である事が、即それが、中国
やインドの法華経の行者よりも勝れている、と仰せになる。『これをもって推せよ』とは、そういう
意味である。

大聖人に曰く『五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか。答う、四天下(全世界)の中に全く二
の日無し、四海の内豈(あに)両主有らんや』と。(顕仏未来記  新編 677)

実に、今世の全世界に於いて、まこと尊崇せる主(あるじ)とは、今や肩を並べる者はなし、と
御宣示遊ばされた日蓮大聖人こそが、今時末法の教主であり、三徳を備えられた御仏なのである。

仍って大聖人に曰く『日蓮は日本国の諸人に主師父母なり』と。
加えて曰く『日蓮は閻浮提第一の智人なり』と。
又曰く『日蓮当世には日本第一の大人なり』と。
又曰く『日蓮は一閻浮提第一の聖人なり』と。

応にこれらの御宣示こそ、御自らして末法の教主たるを顕示されたものであり、其の深義こそは、
到底、浅薄の徒輩には理解出来得ない大義なのである。

仍って撰時抄に曰く『今日本国の高僧等も南無日蓮聖人と唱えんとすとも、南無ばかりにてや
あらんずらん。ふびんふびん』と。(新編 868)

さても日蓮大聖人、浄土や真言などは当然として、お主ら身延や顕本等の釈迦宗の邪僧を指して、
不憫(ふびん)な奴らだとお嘆き給ふ。

果たしてお主ら南無釈迦牟尼仏の邪流日蓮宗の徒輩らに、これらの深義は到底判るまい。哀。

富士門中興、日寛上人に曰く『若し爾(しか)らば日文字の顕す所、吾が日蓮大聖人とは慧日大聖尊
なり、主師親の三徳なり、久遠元初の唯我独尊なり。豈文底下種の教主、末法今時の本尊に非ずや。
然るに日本国中の諸門流(向門身延・陣門・隆門・真門・什門等)、この義を知らず。
或いは(日蓮大聖人を)僧宝と為し、或いは大菩薩と号して本尊に迷うなり。当に知るべし、久遠に
在っては自受用報身と号し、霊山に在っては上行菩薩と号し、末法に在っては日蓮聖人と号す。
名字不同なりと雖(いえど)も、一体の御利益なり。故に血脈抄(百六箇抄)に云く「本地自受用報身の
垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」等云云。開山上人御弟子三位日順云く「久遠元初の自受用身
とは蓮祖聖人の御事なりと取り定め申すべきなり」等云云。然るに諸門流の学者、但、上行の再誕なる
ことのみを知って、未だ久遠元初の自受用身なることを知らず』と。(文段462)

ったく、お前らの様な邪流、つまり、経済的理由で仏像から曼荼羅の変更を許し、又は、高価な仏像
などを諦めて、其れこそ安価な土産曼荼羅を持ち帰る、そういうデタラメな本尊義を持ち合わせる、
オレンジ袈裟の坊主、及び蛇や狐をも拝まんとする、そういうデタラメな信者どもには、到底、我等の
種勝脱劣の大義など、解かろう筈もないという事である。

ったく、そういう己(おのれ)の無智を棚に上げて、本因妙抄や百六箇抄等の富士門の教義に対し、
偽書だ、嘘だ、とよくも騒げたものである。哀笑。ったく、古本のお勉強で深義相伝を推し量らんと
する、まこと智慧足らずの者どもよ。

果たしてそんな暇があるならば、経済的理由から仏像安置を諦めて、安価な曼荼羅を撰ぶという
教義を、其れこそ日蓮大聖人の御真蹟から文証として提示しなさい! 其れが出来るか顕本よ!

加えて、一致派身延に於いては彼の『幽霊板本尊』の正義を証明しなさい! 更に「九識霊断法」の
正統を証明しなさい。そして、三門に飾ってある勝劣派顕本の本多日生の像を何とかしなさい! 哀。

ったく、そんないい加減なお主らに、種勝脱劣の大義など解かろう筈もないのである!

日蓮大聖人、現今の釈迦日蓮宗を破して曰く『今末法に入りぬ。人毎(ごと)に重病あり。阿弥陀・
大日・釈迦等の軽薬にては治し難し』と。(新編 966)

仍って日順師が曰く『然るに天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり』と。(富要 113)

当にお主ら邪宗信徒は、無智こそが恥という事を知るべきである。

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破邪の乱室より転載
http://6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/45029

宝塔を開く

就中(なかんずく)、我らにとっての宝塔とは、彼の見宝塔品に示された虚空会の儀式そのものであり、
又、其れこそが御本尊の御姿なのである。つまり御本仏日蓮大聖人は、其の不可思議にして荘厳なる
虚空会の儀式を以って、御本尊を御顕発されたのである。又、其れを今時末法に当てはめるならば、
応に御本尊の御顕発こそが、日蓮大聖人をして一切衆生の為に打ち立てられた、唯一の大宝塔という
事になるのである。つまりは、日蓮大聖人御一人のみが、今時末法に於ける宝塔建立の当事者という
事になるのである。

本より、見宝塔品に示された儀式は、今時末法に附して説かれたものであり、其れは又、六難九易の
譬説からして領解出来るものである。而して、日蓮大聖人は、其の宝塔には開閉の二義があるとし、
応に宝塔を開くとは、本門寿量品をして宛てられたのである。

天台に云く『若し塔を開せんと欲せば、須らく分身を集め玄を明して付属すべし、声は下方に徹し、
本の弟子を召して寿量を論ず』と。(文句巻八下)

仍って大聖人に曰く『天台大師文句の八に釈し給いし時、証前・起後の二重の宝塔あり。証前は迹門、
起後は本門なり。或は又閉塔は迹門、開塔は本門』なりと。(新編 792)

而して、証前の宝塔とは、三周の声聞が法華経に来たって、涌現せる二乗作仏の己心を見知する迹門
の体相であり、起後の宝塔とは、釈迦多宝、二仏並座にして十方分身の諸仏を召し出し、其れこそは
滅後の弘通を本意とする、応に本門寿量品を説き起こさんとする本門遠序の体相である。

しかし、此の証前起後の宝塔と云うも、須らく、末法に於いては三大秘法の顕現に帰一するのであり、
仍って日蓮大聖人は、今時末法に於ける宝塔の建立、つまりは法華本門の大曼荼羅御本尊の御図顕を
以って、出世の御本懐とされたのである。つまりは、宝塔を書き顕す意味に於いての御本懐が先ずは
在って、遂には、末法一閻浮提衆生の宝塔を開かしめんとする、本門戒壇の大御本尊の御顕発へと繋
がって行くのである。

仍って日寛上人は『就中(なかんずく)弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐
なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり』と仰せられたのである。

而して、宝塔を開くとは、応に其の御本懐たる御本尊との境智冥合を以って為すものであり、又其れ
こそが阿仏房御書に示された御教示なのである。

曰く『妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり。宝塔又南無妙法蓮華経なり』と。
又曰く『今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり。此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さな
がら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり』と。(両文同上)

さても、御文中『此れより外の才覚無益なり』とは、応に仏法に於いては、仮令(たとえ)、どの様な
才覚知識があろうとも、自身の生命を変革せしめんとする強盛な信心がなければ、自身の宝塔をして
成仏は叶わない、との御意であり、応に宝塔を開くとは、其の事を以て開くという意なのである。

仍って大聖人に曰く『此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入とは是なり。日蓮が弟子檀
那等「正直捨方便」「不受余経一偈」と無二に信ずる故に因って、此の御本尊の宝塔の中へ入るべき
なり。たのもしたのもし』と。(新編 1388)

応に仏法の根本たるは『信』を以て其の源と為す。然れば、自身の宝塔を開かんと欲するならば、
先ずは『無疑曰信(疑無きを信と曰(い)う』の心得を以って励むべし。

果たして、上記『宝塔さながら阿仏房』の御文を以って、己(おのれ)こそが宝塔本尊などと、阿呆な
慢心を起す者などが出来しておるが、こういう者共は、まるで御書を読めない、邪流の下人である。

日寛上人に曰く『当家の観心はこれ自力の観心に非ず。方(まさ)に本尊の徳用に由って即ち観心の義
を成ず』と。而して曰く『若し仏力、法力に依らずんば何ぞ能く我等が観心を成ぜんや』と。(文段)

されば、我が己心の宝塔を開くとは、応に御本尊の力用を以って成すを領解する事であり、又、其れ
こそが「見宝塔」の「見」の意を理解する者である。

『阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり』

まこと甚深なる御金言である。
 
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破邪の乱室より転載
http://6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/45024

興 師 会 平成二十六年二月七日 フェースブックより転載


日興上人は第三祖日目上人に、日蓮大聖人の仏法を正しく相承して、正慶三年二月七日に御遷化あそばされました。故に日蓮正宗では僧宝と崇められております。 日蓮大聖人は「仏法有りといへども僧有りて習い伝へずんば正法像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。然れば僧の恩を報じ難たし」と仰せられております。然し後代に正しく伝える事は至難な問題です。故に釈尊は「断絶せしむる事勿かれ」と再三警告しております。正法千年の間は比較的正しく伝えられたが、その後は我見や邪義を混入して、真言・念仏・禅・その他の各宗各派が乱立した。仏法は像ばかりになったので像法と云う。

この支離滅裂の仏法を整足したのが天台大師と伝教大師です。故に日蓮大聖人は仏法の真理として釈尊・天台大師・伝教大師の言を引用されております。  

日蓮大聖人の仏法は釈迦仏法とは根本的に違います。私たちが方便品と寿量品を読むのは、真理の借文と釈迦仏法とは根本的に違うと云う破折のためです。その理由は二座の御観念文に「文底秘沈の大法、独一法門戒壇の大御本尊」とある様に、寿量品には御本尊様が文底に沈められて顕れておりません。また御本尊様を顕わす人を大良医に譬え、神力品に於いて上行菩薩に付嘱する時も「斯の人」となっております。

故に釈尊の法華経は理論の仏法であり、日蓮大聖人の仏法は現実のものとして顕された事の仏法です。これが理論と現実の大きな違いです。 日蓮大聖人の御入滅後、五老僧がこの義理を理解できずに我見の邪義を混入して日興上人を誹謗した。それが五人所破抄や富士一跡門徒存知事、その他に記されております。後に日向が身延の日興上人の許に登山し、誤りを謝罪して学頭職に任じられた。

しかし根本的に誤りを是正する事が出来ずに、地頭の波木井実長と謗法を犯した。それで日興上人は「謗法の山に日蓮大聖人の魂は住まず」と、断腸の思いで身延を離山したのである。そして上野殿の招請によって現在の大石寺が創設された。日蓮大聖人は本門戒壇の大御本尊を「霊山浄土に似たらん景勝の地、富士山本門寺の本堂に安置せよ」と定めた。故に身延は戒壇建立の場所でない事は明らかである。 

現在に於いても我見を弄する小賢しい創価学会の池田・顕正会の浅井・正信会の久保川・そのた退転僧等々、ハッタリで教祖然として害毒を流し続けております。それに対して皆様方は、御本仏日蓮大聖人の直属の使いとして、また唯一正しい日蓮正宗の信徒として、日夜唱題・折伏行に励んでおりますから、御本尊様は「善き哉善き哉」と悦ばれている事と拝察いたします。 私共は、邪宗邪義を破折し折伏すると共に、即身成仏の実証を子々孫々に至るまで伝えてまいりましょう。


    創価学会員、阿呆の一つ覚え  恥を知りなさい!

    創価の連中も破門されて20年間、同じ悪口の繰り返しだね。
    曰く、

    大御本尊はニセ本尊でっせ~(笑)後世の偽作でっせ~(笑)

    御書のどこにも「本仏」と書いてまへんで~(笑)

    川邊メモでいうてはりまっせ~(笑)

    日顕は凶暴でっせ~(笑)

    あの坊主死にはりましたデ~(笑) 頓死でっせ(笑)

    偽書でっせ~(笑)

    鑑定書ありまっか~(笑)

    御供養地獄でっせ~(笑)

    何回も登山に行かされまっせ~(笑)

    あそこの坊主、左遷でっせ~(笑)

    血脈切れてまっせ~(笑)

    信徒の数減ってまっせ~(笑)

    20年間、アホのひとつ覚えの繰り返しでんがな、アホクサ~。

    金をむしり取られ、ニセ本尊を買わされ、精神病患者と墜し、あちこちから脱会者が出て、組織が停滞し歓喜無く、池田太作は死に体であることを直視せよ!

    以上

    アノニマスから創価学会への挑戦!日本語バージョン

    http://youtu.be/mwz_7s1Yf3w

    日蓮正宗・法華講 某女性信徒さんの体験談

    今回の御登山でいただいた大功徳について少しお話させていただきます。

    たぶん一生忘れられないって言えるぐらい、素晴らしい御登山でした!

    しかし、実は…、

    出発前から体の調子が思わしくなく、今までにないほどの苦労の御登山でもありました。

    御登山の2週間程前から 膀胱炎のような症状がひどくなり、病院で薬をもらい、飲んでました。

    婦人科だったので、いい機会と思い 子宮癌検診も受けました。
    検査の結果、子宮癌に関しては問題がないものの、子宮にポリープのような炎症があり、そのため排尿する度に痛みがある可能性も、とのこと。
    これから1日おきに通院し、治療を受けていかなければならないという診断。

    その時が 御登山出発の2日前でしたので、医師と相談し、行って帰ってきてから治療に入ろうといことになっていました。

    出発の日、静岡空港から大石寺へ向かう途中、バスの中で 子宮なのか、膀胱なのか、とにかく激痛がひどく、変な汗も出るし、上唇が青紫色に腫れてくるし…。

    心の中で必死に御題目。幸いにもお山が近づき、窓から御影堂の屋根が見え、到着するとピタリと痛みが止みました。

    お山に来たから良くなったんだとすっかり安心していました。

    翌日の御開扉の日、奉安堂に向かうまでの道すがら大歓喜で胸を躍らせて歩いていたのですが、奉安堂の椅子に着席した途端、激痛が始まり、座っていられないぐらい下半身が不愉快で痛くて…。

    御開扉が終わったらケロッと治ってるはず、と信じ、我慢してたのですが、奉安堂を出ても治ってませんでした。

    その後は良くなったり、悪くなったりを繰り返し、心は歓喜してるのに、正直 体はつらい4日間でした(>o<)

    そして、不思議なことに、下山するとピタリと痛みがなくなりました。

    ずっと体調が悪かったが、お山に行くと良くなった、
    とか、
    御開扉を受けるとピタリと治まった、
    とかいう話は聞いたことがあったし、私自身もこれまで何度か体験したことがあったのですが、今回はその全く反対。

    なので正直、心配で心配で、心の中で、
    わたし、何か間違ったかな…
    と、自分の信心を少し疑ったりもしました。

    しかし、あとからわかったことなのですが、これらは全て治っていく過程だったみたいです!!

    昨日、医師との約束通り、治療を始めるため病院に行ったのですが

    炎症が全てキレイになくなってるので、治療する必要がない

    というではありませんか!!!!

    驚きと同時に、瞬間、大御本尊様への感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました(T^T)

    こんなことってあるんだ!

    写真では平気そうに見えてますが(笑)その時は痛くてホントに辛かったんです(>o<)

    でも、今思えば大功徳をいただいたんだと、感激しています!

    今年は本当に最後の最後まで私の体を通して色んなものが出ました
    少しずつ良くなって、来年は健康な体で私の御祈念のうちの1つ、子供を授かるという願いが叶うように(≧∇≦)

    自行化他の信心にまずは身と心を据えて、がんばっていきたいです。

    Daijuku Sutra 大集経

    Chapter55 of "Daijuku Sutra" states; 

    01             ┌ 第一の五百歳解脱堅固

    02
                 ├ 第二の五百歳 禅定堅固
    03
      大集経の五箇五百歳とは┼ 第三の五百歳 読誦多聞堅固                         ・
    04
                 ├ 第四の五百歳 多造塔寺堅固
    05
                 └ 第五の五百歳 闘諍堅固・白法隠没


    ①First 500 year is called"Gedatsu Kengo"
    The age of Hinayana Buddhism to be spread.

    ②Second 500 year is called "Zenjo Kengo"
    The age of Mahayana Buddhism to be spread.

    ③Third 500 year is called "Dokujutamon Kengo"
    The age of "Practise and studying"period.
    Many famous Buddhist priests were born including "Kumaraju(鳩摩羅什)who translated Lotus Sutra into Chinese.

    ④Forth 500 years is called "Tahotoji Kengo"
    The age of establishment of many Buddhist temples.

    ⑤Fifth 500 year is called "Tojo Kengo・Byakuho Onmotsu"
    The age of " power struggle",and "dispute"and all power of Shyakamuni's Buddhism declined at the end of the "Fifth 500 year" which is called "Byakuho Onmotsu"

    The pic is "Daijuku Sutra" at Kyoto National Museum.
    It is a designated National Treasure in Japan.
    http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=199903

    Refuting Kenpon Hokke Shu's "Rokunai Gosho is the only Gosho to be used"

    Here, I would like to refute Kenpon's twisted opinions based on the thesis  by" Mr. Giglio Emanuele D, Doctor course at  The University of Tokyo,".


    The theme of  this thesis is if  ※諸法実相抄 is the authentic or not which is  to be determined based on the recent development among scholars  as to Nichiren Daishonin's Buddhism. It is well arranged for the main points.



    The True Aspect of All Phenomena(AKA On the Origin of The True characteristic of  All Dharmas


    The reason why he paid attention for this gosho is;

    Sairen-bo who met Nichiren Daishonin in Sado Island, deeply devoted as one of the disciples of Nichiren Daishonin, and  Daishonin wrote  another 11 goshos to him.

    However,

    There are few words in the gosho about Sairen-bo as to his birth, growth etc. That is why we can only guess within the few words in the goshos to determine about him.

    There are no authentic writings ever found for these 12 goshos.

    Furthermore, there were many opinions in ancient times that these 12 of them might be forgery because  many "Medieval TendaiThought(中古天台義)is used by Nichiren Daishonin except "The True Aspect of All Phenomena".(Mr. Emanuele concluded "This is not true, later on,  manuscripts were discovered at Kyoto and Minobu)


    Well, let's back to the main subject now. The Kenpon's opinion as to "Only Authentic Gosho to be used” is refuted by this thesis. So let me explain briefly.

    The concept of "Rokunai or Rokuge" was classified by the 11th abbot of Minobu,Niccho(
    日朝1422~1500for the first time after 100 years of Daishonin's passing. At this time, 148 goshos were classified as "Rokunai(authentic)". I won't go in detail here, however, Priests gathered couple of times after Niccho, and it took over 600 years of long period up to Meiji era which was amended after amended so on. Recently,gosho is published from The Rissho University (Minobu related Univ.) in 1971 named "Showa Teihon Nichiren Ibun" (身延・昭和定本日蓮遺文・1971年初版発刊). and the most recent gosho has been published in 2002 by Nichiren Shoshu named "Heisei Kotei Nichiren Daishonin Gosho(日蓮正宗・平成校定日蓮大聖人御書 2002年初版発刊)".

    It is well understandable that in order to scholarly pursuits to keep authentic goshos for the latter day, however, nowadays, the concept of "Rokunai or Rokuge" is being used to accuse the legitimacy of lineage of Nichiren Shoshu . In other words, Minobu sect, Kenpon Hokke Shu and all other heretical Nichiren sects as well as Soka Gakkai who was excommunicate by Nichiren Shoshu want to refuse the legitimacy of Nichiren Shoshu by using the word "Rokuge",

    It is very natural to come out in the end that Kechimyaku related goshos have never come out in the public, but has been kept at Taisekiji as treasures. They try to decline Nichiren Shoshu even manuscripts(写本)exist.Any gosho that is related to the Kechimyaku. I could say that Gosho is to be determined if it is true or forgery which are based on the true lineage of Kechimyaku.


    Kenpon Hokke Shu says " We do not accept any Rokuge goshos because of  forgery", based on the 11th abbot Niccho's "Mokuroku Nikki(Diary of catalog 目録日記)”which writes as follows;


    "The first year anniversary of Nichiren's passing, all 6 senior priests gathered with authentic writings at Ikegami, and confirmed 148 goshos and 6 senior priests signed"


    However, Mr. Emanuel concluded that “It is made up the story by Niccho and is not reliable". The reasons are as follows;


    ①If "Mokuroku Nikki" is such an important evidence, the original text of the "Mokuroku Nikki" or its manuscript should be kept at Ikegami or Minobu.

    Is it physically possible that all 6 senior priests get together at Ikegami? Because there was a shift by turns each other among 6 senior priests to protect Minobu.

    ③Daishonin gave goshos not only his disciples but also many lay believers such as Ikegami brothers etc., 148 authentic writings are very few.

    ④Some authentic writings were lossed to several pieces, however, they were listed under the same name of gosho in "Mokuroku Nikki" which is unimaginable since 6 senior priests are his direct diciples.and would not make such mistakes.


    Therefore, the "Mokuroku Nikki" made by Niccho is denied among scholars now.

    The "Thesis" concluded the reason why  Nichiren Daishonin used many Tendai words in Seiren-bo's gosho is because Sairen-bo was an ex Tendai priest, In order for him to understand easily He borrowed Tendai thought to explain the profound depth of Daishonin's teachings.

    ==============================
    インド哲学仏教学研究室とは?
    Dept. of Indian Philosophy & Buddhist Study
    http://www.l.u-tokyo.ac.jp/intetsu/voice.html

    『諸法実相抄』の来歴 : 「録内」「録外」の集成事情と最蓮房伝から『諸法実相抄』の来歴 : 「録内」「録外」の集成事情と最蓮房伝から
    On the Origin of The True Characteristic of All Dharmas : Examining the Biography of Sairen-bō and the Collection of Nichiren’s Writings
    http://jairo.nii.ac.jp/0021/00030946

    ジッリオ・エマヌエーレ・ダヴィデ氏の論文 The thesis of Mr. Emanuel.
    http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/55394/1/ib020008.pdf

    What is "Nam Myoho Renge Kyo"

    Nichijun Shonin, the 65th High Priest of the Head Temple, wrote the following explanation:

    Many people commonly believe that the Daishonin’s teachings focus on Daimoku, and neglect the Gohonzon in favor of the Daimoku. … This is because fundamentally, people only see Nam-Myoho-Renge-Kyo as a Law, which leads them to the limited belief that the Daimoku is merely the principle of the Mystic Law that pervades the entire universe. This is a serious misconception, because in fact, Nam-Myoho-Renge-Kyo also includes the Buddha’s body. … One must begin with the understanding that within the life of the Buddha, the Mystic Law is one with the Buddha’s body. Only then does practice based on faith in and acceptance of the Gohonzon become true Daimoku.

    (“The Collected Writings of Nichijun Shonin,” p. 981)

    顕本法華宗を破す。東京大学大学院博士課程ジッリオ・エマヌエーレ・ダヴィデ氏の論文

    さて、今回は「東京大学大学院博士課程」のジッリオ・エマヌエーレ・ダヴィデ氏の論文を参考にし、顕本法華宗を破折することとする。

    この論文のテーマは「諸法実相抄」がはたして大聖人が記述された御書であるかどうかを、最近の仏教学者諸氏の意見を参考にして書かれており、要領よくまとめ上げている。

    さて、では氏が何が故に「諸法実相抄」を取り上げたかというと、この御書は佐渡で大聖人に出会い、帰依した最蓮房に与えられたとされる御書であり、その他にも11通の甚深の御書が最蓮房に与えられている。

    しかしながら、この最蓮房の出身地に関する記述は、御書内にはごくわずかな資料しかないため、推察するしか方法がないのである。また全12通の御書の真蹟が皆無であること。更に諸法実相抄以外の御書は「中古天台義」を以て大聖人が書かれているため、上代よりこれら12通は偽書ではないか、との意見が多かった。

    さて道が少しずれたが、顕本法華宗の僧侶がいう「御書は録内御書(真蹟)にかぎる」ということの矛盾をこの論文は学術的見解から破折しているので簡単に述べたいと思う。

    この録内御書(真蹟)・録外御書(真蹟以外)」という振り分けを最初に用いたのは大聖人滅後約100年後、身延の第11代、日朝(1422~1500)である。この時148通を録内御書とした。詳しくは省略するが、その後、明治時代まで600年の歳月を掛けて、何回も僧侶が集まり、現在の形に集成されたのである(身延・昭和定本日蓮遺文・1971年初版発刊)。・・・しかしその都度、録内・録外の数が異なっており、結論すれば、このような分け方は大聖人の仏法を研鑽するには何の役にも立たないということである。

    確かに上代に於いては大聖人の真蹟を後代の為に残そうとする、学術的な意味があったかもしれないが、近年はもっぱら日蓮正宗の相伝書を偽書とする、「ためにする書」と堕して使用されているのが現状である。また現在では、あのカルト創価学会も、彼らに都合の悪い御書を偽書とし、身延・顕本と同列に堕している。

    当然であろう。富士門流唯一の正当派である諸相伝書は大石寺以外には門外不出であり、邪宗の輩の知るところではない。また写本なども屁理屈を述べ「偽書」とし、何とか日蓮正宗を貶めようとしている魂胆だけである。御書は唯受一人の血脈相承を以て始めて真蹟・写本に係らず、真の意味が理解できるのである。

    さて、顕本法華宗では、身延第11代の日朝が作成した「目録日記」に基づき「大聖人滅後一周年に六老僧が全員池上に集まり、148通の真蹟を持参し、目録を作成した。その他の御書は偽書とし一切認めない」とし、署名・花押した」と言い張っている。

    これに関し、ジッリオ・エマヌエーレ・ダヴィデ氏は「そもそもこの目録日記そのものが偽書である」と結論付けている。理由は、

    ①「目録日記」なるものの存在が明らかでない。それほど重要な書であるならば、池上、或いは身延に真蹟、写本があるはずである。
    ②六老僧全員が身延を離れ、池上に集まることが出来たであろうか。何故なら身延の山を護る輪番があったからである。
    ③大聖人は弟子だけではなく、池上兄弟など門下に対しても多々、御書を与えられている。148通は少なすぎる。
    ④送り状と本文が別々に収録されたり、送り状だけが収録されなかったり、題目と内容と対合衆が別々にしているものが同一書として収録されている。六老僧ともあろう高弟がその様な間違いを犯すわけがない。

    従って現在、仏教界では「一周忌御書目録作成説」は否定されている。

    尚、最後になるが、最蓮房宛ての御書に中古天台義が多々もちいられている理由は、最蓮房が元々天台僧であったため、大聖人は天台義を以て分かりやすく法をお説き遊ばされたと考えるのが仏教学者の定説となっている。

    以上



    インド哲学仏教学研究室とは?
    Dept. of Indian Philosophy & Buddhist Study
    http://www.l.u-tokyo.ac.jp/intetsu/voice.html


    『諸法実相抄』の来歴 : 「録内」「録外」の集成事情と最蓮房伝から『諸法実相抄』の来歴 : 「録内」「録外」の集成事情と最蓮房伝から
    On the Origin of The True Characteristic of All Dharmas : Examining the Biography of Sairen-bō and the Collection of Nichiren’s Writings
    http://jairo.nii.ac.jp/0021/00030946


    ジッリオ・エマヌエーレ・ダヴィデ氏の論文
    http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/55394/1/ib020008.pdf

    Is Soka's 1st Pres. Makiguchi such a Great President?

    Tsunesaburo Makiguchi's record of conversation with MP after he was arrested in Chiba pref. because of "Disrespect of Shinto God".

    It is very clear that Makiguchi wanted to infuse Nichiren Shoshu Buddhism into his "Theory of Value Creation".


    He clealy  told MP that;

    If I bacome a priest, I am unable to propagate my "Theory of Value Creation". My purpose is to infuse my theory into Nichiren Daishonin's Buddhism".

    ===================================

    This is not a way of Nichiren Shoshu believer. He did not follow the guidance of Taisekiji.

     That's why he arrested and spent many years in prison, and concluded his life without shakubuku anyone even an one person.


    SGI Cult is preaching that Makiguchi was a great President, however, the true story is telling the truth.

    He was preaching;

    Kokka Kangyo (advising the government to convert the whole nation to the right religion),but he was unable to shakubuku anyone but passing in prison.
    This is the true story of Makiguchi.

    To SGI members,
    Do not be deceived by the SGI’s propaganda!

    Pic 1 MP records(stampled "Confidential)
    Pic 2 Conversation with Makiguchi and MP for records.


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    特高

     

     

     

    Nichiren Shoshu" Togo" in Africa

    Nous donnons le meilleur de nous-memes en nous inspirant du slogan "Plus de Shakubuku".
    =====================================================================

    Togo's Nichiren Shoshu believers were only less than 500 in 2009.
    However, In order to accomplish "Shakubuku Goal" requested by the High Priest Nichinyo Shonin,they  chanted and shakubuku every day and night, along with Zadankai Meeting every Sunday, and home visitations etc., They have accomplished "Shakubuku Goal of 50% increase" already done in early 2011,and is 1,300 believers in Togo now which is far more than a  rapid increase toward "Kosen Rufu" in Africa.


    On Sept.7th of this year, The High Priest Nichinyo Shonin visit Togo on the
    occasion of the 15th anniversary of "Hokkeji Temple" .

    The ceremony proceeded solemnly with 700 believers from every corner in Togo.



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    ニーチェの言葉

    過去が現在に影響を与えるように、

    未来も現在に影響を与える。

    - ニーチェ -...
    ============================

    仏法の因果倶時に近いですね。
    但し、残念ながら偉大な哲学者ではあるけれども、
    「未来も現在に影響を与える」というのは違うね。
    時間というのは瞬間・瞬間の連続であり、
    大宇宙の何処かで縁に触れて「自分」というもの(生命)が
    ある時発生した。以来、瞬間・瞬間の延長線上に「現在」がある。

    なぜ人間には幸せな人、不幸な人、
    病気の人、健康な人、
    美しい人、醜い人、
    富豪も要れば、ホームレスもいる・・・??

    何故? これにちゃんとした回答を与えてくれるのが仏法だ。
    仏法では「自分のした過去の総決算が「現在」という「時」であると説く。
    だから人により差別がある。

    未来も同じことです。現在の自分にチャンとした【種】を植えることにより、
    未来が変わってくると説きます。

    従って宇宙が発生した時に誕生した自分は、現在に凝縮されており、現在の自分を
    変えることにより、未来は決定すると説く。

    全ては「瞬間」という時間に凝縮されているということだ。

    これを仏法では「因果倶時」と説いているのです。

    宇宙の発生←ーーーー現在の自分は瞬間の現在の連続ーーーー⇒未来の自分

    では大聖人様は現在の自分をより素晴しい未来へと変革するにはどうするのか?
    これに回答を与えられました!

    お釈迦様は五百塵点劫の昔に「我 本 菩薩道を行じ仏に成った」と言われるが、
    では「昔 何を修行して 仏に成ったの~?」という疑問が残ります。

    これが南無妙法蓮華経なのです。釈尊・天台・伝教は南無妙法蓮華経によって成仏されたのであります。

    総勘文抄で「釈尊成道の根本の原因」を明かにされておられます。

    大聖人、総勘文抄に曰く、

    「釈迦如来 五百塵点劫の 当初 ( そのかみ ) 、凡夫にて 御坐 ( おわ ) せし時、我が身は 地水火 風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」( 総勘文抄 新編1419)

    以上、
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