原爆症:原告武田さん「つらいこともあり、胸に迫る判決」
毎日新聞 2014年03月21日 04時00分
1957(昭和32)年に原爆症認定制度が始まって50年以上。認定審査のあり方を巡る訴訟では国の敗訴が続くが、半世紀を超えても国と被爆者らの溝は埋まらない。
国は、爆心地からの距離で放射線量を計算する「放射線量推定方式(DS86)」で審査したが、最高裁が2000年にこの方法を不合理とした。国は次に、性別や被爆年齢を数値化した「原因確率」を導入したが、認定のハードルは依然として高かった。
認定されなかった被爆者が03年以降、各地で集団訴訟を起こした。大阪地裁は06年、国の審査のあり方を批判し、原告を原爆症と認めた。その後も敗訴が続き、国は再び基準を見直した。
08年、がんなどについて(1)爆心地から3.5キロ以内で被爆(2)原爆投下から100時間以内に2キロ以内に立ち入り(3)2週間以内に2キロ以内に1週間滞在−−のいずれかの要件を満たせば、積極的に認める方針に改めた。
これで年100〜200件台だった認定数は08年度は3000件近くに急増した。国と日本原水爆被害者団体協議会は09年8月、集団訴訟の終結で合意、雪解けムードとなった。
しかし、申請者が増えたこともあり、却下される人が増え、被爆者側が再び反発した。10年から約100人が新たな集団訴訟を起こす。大阪地裁で既に2件の判決が出たが、いずれも原告勝訴が確定した。
国は再び要件を緩和すると表明、今年から新たな認定基準の運用を始めた。新基準では、がんなど3疾病を原則認定とし、心筋梗塞(こうそく)など3疾病については「放射線起因性」の証明を不要とした。
しかし、被爆者らの評価は厳しい。今回の原告を含め、係争中の95人も新基準で再審査されたが、認められたのはわずか16人だ。【内田幸一】